#8-4.草食魔王と肉食エルフ
日が暮れはじめ、夜が近づいても、魔王はシルベスタを中々に楽しんでいた。
シルベスタも良い頃合で、年頃の若者達は次々とパートナーを見つけていく。
楽園の塔から見える中庭は、夜が深まるに連れて徐々に熱気も増していく。
年季の入った独身者も、上手いところ若い娘を引っ掛けてか、一足先に場から姿を消している。
「楽しそうですね」
塔の窓から眺めていた背中に、高い、それでいて不快ではない声が届く。
振り向くと、小柄なエルフの王女が一人。
身に纏うドレスも髪の飾りも、贅沢すぎない程度に、祭にあわせて着飾っていた。
「セシリアか。ああ、祭というのは本当にいいな」
眼を瞑り、小さく頷く。そうしてまた、窓から見下ろすのだ。
「私の故郷では、二年に一度、こうしたお祭が開かれますわ」
セシリアもそっと隣に立ち、一緒に眺める。それを魔王は拒絶しない。
「エルフは何かを祭るのかね。魔族は何も祭らないが」
魔族は神など信じていない。霊魂なども考えない。
祭とはただの飲み食い騒ぐだけのイベントであり、独身者がパートナーを見つける為の儀式である。
宗教的な側面を持たないのが魔族の祭であり、ゆえに祭とは魔族にとって数少ない娯楽の一つである。
だから騒ぐ。どこまでも馬鹿騒ぎする。
普段真面目な者達は、この時ばかりは人間もびっくりな程におどけて魅せる。
魔族は快楽主義者が多い。今を楽しみたいと思った時には馬鹿にすらなれる。楽しめる。
普段の真面目が、今こうして騒ぎ楽しめる為にあるかのように。彼らはひたすら馬鹿になる。
「エルフも何も祭りません。ですが、お祭は楽しいと皆が思っています」
「解る」
やはり、それはどこであっても同じなのか。
文化を全く別とするエルフであっても、その例に漏れる事は無いらしい。
「エルフの娘は、こういうお祭の時にはパイを焼くのです」
思う所があるのか、セシリアの故郷の話は続く。
「パイを? アップルパイとかかね?」
「色々ですわ。木の実を使う子もいますし、変わり所ではポテトのパイなども」
「それは中々魅力的……」
エルフの焼くパイが魔界に出回っているそれらと違いがあるのかは別としても、好物の使われたパイに興味は惹かれた。
「エルフの娘にとって、パイとはとても大切な文化であり、誇りでもあるのです」
感慨深げに眼を閉じ、小さな唇は言葉を紡いでいく。
「祭の際に、自分の焼いたパイを一つ――一切れではなく丸まる一つなのですが、これを意中の男性に出すのです」
「丸々か。大きめのものかね?」
「大体は食べやすさ重視で小さめなのですが、人によっては愛情の深さを伝えたくて大きくする事もありますわ」
セシリアは、細い両腕でいっぱいいっぱいの丸を描くジェスチャーを作る。
「何故パイなのだ?」
「エルフの伝統的な焼き菓子ですから。木の実を用いた甘いパイは、人間よりも先に私達エルフが作り出したものなのです」
「そうだったのか。それは驚きだ」
菓子作りという側面においても、人間は他の種族を圧倒する程に多種多様であった。
だが、そんな先入観を壊す事実が目の前にあり、魔王も思わず眼を見開いてしまう。
「後は……そうですね。自分の焼いたパイを自分に見立てて、好みの殿方に食べて欲しいというアピールもありますわ」
かすかに頬を赤らめながら、セシリアは、パイに隠されたそんなメッセージを説明する。エルフは意外と大胆だった。
「では、パイを出された男側は、どうするのが礼儀なのかね?」
「その娘でよければパイを自分だけで食べ、『美味しかったよ。今度は僕の家でも焼いてくれるかい?』とか、そういった事を返せば概ねOKの返事と見なされますわ」
カップル成立です、とにこやかに笑う。幸せそうだった。
「ダメな場合は?」
「パイを他の人と分けて食べます。その時点でもう『君一人のモノになるつもりはない』という返事と見なされ、恋は終わりを告げますわ」
残念でした、と肩をすくませる。心なし悲しそうだった。
結局食べるという選択になるらしく、そこが魔王には不思議に感じられた。
「食べないという選択肢はない訳か」
「それは一番失礼な選択ですね。されてしまったエルフの娘は自殺しかねないくらいのショックを受けると思います」
「そんなに深刻なのかね……」
たかがパイ、されどパイである。
その文化の違いには魔王も唸らざるを得ない。
