#2-2.帝都に潜む闇2
こうして二人が入った店内では、店主と、カウンターに座る三人の常連風の男以外には誰もいなかった。
「どうぞこちらに」
店主の案内があるでもなく、チャールズは勝手に窓際の席にかける。
ロザリーもその正面に腰掛けた。
同時に、店主が外へ出て行くのが見えた。
ほどなくして戻ったが、それと同時にカウンターに座っていた三人が寄ってくる。
「初めまして、『シャルロッテ』殿。私がリーダーの『ケイオス』です」
三人組の真ん中、髭面の厳つい男が、恭しげに頭を下げる。
「初めましてケイオス。そして、ここが貴方達のアジトですか」
「はい。エリーゼ殿亡き後、我々に残された唯一の拠点であります」
流れるような慣れた仕草で、チャールズが立ち上がり、窓のカーテンを閉める。
いつの間に照明をつけたのか、店内はその明かりで満ちていた。
「エリーゼ殿、それにクーデターに失敗した方々は、本当に残念でしたわ」
ロザリーはくつろぐように細い足を組むと、ケイオスらを見上げた。
「実質、このアプリコットに残った構成員はいかほどになったのですか?」
「はっ、クーデターの失敗により逃げ延びた同志は全員が捕縛され、残ったのはタルト皇女誘拐に関わった者達のみです。その中で、十名ほどが帝都に隠れ潜んでおりますが、残った多くは今もラムクーヘン周辺にて潜伏しております」
びしりと姿勢よく立ち、ケイオスが答える。
彼らは、エリーゼによるクーデター、そしてサバラン王子によるタルト皇女誘拐に直接関わった衛兵の生き残りであった。
元々は強い信仰心の下、あるいは皇族に対する恨み憎しみで集った者達で、その多くは南部での訓練を経て優秀な兵士として帝国軍に所属していた。
だが、クーデターもタルト皇女誘拐も失敗に終わり、エリーゼが処刑された今となっては、彼らには帰る所もない。
なんとか上手いところ帝都に潜伏し、内情を探っていたところで、丁度都合よく教会組織よりの通達があり、ロザリーと協力する事となったのだった。
「十名ですか……それで、実際問題、この国はどのような状況に?」
マスターが何も言わずにテーブルにティーカップを一つ、置いて去っていった。
ロザリーはおもむろにそれを手に取りながら、ずず、と一口。
ほのかにカップから香るリンゴの匂いが、ロザリーの鼻を癒す。
「それが……不思議なのですが、まるで『何も起こらなかった』かのように、帝都は変わっておりません」
これにはチャールズが答えた。なんとも複雑そうな顔で、ロザリーはこれが気にかかった。
「皇室が、クーデターをもみ消したという事かしら?」
「その可能性はあります。少なくとも、市民レベルではその辺り、噂にすらなっておりませんでした」
彼ら自身、帝都に戻ってからそんなに日が経っている訳ではないらしいが、それでもあれだけの事件が起きて何事もなしとは何かがおかしい。
考えるように口元に手を当て、ロザリーはしばし黙りこくる。
「クーデターだけではなく、我々が参加した皇女誘拐の計画も、帝都には伝わっていない可能性があります」
「……外交ルート上、大帝国はラムクーヘンとの外交関係を変わらず続けているという情報もあります。確かに、貴方達の言う話とあわせれば、皇女誘拐に関しては皇室が何も察知していない、という可能性も有り得るかしら……」
つまり、エリーシャはまだ帝都に帰還していない可能性がある。
この辺りはまだデフの想定した範囲だが、ならば、エリーシャはどこにいるのか、が問題であった。
「エリーシャ皇太后の居場所、それに関しては何か情報は?」
「申し訳ありません。少なくとも戻ったという話は聞かないのですが、居場所となると……皇室に関わる話は容易には」
ロザリーの求めるものは、彼らには手が届かないらしい。
さほど残念でもなさそうに、ロザリーはケイオスに指差す。
「ふむ……思いのほか面倒な事になってますわねぇ」
ふう、とため息をつきながら、右手で遅れ髪を弄る。
男達は全員ロザリーの判断待ち。身動き一つとらず緊張した面持ちで立っていた。
「それはそうと、貴方がた、エリーゼさんの死後、何を思ったのですか?」
不意に、ぽつり、ロザリーが呟く。
男達は全員、不思議そうに顔を見合わせていた。
突然変えられた話題。これに何の意味があるのか。彼らはその意図を理解できなかったのだ。
「ねえケイオスさん。エリーゼさんが亡くなって、貴方は何も感じなかったのですか?」
いつまでも答えない男達に、ロザリーはカップを手に、上目遣いで問う。
その瞳に色は無い。ただ、見ているだけであった。
「そ、それは、もちろん、憤りました」
「ほう?」
「『まさか失敗するとは』と。『よくも我らの同志を』と。怒りに震えました!」
