#8-5.義妹トルテ
「エリーシャ姉様、お久しぶりですわ」
場所は変わり、再びアプリコットの皇城である。
皇女タルトの私室は、ピンク色の装飾がなされており、年頃の乙女らしい少女趣味が炸裂していた。
「ええ、久しぶりですね。タルト皇女。お元気そうで何よりでございますわ」
エリーシャを迎えるは齢16の姫君。大帝国が誇る皇女である。
大きく編み込まれたチョコレート色の髪が、きらびやかなガーネットの髪留めでまとめられ、右肩に添えられている。
色の薄い瞳はくりくりとしていて、眼も大きい為可愛らしい。
ルームドレスは部屋とあわせてか浅葱色。
コルセットは締められておらず、それでいて腰まわりは細く華奢な体型をそのままにしていた。
客人を迎えるというよりは親しい人を迎えるような、そんな日常的な選択である。
「もう姉様。そんなに堅い話し方はおやめになって。私は、お姉様の妹みたいなものなのですから」
今でもまだ同じように慕っているのか、皇女様はエリーシャの取った臣下の如き態度に唇を尖らせる。
「それに、この部屋には私達以外誰も居ませんわ。昔のように、また、父上や兄様達のように『トルテ』とお呼びくださいな」
「……ええ、解ったわトルテ。本当、あなたは変わらないわね」
小さく溜息をつき、「あなたには負けたわ」と素直に従う事にしたエリーシャ。
しかしその表情はどこか嬉しそうで、爽やかである。
「姉様だって、お父上に連れられてこのお城で出会ってから、全くお変わりがありませんわ」
「そんな事無いわよ。あの頃と比べて、変なところに筋肉がついちゃって困ってるくらいだわ」
この筋肉が、と、割と本気で悩んでみる。
恨めしいのだ。これのおかげで可愛い服が似合わないように感じてしまうからなのだが。
「あら、外見のお話でしたの? でも姉様はあの頃と比べても、今尚お綺麗でらっしゃると思いますけど」
「よく言われる」
そう、外見で褒められる事は彼女にとってはよくあることだった。ある程度自覚はしてるのだ。
むしろ自分の顔にはちょっとだけ自信がある。それくらいのナルシズムは許して欲しいくらいの勢いである。
「内面も、昔とお変わりなく、なんといいますか、大人びてらっしゃるように感じますわ」
「そうかしら?」
こちらに関してはあまり言われない。新鮮な評価であった。
そもそものところ、エリーシャが現実で直接関わる人間というのは誰も彼もが目上年上のオールド紳士ばかりで、自分が大人びているという自覚が持てるほどには『子供っぽい同世代』とは接しないからなのだが。
数少ない年下の妹分であるトルテからは、エリーシャはやはり、頼りになる姉様という立ち位置になっているらしい。
「トルテだって、エクレシア修道院に預けられても、そこまで変わって見えないわね」
「そんな事無いですわ。私だって、預けられている間に裁縫や料理、行儀作法をしっかりと身につけましたから」
私だってやればできる子なのです、と胸を張る。
残念な事に胸はそこまで育っていなかった辺り、エリーシャは本当に安堵していた。
「なら、いつでもお嫁にいけるわね。もう相手は決まってるの?」
「はい。まだ大分先なのですが、西部ラムクーヘン王国の第一王子、サバラン様に嫁ぐ予定らしいですわ」
「そう」
年頃になったので戻した、という皇帝の言葉どおり、既に彼女の未来は決められていた。
皇族とはそのようなものであると解ってはいても、やはりエリーシャは、その人生には悲しいものを感じてしまう。
「姉様、私、ちゃんとお世継ぎを産んで育てられますでしょうか」
「大丈夫よ。あなたはやればできる子だもの」
大人しく物静かだったトルテが先ほどから多弁なのも、決められた人生を知り、ナーバスになっているからに相違ない。
それが解っていながらその話題を振った自分は、いささか意地悪な才能があるんじゃと、少し悪女めいた気持ちになるのだ。
「それに、男性っていうのは、そこまで怖いものじゃないから」
案外優しいものだから、と、不安がっているトルテの頭に手を回し、軽く撫でる。
「あ……そ、そうですよね。姉様が言うのだから、間違いないわ」
少しだけ安堵したのか、うつむいてしまう。可愛らしい。
「やっぱり、姉様が私のお姉様になってくれたらいいのに」
ぽつり、そんな言葉を漏らす。
「よく言ってたわね、昔は」
エリーシャには聞きなれた言葉だった。
