#10-3.大司教の弟子
大陸南西部・聖地エルフィルシアにて。
大聖堂の一室、豪奢なベッドが置かれた私室で、組織の要たるデフ大司教が横たわっていた。
エルフィルシアが奇襲を受けた際にはヴァンパイア軍相手に獅子奮迅の働きを見せたデフであったが、エリーシャ誘拐を企て、その際に現れた謎の侍女風の女によって手痛い負傷を被ってしまっていた。
その傷が、未だに癒えない。彼は、猛者ではあっても所詮人の括りから逸脱出来ている訳ではなく、歳相応にその回復力は遅くなっていた。
「失礼しますわ」
コンコンコン、と、控えめにドアがノックされ、部屋の主が返答するまでもなく、金縁のドアが開けられる。
「『エルフィルシア聖女隊』のロザリーですわ。大司教様、ご加減はいかがでしょうか?」
許しもなく部屋に入ってきたのは、デフのよく知る娘であった。
齢十七か十八かの、キリリとした表情。
美しい金髪をヴェールで隠し、その身も修道服で慎ましく覆い隠す。
「ロザリーか。全く、返答するまで待てんのかお前は……」
呆れたようにため息をつきながら、デフはのっさりと身体を起こし、その修道服へと視線を向ける。
聖地にて女神に尽くすことを許された聖女にのみ与えられる真紅の修道服。
これは同時に、デフの直属にある諸島部制圧部隊『レコンキスタ・ドール』の所属である事も示す。
真紅の修道服は、戦意高揚の為に、そして、その身を血で染め上げても構わぬように。
何より、紅という色がもっとも女性の闘争に似合うからという理由で決められた配色であった。
「あら、ご用事だから呼びつけられたのだとばかり思いましたが。お急ぎでもなんでもない瑣末なものでしたら、その辺りのシスターにでも申し付ければ良かったのでは?」
悪びれもせず、ヴェールに隠れた金髪をわざわざ手であおりながら、ロザリーは笑った。
「大恩ある我が師・デフ大司教様のお呼びとの事で、私、大急ぎでリダの戦線からエルフィルシアに戻ったのですよ? てっきり遺言でも伝えるつもりなのかと思ってしまいましたわ」
皮肉げに口元をゆがめる弟子に、デフは苦笑してしまう。
「馬鹿を言え。私はこんなところで死ぬものか。今回お前を呼びつけたのは、大事な用事があるからだ。他でもないお前位にしか任せられん事だ」
「でしたら、それを早く説明してくださいまし。戦線は安定致しましたが、長く離れていると不安になってしまいますもの」
あくまで自分のペースで話そうとするデフに、ロザリーはぶちぶちと急かす。
容赦のない弟子に、デフはわずかばかり唖然としてしまっていた。
「……まあいい。話というのは他でもない。お前に、中央部周辺の調査を行ってもらいたいのだ」
「隠密行動ですか?」
「方法は任せる。女神の許す限り、あらゆる手を使って調査して欲しい」
「なるほど」
女神の許す限り。つまり、何をやっても構わない、という事だとロザリーは解釈した。
自らが敬うべき女神など、この世には居っこないのだから。
「特に私が知りたいのは、皇太后エリーシャの動向、それから、大帝国周辺の魔王軍の動きだ」
「確かに、中央部の魔王軍の動きは妙なものを感じますわね。今なら大帝国なり、他の中央諸国なり、総攻撃で陥落させる事も不可能ではないでしょうに、それをやらないんですもの」
ずっとにらみ合ってばかりですものね、と、ロザリーも同意する。
「そういう事だ。そして、私が誘拐しそこなったエリーシャの存在も気になる。この間の一件が帝都にばれている、と考えるには、それにしては帝都の動きは曖昧というか、緩慢だからな」
「ラムクーヘンとの繋がりを続けたまま、というのは違和感がありますわ。エリーシャは、まだ帰国していない可能性が?」
「十分に有り得る。それも探ってきて欲しい。できれば、エリーシャ自身の居場所もな」
「やれやれ。アブノーマルな師を持つと弟子が苦労しますわぁ」
大仰に手を振り首を振りながら、ロザリーは苦笑する。
この師は、聖職者としては俗物過ぎる。自分に素直すぎるのだ。だからこそ、奔放なロザリーにとっても都合が良いのだが。
「気をつけたまえよ。場合によっては、中央は魔族と手を結んでいる可能性もある。違ったとしても、魔族側の間者がうろついている可能性は十分にあるからな」
あまり心配した様子もないが、デフは忠告とばかりにざらりとロザリーを見つめ、指差した。
「君は性格的にも色々と目立ちすぎる。やり方は任せるとは言ったが、やり過ぎて悪目立ちしないようにな」
「もちろんですわ」
それは真面目な忠告であったが、ロザリーはさほど気にもせず、眼を瞑りながら適当に答えた。
