#5-1.エリーシャの手紙
魔王らがエリーシャの元を訪れた翌日の事。
突然の衛兵隊の帰還により混乱しかけていたアプリコットの皇城は、日をまたいでようやくわずかばかり落ち着きを取り戻し始めていた。
シフォン皇帝によって疑いを持たれたキャロブ王は、来賓という名目で城内に拘束されて皇帝との謁見も許されぬまま、誰もいない部屋に一人、置かれていた。
「キャロブ王の様子はどうか?」
シフォン皇帝は、玉座にて、従者の一人にガトー国王の様子を尋ねる。
「は。意気消沈した様子で、暴れる事も無く、ただただぼんやりとしていました」
「……そうか」
眼前に控えるこの従者の言葉に、シフォンはさほど面白くもなさそうに、顎に手を当て考える。
(私を謀った事。これ自体はキャロブ王の策だったのかもしれんが……それにしては、稚拙すぎる気がする。何だろうか。何かあるような気がしてしまう)
その時こそキャロブ王に対し警戒の眼を向けたものの、よくよく考えればさまざまな違和感が浮かんできてしまう。
彼の訪問にあわせたかのように起きた衛兵隊の帰還。
これによって、シフォンはようやく、トルテらの無事とキャロブ王の策略、そして魔族の脅威について知る事が出来たのだが。
しかし、偶然と割り切れば何の事もないのだが、もしこれが誰かの作為的なものによる展開だとしたなら。
そう考えればそれほどに、シフォンは恐ろしくなる。
キャロブ王は、もしかしたら本当のことを言っていたのかもしれない。
ただ助けて欲しかっただけなのかもしれない、と。
だとしたら、衛兵隊の証言は何なのか。何か矛盾している点は無いか。
そもそも、見落としている点があるのではないか。
シフォンは思考の穴にはまってしまう。答えが出ない。何が正しいのか解からない。
だが、自分の違和感を正とするなら、何かしらが偽である可能性がある。
これは為政者としての勘。人の上に立つからこそ勘付ける歪みであった。
「皇帝陛下、少しよろしいですかな?」
傅く従者をそのままに、しばし思考の世界に耽っていたシフォンであったが、ゆったりとその場に現れた大臣により、それは妨げられた。
「大臣。何用か? 私は今考え事をしているのだが」
気だるげに対応する。彼としては、大した用事でなければさっさと追い出して、また思考の中に戻りたいのだ。
「それは申し訳ない。実は、エリーシャ皇太后からの手紙を持ってきたのだという娘が登城しましてな」
「エリーシャ殿の……? すぐに通せ!」
エリーシャと聞き目の色を変えたシフォンは、興奮気味にその場で立ち上がり、声を張り上げた。
「お初にお目にかかります。アリスと申します」
玉座にて君臨する皇帝を前に、アリスは静かに傅く。
薄紅色のショートドレス。美しい金髪はサイドテールにされ、紺色のリボンが飾られていた。
「それで、アリスとやら。エリーシャ殿からの手紙とやらは?」
そのリボンにどこか見覚えを感じながらも、シフォンは先を急かす。
「はい。こちらになります」
楚々として立ち上がると、そのまま皇帝に便箋を献上する。
「うむ……」
従者からペーパーナイフを受け取り、そのまま自らの手で開いていく。
「ほう……」
手紙からほのかに漂う紅茶の香り。
「こほん、では読ませてもらおうか」
どのような事が書かれているのか。心落ち着けて、シフォンは文面に目を通し始めた。
「……そんな、馬鹿な」
だが、楽しげな内容を期待したシフォンは、その内容に愕然とした様子であった。
「くっ……人払いしろ!!」
キッと睨みつけながら、従者や衛兵らの退去を求めるシフォン。
ほどなく、場は静まり返り、シフォンとアリスのみが残る形となった。
「こんな事があるのか!? 大臣よ!!」
「は、ここに」
大臣を呼びつけ、自分の元に現れるや、手紙を読ませる。
「……おお、こ、こんな事が……?」
やがて、大臣も手紙を読み終え、ふるふると震えだす。大した芝居だった。
「アリスよ、これは一体どういう事か!? お前は、このことに関して何か知っているのか?」
「はい。私はこの事を一刻も早く伝えんが為、エリーシャ様より派遣されました」
震えるほどに強く手を握るシフォン。アリスはあくまで静かに、頭を下げたまま言葉を紡ぐ。
