#3-1.キャロブ王との会談にて
キャロブ王が皇城、その門前に到着したのは、もう陽が暮れ、町並みが赤に染まった頃の事であった。
城内は静かに、努めて静かにキャロブ王の到着を受け、宿からの案内役である文官、そして途中からは大臣が、キャロブ王を玉座へと通す。
ほどなく玉座へと到着したキャロブ王は、そこで待ち構えていたシフォン皇帝と初めて見合ったのであった。
「貴公がシフォン皇帝か。お初にお目にかかる。私がガトー王国国王、キャロブである」
「初めまして。アップルランド大帝国皇帝、シフォンだ」
公的な見合いに関わらず、二人は自らの名を短く告げた。
通常、こういった場では貴人はフルネームで名乗りあうのが常識であったが、この略式から、シフォンは会談の内容、その重さ・緊急具合を即座に読み取り、これにあわせることにした。
「噂はかねがね聞いている。その若さでこの大国の皇帝となったのだから、相応しき知略も持ち合わせておられると見受ける」
「それはどうだろう。私は自分では、自分の事はあまり解からないのだ。貴公がそう思うのなら、あるいはそうなのかもしれんが」
互いに初見からにこやかな会話をするつもりも無く、しばし沈黙が場を支配した。
その場にて両者を見守る衛兵や文官達も、その空気を崩さぬよう、固唾を呑む。
「単刀直入に言おう。今回、この国に訪れたのは、貴公に助けて欲しいからである」
会話を切り出したのはキャロブ王からであった。
陰のある堀の深い壮年顔は、その表情を崩すことなく、シフォンを見据える。
「話を聞こう」
シフォンも用事のあらかたは予想していたので、これについては必要以上に問わず、キャロブが話すに任せるつもりであった。
「わが国は現在、隣国ラムクーヘンの策略により、窮地に追い詰められている」
搾り出すように眼を瞑りながら、キャロブは続ける。
「彼奴らの扇動によって、民は皆逃げ出し、役人や、軍人までもが脱走するようになってしまっているのだ。土地も細り、経済も立ち行かなくなりつつある。遠からず、わが国はラムクーヘンに侵略され、滅ぼされてしまうだろう」
「……予想した以上の窮状のようだ。ラムクーヘンと対立していたのは解かるが、何故そこまで……」
シフォンには、この壮年の語る話がブラフなのではないかとすら思えてしまっていた。
少なくともラムクーヘンという国にとって、隣国ガトーはいつ侵略してきても不思議ではない相手ではなかったか。
ラムクーヘンは、攻められればひとたまりも無い羊のような国家ではなかったのか。
シフォンの中のイメージと、今キャロブの語っている話は、あまりにも食い違う。
――これでは、ラムクーヘンのほうが侵略者ではないか。
シフォンは内心、驚いてしまっていた。
「簡単な話だ。先代までの……代々のガトー国王の、そして王家の、不遜さ、周囲を省みない傲慢さが、今仇となっているのだ。笑ってしまう話だが、私自身、このようになるまでは、周辺国に対する嫉妬と憎悪に駆られていた」
それにより、今ガトーは追い詰められている。
周囲には、誰も救ってくれる仲間はいない。西部において、ガトーは完全に孤立していた。
敵の敵は味方、と思えばこそ、今こうして、かつて見下していた相手に頭を下げに来ている。
それほどに、ガトーは危機的な状況であった。
「――頼む。力を貸してほしい。ラムクーヘンに対抗できる国は、私には最早、ここしか思いつかぬのだ!!」
本来この場において、この皇帝と王との、一国の主同士の会談において、優劣等はどこにも存在しないはずであった。
対等の関係での話し合い。そのはずのこの場で、キャロブはあろう事か、自分より年下のシフォンを前に、膝を着いたのだ。
これにはその場にいた文官らも驚きにざわめいてしまう。
「頭を上げて欲しい。王たる者が、他国の君主に頭を下げるなど、恥知らずとは思わぬのか?」
それは、確かに必死さを感じる光景であった。
他に方法が無い。背に腹は変えられない。
いかにも緊急な様子で、何が何でも我を通したい、そんな気迫すら感じ取れる。
だが、シフォンは玉座に座したまま、呆れた様子でそれを眺めていた。
――気品なき者に王たる者の資質なし。
かつてガトーの王族がアルム家に対し吐いた暴言であった。
