#9-1.ロザリー判定敗北
エリーシャ追跡の為同志達が街を出て、一週間が過ぎようとしていた。
ランド=クシャに向かった彼らが戻ってこないのは不審であると思いながらも、同時に「やはり」という気もしてしまう。
ロザリーはそんな心境ながら、教会跡の公園で一人、ベンチに座り本を読み耽っていた。
「あのっ」
「――はい?」
自分など気にする人はいないはず、そう思っていたロザリーであるが、突然声をかけられ、少し驚いた様子で顔を上げる。
声の主は、年端も行かぬ少女であった。手にはバスケット。どうにもみすぼらしい格好であった。
「どうかしたのですか?」
だが、ロザリーはそんな少女に嫌悪感もなく、にこりと微笑んでみせる。聖女の笑顔である。
「あの、よ、よかったら、お花……お花、を……」
「お花?」
少女は緊張気味に手を震わせながら、バスケットを前に出す。
「まあ、綺麗ね」
冬らしく、クリスマスローズの白がロザリーの眼を楽しませた。
「あの……」
少女が何を言いたいか、それ位は、ロザリーにも解るつもりであった。
「全部くださいな」
「えっ?」
「全部。おいくらですの?」
できるだけ少女を怯えさせないように、優しく顔を覗き込みながら、少女の手を握る。
「え、えっと……全部で、十五枚ですっ」
「十五枚ね……」
言いながら、懐から財布を取り出す。
わざと見せるように品の良いそれから銀貨を取り出し、言われた枚数分を少女のバスケットへと入れてあげた。
「それじゃあ、お花はいただきますね」
「あ、ありがとうございますっ!!」
代わりに花を受け取ると、少女はぱあ、と明るく笑う。
お金と引き換えの笑顔。それがロザリーにはなんともまぶしく、そして哀しかった。
「どういたしまして。私、お花だーいすきですから、よろしかったらまたいらしてね。しばらくは、この公園でぼーっとしてると思いますから」
「は、はいっ」
ありがとう、本当にありがとう、と、何度もお礼をしながら。
いえいえ、とロザリーが手を振ると、少女は最後にぺこりと頭を下げ、軽い足取りで去っていった。
「……はぁ」
渡された花を見る。確かに綺麗なクリスマスローズ。季節の花である。
見慣れた、どこにでも植えられているものではあるが、花の美しさ、つやなどを見れば相応に手入れがなされているようにも感じられた。
「これが南部なら、その辺の雑草でしたわね。それか、春そのものを売ってる所かしら?」
なんとなしに思い出し笑い。
「それに、お財布なんて見せたらその場で奪われてましたわ」
荒んでいた故郷を思い、あの少女と重ね合わせようとして、しかし、あまりにも違うそれに、つい笑ってしまっていた。
「貧者ですらお行儀が良いだなんて。これが、南部と中央部の違いなのかしら……」
白い花びらを手慰みに、どこか遠くを見つめる。
「やっぱり嫌いですわぁ帝都。地獄のようになってしまえばいいのに」
その口からは毒ばかりが吐かれる。それしか生み出せないとばかりに。
ふと、街がいつもより賑わっているのを感じる。
閑散としたこのあたりは、祭の時ですら人の賑わいが伝わる事はほとんどなかったはずであるが。
「……何かしら?」
つまり、祭以上の何かが起きた、という事かもしれない。
旅の芸人一座でも到着したのか。それともいつもより早く皇族がバルコニーに姿を見せたのか。
皇族大好きなこの街の民の事である、恐らくは後者なんじゃないか、それにしてもざわめきが大きすぎると、ロザリーは不審がり、公園から出て、街の中心部へと向かう。
「なっ――」
それは、荘厳な雰囲気を纏い街を往く猟騎兵ドラグーンの隊列。
対魔加工がなされたプレートメイルの蒼き光沢を周囲に見せつけながら、何一つ乱れなく進む。
街往く人々が目を向け声援を送るのは、その中心をゆったりと進む一台の馬車。
皇族専用の豪奢なもので、これが四頭の馬に引かれていた。
随伴するドラグーンも帝国衛兵隊の紋章付き。紛れも無く、皇族の誰かがそこに居るのだ。
(そんな……この時期に皇族が城を出るなんて、そんな予定聞いてない――)
同志であった衛兵らも何も漏らさなかった。
少なくとも直近まで、彼らのあずかり知らぬところで『何かが』動いていたのだ。