「この手紙によれば、我が妹タルト、それに皇太后エリーシャ殿は、サバラン王子の、もっと言うならば教会組織の策略により襲撃されたと言う話ではないか」
「いかにも。皇帝陛下、ラムクーヘンと教会は共謀しております。タルト様はその一件により行方知れずに。エリーシャ様も、深い手傷を負われ、ここ数日でようやく手紙を書ける程度まで回復したのです」
アリスは速やかに、補足的な説明を始める。
「そなたは一体何者なのだ?」
「私は、偶然エリーシャ様達をお助けし、保護しておりました」
「……トルテが行方知れず、か。エリーシャ殿は無事なのだな?」
「はい。少なくともお命に不安はございません。今も、侍女の方と共に私の住居の方に」
「何故エリーシャ殿は戻られない? これだけの事態だ。すぐにでも戻ろうとするものと思うが」
「おみ足にまだ不安がございます。エリーシャ様も、すぐに帰れないのは不満なれど、ご自身の心配は無い事と、事件の概要と真相。そして、この国に迫りつつある危機を、一刻も早く報せて欲しいと、私に」
「そうであったか……」
シフォン視点では、自分に傅くこの娘が一体誰なのか得体が知れないので、どのような場所にエリーシャらがいるのかも想像が付かないが、聞いたことに対し迷いも無く答えられる聡明さを持ち合わせたこの娘には、どこか安心感のようなものを感じられていた。
「大臣よ。どう思う?」
この娘が信用に足るかどうか。それを考えなくてはならなかった。
「私はこの娘を以前に一度、目にしております。あの時は確か……エリーシャ殿に手紙を届けに来たのでしたな?」
「はい。大臣様の仰る通りですわ。エリーシャ様と親交のあった貴族の方に依頼され、エリーシャ様あての手紙を配達致しました」
「なんと、そうだったのか……」
この娘とエリーシャとの接点。以前からそれが存在していたなら、少しは考え易くなる。
少なくとも、騙りの類ではない可能性は高くなった、と、シフォンは安堵する。
「それと、陛下。こちらを――」
髪に飾り付けていた紺色のリボンをシュルルと解き、シフォンへと手渡す。
さらりと流れた金のストレートが、ふわりと元の形に戻った。
「これは……?」
「エリーシャ様が身につけていらしたリボンですわ。『シフォン様なら見覚えがあるはず』と」
渡されたリボンは、一見何の変哲も無いものであったが、渡されたシフォンはどきりとしてしまう。
「そ、そうか。エリーシャ殿の……」
手に取るや、それを間近で見ようとする。
「……」
「陛下?」
じ、とリボンを凝視したままの皇帝に、大臣が静かに声をかける。
「はっ!? な、なんでもない。うむ。確かにこれはエリーシャ殿の物のようだ。しかし、これを私に渡すとは……」
見覚えこそあるものの、シフォンにそんなものの見分けが付くはずも無く。
だが、これが『あの』エリーシャのモノだという事が、シフォンにはとても重要な事のように感じてしまっていた。
「とにかく、これは預かっておこう。アリスとやら、大儀であった」
「信じていただけたようで。では、私はこれにて――」
「ああいや待て。手紙には、『このアリスをシフォン殿の護衛として雇い入れて欲しい』と書いてあるのだが?」
「……ふぇっ!?」
それまで表情を崩さなかったアリスであったが、ここにきて全くの予想外に、大きく目を見開いてしまう。
「ほほほ、なるほど。エリーシャ様をお助けするほどの腕利きですからな。きっと役に立つでしょう」
「アリスよ。お前はどうなのだ? 私としては、手紙を届けてくれた礼もある。エリーシャ殿の推挙ならば、喜んで受けたいと思うが……?」
うつむき、『どうしよう』と目に見えて動揺していたアリスであったが、大臣の横からの言葉にハッとしたように顔を上げた。
「私のような平民を……陛下。是非にそのお話、受けさせていただきたいと思います」
キッとした表情で自分を見据えるアリスに、シフォンは心強さを感じていた。
「よし。大臣よ、アリスを連れて行け。今日より、我が護衛とする」
「かしこまりました。ではアリス殿、こちらに」
「はい」
二人が謁見の間を出るや、静かになった場に一人残ったシフォンは、手に持ったリボンをじーっと見つめていた。