#9-3.アンナとエリー
旧バルトハイム帝国、その終末期の時代。
丁度、魔王マジック・マスターが世に現れる百年から二百年ほど前、バルトハイム帝国は、対魔族襲撃の防衛用に、自国の戦力の大増強を図っている。
具体的には、それまで主力だった騎兵のほかに、『レギオン』という、集団戦特化の重装歩兵を主眼に置いた部隊編成を考案し、これを実行した。
帝都デルタには広大な長城を築き、これにより強大な対ドラゴン防衛ラインを構築しようと試みている。
また、帝都をはじめ多くの主要都市の近隣に監視塔を備え、これによりドラゴンの飛来を察知、都市への早期警戒を可能にしていた。
対魔族戦争の、その時代における人類圏最大の拠点であったデルタは、この万全の備えにより、時の魔王エアロ・マスターすら挑もうとしないと専らの評判であった。
この時代は、まだ現代ほど職業としての勇者というものが確立されておらず、戦線の指揮は多くの場合、その国の将軍や王族、時には王自らが執るのが普通であった。
バルトハイムも多分に漏れず、デルタを中心に圧倒的な戦力を誇る『デルタ騎士団』がこの役に納まり、騎士団長ダルクが将軍として戦争の指揮を執っていた。
ダルク=レプレキア。それが彼の名前である。
レプレキア家は、ダルクの三代前の時代に皇室の目に留まり、その働きの素晴らしさから将軍職に就くことを許された軍事の名門である。
ダルクもその家名に恥じず、将軍としては極めて実直に、そして堅実に実績を挙げ、皇室からの覚えも大変よろしいものとなっていた。
同時にダルクは剣豪将軍としても知られ、帝都で催された剣術大会においては例年首位ないし上位入賞し、己が腕に自信ありの剣士たちにとっては越えねばならぬ壁となって立ちはだかっていた。
そんな彼であるが、魔族との戦闘の最中、突如飛来してきた赤い帽子の魔女による破壊魔法に曝され戦死したと記録されている。
強力な魔法の遣い手であるその魔女は、ダルクめがけて光速の魔法を放ち、これによりダルクは成す術もなく倒れたのだという。
彼の死によってバルトハイム軍部は若干の混乱をきたし、これがデルタに魔王の襲来を許す元凶となってしまった。
話は変わるが、ダルクには、娘が二人いた。
一人はアンナロッテ=レプレキカ。ダルクと先立った妻・レイテとの間に儲けられた娘である。
父親同様剣においては優れた才能を発揮し、並の軍人では相手にならぬほどの冴えを見せたという。
公には、『アンナ』と呼ばれていたらしい。
もう一人はエルフィリース=レプレキカ。こちらはアンナロッテと違い、養女であると言われている。
今の時代においては誰もが知っている英雄・エルフィリースその人である。
こちらは姉や友人から『エリー』と呼ばれ、親しまれていた。
エルフィリースが、正確にはいつ頃レプレキア家の養子になったのかは定かではない。
一説には任務の際に魔物の群れに滅ぼされた廃村にダルクが立ち寄り、これを戦災孤児として一人生きさせるのは酷だと感じ、娘として育てる事にしたと言われている。
また別の説では、やはりこれも任務中、賊に襲われた恋人たちを助けたものの時既に遅く、生き延びたのが彼女だけだった為保護し、そのまま養女とした、と主張する学者もいる。
ダルクがレイテ以外の女に産ませた娘であると主張した者もいたが、これはダルクの人柄からしてありえないのでは、と否定されている。
いずれにしても、エルフィリースという娘はレプレキア家にとって、あまり表ざたにしたくない、目立たせたくない存在だったらしいのは確かである。
それは、その名が公に広まるまでの間、世間としては全くの無名だった事からも窺える。
レプレキアの名は、デルタにおいては知らぬ者はいないほどに高名を馳せたものであり、長女アンナロッテも、街では誰もが知っている存在であった。
当然、次女エルフィリースもそれと知られているのが当たり前なのだが、なぜかこのエルフィリースは、当時において成人の扱いを受ける十五の誕生日を迎えるまで、近隣や知人らにもその存在を知られることはなかったのだ。