「当然だが、君は聖女だ。聖女として恥ずかしくない格好で頼むよ」
「当たり前です」
うざったい、とばかりに投げやりに答える。
「きちんとお祈りは一日に三回するんだぞ。女神に対して愛を尽くせ」
「……」
そして面倒くさくなって黙りこくっていた。
「何故黙る」
「大司教様。まるでピクニックに行く子供たちに言うような事、一々言わないでいただけませんこと? 私、これでも今年で十八なんですけど」
ため息ながらにちらりと右目を開き、師に対し不満を告げる。
「親心という奴だ。気にするな」
「気にしますわ。私、出た孤児院は大司教様とは縁もゆかりもないシャリステラ修学院でしたし、修道女として誓いを立てたのもこの聖地ではなくリダのレイクリバー聖堂でしたもの」
「だが、君は私の弟子だ。数いる中でも最も優秀で、頼れる片腕と言ってもさしつかえない」
「だからこそですわ。弟子だからといつまでも子ども扱いしないでくださいまし。正直、その、なんというか、気持ち悪いですわ」
「……うわ、傷つくなそれ」
普段飄々とした中年男は、愛弟子の一言にぐさりと傷つけられていた。一応、そういう心は持ち合わせていたらしい。
「私も今や一つの隊を任されている部隊長ですわ。聖女としての立場もございます。あまり子供のように心配されると、息苦しく感じてしまいますのよ?」
「分かった分かった。とにかく、そんな訳だからなロザリー。上手くやってくれたまえ」
これ以上ひどいことを言われるのは嫌だとばかりに、デフは手を振り「もう帰れ」と促す。
「――もう。呼びつけるだけ呼びつけて、お茶の一杯も出さずに帰れだなんて。これだから大司教様は――」
あまりに自分勝手な扱いに、プライドが高いらしいロザリーは頬を膨らませ、プリプリと愚痴りながら去っていった。
去り際、わざとドアを乱暴に閉めるのも忘れず。
「……やれやれ。あのがさつなところがなければ、もう少し扱い方というのもあるんだがなあ」
デフ視点でのロザリーは、美しく育った有能な弟子、ではあったが、その性格に難がありすぎるのが困った点であった。
何も喋らなければ文句なしに可愛いのだが、口の悪さ、性格の悪さ、気の強さ、プライドの高さ等、内面に多くの問題を抱えているのだ。
「まあ、いいか。アレなら上手くやるだろう」
だが、その優秀さに関しては、デフは何一つ疑問を感じていなかった。
ロザリーは、数居る紅服の聖女の中で、最も奇跡の扱いに長けた徳の高い聖女である。
治癒だけでなく、魔滅や除霊、聖域指定などの対魔族戦闘においてとても重要な奇跡をも扱う事のできる器用さは、聖女隊の中でもそうそうお目にかかれない。
そうかと言って非力な後方支援かといえばそんな事はなく、メイスやフレイルを手に、最前線で魔物や魔族と殴りあいができる程の武威を持ち合わせている。
デフの教育の賜物で、戦争に関して何の疑問も持っていないし、むしろ戦争万歳、殺し合い万歳なバーサーカー気質な所も心強い。
他の地域で言うところの国勇者と対等かそれ以上に渡り合えるであろう優秀な人材であった。
だからこそ、デフは全幅の信頼を以って、この面倒くさそうな長期任務を任せたのだ。
「ふう、ようやく暑さが薄れてきましたわ」
ヴェールを解き、長い金髪が風に揺れるままになる。
聖女としてはだらしがない、徳を感じさせない格好であったが、ロザリーは気にもせず。
心地よいその風を、眼を瞑りながら静かに身で受けていた。
やがて、風が止むと、閉じていた眼を開き、歩き出す。
(大司教様は、次の戦争を望んでおられる。今回の調査は、その為の第一段階――)
そのまま、ロザリーは思考をめぐらせた。
師より言いつけられた課題の、その本質、本来の目的を考えていた。
(エリーシャは恐らく、帝都に戻っていない。大司教様が返り討ちにあった後、恐らくそこから離れ、どこかの街か村で傷を癒しているはず。まあ、こちらは帝都に戻っていないことを確認したらそれでOKとしましょうか)
見通しの立たない目的は早々に切り捨てる事にしていた。彼女は基本、こういった事にはおおざっぱである。
(第一目標は、帝都周辺の魔族の動向。これを探る事。同時に、帝都内部の魔王軍の間者の排除、と言った所かしら?)
また、風が吹く。ロザリーは立ち止まった。
「……今年は風が強いのかしら? エリーシャは、とても綺麗な亜麻色の髪をしていたと聞いたけれど……こんな日はどうしているのかしら、ね」
さらさらと風にたなびいていく髪を、わずかばかり鬱陶しく感じながら。
ロザリーは解いたヴェールを再び纏い、風の中、歩いていった。