#3-4.二人スパイ
「ほんと、平和だなあ。平和すぎて眠くなりそうだ」
虫の音響く夜の公園。漆黒の外套に身を包む魔王は、まさに闇に紛れ、一つのオブジェのようであった。
アリスが戻るまでの間、のんびりと待ち続ける。時刻の約束もなければ、存外魔王は寛容である。
長い時を生きてきたのだ。今流れる時間を待つことなど、どれほどのものか。
「あら」
そんな中、オブジェのようになっていた魔王に、驚いたように声を上げた者がいた。
金髪碧眼の美少女。服装といい、外見の示す記号はアリスと同じなのだが、アリスとは似ても似つかない『黒さ』をも感じていた。
「こんな所でどうかなさいましたか?」
親切を装い、一人佇んでいた魔王に話しかける。
「いや、人を待っているだけだよ。私の侍女をね」
「まあ、そうでしたか」
特に深い意味はない、と説明したのに、何故か娘は魔王の隣に腰掛けた。
「君は? 何か用事でも?」
内心何かが怪しいと感じた魔王であったが、表に出さず、静かに問う。
「私は、ただ人探しをしていただけですわ。行方知れずの方なのですが」
「なるほどね」
だとしたら、何故自分に話しかけてくるのか。その意図が読めない。
――やりづらい相手だ。魔王は心底嫌な相手に出会った気分になった。
「ふふ、良い夜ですわあ。祭は賑わい、人々は浮かれ……夜の音はこんなにも静かで、穏やかで」
誘うような文句。この金髪の乙女は、魔王を相手に流し目でそっと微笑む。
「そうかね? 私はそう思うが、君はそう思ってるようには見えないね」
「何故です?」
「この夜を楽しんでいる割には、君は退屈していたように見えたから」
こんな中年親父にわざわざ話しかけるのだ、よほど退屈していたに違いない、と感じていたのだ。
「ふふっ、鋭い方ですわあ」
何が面白いのか、娘は笑う。
「私、シャルロッテと申しますの。遠方よりこの街に越してきたのですが、どうにもこの街の文化に馴染めなくって」
シャルロッテと名乗った娘は、身勝手にも魔王の腕を絡めとろうとする。
「貴方は? こんな夜に一人でいるのだから、退屈しているのではありませんか?」
一緒に過ごしませんか? と、シャルロッテは誘いをかける。魔王は哂った。
「私は、アーガという。確かに暇だ。君と時を過ごすのも悪くないかもしれんなあ」
言いながらに立ち上がる。シャルロッテも共に。
二人、歩き出す。まるで宿へ向かうカップルのように。
そのまま少し歩き、公園の中でも一際暗い広場に出たところで、魔王はシャルロッテを突き放す。
「きゃっ――」
そして、拳を振り上げ突然の事に驚くシャルロッテに――
ズドン、というめり込む音と共に、彼女の放られた場所には穴が開いていた。
「くすくすくす、随分と過激な方ですわあ」
シャルロッテはいつの間に移動したのか、魔王の背後に立っていた。
「私を殺す機会を窺っていたようだからな。折角だから解り易くしてあげたのだよ」
本性を見せ、ニタニタと笑うシャルロッテ。魔王は最早笑っていなかった。
「貴方、魔族の方ですわね? 解りますわぁ。その身体から漏れ出る強大な魔力。よくこの街に潜入できたものですわぁ」
眼を細める。獲物を見つけた狩人のような、そんな歪んだ面持ちだった。
「そういう君は、南部の間者か。その金髪、その碧眼――」
「この国際的な時代に、金髪で碧眼だからと南部人と決め付けるのは乱暴すぎはしませんかしら?」
「違うのかね?」
「まあ、南部人ですけど」
「……」
話していて疲れる。初見で抱いた印象はまさに『面倒くさい娘』であった。
「こうして出会ってしまったからには、互いに殺しあうことになるのでしょうが。一応、提案がございますわ。聞いていただけませんこと?」
魔王としてはさっさと殺して帰りたい気分になったのだが、シャルロッテはそうでもないらしく、機嫌よさげに笑いながら提案を持ち出す。
「聞くだけ聞いてやろう」
シャルロッテは魔王のことを魔族の間者と勘違いしたままらしいが、魔王は正す事をしない。
むしろ好都合とばかりに、シャルロッテの話に耳を傾ける。
「お話は簡単ですわぁ。手を組みましょう。貴方の持っている中央の情報を私に、私の持っている南部の情報を貴方に。お互いにお得な話でしょう?」
「なるほど、つまらん話だ。情報がウリの魔族に、情報の取引を持ち出すとは。バカにされたものだな」
むろん、シャルロッテの話している事が真であるなら、本音でそれを言っているのなら、それは喉から手が出るほど欲しい情報である。
だが、こうした場面でそれを鵜呑みにするのは有り得ない選択。
まして自分を殺そうと機会を窺っていた女相手に、そんな信頼関係は築けない。
「そうですか。それは――残念ですわっ」
魔王の断りに、シャルロッテは駆け出す。見えない速度ではない、だが速かった。
「ふっ!!」
魔王はそれに向け蹴りを入れる。胴に直撃、しない。紙一重でかわされる。
