#11-4.偽傷2
その日の夜は、とても静かなものとなっていた。
主の眠る部屋を後にし、ヴァルキリーは一人、そこへと向かった。
「来ましたか。なんとなく、そんな気はしたのですが」
それは、ネクロマンサーの居城。リーベシュタインと呼ばれる渓谷地帯。
玉座の間にて、ヴァルキリーは一人、ネクロマンサーと対峙していた。
「貴方は、私が主様を愛している事を知って、あの条件を出したのか?」
質問ではなく、それは尋問のようであった。
相手を強く威嚇するような、鋭い刃のような威圧感。
対峙するネクロマンサーをも頬に汗を流させる絶対的な力量差。
そこにはもう侍女の佇まいはなく。ヴァルキリーは、戦堕天使としてその場に君臨していた。
「いいえ。本当に必要だからお教えしただけですよ。とはいえ、強制するつもりもありませんでしたが」
ネクロマンサーからすれば、一目惚れした相手から睨みつけられ、二重の意味で居心地が悪い状況であった。
普段ならずる賢く相手を出し抜くことにも長けていたのだが、そんな事も出来ず、素直にその時の自分を説明する。
「私は、貴方に惹かれてしまいました。貴方のような美しい魂を持つ生き物を、今まで見た事がなかったから」
「そうか。あの時私に向けた視線。あれはそういった類のモノであったか……」
「初めてだったのですよ。異性に気を向けてしまったのは。全く、罪深い方だ」
自分で自分を抱きしめ、気持ち悪く揺れる。
対峙した相手の、男らしからぬなよなよとした様子に、ヴァルキリーは呆れてため息を吐いてしまう。
「呆れて笑うのは結構ですが。貴方がここに来たという事は、相応に覚悟があっての事と見受けましたが?」
そう、彼の元に訪れるのは、いずれも相応の覚悟を持った者ばかりであった。
それ以外は許されないはずで、事実、ヴァルキリーは一つの覚悟を胸に、こうしてネクロマンサーの元を訪れたのだ。
「その前に聞きたい。貴方は、本当に主様の求めるモノを作れるか?」
「伯爵殿の求めるモノが自動人形だというなら、恐らく唯一無二。私以外の誰であってもそれは用意できないでしょうね」
「そうか……」
しばし、考えるように顎に手を当てる。
そんな様は主に似ていて、それだけに二人の年季の長さを、ネクロマンサーは解ってしまった。
「人形となる以上、当然その魂の持ち主は元の記憶や人格を失います。ただ、魂レベルで刻み込まれた『想い』は、人形となって尚、生き続けることになるでしょうが」
「私が死んでも、主様への想いは消えないのか」
「消えないでしょうね。それが本物であるなら」
ネクロマンサーの試すような言葉に、ヴァルキリーは不敵に笑う。
「そうか、なら安心した」
左胸に手を当て、静かに眼を瞑る。
「私は、主様がこのまま年老いてしまうのを、そのお心が静かに壊れていくのを、これ以上見たくないのだ――」
そして、その本心を告白していた。
「初めてあの方を『見た』その時から、私はあの方を――だからこそ、私は願う。私などどうなってもいい。あの方が、ずっと目的を、目標を追い続けられるように。そのお心が老いることなく、いつまでも安穏の中ではなく、きらめく世界の中、輝き続けられるように」
詠うように告げられた愛の言葉は、最も届いて欲しい者には伝えず。
「私のこの想いがあの方の枷となるならば、私はこの身を捨て、あの方の『道具』へと生まれ変わり、役立ちたい。あの方がまた旅立てるように、そのきっかけの一へとなりたい」
それは、ヴァルキリーなりの精一杯の愛情だった。
正しいのかどうなのかすら解からない、彼女なりの一つの結論。
「――素晴らしい。私は今、初めて完全な愛を見た」
ネクロマンサーは、その瞳を震わせていた。頬に流れる涙に口元を濡らし、心は高鳴り続けていた。
彼は感動していたのだ。穢れ一つ無いその愛に。ひたすらに主を想い続ける、その健気さに。
「必ずや。必ず、主様の役に立てるようにして欲しい」
「もちろんです。私の――出来る限りの技術を以って、今までで一番の人形を創って見せます」
手を取るのすらためらったが、ヴァルキリーの言葉に、ネクロマンサーは強くその手を握り締め、強い決意で応えた。
『……』
そうして、『彼女』が気がつくと、そこは静かな部屋だった。
色々な人の形が並ぶ部屋。作業台が一つ。
それから……そこに腰掛け、黙々と何かを作り続ける男が一人。
それが彼女の見た最初の世界だった。たったこれだけ。
「できた」
男が声を上げ、立ち上がる。
手には、とても小さな布地が一枚。フリルの付いた小さな長い布。
そのまま男が振り向き、視線が合う。
「やあ、気がついたようだね」
慈愛のこもった眼で、その男は笑いかける。
『あの、ここは……?』
「ここは私の工房だよ。君は私に創られた人形。名前は……そうだな、『アリス』とでも名付けようか」
『アリス……人形? 貴方は私の……お父様なのですか?』
「そうだよ。君には、これから君を必要とする主の為、色々と覚えてもらいたい事がある」
お父様、という言葉に、男は笑いながらそれを受け、手に持った布をアリスの髪に優しく結い付けていった。
「君には、一人前のレディとして勉強してもらうよ。主の喜ぶような、主が可愛がってくれるような、主が愛してくれるような人形になりなさい」
