#2-3.キャロブ王とプラリネ姫
帝都で一番の宿『アプリコット・デイズ』は、物々しい雰囲気に包まれていた。
帝都の中でも目立つ大きなその建物の一角が、ローブ姿の眼光鋭い男達によって守られていた。
ガトー王国国王・キャロブの宿泊する一室。
キャロブ王は先日夜、大帝国皇室よりの使者の訪問を受け、これにより、本日は夕方から皇城で会談する事となっていた。
「陛下、シフォン皇帝は、陛下のお話を聞いてくださいますでしょうか……?」
会談に備え、支度を整えるキャロブ王。
その傍に控え、齢十五になるキャロブ王の愛娘『プラリネ』が心配げにしていた。
自身も侍女たちに指示を出し、王の支度を手伝っていたのだが、ここは元々は敵対国とも言える相手の本拠地。帝都である。
そして王の向かう先は国をまとめるシフォン皇帝のおわす居城。
いかに緊急の用と言えど、些細な事が原因で捕らえられてしまう危険性も考えられた。
しかし、不安げに自分を見上げる娘に、王は緊張げに引き締められた頬をわずかに緩め、笑いかける。
「安堵せぃ。この度の訪問、確かに帝国としては全くの想定外であろう。だが、シフォン皇帝は戴冠する以前より聡明な皇族であると聞いている。儂の話を聞かずに無体な真似をする事もなかろうて」
「それならいいのですが……」
プラリネも、父の言葉に少しだけ安堵したようだったが、それでもやはり、全てを納得する気はないらしかった。
元々、この度の訪問は、近年に起きたガトー国王の代替わりを発端としていた。
先代国王ジャンドゥーヤは、周辺国、とりわけかつての自領であったラムクーヘンと、その独立を手助けした大帝国に強い憎悪を抱いていた。
王であるならば、誰しもが自国の発展、繁栄を望む。
だが、これがラムクーヘンと大帝国の所為で妨げられている。
ラムさえ手元にあれば。ババリアが謀反さえ起こさなければ。大帝国が唆さなければ。
ガトー王家には、そういった考えの者がとても多かった。
確かにラムを失ったのはガトークーヘンという国にとっては痛すぎるダメージであった。
ラムを失った事によって国号がガトーとなり、経済は衰退し、それによって民もその多くが豊かなラムクーヘンへと移り住んでしまった。
貧しいという事はチャンスが少ないという事。豊かという事はチャンスが大いにあるという事。
民にとって、生活の上でさまざまなチャンスに恵まれるラムクーヘンは、魅力的な国に映ったのだ。
自然、ガトーは国として衰弱していく。
かつては世界有数の歴史ある国家として名を馳せていたのに、今では見る影も無い。
王都は趣のある町並みだが、活気がなく、城下町だというのにまるでゴーストタウンのよう。
このような経緯から、ガトー王家がラムクーヘンと大帝国を妬み、嫌うのは仕方の無い事であったが、同時に、この憎しみに任せ切りになり、『ラムを失っても魅力ある国家として盛り上げよう』と考える事はなかった。
ラムを失ってからのガトーは、その数十年を何一つ変わることなく、周囲に置き去りにされるままになっていたのだ。
時代遅れの旧国家。その末路がいかに惨めなものであるか。
そんな簡単な事に気付けずにいた王が死に、そして、今代のキャロブ王となり、ようやくガトーはその事実に直面する事になる。
ラムクーヘンは、世界で有数の経済国家であると同時に、西部有数の軍事大国でもある。
元々ババリア王に従っていた強力な騎士団が存在していたが、近年ではそれに加え、北部の教団ゆかりの優れた兵員や戦術が広まり、現代戦に十分ついていける戦力となっている。
また、都市の一部は中~遠距離での戦闘に特化した新兵器『ハンド・カノン』の生産拠点となっており、各地、特に国境際には既にこれが十分な数配備されているのだという。