ならば、今自分の前で膝を折り、罪人の如く頭を低く下げたこの男は、果たして王の威厳、気品ある存在なのだろうか、と。
シフォンは、この見下げ果てた男に怒りすら覚えていた。
身勝手すぎる。ラムクーヘンは友好国である。
ガトーを助ける事は、ラムクーヘンの反発を買う事と同義であり、それはラムに身を寄せているであろうトルテやエリーシャの危機にもつながりかねない事となる。
確かにガトーを救えば、彼らは自分たちを認め、相応に自尊心も満たされよう。
だが、それではそれだけで完結してしまう。その後の展開を考えるなら、旨みは微塵も無い。
シフォンは冷徹であった。皇帝としての彼は、時として心無い判断すら迷い無く選択できる氷のような皇帝であった。
先帝シブーストが激情の中に義理や人情を優先したのに対し、シフォンは国にとっての、国民にとっての利益を優先するのだ。
自分の事をつまらないものを見るような眼で見ているシフォンに、キャロブは怒りもせず、頭も上げずにそのままであった。
「聞いて欲しいシフォン皇帝よ。ラムクーヘンは……ババリアは危険な男なのだ。我がガトーだけではない。いずれ、いずれ必ず貴公のアップルランドにも災厄をもたらす。彼奴の野心は、必ずや我らの身を滅ぼさんとするはずだ!!」
必死なのは変わらず。ただ、伝えたい事のみを伝えていた。
顔を下に向けていたのでシフォンからは解からないが、必死の形相で、口元や目元を歪めながら、あらん限りの声を絞り出す。
「ババリアに気をつけるのだ!! アレは、北部の宗教など信仰しておらん!! 奴は、根っからの女神信奉者だ!!」
聞く気のなかった言葉の中に、聞き捨てならない一言があった。
それまで興味なさそうに話したいようにさせていたシフォンが、その言葉に耳をぴくりとさせたのだ。
「……なんだと?」
彼の必死が伝わる。呆れた様子で見ていた氷の皇帝はそこにはない。
ババリアの女神信仰。それがどれだけの脅威か、その意味が解るからこそ、シフォンは玉座を立つ。
「もう一度言ってくれキャロブ公。ババリアが、あの王が、女神信奉者だっただと!? それは本当なのか!?」
言葉を荒げ、キャロブに詰め寄る。その気迫足るや。
キャロブは顔を上げ、その気迫に内心ぎくりとしながらも、ようやく喰らい付いた相手に、自身の動揺を悟らせないように必死に表情を抑えた。
「ほ、本当だ。信じて欲しい。ババリアは、若い頃から女神の愛に触れようと、熱烈な信仰を持っていた。外交では解らんだろうが、ガトー王家ならば解る」
「……ラムクーヘンと、教会組織が繋がった……」
それは、あってはならない繋がり。シフォンの顔色が見る見るうちに青ざめていく。
「では、サバラン王子は……」
「無論。サバランも女神信奉者だ。シフォン皇帝。貴公の妹君と皇太后がラムへ向かったのは私も知っている。だが、もしそうならば――」
そう、二人の身が危ない。いや、もはや手遅れかもしれなかった。
「――急ぎ確認をっ!! 二人が今どこにいるのかの確認をするのだ!! 急げ!!」
「はっ、すぐにでも!!」
シフォンはすぐに傍の者達に指示を飛ばした。
事の重大さに、文官らもすぐさま場を駆け出す。
しかし、事態はそれでどうにかなるほど甘いものではなかった。
「失礼致します!! タルト皇女、及びエリーシャ皇太后を送り届けた衛兵隊が、ただいま帝都に戻りました!!」
「なんだと!?」
駆け出していった文官と入れ違いで入った衛兵によるタイムリーな報告。
これには、キャロブも唖然とした様子であった。
「……すぐに戻った衛兵をここに連れてまいれ。疲れているだろうが、今は何より確認が最優先だ」
「はっ!!」
気まずそうな表情のままのキャロブを睨みつけながら、シフォンは努めて冷静に、その衛兵に指示を下す。
すぐさま衛兵も駆け出すが、キャロブは落ち着きならぬ状況で、頬に汗を流していた。
「――キャロブ公。先ほどの話、もし一つでも違う事があったならば……」
「そ、そんなはずはない!! シフォン皇帝よ。騙されてはいかん!!」
「それも戻った衛兵らの話を聞けば解る事だ。貴公には、しばしここで待っていていただこう」
冷め切った眼で見下ろす。自分を謀ろうとした男が一人。どうしてくれようか。と。
「――くっ」
キャロブは悔しげに歯を食いしばり、うつむいてしまっていた。