#12-2.一族の守り神
「アンナロッテ=レプレキカ。彼女は生涯誰かと添い遂げる事なく、子を成す事なくその生涯を終えたわ。ただ一人、義妹の娘を護り、育てる事に心血を注ぎながら。まるで主に仕える女騎士のように厳格に生き続けたの」
「やはり、アンナの娘は、エルフィリースの……」
「そうよ。エルフィリースは、日増しに力を増していく教会の存在に危機感を覚え始めていた。万一を恐れ、娘をアンナに預け……直後、教会の手の者によって襲撃を受け、逃げ切れずに捕らえられた」
「稀代の賢者が、教会の手の者にそうやすやすと捕まるものだろうか?」
「街中で暴れるわけにも行かないでしょう? 彼女だって必死に逃げようとしたのよ。だけど……壊れたドア一つに阻まれて、ね。人生って不思議な事だらけよね」
笑えるくらいシンプルでしょう? と、レーズンは表情を変えずに続ける。
「『その当時の』私はね、アンナともエリーとも親友だったわ。その時の私は、完全に一般人の娘に成りすましていたのよ。あれはそれなりに理想的な日々だった。私が望んで、私が欲しかった日々が、毎日が、そこにあったの――」
彼女が過去を知る理由。彼女が今語っている理由。それこそは、そこにあったのだ。
レーズン=アルトリオンは、全てを知っている。その場に居たのだ。
「……君は、エルフィリースを見捨てたのか」
そして、彼女がいて、それでも尚『親友』のはずのエルフィリースが捕らえられたという事は、レーズンは、その力を親友の救出の為使わなかった事に相違ない。
「平穏な生活のために。ただそれだけの為に、一般人のまま貫き通したわ。私は最後まで、彼女たちの親友のままだった。裏切りもしない。一般人の範囲で出来る限りの手助けもした。だけど、エリーは助けられなかった」
口元を歪めながら、レーズンはまた、瞼を閉じる。
窓から差し込む夕陽は、どこか寂しげであった。
「伯爵。私はね、平穏が好き。平和が大好き。誰にも縛られない自由ってすばらしいと思う。だけど、少し位縛られても良い。不便でも良い。普通の、当たり前の、日常的な、そんな生活がずっとしたかった――」
謡うように告白する。レーズンの、静かな独演会。
「だけどね。それだけを願って、ただそれだけの為に生きていたはずなのに、それがいざ手に入って、その為に、助けられた親友ですら見殺しにして……そこまでして維持しようとした『普通』がね、『当たり前』がね、なんか、すごく空虚だったの」
次第に、その声は震えていく。夕陽は、やがて薄れていった。
「酷く後悔した。これほど馬鹿な事ができる自分に、本気で嫌気が差した。だから、私はせめてその子孫には、エリーとアンナの護り通したあの子の子孫だけは、見守りたいと思っていたの」
陽は沈み。薄暗くなる前の一瞬、レーズンの頬に、水の線が浮き上がった。
「それが、私がレプレキアに固執する理由。私がこの世界に留まり続けた、その理由だわ」
語りが終わり、アリスが気を利かせ燭台に火を灯す。
明るくなった部屋。レーズンはもう、元の静かな表情に戻っていた。
「理由はよく分かった。君もまた、『あの時代』に取り残された者の一人らしい」
レーズンの語りを静かに聴いていた魔王は、ほう、と息をつきながら、レーズンに笑いかける。
「君は、私の仲間だ。私と同じで、過去の……過去に取り残されてるんだな」
「……そう、かもしれないわね」
親近感が湧いていた。魔王の言葉に、レーズンは戸惑った様子だが、そんなのお構い無しで手を握る。
「君は、私と同じだ」
確信を持って、魔王は笑った。それが嬉しかったのだ。
一人ではないことは、心強さも感じさせてくれる。
だから魔王は笑っていた。笑って、精一杯に強がっていた。
「アンナは、エリーに託された娘と共にこの地に逃れた。そこで、魔王エアロ・マスターによるデルタ襲撃を知り……同時に教会組織の台頭、そして、エリーの死を知った」
一旦落ち着いてから、今度は魔王の求める『過去』を話し始めるレーズン。
魔王も安楽椅子に腰掛けながら、その話を聞くことにした。
「まあ、正確には違うのかもしれないけど。教会が、エリーの死を利用した、というのはアンナも気付いたんでしょうね」
「君はその時はどうしていたのかね?」
「私はその時既に死んでたのよ。人間としてはね。デルタに残り続けて、そのまま魔王の襲撃の際に死んだ。という扱いなんじゃないかしら?」
