#4-1.魔王様詰む
魔王城に戻った魔王は、私室にてラミアとアルルを集め、極秘裏に現在起きている問題の説明と対策を話し合う事にした。
人形達も物言わぬ静かなままであり、魔王もラミアもアルルも、ひとまず思考に専念していてだんまり。
部屋の空気は、まずは静寂が支配していた。
「困りましたね。ガトー国王がどうなるかはともかくとして、帝国が再度ラムクーヘンに弱みを感じてしまうのはいただけません」
最初にその静寂を壊したのはアルル。スリムなスーツ姿で、ベッドの上に腰掛けていた。
「戦略的な見地としては、ラムクーヘンと対立するガトーを潰されるのは、それはそれで痛いけれど。それ以上に、大帝国が我々を敵視する材料を与えたのはまずかったですわね」
ドアの前に立つラミアも難しい顔である。
「折角大帝国を包囲し、地理的にも孤立に近い状態に追いやってこちらの話に耳を傾け易くしたのに、その包囲が崩されてしまった感があるね。このままだと、大帝国は遠からず……南部に飲み込まれる」
一人椅子に腰掛ける魔王は、頬杖をつき、ため息混じりに頬をポリポリと掻いた。
「アプリコットに潜伏していたという南部の間者……『シャルロッテ』と言いましたか。そのような者まで入り込んでいるというのが、状況のまずさをよく示してますね」
アルルの言うとおり、アプリコットに敵の間者が入り込んだという事は、既に南部の戦略のいくつかが選択され、実行に移されている可能性があるという事を示していた。
間者そのものは上手く利用すれば南部の裏をかくことも出来るからと放置した魔王であったが、その場に存在していた事に関しては重大に考えていた。
「衛兵隊の帰還が、この『シャルロッテ』自身か、あるいは彼女を経由した南部よりの策であるとしたら、これはかなり厄介ですわ」
ラミアの言葉に、アルルも魔王も小さく頷く。
女間者の潜入と時を同じくして起きた衛兵隊の帰還。
偶然と考えるにはあまりにも都合が良すぎるタイミングでこの二つは発生していた。
「あるいは、ガトーの国王の訪問も、場合によっては何らかの策略によるものと考える事もできるのでは?」
だが、魔王はアルルの言葉には頷かない。難しげに口元に手をやりながら、ううむ、と、唸る。
「どうだろうなあ。政情から考えて、ガトーがわざわざ帝都を尋ねる理由なんて数える位しかない。そしてそのいずれもが、南部やラムクーヘンにとってはあまりありがたくないもののはずだ」
「そう考えるなら、ガトー国王が訪問したタイミングと重なったのは、予めそれを崩す為に南部ないしラムクーヘンが衛兵隊を帰還させたから、という見方が正しいのでしょうか?」
「んー……確かにそういう可能性も無い訳ではないが」
アルルの挙げた話は、あながち無い話ではない、程度には現実的にまとまっている。
ラムクーヘンなり南部なり、どちらかがガトー国王のアプリコット訪問を事前に察知していれば、その対策の為衛兵隊を帰還させる事は考えられないでもなかった。
そう考えるなら、確かに話のつじつまは合う。
だが、魔王はどこか、それが違うような、そんな違和感を感じていた。
「では、こう考えてはいかがでしょうか。『一部要因は全くの偶然だった』とか」
「うん?」
ラミアのあまりにも唐突な提案に、魔王は思わず気の抜けた声で返してしまう。
「ですから、全てをひとつの策略の元に考えようとするとしっくりこないというなら、何かしら一つの要因が偶然であると考えれば良いのですわ」
人差し指をぴっと立て、ラミアはどこからか眼鏡を取り出し説明を始める。
「例えば、前もって間者が潜入していて、その指示の元、衛兵隊が帰還した。丁度同じタイミングに、偶然ガトー国王が訪問して、その立場が衛兵隊の証言によって崩されてしまった。ほら、これなら割とスマートではありませんか?」
全部をまとまった一つの流れとして考えるのではなく、流れとして加えるべきか迷う点をあえて外して偶然と割り切る。
それがラミアの提案なのだが、魔王はそれを聞くや、どこかほっとしたような顔をして、席を立つ。
「そういう風に考えるのもあるのか。では、その方向で考えてみようか」
「そうですね。確かにそういう可能性も考えられますし」
アルルも特に反対すること無く、魔王の意見に同意する。
