#12-2.会談前日2
「やれやれ、ようやく会談か。ここまでくるのに大分掛かってしまったなあ……」
街の中の旅籠の一室。
内通により皇族一行が領主館に到着したという報告を受け、魔王はうんうん、と頷きながら感傷に耽っていた。
「お言葉ですが陛下、問題はこれからですわ」
傍に控えるのは緑色のとんがり帽子のウィッチ・アーティ。
それから――
「そうですわ。感傷に耽るのは、会談が計画通り綺麗に終わってからのほうがよろしいのでは?」
捕虜たちの教祖・エレナであった。眼鏡を外し、髪をアップにしている為若干印象が柔らかくなっていたが、アーティともども魔王をたしなめる。
「いや、それはそうなんだがね。後は何事も無く、会談が進むことを祈るばかりだが」
「どうでしょうか? 予定では明日には、残りの会談要員とガードナイト指揮する護衛要員達が到着する手はずとなっておりますが」
予想外の事は起こるものですわ、と、アーティは目を狭める。
「まあ、会場においては安心してくれて良い。私が命に賭けて、君たち二人を守ってみせよう」
こう見えて私は結構強いんだよ? と、魔王はにかりと笑う。
「じ、自分の身位は自分で守れますわ。陛下に守っていただかなくとも……」
「私も、ある程度の護身術は勉強しておりますわ。お気になさらず、会談に集中してくださいまし」
アーティはやや焦ったように拒絶。エレナはそんなの要らないとばかりに拒絶。
魔王は少しだけテンションが下がった。
「いや、まあ、それならいいが。エレナ、久しぶりの人間世界はどうかね?」
「どうも何も……南部と中央部ではこれほどに違うのかと、驚かされてばかりですわ」
宿の窓から見える街の姿。エレナはそれを目の端で見やりながら、自嘲気味に笑ってみせる。
「中央が、帝都以西がこれほどに平和とは。南部など、大陸の端まで危険が迫っているらしいと聞くのにこれでは、南部の人間が見たら中央部に嫉妬してしまうでしょうね」
文字通り『住んでいる世界が違う』らしかった。
南部とは、それほどまでに地獄のような土地なのだ。
「本来信仰の発祥地である中央部から遠く離れた位置にあるはずの南部に女神信仰が根付いたのも、辺境である南部の生活の苦しさ、日々を生き抜くのにすら苦労する重く辛すぎる生活背景があるからこそですもの」
地形の特性上もあり、少なくともマジック・マスター存命時から近年に至るまで、南部中央以西は魔王軍の侵攻をほとんど受けずに済んでいたが、それはそもそも攻める必要がないほどに弱々しく、自滅するのではないかと言うほどに生活基盤が乏しかったのが大きかった。
半ば砂漠化している地域もあり、度重なる大河や海からの大水で全てが流される土地もあった。
国として辛うじて存在はしていても、国の治安は悲惨極まりなく、一部の豪商や貴族がその他全ての弱者から奪い取る事で成り立つ搾取の歴史が重なり、日々の生活からくる民のフラストレーションは非常に強い。
様々な怒りや憎しみが渦巻いており、何が元で爆発してもおかしくないほどの政情の不安を押さえつける為、国は重税を課したり定期的な摘発・奴隷への格下げを行い、民の地力を奪っていかなくてはならない。
そうする事で国内は不活性化が進み、どこまでも淀み続けてしまう。
女神への狂信的ともいえる強い信仰心、女神の為ならば死ねるという精神は、このような、他の地域から見て異常すぎる風土が色濃く残っていたからこそ根付いたと言えよう。
魔王軍がどうするでもなく、南部は女神信仰なしには成り立たない位には衰弱していたのだ。
「苦しい現実から逃れたくて。辛すぎる過去を忘れたくて。そうやって信仰の道に入る者も少なくありませんでした。大帝国が容易に宗教を捨てられたのも心底信じられなかった。だけど、これを見てよく分かりましたわ。生活基盤そのものが全く違うんですもの」
そりゃ捨てられますわね、と、苦笑してしまう。
そこには、『安定』があったのだ。
明日を考えられるという余裕。平和の中培われる明日を信じられるという感覚。
日々を楽しく生きようという考え。笑いながら過ごせる今日という日を当たり前に迎えられる平穏の世界。
そのどれもが、南部にはなかった。希い、その為に命まで捧げる者が後を絶たないというのに。
「正直、私自身嫉妬しそうですわ。この街の暮らし。国のはずれの方でこれなのだから、アプリコットなどはさぞや素晴らしいものなのでしょうね」
「ああ、とても落ち着きのある、人々が幸せに暮らせる街だ」
エレナの皮肉じみた言葉に、魔王は笑って見せた。
民が何故そう暮らせるか。それは君主が代々民を慮ってきたからである。民重視の政策を続けていたからである。
国家としてはマジック・マスターの時代に建国された比較的新しいものであるが、それが功を奏しているのもある。
南部諸国は歴史的に古い国が多く、価値観も凝り固まっている事が多い。
故に民は強き者の搾取の対象であったり、奴隷同然であったり、いざという時に捨て駒にされるような儚い立ち位置であった。
この君主論の違いが、民の生活基盤にテキメンに影響を与えていた。
民が安心できる国家は、どこまでも伸びていく。
多様性が生まれ、そこに需要が育ち、やがて新技術となり新たな商売となる。
他所からも人が流れ、人が多く集まるようになり、税を安く抑えても十分に額が集まるようになる。
国の地力が増加し、軍事力が増し、魔族からの侵攻に備えられるようになる。
街は城砦に囲まれ、赤竜程度なら迎撃できる対空装備で武装され、常駐軍の存在により守りも非常に堅い。
民はこの中で安心して生活し、数を増やし、税を納め、平和を享受する。
平穏の中暮らせる彼らに国に対する不満は少ない。
国を治める皇族は彼らにとっては憎むべき支配者ではなく、親しみのあるアイドル。
人々は皇族の言う事ならばと多少の無理は聞いてくれるし、進んで国のやる事に協力してくれようとする者も多かった。
これらはまさに、代々の皇族が民を重視した政策を続けた事による成果である。
国は、政治は、民の精神性を誘導できるのだ。
これを軽視した南部が真逆で、いつまでたっても悲惨であるのを見れば、その重要性・この国の皇族の先見性は間違いのないものであると言える。
エレナは、この決定的な違いに、何故南部の君主達が気付けなかったのか、と、悔しくてならなかった。
その違いに気付く事が出来れば、変わる事が出来れば、南部は宗教に頼らずとも同じように平穏を享受できていたのではないか。
そう思えてしまってならないのだ。
「君も、なんだかんだでこの世界の人間のようだ。捕虜たちの教祖となっても、やはり君は、故郷の事を考えてしまうらしい」
魔王はそれが面白いのか、にまにまと口元を緩めていた。
じっと窓の外を見ていたエレナは、魔王の言葉に気まずそうに視線を逸らし、眼を瞑る。
「……捨てる事が出来ないのは、良く解りましたわ。私は、どれだけ離れてもやはり、この世界が好きなのでしょう」
世界を変えたい。清廉に。平和に。彼女は想ってしまったのだ。
――こんな世界を、どうにかしたい。と。