魔王の襲撃という事件は、それそのもののインパクトが強すぎるが故に、その影に隠れた数多くの事実を埋もれさせていた。
さまざまな現実がそこに埋もれ、そして、掘り起こせばそれほどに、時代の闇を表ざたにしていくパンドラの箱であった。
「義理の母によって厳格に育てられた娘は、その期待通りの優れた剣士として育ったらしいわ。かつてピースリムルと呼ばれたこの地の守り神となって、襲い来る賊や魔物を討伐し続けた。やがてその功績が民衆に認められ、バルトハイム崩壊直後の混乱もあって、この辺りの領主として収まった」
「なるほど。そうして彼女の家系は、このシナモンに根付いたのか」
「そういう事。その娘が子を成し、それが更なる子孫へと繋がり……今日のエリーシャ様へと繋がる訳だけど」
お分かりいただけたかしら? と、目を閉じ、静かに息を吐く。
「ありがとうレーズン。どうやら、やはり私の推測は当たっていたらしい。彼女の言葉の真意が、ようやく解った気がする」
話を聞き、ようやく全貌が掴めた魔王は、小さく頷きながらそれを噛み締めていた。
「この部屋から、トリステラの声が聞こえますわ」
話も終わり、人形の捜索に戻った魔王らは、アリスの案内で寝室へと到着。
ベッドの下のチェストを見つけ、開けた。
「おお、あったあった。懐かしいなあトリステラちゃん」
挨拶するように破顔し人形の手をぴこぴこ動かす魔王。
「ふぅん、この子が――ちょっと見せて」
最初、あまり興味なさげだったレーズンであったが、人形の顔を見るや、違和感を感じ、魔王から人形を奪い取る。
「どうしたのかね? あんまり乱暴に扱うのは――」
レーズンの人形の扱いにムッとした魔王はそれを注意しようとしたのだが、レーズンがそれを手で制した。
「この人形……」
ただ、その顔を凝視する。レーズンは真剣そのものであった。
「……まさか、ね」
やがて、疲れたように吐息するレーズン。『そんなはずない』と自分に言い聞かせながら、人形を冷静に見つめていた。
「見覚えでもあるのかね?」
「ええ。まあ」
何かを感じた魔王の声に、レーズンは歯切れ悪そうにしていた。
「私が昔、あの子にあげたものに似てるなって思って。それだけよ」
「だとしたら時代を超えた人形って事になるが……アリスちゃん?」
「聞いてみましょうか? トリステラをこちらに」
そう、この場には、人形の心がわかるアリスがいる。
人間には解からないそれも、アリスには伝わるのだ。
「……そんなはずないと思うけど、一応」
レーズンは少し困ったような様子で、そっとアリスに手渡した。
手の平より少し大きい程度の人形。
本来のアリスより一回り大きい程度の古びたそれは、アリスに抱きしめられる。
トリステラの耳元で、何事かぽつぽつ語りかけるアリスは、次に自らの耳を人形の口元に沿わせ、その声を聞き取ろうとする。
やがて、アリスがぱあっと明るく笑い、トリステラの頭を撫で、離れる。
「旦那様、やはりこの子、『覚えて』ますわ」
どうやら勘違いでもなんでもなく、本当にレーズンのプレゼントした人形だったらしい事が判明してしまった。
「ほほう。すごいな。私も色んなアンティークを見てきたが、ここまで息の長い子は初めてだ」
これには魔王も驚きである。感心したようにトリステラを眺め、満足げに頷く。
「……本当に? この子、本当にあの時の子なの?」
信じられないとばかりに口元を手で隠し、目を見開くレーズン。事実とはなんとも数奇な巡り会わせでできていた。
「傷んだ部分はその時その時で修繕を重ねて、今の時代まで生き永らえたようです。シナモンは、昔から腕の良い人形職人がいたらしく、それに助けられたんだって、トリステラが」
「なるほどなあ。この子は、ずっとレプレキアを見守っていたんだなあ」
中々に感慨深いものがあった。エリーシャが大切にしていたのも解る。これは、一族の守り神のようなものだったのだ。
「……大切に、してくれてたんだ。こんな、私の――」
ぽつり、呟くと、レーズンはうつむいてしまった。
そのまま、肩を震わせ……崩れ落ちた。
「……っ」
崩れ落ちたレーズンは、堪え切れずに泣き出してしまう。
長い旅路の果てに、彼女が見たもの。感じたもの。深い後悔。さまざまな感情が一気に噴出したのだろう。
魔王はそう考え、アリスの肩を叩く。
「そっとしておいてやろう」
静かにそう呟くと、そのまま部屋を出、魔王城へと帰ることにした。
知りたいことはもう解ったのだ。この上長居する理由もなかった。