お姉様になってくれればいいのに。俺の娘になってくれればいいのに。
それはいつも、曖昧な笑顔で聞き流されていく。それで済んでいた話だった。
「姉様。いっその事シフォン兄様と結婚なさっては?」
しかし今回に限り、あまりにも唐突な言葉が後に続いていた。
「トルテ、突然何を」
「だって、姉様が兄様と婚姻なされば、姉様は私のお姉様になれますわ」
エリーシャを見上げるトルテは既に満面の笑みである。
まるで名案を思いついたとでも言わんばかりに、振り払い難い事この上ない妹分の笑顔に、エリーシャは困り果てる。
「唐突過ぎるし。何より、シフォン皇子には昔から婚約者がいたはずでしょう」
「気に入りませんもの。私、ヘーゼル様は好きになれません」
哀れな皇子の婚約者だった。一体何が気に入らないというのか。
ヘーゼルというアップルランドの貴族の子女は、エリーシャが知る限り決して悪い娘ではなく、むしろ皇子に相応しいと思うほどよく出来た娘だというのに。
「だって、ヘーゼル様は私の事、トルテとは呼ばないのです。それに、兄様だって正直な話、ヘーゼル様よりは姉様の方がいいと――」
「ストップ。そこでやめにしましょう。私は皇子にはそういう感情持ってないし。誰も幸せになれないわよこの展開は」
ここの皇族一家は妙に勢いの激しいところがあって、一度ノリ始めると中々止まらない。
暴走しやすいというか、止め所が自分でも解らなくなってくるらしく、早めに止めないと思いつきを実行に移しかねない危うさがあった。
「……ヘーゼル様以外の誰もが幸せになれると思いますわ」
止められてむくれるトルテだが、エリーシャにはヘーゼルが可哀想過ぎると思えてしまう。
外見も美しく、性格も家柄も良く、幼い頃から皇子を慕っている、非の打ち所も落ち度も何一つ無いヒロインのはずなのに、相手の身内から嫌われては不憫としか言いようが無い。
「私はヘーゼルさんの幸せを願ってるから無理。はい、このお話は終わりにしましょう」
「姉様、本当に兄様に気が無いのですか?」
「無いわ。残念だけど、微塵も興味が無い」
いい人だし優しい皇子だと思ってはいたし、いい皇帝になれると思いもする。
でも恋愛感情は微塵も抱いていない、というのがエリーシャの偽りなき本音である。
別に好みのタイプではないとか、彼の婚約者に遠慮してとかではなく、自分はそうあるべきではないと思っての事であった。
「あの、昔から思っていたのですが、姉様って――」
「……?」
「もしかして、同性あ」
ぱちん、と、頬を張る音が部屋に響く。
決して強くはないが、柔らかな頬は揺れていた。
「あ……」
「失礼だわ。怒るわよ」
普段手よりは言葉の方が先に出るエリーシャの、言葉より先に手が出る怒りだった。
「ご、ごめんなさい。二度と言いません」
「解れば良いのよ」
涙目になりながら謝るトルテに、エリーシャは機嫌よさげににこにこと笑う。
同性愛なんて言葉はエリーシャ的にもあまり妹分の口からは聞きたくない類の言葉の為、容赦なく張った。
普通に考えれば許されない行為であっても、妹分の暴走ゆえ仕方なしと許されてしまうのがこの二人の関係であった。
ただにこやかに笑い話し合うだけの関係ではなく、失言が元で喧嘩もするし、怒って手をあげてしまうこともある。
大人しく物静かなこの皇女は、それでいて時々暴走したり変な事を言い出したりするし、口で言って聞かせるだけでは到底止まらない事も多い。
本来なら侍女や躾担当の者が皇女の暴走を止めるべきなのだが、誰も彼もがただ一人の皇女であるトルテを可愛がり過ぎ、その悪癖は直そうとしなかった。
エリーシャは初対面の時から容赦なく暴走した彼女の頬を張っていた為、姉に憧れていたトルテはエリーシャを変な方向に気に入ってしまった。
元々親しくなった経緯もそんなだからして、頬を張られたくらいではトルテはエリーシャを嫌ったりはしない。
「ふふっ、やっぱり、姉様は私のお姉様ですわ」
どこか頬を赤らめていたりと、トルテの方がそちらの気があるのではとすら危惧を抱いてしまうほどである。
「もう、あなたはほんと、変わらないわね」
「姉様こそ。ずっと変わらないでいてくださいな」
溜息をつくエリーシャとにこやかに微笑むトルテ。この構図は昔から変わっていない。
先の、そう長くないこの城での未来もそう願うが如く、トルテは微笑んでいた。
その夜は、どこか平和で、心安らいだ世界となっていた。