未だ旧来の重装騎兵、それもランスを片手にひたすら突撃を繰り返すのが主戦術なガトー騎士団とは比べるまでも無い軍事力の差が存在していた。
それでもラムクーヘンがガトーを攻めずにいたのは、ラムクーヘン王ババリアと大帝国先代皇帝シブーストが、蜜月ではなく互いをけん制しあう関係にあったからである。
ラムは大帝国にとっても魅力的な港で、ガトーよりの独立以降、功労への礼として、大帝国は特別にこの港の一角を無報酬で使用する事を許されていた。
これにより、大帝国は海の無い中央部にありながら、西部諸国に高いリベートを払うことなく海産資源を中央諸国に売る事が出来た。
大帝国がベネクト三国やカレー公国をさしおいて中央随一の大国となれたのは、これによる恩恵が多大にある。
だが、経済的には協力し合う関係であるラムクーヘンであるが、シブーストは老練なババリア王には常に注意を払っていた。
見た目こそ好々爺と言った風体であったが、このババリア王、実に老獪で油断ならない人物であった。
同時にババリア視点で見ても、名君シブーストはいつ自分を切り捨てるか解からない不確かさ、強かさを持っていた。
仮初の友好関係。だからこそ、迂闊に攻め入る口実を与えない為に、ガトーを攻撃する訳には行かなかったのだ。
大帝国が欲しいのはラムの港である。逆に言えば、それさえ手に入るなら、国はラムクーヘンでなくてもいいのだから。
両者は互いに自分たちの都合の下、バランスを取り続ける事となった。
皮肉なことながら、ガトーはこの対立のおかげで平和な時間を過ごす事が出来たのだが。
だが、シブーストが魔王によって殺され、事態は急変する。
皇帝がシフォンへと代替わりし、これを相手として格下と見たババリアは、恐れるものは無いとばかりにガトーに政治攻勢を仕掛け始めた。
まずは国民の扇動から。
「貧しいガトーにいるより、豊かなラムクーヘンへ」
そう告げるだけで、貧しい暮らしに辟易としていた民のいくらかは煽られるままに国境を渡ってしまった。
国に広がる不安。民がいなくなった事で、経済は更に衰える。誰に言われるでもなく、次には商人が逃げ出す。
更に、商人がいなくなった事で税がまかなえなくなり、今度は役人が逃げ始める。
雪崩式に事態は悪化していく。支える背骨の無くなったガトーは風前の灯となっていた。
もはや自国ではどうしようもなくなってしまったキャロブ王は、やむなくラムクーヘンの対抗馬となり得る大帝国に助けを求めにきたのだ。
なんとも情けない、惨めな話であったが、こうでもしなければどうにもならないというのが事実であり、その辺り、キャロブ王は腹をくくっていた。
「プラリネよ、決して宿から出るでないぞ。この宿は軍の選りすぐりを配置しておる故、危険はなかろうが……帝都は何があるか解らんからな」
王の心配は、どちらかというと年若いこの愛娘にあるらしかった。
「陛下、私ももう十五ですわ。いつお嫁に行ってもいい年頃です。子供ではないのですから」
そんな心配なさらないで、と、プラリネは小さく息をつく。
「ふふ、親というのは子供がいくつになっても、心配になってしまうものなのだ。お前もいつか解るようになる」
「……ええ」
あるいは、これが今生の別れになるかもしれない。
二人とも、それが解った上での会話だった。
少しでも娘を不安がらせないように、王は笑った。
「何事もなければ、今日、明日にはここに戻るはずだ。少なくとも遣いが来る。案外歓迎されるかもしれんぞ? お前もパーティーの支度だけはしておくのだ」
「ええ。帰り支度も一緒にしておきますわ」
万一に備えて。聡明な娘の、濃い赤髪をそっと撫でる。
「それでいい。では、そろそろ行くとするか」
心が落ち着いた。自然、緊張も解れている。
何かに満足したように、王は悠然と歩き出した。