「パイとは、その娘が真心込めて作った心の形ですから。それを食べもしないというのは、つまり、その娘の存在を全否定しているようなもので。恋する相手に存在を否定されたらどうなるかは、察していただけたら……」
説明を受けると一応はなるほどと頷けるのだが、そこまでパイというものに執着した事が無いのでやはり不可解な点が多かった。
「もし食べたくても食べられない……例えば、嫌いなものが入ってたりしたらどうするのかね?」
「その場合は素直にそう伝えれば、その場は断っても失礼にはなりません。仕方の無いことですから」
がんばって告白した女性を傷つけるような断り方をするのが問題なのです、と付け加える。
「意中の相手がエルフ以外の男だったらどうするのだね? 特に君達は人間と関わりが深かったのだろう?」
文化の違いはそうやすやすと埋められるものではない。それは人間と長く接してきた彼女達も解っているはずである。
「事前にそれとなく説明して文化としてそれを受け入れてもらうか、そうでなければ相手の文化にあわせるのではないでしょうか」
流石に押し付けることはできませんから、と、眉を下げる。
「普段は普通にパイを食するのかね?」
「普段は普通にパイを出しますが、祭同様、一人の男性相手に切っていないパイを出した場合は、同じように告白と見なされますわ」
あくまでも祭は告白の為の舞台の一つでしかなく、それ以外にもアピールするタイミングというのは存在しているらしい。
「その場合は、出すタイミングにも気を遣います。まず食事時はNGで、一番良いのは3時の休憩時と言われています」
「何か理由があるのかね?」
「ご飯時は紛らわしいですから。お腹を空かせた男性は、女性の意図に気づかずに食べてしまう事もあるらしいのです」
魔族に限らず、男というのはどうにも、恋愛よりは食欲優先に考えてしまうものらしい。
「勘違いが生まれるな」
「勘違いから生まれる愛もありますが、概ね不幸が生まれる事の方が多いですね」
エルフの集落には危険が一杯だった。年頃の娘も中々大変である。
「魔族の女性は、何か特別な事はするのですか? その、着飾ったりする以外には」
今度はセシリアが疑問を投げかける番になったらしい。
魔王は少し考えるように間を置き、中指と人差し指を立てて見せる。
「魔族の娘は、基本的に二種類に分かれる」
「二種類、ですか?」
「異性に対して積極的に自分の良さ、自分を娶る事によって得られる利点をアピールする娘。これがまず一つだ」
中指を折り、にやりと笑う。
「このアピールは、着飾るだけでなく、時には自分から異性の屋敷に押しかけたり、お茶会を自分の屋敷で開催したりして相手を招待したりするのも含まれる」
「動的な恋なのですね。大胆というか……」
セシリアもその行動力に驚かされていた。
「歳若い娘がそうなりやすいらしいがな。意中の相手が出来ると周りが見えなくなることがとても多い。普段は大人しく真面目な娘が、そういう娘に限って、とはよく聞く話でね」
恋は盲目とは上手い言葉である。
大胆になった魔族の娘は、時として相手を誘惑する為に媚薬を使ったり、魔術によってテンプテーションにかけてしまう事すらあり、大よそ手段を選ばない。
「もう一つは、異性に気に入ってもらうのではなく、異性を自分に惚れさせて自分のものにする娘達だ」
「それは……あの、一体どのような?」
ニュアンスが伝わりにくかったのか、セシリアはやや困惑気味である。
「男が惚れるくらいに良い女を魅せるのだ。外見の美しさとかではなく、内面のよさというか、そういうのを自然にな」
「そちらの方が怖いですね」
「ああ、こういう女はとても怖い。何せ、男はそういうものにこそ心を奪われやすいからね」
支え、尽くし、共に戦い、共に死ぬ。決して裏切らず、一人のみを見続ける。
それは磨きぬかれた外見の美にも劣らぬ最良の美点であり、古来より魔族の女はこうある事を求められる傾向が強い。
その為に、良家の子女は躾厳しく育てられ、男の言う事を疑わない箱入り育ちばかりである。
打算なしにそれができてしまう自然さに心奪われ、狙われた男はタジタジである。
「まあ、エルフの娘のように何かを作ったりだとか、何かをプレゼントしたりだとかは基本的にはしないよ」
「そうなのですか。やはり魔族の方とは、恋愛一つとっても文化が違うのですね」
また二人、窓の下を眺める。
中庭では売れ残った若者達がその中でも少しでも良い相手を見つけようと奔走しているのが見えた。
