#13-2.会談初日2
「では次の議題ですが、軍事分野での話を中心に行いたいと思います。両国間で休戦を取る以上、休戦に反する勢力によるどちらかを装った攻撃が展開される恐れもあります。それについて、如何な対処を取るのか、というものです」
軍事に関する話題に変わり、魔族側はアーティが、人間側はエリーシャが席を立つ。
「これに関しては、我が軍の提案として、今回とは別に、事前に双方の指揮官同士での対話が必要だと思います」
「魔族側の責任者と同意見だわ。現場同士で詳しく話し合わないでは、上が考えて決めただけでは上手く行きっこないもの」
もっと細かい現場単位でのセッションが必要である、というのが双方の意見であった。
「とはいえ、ここである程度方針を決めておく必要もあると思いますが」
「そうね」
だがこれは、あくまで断りである。本題はここから進むのだ。
「魔王軍としましては、双方の各部隊の指揮官層に専用のマークをつけ、それにより真偽の識別ができればと思うのですが」
まずアーティが提案したのは、物証による証明であった。
古来から親しまれているマークによる識別。どの分野にもあるものであった。
しかし、エリーシャはそれに難色を示した。
「それだけでは、仮に指揮官が襲撃されたり、盗難にあった場合に悪用される恐れもあるわ」
指を立て、小さく振ってみせる。
「マークによる識別ではなく、マークそのものに意味を与え、この意味を知っているかどうかで識別するようにしましょう」
エリーシャの提案は、知識による識別であった。
これにより、ただ強奪・盗難しただけでは真なる使い方を把握できず、悪用もできないだろうというものだ。
「ですが、それだと我がほうの指揮官では言葉が話せない等で証言が取れない可能性があります」
これにはアーティが難を示す。
魔族は確かに人間と同じように話せるが、魔物兵からなりあがった部隊指揮官などは、人間の言葉を話す事ができない者も少なからずいるのだ。
マークの証明などは、つまりは攻撃を仕掛けてきた相手を捕らえた際に、相手がどういった差し金でそれを行ったのかを識別する為のものである。
魔族側からすれば人間の兵士が捕らえられそれを問われるのだから問題ないが、人間側からした場合、人の言葉を話せない魔物からはその判別がつかない恐れがあった。これが不味いのだ。
「むぅ……言葉を話せないでは困ったわね……」
意外な盲点だとばかりに、エリーシャは腕を組み考え始める。
なりすましの被害を抑える為にどうしたらいいか。
場は静まり返っており、ただ二人の次の発言を待っているらしかった。
「話せる者だけを指揮官に置くっていうのは無理な訳?」
「それは軍全体を刷新しなければいけないほどの大人事になります。最悪内乱の元凶にもなりかねませんから、無理ですね」
折角魔王軍内での魔物への差別意識が薄くなったのにそんな事をしたら、それこそとんでもない事になりかねない。
アーティは必死になって拒絶する。
「そうなると……そうねえ。『どちらの軍もそこにいるはずがない』という確証を得られる何かが欲しいわねぇ」
必要になるのは、そもそも衝突が起こりえない状況に持っていくこと。それしかないのだと結論を持っていく。
「互いの軍の限界地点の間に、どちらの軍も存在できない空白地帯を用意してはどうでしょうか?」
「軍事空白地帯か……」
「それを乗り越えた者は、どちらの者であれ殺して構わない、という協定をいただければ、互いの証明等関係無しに入ってきたら殺すという方向に持っていけると思うのですが」
「なるほど、確かにそれはいいかもしれない」
しばし考えた末、アーティが出した案がエリーシャに受け入れられる。
その様子を見守っていた一同も、安堵に胸をなでおろした。
「では、我が方は水源地帯を駐留限界として、そこから先に進んだものは例外なく処罰して良いことにするわ」