人間にしては驚異的な反射神経。
かつて森で戦ったアサシンのような、読めないトリッキーさがある。
「もらいましたわっ!!」
「むう――っ」
いつの間に肉薄したのか、手に持ったナイフで魔王の首を的確に狙い切り裂こうとする。
すばやく動きこれをかわすも、シャルロッテの軸足が入れ替わっている事に気付く。
ナイフはブラフ。本命は……左足である。
「ぐっ――がはっ」
勢いの乗った鋭い回し蹴りが下腹に埋め込まれ、魔王は思わず体勢を崩してしまう。
「ここまでですわぁ」
そのまま魔王の上にのしかかり、倒れるや馬乗りになって首にナイフをあてがう。
鮮やかな金髪がさらりと風に揺れ、好戦的な瞳がざらりと魔王の眼を覗き込んだ。
「どうやらそのようだな」
つきつけられたナイフに汗一つ流さず、魔王は笑う。
「何を笑って――はっ!?」
魔王の様に訝るシャルロッテは、その疑問の答えを知る前に飛びのいた。
それとほぼ同時にシャルロッテの居た場所に飛び交う無数の刃。
「くっ、まさかもう一人居たとは――」
距離を開けながら、シャルロッテは悔しげに歯を噛む。
「旦那様、大丈夫ですか!?」
「ああ、問題ない」
のっそりと立ち上がりながら、魔王は駆けつけてくれたアリスの後ろに隠れる。
「なるほど、やけに弱いと思いましたが、ガードがついてたんですのね。これは厄介ですわ……」
魔王の前に、守るように立つアリスに、シャルロッテは間合いを計りかけているらしかった。
「……来るなら来なさい。すぐに斬り捨てますわ」
「おお怖い怖い。嫌ですわぁ。戦う気マンマンの方って。私、怖いから逃げてしまいましょうか。数でも不利ですし」
そんな事微塵も思っていない。魔王から見てもそれが解る位で、シャルロッテは殺気を全開にしている。
相当な遣い手らしいのは魔王にも解かるが、この女が何が出来る女なのかが解からない。
アリスが突しないのは、相手の動きが読めないからである。シャルロッテも同様に、アリスの手口が読めない。
双方動けず、魔王も守られるつもりなので、空気は流れないままであった。
「――やめましたわ」
次はどう来るのか。二人が警戒していた中、シャルロッテは眼を閉じ、ナイフをしまい込む。
「私、お仕事に関してはあんまり本気になれない性質ですの。興味が湧かないというか。乗り気になれませんし」
「そうか。帰るのかね?」
「ええ。帰りますわぁ。面倒くさいですし。さようなら」
軽く手を挙げ、まるで友達と別れるような気軽さで、シャルロッテは帰っていった。
「……追撃なさいますか?」
「やめておこう。今のところ、生かして返してもさほどデメリットはないしな」
殺せば殺せる相手であった。だが殺さない。
魔王も、敢えて『弱い間者』を装っていた。
彼女がその情報を南部に持ち帰り、間者の外見に誤解を生ませられれば、今潜ませている間者に対する危険も軽減できる。
そう考えたからだ。敵の間者すらも利用してやるつもりだった。
「だが、南部の間者が入り込んでいる事……色々と気になるところが増えたな。気をつけなくてはいけないかもしれん」
迂闊な立ち回りをすれば、足元を掬われてしまうかもしれない。
南部の勢力が関わってきたという事は、それだけに面倒くさい事態になっている事を示す。
「さきほどの娘は、きちんと城に戻ったのかね?」
「はい。同時に、大臣の部屋に潜入し、直接尋ねてまいりました」
「ふむ。どうだった?」
「やはり、内部に異変が起きているらしいですわ。トルテさんやエリーシャさんを護衛していた衛兵達が戻ってきたとか……」
「それは大問題だな。私達にとってはかなり面倒な事だぞ」
アリスの持ち帰った情報は、中々に新鮮で恐ろしいものだった。
場合によっては今まで会談に向けて積み上げていったものの全てを失いかねない。実に厄介な手である。
「今まで事件を隠蔽し続けてきたのが裏目になったか。南部かラムクーヘンかは知らんが、やってくれたものだな」
ううむ、と唸りながら、魔王はアリスの顔を眺める。
「それと、西部ガトーの王も訪問していたらしくて、でも、衛兵隊が帰還したことによって立場が危うくなっているらしいですわ」
「ほう、ガトーがねぇ」
ラムクーヘンと対立しているガトーの王が、衛兵隊の帰還によって苦境に陥っている。
政治とはなんとも難しいものである。
だが、魔王は妙にワクワクしてしまう自分に気付き始めていた。
時代が、変わろうとしている。
「よし、城に戻って情報をまとめよう。ラミアとアルルと、三人で話し合いが必要だ」
「では、早速転送を」
「頼む」
とにかく、動かなくてはいけない。考えなくてはいけない。決めなくてはいけない。
魔王はすぐに決断し、戻る事にした。
こうして、政戦は緒戦から混沌としたスタートを切り、世界はアプリコットを基点に流れ始めていったのだった。