『……はい!』
アリスは、とても素直に笑った。純真な、何一つ疑いの無い笑顔。
「……っ!!」
しかし、彼女の父は――何が哀しいのか、口元を押さえ、涙をぽろぽろと流し始める。
『お父様? どうかなさったのですか?』
突然の事におろおろとするアリス。心配そうに自分を見上げてくる人形に、人形師は涙を流しながら、それでも笑って見せた。
「なんでもない。なんでもないんだ――」
そのまま、静かにアリスの頭を撫でた。
「君には、何の罪も無いんだから――」
「ネクロマンサー……貴様、どういうつもりだ!!」
アリスと人形職人の日々は、突然現れた伯爵を名乗る男によってぶち壊しにされてしまった。
「この娘が、貴方のヴァルキリーの魂を使った自動人形です」
胸倉を掴まれたネクロマンサーは、軽い様子でへらへらと笑いながら、伯爵に事情の説明をした。
「そんな事を聞いてるんじゃない!! ヴァルキリーは、あいつはどこに行ったんだ!? あいつは何故私の元に帰ってこない!?」
「ですから、この娘がヴァルキリーなのですよ。この娘の材質は、全てヴァルキリーで出来ているのです。美しいでしょう? 愛らしいでしょう?」
「そんな言い訳で納得がいくか!!」
伯爵は、激怒していた。
このまま添い遂げようと思った侍女が、気が付けばいなくなっていた。
朝になれば起こされるもの。
そう思って眠りに入った彼が、自分ひとりで眼を覚まし、彼女がそこにいない事に気付くまで一月もかかった。
いつそうなったのか、何故そうなったのか。
何一つ解からないまま、知らないままいなくなったヴァルキリーに、そして、ヴァルキリーを材料にしたのだという人形の存在に、伯爵は酷く混乱してしまっていた。
その心は大きくかき乱され、焦燥し、怒りに溢れ、思考回路はショートした。
「貴様っ、ヴァルキリーを奪ったな!! ヴァルキリーをっ!! 私のヴァルキリーをっ!!」
最早理屈など求めていなかった。
ただ感情をぶつける為だけにネクロマンサーを殴りつけた。
倒れた彼の腹を蹴りつけ、顔を踏みつけ、無理矢理起き上がらせ、壁に叩き付けた。
ネクロマンサーは、一切抵抗しない。ただされるがまま、振るわれる暴力を受け、傷ついていく。
(なんで――)
アリスは、恐怖に怯え何も出来ないでいた。
ただただ、自分が仕える予定だったらしいこの伯爵という男の、その怒り様に、疑問ばかりが募っていた。
(お父様は何も悪くないのに、なんでこんな事をするの――?)
アリスは、日々を過ごすうちに父親から、自分が生み出されたある程度の経緯を説明されていた。
ヴァルキリーという、伯爵を愛する女性を元に創られたのだという自分。
だからこそ、人形として、主からは愛してもらえないかもしれないという懸念も、彼女の父親が抱いていた事も知っていた。
だが、それはヴァルキリーという女性が願ったからそうなっただけで、父は何も悪い事をしていないはずなのに。
だというのに、この伯爵という男は、父に暴行を加え、ひたすらに感情をぶつけていた。
父は何の言い訳もしない。ただ殴られ、蹴られ、一方的な怒りの捌け口とされていた。
それが不思議でならない。それが哀しくてならない。
怒るなら、怒りをぶつけるなら、それは恐らく、ヴァルキリーを材料にして創られた自分に向けるのが一番それらしいと思うのに。
「はぁっ、はぁっ――はっ――」
しばしの暴行の末、血溜りの広がった作業部屋では、焦燥し、ぐったりとした伯爵がその場に座り込んでいた。
血溜りの中に転がるネクロマンサーは意識を失い、伯爵はただ、呼吸を整え頭を垂れる。
『……あの』
倒れた父に駆け寄ることもできず、アリスは、伯爵に声をかけてしまう。
「うん?」
声をかけられ、伯爵がアリスへと意識を向ける。
先ほどまで暴れまわっていたにもかかわらず、伯爵は追い詰められたような、辛そうな眼をしていた。
『お父様を責めないでください。私が……私が、悪いのなら、私に暴力をふるってください』
それでも怖くて、だけれど、暴力を振るわれる父をこれ以上見ていたくなくて、アリスは前に出た。
手の平大の小さな人形。
こんなものは、伯爵が手を上げれば瞬時に吹き飛ばされ、壊れてしまうような儚いものだった。
「……お前が、ヴァルキリーの魂を使った人形か……」
先ほどよりは落ち着いたのか、それとも暴れすぎて疲れたのか、伯爵は息を整えながら、アリスをまじまじと見つめる。
「こんな……こんなちっぽけな人形の為に、あいつは――」
しかし、ある点を越えると、今度は身を震わせ、涙をぼろぼろ零し始める。
「こんなの、私は要らなかったのだ……あいつさえいてくれれば……あいつが傍にいてくれれば、私はそれで――」
伯爵は崩れ落ち、声も無く、ただただ、口惜しさに泣いていた。
こうして、時の魔王アルドワイアルディにより魔界随一の実力者と目された『伯爵』は、ヴァルキリーを失い気落ちし、日々を適当に生きるだけの放蕩魔族となってしまった。
この世界を訪れた時はまだいくばくか残っていた若さも完全に消え失せ、ただただ、日々を生きるだけの感情を感じさせない生物へと逆戻りしてしまった。