「それで結構です。東部地域は我々の領域ですが、そこから水源地帯手前までが双方のどちらも存在し得ない『空白地帯』に設定する事にします」
あくまでこれは大帝国一国との協定のはずだが、エリーシャはすでに水源地帯まで確保している事前提で話を進めていた。
アーティも特にそれに関して気にはしない。話の軸はずらしたくないのだ。
「そして、それとは別に、最初に話した通り、部隊単位での話し合いも必要だと思うのです。軍指導者以下、大隊指揮官クラスまでの小規模交流から始まる情報交換などをしたいと思うのですが」
「構わないわ。それに関しては日を改めて話し合いましょう」
別の話題でも合意でまとまり、この話は綺麗にまとまった。
その後、休憩がてらの話として、魔族が何故、衛兵隊のクーデターを察知したのか、エリーシャの居所を突き止めたのかなどが魔王から説明され、事はタルト皇女誘拐事件、更にはラムクーヘンの裏切りにまで言及されていった。
「ラムクーヘンが我々を裏切ったとして、タルトが誘拐された事に関して、この場で我々が言う事はない……勿論怒りはあるが、それはわざわざそちらに話すことでもないだろう」
「無論だ。それはあくまでもそちらの問題だろうからね。手を貸せと言われれば貸しもするが、干渉するなと言われればそれで終わる話だよ」
とてもデリケートな話である。
タルト皇女が行方知れず、場合によっては二度と戻る事がないというのは、人間側ではあくまでこの場にいる者に限り伝わっている話である。
これに関して一番詳しいはずであるエリーシャですら、明確に皇女がどうなったのかは解からないというのだから、救い等ないかに思える。
迂闊に魔族側に干渉されたくない、できれば多くの者には知られたくない、関心を抱かれたくない出来事であった。
「后にも知れていないことなのだ。できれば、このまま伏せておきたいと思う」
皇女が行方知れずになったなどと知れれば、身重な妻はどうなってしまうか。
最悪、折角身ごもった子供が流れてしまうかもしれない。そう思えば、この件はまだ伏せておきたいという気持ちも皇帝にはあった。
「あいわかった。ではそのようにしよう。だが気をつけたほうが良い。ラムクーヘンには南部との繋がりもある。いつまでも放置しておくと……恐ろしい事になるかもしれん」
「そうかもしれないわね」
あくまで警告にとどめようとする魔王に対し、エリーシャは余裕たっぷりの顔でそれを肯定する。
そこに深刻さはあまり感じられず、どうやら既に手が打たれているらしいのも感じられた。
「まあ、この話はこれでいいだろう」
あくまでただの雑談のようなものである。ここから何かが広がれば、と思ったが、思いのほかシフォンもエリーシャも強硬で、この辺りあまり引き出せるものはなかった。
強いて言うなら、エリーシャの腹積もりがいかほどか、それが気になったのだが、彼女の算段では万事上手く行く予定のようなので、あまり気にする事もないかと考えたのだ。
「本日最後の議題に入りたいと思います。捕虜についての話です。現在、我が方には中央諸国だけでおよそ五千人の民間人の捕虜、それから、滅ぼした国家の主要人物が五十人ほどおります。これに関して話し合いたいと思います」
捕虜の話とあって、魔族側からはエレナが立ち上がる。
対して、人間側からは大臣と、ずっと黙ったままだった勇者リットルが立ち上がった。
「えー、捕虜に関してはですね、民衆から順次開放していただきたいという要求がございますが、まずは現段階で、捕虜がどのような扱いになっているのかの確認をさせていただきたいと思うのですが」
重大な場であるが、大臣は飄々とした様子でエレナに問うた。
「魔王軍に捕らえられた元民間人の捕虜は、例外なくエルフの集落に囲まれた森の中の村で、とても安全な状況下で自給自足の生活をしております」
森の中という監獄に放り込まれたとも言えるが、特別手足を拘束されているでもなく、それなりの自由は保障されていた。