本日の宴もそろそろ終わりの頃合である。
「陛下は、そういったお相手は作らないのですか?」
ふと、セシリアがぽつりと呟く。
「私のような中年男に嫁ぐ娘は、可哀想だと思わないかね」
魔王は常々、若い娘が自分のような、年寄りに片足を突っ込みかけている男の相手をさせられるのは不憫だと考えていた。
若い者は若い者同士でくっつくのが道理ではないかと思うのだ。
良い歳をした自分が、美しいからと若い娘に手を出すのは、そういった心情もあって中々にいただけない。
それではロリコンではないかと思ってしまう。だからとラミアのような年増に手を出すつもりは更々ないのだが。
「陛下に手を出されるのは、魔族の女性としてはかなり光栄な事なのでは?」
セシリアの言う事ももっともで、そもそもこの楽園の塔に入れられる魔族の娘達は、そのほとんどが魔王のモノとなる事を望んできた娘ばかりだ。
それが家名の為であったり、自身の保身の為であったり、あるいは自分の魅力を世に見せ付けるためであったりと目的こそ違うが、誰一人としてラミアに強要された娘はいない。
声をかけ、選別したのはラミアだが、そこに強制力は一切なかったのだ。
「そうかもしれないが、私はそうは思わない。私は魔王かもしれないが、それは所詮、今現在の地位に過ぎないからね」
「まあ、そんな草食な陛下ですから、塔の皆は仲良くすごせているのだと思いますが」
魔王は等しく誰も食さない。故にそこに争いは生まれない。
楽園の塔に暮らす娘達は、目的やそこに至るまでの境遇に違いこそあれ、今現在とても平等である。
「エルフの姫君よ。魔族にはもう慣れたかね」
次にぽつりと呟いたのは魔王であった。
「はい、皆さんとても真面目で、そして思ったよりも大人しい方が多くて」
「そしてほとんどが隠れ肉食だ。怖いぞ」
エルゼや黒竜姫のように子供っぽく自分でアピールなどしない娘がほとんどだ。
その慎ましやかな捕食性は、意図して若い娘と距離を置いている魔王とて不覚を取られそうになる瞬間がある。
魔王も笑ってはいるが、心中穏やかではなかった。
「それでもこうしてこの塔に来てしまうのですね」
悪戯気に笑うセシリア。魔王も乗って悪い顔になる。
「何せこの塔にはな、美味い蜂蜜酒とチップスを出してくれるエルフの姫君がいるらしいのだ」
「まあ怖い。そんなトラップを仕掛けられては、怖くて逃げられませんわ」
おどけてみせる。油断ならないエルフの姫君は、魔王の隣にこそ居た。
「全くだ。おかげで私は中々、この塔から離れる事が出来ん」
可愛らしくもしたたかな姫との楽しい一時は、魔王としても中々に洒落ていて、退屈しない貴重な時間だった。
最近玉座に出る事の多くなっていた魔王にとっては清涼剤の如き至福の時間である。
「ま、流石にこんな夜中に邪魔する気は無いよ。私はもう戻る」
「はい、また」
最後に、今回セシリアが話しかけてきた意図に対しての返答をし、魔王は立ち去ることにした。
セシリアも笑って手を振りながら見送るが、その笑顔は純真そうに見えて、中々鋭く感じる事があった。
魔王が塔に来ると、必ずと言っていいほどセシリアが現れ、何だかんだで長話になったり、魔王を部屋に招待して酒やらつまみやらを出して接待する。
きさくな笑顔はしかし、そうは見えても、視線は魔王から離れる事が無い。
何をしようとしているのかを少しでも早く察しようとし、それを察した後にどうすればいいかを常に考えている。
所々会話で出る魔王が女性に興味を抱いているかどうかという振りは、素直に受け取れば誘いをかけているように見えるが、それは大きなフェイクであると魔王は感じていた。
どうやら三人の中で年長の彼女は、魔王に対してものすごく強い警戒心を抱いているらしかった。
塔に来るたびに顔を見せるのは妹分達に手を出させない為の牽制であり、事あらば自分をその相手に堕としてでも守ろうとしているのが窺えた。
それが元だからか、魔王と二人だけで居る時は決してハイエルフやダークエルフの話題を出そうとしない。
話題に出るのは自分達エルフの話か、あるいは魔族に関しての話である。
三人の間にどういった関係があるのかは魔王もよく分からないが、『ただ一緒にいるだけの仲良しトリオ』という感覚とは違うらしいのはなんとなく察していた。
――あるいは、それすらも自身の先入観が生んだ誤解なのかもしれないとも、魔王は思うのだが。