#12-1.エリーシャの家へ
女神の謎空間から脱出し、シナモン村へと到着した魔王一行は、同行したレーズンの意向もあり、まずはエリーシャの家へと向かう事となった。
村人達は突然現れた魔王らに驚きはしたものの、そこは一度通った道である。
「なんだあ、また貴族様がきたよ」
「どうせエリーシャちゃんに用事なんだべ? 下手に構うと怒られるでよ」
村人たちは以前ほど魔王らを警戒することなく、早々に散っていった。
「なんか、変な慣れがあるのね……何度か来たことあるの?」
「うむ。以前エリーシャさんに会う為訪れた事があった。その時に色々あってね」
その時はエルゼの帽子が吹き飛んでエルフと勘違いされた結果騒ぎになったが、今回エルゼは居らず、共に行くのはアリスとレーズンである。
レーズンは髪の色こそ青系で人間世界では滅多に見ない色だが、染めれば可能な色である事と、髪色以外はいたって普通の女性であるおかげでそれほど村人の興味を惹かないらしい。
「侍女の姿だったらそれはそれで目立ってたかもしれんね」
「むう……素の姿っていうのも案外地味なもんなのねぇ。目立たないように目立たないようにって姿を変えてたのに……」
彼女なりに努力もあったのだろうが、レーズンは悔しげに唸ってしまう。
「とりあえず行こうか」
「そうね」
「こちらですわ」
いつまでも唸っていても仕方ないのだ。
アリスが先導し、目的の家へと向かっていった。
「へえ、ここがエリーシャ様の家かあ」
預かっていた鍵を使い、レーズンがドアを開けると、そこは魔王とアリスにとって懐かしい光景が広がっていた。
「以前お邪魔した時とそんなに変わってないようだ」
不在だった割には綺麗になっていた。埃もそんなに積もっていない。
「ああ、エリーシャ様、ラムへ向かう前に一度里帰りしたって言うから、多分その時に掃除したんじゃないかしら?」
「なるほどね」
ぽん、と手を打ちながら、魔王は先へと進んでいく。
「とりあえず、トリステラちゃんを探さないとな」
「そうですね」
後にはアリスが続く。
「あ、ちょっと、人形の場所わかるの?」
「なんとなく。あの子の『声』が聞こえますから」
耳に手を当てながら、アリスは「しーっ」と口に指を当てジェスチャーする。
「むむ……便利ね、人形……」
何故かその仕草に逆らえず、レーズンは指示通り口元を手で覆った。
「旦那様、そっちじゃないみたいです。多分こちらですわ」
「む、そうかね?」
何も考えずにリビングの奥へと進もうとした魔王に、アリスは一言。
自らは階段に向け歩き出す。
魔王もぽりぽりと頭を掻きながらアリスの後ろへと回り、階段を歩いた。
「やれやれ……」
レーズンは小さなため息をつきながら、二人の後を追う。
階段を上った先は、広めの書斎となっていた。
様々な本が並ぶ棚。大き目の安楽椅子。
デスクの上には花の活けられていない花瓶が一つ。
壁には子供心を感じさせる大量の絵が張られていて、そのどれもが、一人の男らしきものを描いていた。
『おとうさんがんばって』
『おとうさんはやくかえってきて』
『あしたはたんじょうび、かえってきたらいいなあ』
『お父さんいつになったら帰ってきてくれるの?』
『お父さんとお話したいよ』
『次の誕生日はお父さんと遊べたら良いなあ』
『なんでいつも私だけ一人なの?』
『早く父さんが帰ってきますように』
『父さんが無事に帰って来れますように』
『なんで死んじゃったの?』
『なんで死んじゃったの?』
『なんで死んじゃったの?』
『なんで死んじゃったの?』
『なんで』
『なんで』
『なんでなんでなんで私ばかり奪われるの?』
『父さんを返して』
『あの日の麦畑を返して』
『一人ぼっちだった私の時間を返して』
『会った事のない母さんを返して。』
『神様がいるなら、全部全部、白紙に戻して私を普通の子にしてください』
次第に幼稚な絵は人の形を明確に表現していく。
次第にその文字は大人びた綺麗なものとなっていく。
そして、絵は、やがて字に埋め尽くされていき、エリーシャの内面が壊れていくのも、垣間見せていた。
「……これは」
見てしまった三人が、三人とも息を飲んでいた。
普段平然としていたエリーシャの、危うい内面。それが今、目の前にある。
「……エリーシャさん」
アリスは口元に手を当て、悲しそうに眼を瞑った。美しいまつ毛は震えていた。
「人間なんて、こんなものよ。どこかに闇を抱えてる。どこかに、辛い記憶や苦しい思い出を抱えて、それでも毎日を笑って過ごそうとがんばってる。皆、皆同じだわ」
そこだけが時が止まっているかのようで、レーズンの冷たい声が、静かだった部屋に響いた。
「だけど、エリーシャ様はそれどころじゃないわね。奪われ、失い、亡くしてばかりの人生。生まれてからずっと、何もかも失い続け、とうとう縋り寄り掛かれた最後の枝まで、失ってしまった――」
「エリーシャさんにとって、タルト殿は、なくてはならない安定剤だった……?」
「多分ね。姫様にとってもエリーシャ様は大切な存在だったでしょうけど、エリーシャ様にとっては数少ない、全てを許してる相手でしょうから」
失った時のダメージもその分大きいわ、と、レーズンは目を瞑る。
「あの方は、もう長くないわ。身体の方もガタがきてるから大概だけど、身体より先に心が壊れかけてる。なし崩しで助けたけど、あの場で死ねたならその方が幸せだったかもしれない」
レーズンの言葉は冷酷なようで、だけれど、強い情のようなものが含まれているように、魔王には感じられた。
だからか、魔王は、この、他人のはずのエリーシャに気を向ける『魔王』に、強い違和感を感じていた。
「君ともあろうものが、エリーシャさんには強く執着しているように思える。初めはタルト殿に、と思っていたが、君の目当ては、どうやらエリーシャさんのようだ」
魔王の言葉に、しかしレーズンは目は瞑ったまま、口元だけを歪め苦笑していた。
問われる事は、彼女にとってもある程度予想しての事だったらしい。
「そうね。私は拘り過ぎているのかもしれない。本来なら瑣末な出来事。長い長い旅路の、ほんの一瞬の出来事に過ぎないのに。私は、こんなにも固執している――」
目を開くと、手の平を見つめながら、静かに呟いていく。
「でも勘違いしないで。私の執着は、あの方個人に、ではないわ。私が情を抱いているのは、あの方の血筋――レプレキア家」
「……ここでその名を聞くとは。因果なものだ」
それこそが魔王らが調べ知ろうとしていたモノであった。それをレーズンの口から聞くことになるとは、魔王も思いもしなかったが。
「そうかしら、ね。まあ、そうかもしれないわ」
レーズンは一瞬表情を殺し、壁の絵を見つめていた。
「貴方達は、レプレキア家……もっと言うなら、『エルフィリースの娘』がどうなったのか。それが気になるのよね?」
「うむ。まあ、ね……昔、友人と交わした約束があってね。ただ記憶が乏しいのだ。手がかりになりそうな事は知っておきたい」
「そう。まあ理由なんてどうでもいいわ」
窓辺まで歩く。窓を背に、レーズンは微笑んでいた。