「森もそれなりに豊かで、生活そのものは苦しいですが、決して絶望するような環境下ではありません。むしろ、一部ですが人間世界の中生きているより輝いて見えることすらあります」
清廉な暮らしの中研ぎ澄まされていく感性。欲に溺れ堕落していた者にとっては厳しい世界だが、だからこそ心が洗い流され綺麗になっていく者も居るのだ。
「捕虜となったからと、人間側が恐れているような恥辱を受けたり暴力を振るわれたり、という事もありませんわ。これに関しては、直接捕虜たちから話を聞き、誰一人としてそういった悲惨な目にあった者がいなかったと、私自身が記憶しております」
「つまり、民間人は無理に抵抗するではなく、捕虜になっておくべきだという事ですかな?」
「捕虜になるべきとは言えませんが、命が惜しいならそうした方が良いでしょう。彼らの判断基準としては『抵抗する者は容赦なく殺す』というものがあるようですから、どうにもならない状況下で抵抗するのは自殺行為でしかないと思えますが」
あくまで淡々と説明するエレナに、大臣は静かに頷いて見せた。
そして、ここまではあくまで前振りであるとでも言いたげに、同じように立つリットルに視線を向ける。
「リットル殿、何か聞きたいことは?」
そして促す。気の利いた大臣であった。
「……滅びた国の王族がどうなっているのか。それについて聞きたい」
「亡国の王族は、いずれも魔族世界の各地で幽閉されているようですわ」
こちらはエレナも直接見た訳ではなく、あくまで説明されただけの部分であったので、やや答えにくそうであった。
「ショコラの王族はどうなった?」
「ショコラの王族は、その多くが捕らえられ、ある地域に幽閉されている。まあ、出られないだけである程度自由もあるし、それなりに豊かな生活はさせているつもりだが」
答えにくそうにしていたエレナに代わり、魔王が横から入り込む。
「君が気になるのは、第三王女ミーシャの事かね?」
楽しげに笑う魔王に、リットルは不機嫌さをあらわにして睨みつけていた。
「ああ、そうだよ、アルドさん」
やってくれたな、と。あの夜酒を親しんだ相手が、まさか魔王だったなどと。
リットルはぎらりと睨みながら、皮肉たっぷりに魔王に言葉をぶつける。
「安心して良い。彼女は無事だ。私が保証するよ」
「本当だろうな? 何も手を出してねぇだろうな? もし何かしてやがったら――」
「落ち着きなさいリットル」
余裕綽々の魔王に苛立ちを感じてか言葉を荒げるリットルを、エリーシャが言葉で制した。
「私達は、会談の為に来たのよ。話し合いの為にここにいるの。その意味を考えて頂戴」
個人の感情でモノを語るな、と、にらみを利かせて。
そのまま黙らせたリットルを他所に、エリーシャは顎で魔王に先を促した。
「うむ。ミーシャ王女だが、彼女には我々の会談の模擬訓練の為に協力してもらっていたのだ。今はもう安全なところにいるはずだ」
魔王自身、彼女が楽園の塔に居る事も、ハーレムに入れられていたことも全く知らないのだが、こうして会談も始まった以上、元の幽閉されていた城に帰されただろうと思い込んでいた。
「捕虜の交渉に関しては、明日以降の話になると思うが。具体的な捕虜の扱いに関して、特に何もなければこれで説明を終えるつもりだが――」
「結構よ。これで終わりにしましょう」
話を長引かせるつもりもないらしく、エリーシャは即座に打ち切ることに賛同した。
「うむ。ではそういう方向で」
魔王も流れに逆らうつもりはなく、梟頭に終わりを促す。
「では、本日の会談はここまでにしたいと思います。各分野においての詳しい議論は明日に回そうと思います」
進行役の梟頭が終わりを合図すると、一堂小さな拍手によってそれは迎えられた。
こうして、会議初日は終わりを迎える。
何事も無く、ある意味魔王側の計画通りに話は進み。
意外にも綺麗に終わった物だな、と魔王は思ったものだが。
言ってみればこれは前哨戦のようなもので、本格的な戦いは明日の細かい部分での協定策定であった。