悠々と進む馬車を遠巻きに見ながら、ロザリーは悔しげに歯を噛む。
(恐らく――)
そして、ここにきて一つの結論に行き着いた。
(同志達をランド=クシャへ送ったのは厄介払い。あるいは疑いを確定付ける為の罠。私たちの工作は、きっと気付かれてしまったんだわ……)
敵もさるもの。しかし、それならば何故彼らがそれに気付いたのか、という疑問にも行き当たった。
何より、どこで計画が狂ったのかが解からない。
同志達の報告を信頼するなら、そのような兆候は何一つなかったはずなのだ。
あるいは、それほどにシフォン皇帝という男は想像以上の切れ者だとでも言うのだろうかと、ロザリーは考える。
確かに先代皇帝シブーストは政治方面でも中央諸国を纏め上げ、一国の主としては遥かに経験豊富なはずのババリア王相手に同等以上に渡りあった程の傑物だったのだから、その子息であるシフォン皇帝が優秀なのは何の不思議もないはずなのだが。
それにしては、と、ロザリーは違和感を感じてならない。
シフォン皇帝とはどのような人物であったか。
とても温厚で篤実。何より民を優先しようとする博愛的な性格。
私生活においてはあまり皇室の実態は明らかにされていないが、皇后ヘーゼルを深く愛しており、国際的にもこの夫婦はとても睦まじいと評判である。
政治的な方針は父親と似ているようでその方法がやや異なり、多少強引であろうとも速攻で多数の幸福を確保するのを是とした先帝に対し、シフォンは多くの者が得をし、結果最大数が幸福になれるようにと熟慮する傾向が強い。
この為、戦時のような即断を求められる際にはシフォンはその才能を発揮できないが、平時においては先帝以上に強い指導力を発揮できると思われる。
総じて平時の王として求められる才覚に優れており、逆に言うなら、このような状況下、身中の虫を罠にハメるなどという姑息な真似はあまり得意ではないと言える。
――つまり、得意な者が居たのだ。
シフォンではなく、だが、シフォンにそれを聞かせられる位には地位か名誉か能力がある者が、シフォンの傍に居てしまったのだ。
(……誰かしら)
通り過ぎていく馬車。この中に乗っている要人は誰であろうか。
皇后は身重だという噂だから、噂どおりならわざわざ一番大切な時期に外出などはしないはず。
順当に考えるならシフォン皇帝だろうが、だとしたら、その行き先はどこになるだろう。
これがただ豪華な馬車だとか、護衛が多いだけというなら国賓級の誰か、例えば城内に軟禁されていたという北部宗教の教祖なんかが乗っててもおかしくはないのだが、どうにもこの行進を見るにそれはないのも解る。
シフォン皇帝は城から出たと考えるべきだろう。
皇帝を城から出せる程の何かが起こったと言えるのかも知れない。それは、だから――
「そうかっ!!」
彼女が導き出せる解はそんなに多くない。
声を大にしてしまう。周囲が何事かと視線を向けるが、ロザリーは気にせず興奮気味に思考のその先に突き進む。
城内の間者を見切って罠に嵌められる切れ者。皇帝を城から出せるほどの実力者。
この二つの条件に適う者など、この世に一人しかいない。
(エリーシャだっ!! エリーシャが、この行進の先に……馬車の向かう先に居るっ!!)
それは、ただの思考の果てにある推理でしかない。
だがロザリーは確信していた。
エリーシャは生きている。そして、エリーシャがシフォンを操っているのだ、と。
「ははっ――あははははっ!!」
可笑しくなってしまう。
何処に居るのだか解からない、到底見つけられないと思っていたエリーシャが、その居場所が、何の苦労も無しに解ってしまう。
だが、同時に恐ろしくもなったのだ。
まんまと一杯食わされ、折角城内に潜ませた同志らは外に誘い出され、今頃駆逐されているか、自爆する羽目になっているに違いなかった。
こちらの目論見など容易く見破り、こちらの策略などあっさり打ち破り、そしてこちらの思考など見透かしているとばかりに悠々と進むこの行進。
まるで「ついてきなさい、私はここよ」とでも言わんばかりに見せ付けてくるその様に、心底敗北感を感じてしまっていた。
城に居もしないエリーシャ一人に全てを破られたと言ってもいいのではないだろうか。
悔しさを通り越して、ロザリーはただ、笑うしかなかったのだ。