「では、まず、このケースで考えた場合、衛兵隊が何を目的として帰還したか、という事ですが――」
とりあえずテストケースとして出した案を前提に考える事にした三人だが、そうなると次の問題は衛兵隊の帰還目的であった。
ラミアは手持ちのボードに載った書類をぺらぺらとめくりながら、話を続ける。
「私としては、アリスが大臣に確認を取った内容、それから間者が潜んでいたという情報も踏まえて、『南部がアプリコットの内情を探る為』の手として送り出したのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?」
「そうなると、衛兵隊に帰還の指示を出した者達は、皇太后らがまだアプリコットに帰還していない、と考えているのでしょうか?」
胸元で手をぎゅっと握り締め、アルルが呟くように問う。
「あるいは、その確認の為かもしれんね。衛兵隊は捨て駒として考えられていて、処刑されるようなら皇女襲撃の一件は知れている。そうでないなら……とかね」
腕を組んでふんぞり返りながら、魔王は思考をめぐらした。
「彼らにとっては都合よく、皇女も皇太后も未だ帰還せず、ですしね。ラムクーヘンと話がついているなら、後は『帰路を魔族に襲われた』とでも理由付けすれば、確認の方法もないでしょうから」
アルルの言葉に、ラミアも魔王も頷く。
口裏あわせでラムクーヘン側から皇女と皇太后の到着を報せる手紙でも届けば、大帝国側は疑うことなくそれを受け入れ、衛兵隊の証言を真と考えてしまうに違いない。
そしてそれは恐らく正しく、大帝国側の魔族側に対する見方は大幅に悪化した可能性すらあった。
「会談がここで崩されるのは困る。ここで、今このタイミングで崩されれば、次は恐らく二度と来ない。また泥沼にはまってしまう。それだけは避けなくては」
魔王の懸念は他でもない、会談に対する悪影響だ。
長い期間準備に費やし、多くの犠牲の上に初めて成り立とうとしている人類と魔族の会談。
貴重な、互いの歴史において非常に重要な最初の一例。
それを作り出す事こそがもっとも肝要な足がかりであると考える魔王にとって、今回の一件は痛恨とも言える事態であった。
「混乱を避けるために事件の真相を報せずにいたのが裏目に出ましたわね……」
もちろんそれは魔王だけでなく、この場にいるこのラミアも、そしてベッドでうつむくアルルも同じ心境であった。
三人が三人とも、かなりの無理を押して、魔界全体の世論や魔王軍内の見解すら省みず、ほぼ独断で続けていた準備期間である。
一時は魔王の無策によって勢いが沈静化した反乱勢力であるが、最近になってまた俄かに声の大きい地方領主が騒ぎ出している。
魔王軍の一部将校も人類との話し合いには良い感情を持っていない。
元々政治的・軍事的に無気力な今代の魔王に対して、内心では反魔王の気概を持つ者も多く、いつ大規模な反乱に繋がるか解ったものではなかった。
これ以上の延期は望めないし、これ以上のアクシデントには耐えられない。
会談の失敗は、この場にいる三人が、三人とも身を破滅させる事に直結していた。
ごくり、と。誰のモノであったか、飲み下す唾の音。
魔王が大きく息を吸い、吐き出す。諦めるように。
「我々が皇帝らに事件の経緯などを説明しても、恐らくは正しく伝わらんだろうなあ」
「場合によっては、ますます不利な状況に立たされる可能性もありますわ。我々からの言い訳は、聞く耳ももたれない可能性がございます」
皇帝達首脳部だけではない。それが仮に街中、市民にまで話が広がってしまったら。
皇女誘拐の為に魔族が攻撃を仕掛けたなどと噂でも広まれば、とてもではないが会談どころではなくなってしまう。
タルト皇女は大帝国国民にとってアイドルである。そして、『誘拐』関連の話には国民も敏感になっている。
最初に誘拐された際の過剰とも言える大帝国の教会弾圧と排斥。
それを知っていれば、元々敵であった魔族が同じことをした場合に、彼らが何を思いどう行動するかなど、考えるまでも無かった。
「仕方ないなあ。本当に、我々ではどうしようもないかもしれん」
打つ手なし。まだ可能性の段階であるのが救いだが、そうなっていた時に対処できないのでは意味が無い。
魔王が認める切れ者二人が黙りこくってしまっているのを見れば、魔王にもそれが解る。
魔王は、自分たちの手で状況を好転させる事を諦めた。