挑発するようなロザリーに、ケイオスは握りこぶしを作り、その厳つい顔を更に歪め、強く言い放つ。
気迫に満ちたその様相に、他の男達も士気を得て顔を輝かせる。
「なるほど。では、やはり貴方がたの同志、エリーゼさんや他のクーデター参加者の事、悔しいと思ったのですね?」
「もちろんです!!」
「それを聞いて安心しましたわ」
意気揚々と出たケイオスの言葉に、『我が意を得たり』と、ロザリーは口元を歪ませる。
だが、それはカップに隠れ、男たちには見えないのだ。
「ええ、ええ、そうでしょうとも。貴方がたの旗頭とも言えるエリーゼさんの死。それはさぞかし悔しいのでしょうねぇ。貴方がたの怒りも良く解りますわぁ」
そして、ケイオスの言葉に乗ったかのように、ロザリーは感情的に語る。立ち上がる。
「貴方がたは、エリーゼさんの、散っていった同志たちの仇を討つべきですわ。なんとしても、その恨みを晴らすべきです!!」
大仰に身振り手振りしながら、一人ひとり、男達の眼を覗き込んでいく。
紺色の瞳は男達の視線を捉えて離さない。すぐに、眼を逸らせなくなる。ロザリーに取り込まれてしまう。
「ですから、私の言葉を聞きなさい。私の指示を聞くのです。貴方がたに、私の手伝いをして欲しいのです」
「……手伝いを?」
「それは一体――」
ごくり、と喉を鳴らしながら、男達は呟く。自覚は無いが、既にロザリーの術中にはまっていた。
「まず、貴方がたは、アプリコットに潜伏している十人は、全員『帝都に帰還』なさい。タルト皇女、及びエリーシャ皇太后の護衛任務から帰還したという体裁で、皇帝に報告するのです」
「そ、そんな、しかしそれは――」
「大丈夫。貴方がたは処刑されません。だってそうでしょう? エリーシャ皇太后はまだ帰還していない。していたら、ラムクーヘンとの国交は断絶していても不思議じゃないのですから」
ロザリーは胸を張って笑う。笑顔こそが、相手に自信を見せ付けるに最高の手段だと知っているからだ。
「帰還した貴方がたは、必ず皇帝と謁見する事になりますわぁ。そしたら、皇帝にこう報告するのです。『無事皇太后らを送り届けた後、魔族の襲撃に遭い、帰還が遅れることになった』と」
ケイオスの手を取り、ぎゅっと握り締める。
「貴方が報告なさい。そうする事によって、帝国からラムクーヘンへの疑いの目を逸らす事が出来ますわ。同時に、魔族に対する憎しみを、この国に再び植えつける事が出来る」
「し、しかし、今まで何故それを報告しなかったのか、聞かれたら――」
「手紙は送ったことにすればいいではありませんか。貴方は知らないかもしれないけれど、早馬が敵の手に陥ちる事なんて、そんなに珍しい事でもありませんのよ?」
それ位できるでしょう? と、ロザリーは首をかしげる。
「あ、ああ……そ、それで――」
「貴方がたは悲劇のヒーローになれますわぁ。魔族との孤立無援の戦い。無事切り抜けた十人の衛兵。伝説になる位ヒロイックではありませんか。そうして内部に戻り、私に内情を報せるのです。場合によっては――」
「場合によっては……?」
男達は、もうロザリーの勢いに飲み込まれていた。誰一人異論をあげられない。次の言葉を待ってしまう。
「隙を窺い、皇帝を暗殺する事もできましてよ? 今度こそ、貴方がたの宿願を果たせますわぁ」
にたり、笑うロザリーの眼は歪つに禍っていた。
ぞくりと背筋を震わせる男達。ケイオスは、青ざめた表情でロザリーを見下ろしていた。
「あ、貴方は……我々の手で、クーデターを……」
「まあ、あくまでそれはケース次第では、ですわあ。そんな性急に考える事でもなくてよ?」
恐れるケイオス。ロザリーはその頬に手を当て、優しく撫でる。
何度目か解からない。喉を下す音に、ロザリーは妖艶に笑いかける。
「もっと気を落ち着かせなさい? そんな事では満足に報告もできませんわあ。祭にでも出て、女を抱いて気を静めなさいな。ケイオス、もう『計画』は動いていてよ?」
ケイオスにだけ語りかけるような囁き。
ふう、と、色気たっぷりに吐息をかけると、ケイオスはびくん、と総毛立たせる。
――かかった。
ロザリーはにまにまと口元を歪めながら、ケイオスから離れ、一人出口へと向かう。
「あっ――」
少しだけ惜しいような、寂しげな、そんな表情をしながら、ケイオスはロザリーの背中を見つめる。
それを知った上で、ロザリーはその場で止まり、小さく振り向く。
「今回のお話はここまでに致しましょう。後の話は、後にしますわあ」
呆気に取られたままの男達を残し、ロザリーはそのままティーショップを後にした。
残された男達は、カララン、というドアの開く音ではっと我に返り、妖精に化かされたような顔で互いを不思議そうに見ていた。