最終的に彼女がダルクの養女である事は周知の事実となっていたらしいが、彼女が社交界にデビューしてからというもの、さまざまな分野で技術の発展や歴史的な大発見が起きており、この頃から後の大賢者としての片鱗を周囲に見せ始めていたと言われている。
剣技に優れたアンナロッテと違い、エルフィリースは広い見聞と誰もが知らないような知識を知りえるだけの深遠な知性を持ち合わせており、これにより世間に知られていったのだ。
最も、美しかったこの姉妹は、そのような分野抜きにしても、当時の男子にとって理想的な恋の相手として人気になっていたようだが。
エルフィリースは、生涯において独身を通し、そのまま死去したと言われている。
対してアンナロッテは二十歳になる辺りで娘を儲けたらしく、相手は不明ながらも、父の戦死、妹の突然の死を乗り越え、女手一つで娘を育て上げたらしいのだが。
アンナロッテが一体誰とそのような関係になったのか、いつ頃子を産んだのか、という疑問については、未だに解決されていない。
何せ、娘が産まれる直前までアンナロッテはそんな予兆を一切周囲に感じさせなかったし、そもそもそのような相手の候補もない。
それこそ暴漢に襲われでもして望まない子供を生む羽目になったのでは、あるいは父ダルクと禁断の関係に堕ちていたのでは、という荒唐無稽な想像論まで持ち上がる始末で、これといって確定できるような記録が何処にも残っていないのだ。
なので、アンナロッテがいつごろ子供を儲けたのか、これに関しては不明のまま、と記させていただく。
何より、その当時の記録というのは、直後に発生したエアロ・マスターによるデルタ襲撃によってほとんどが灰燼と帰してしまっていた。
現在残っているわずかな資料も、後の世の学者らが調査の末に記したものがほとんどで、その時代、その時をダイレクトに伝え残す類の文献はあまりにも少ない。
ただ、その早世とは裏腹に歴史に名の残ったエルフィリースと違い、アンナロッテは歴史の闇に埋もれ、現代においてはほとんどの者が知りえぬ存在となっている。
アンナロッテが産み、育てた娘も同様で、レプレキア、あるいはレプレキカ(これは男性名か女性名かで変わる)の名は後の世においては存在しないものとなっている。
その家系が今どうなっているのかは定かではなく、だが、仮に現存していたとしたならば、あるいは高名な剣の遣い手として名を馳せているのかもしれない。
レプレキア家の初代から続く歴史の中に『心剣・レプレキア』というものがある。
これは、レプレキア家の当主が代々受け継ぐべき剣術の秘伝・奥義であるとされ、門外不出の為その家の者にしか伝えられていない。
アンナロッテも継承者だったとされ、その絶大な威力を誇ったであろう剣撃は、もしかしたら後の世にも残されているのかもしれない。
願わくば、この秘伝の剣が、後の世に、そして、人類の為に活用されているであろう事を。
旧バルトハイム帝国の歴史書。これはその一部である。
軍事の中の数ページ、『ダルク将軍』の項目であった。
流れるように読み進めていた魔王は、それを二度、三度と読み返し、やがて項目を指でなぞると、ほう、と息をつき、本を閉じた。
「そういう事だったか。ずっとひっかかっていたんだ」
ひとしきり息を吐き終わり、誰に言うでもなく語りだす。
「やはり、エリーシャさんは、彼女の――」
そう、彼女の子孫だったのだ。
なんとも皮肉な話で、どうしたものかと、魔王は途方にくれてしまった。
「……陛下?」
しばしぼーっとしていた魔王に、心配げにリルニークが声をかけた。
「君、この本の内容は?」
「もちろん、全て頭に入っておりますが」
気を取り直して顔を上げた魔王に、リルニークは小さく自分の頭を指差し、微笑む。
「君の意見を聞きたい。アンナロッテは、一体いつごろ、娘を産んだのだと思う?」
「私は人間の事にはそれほど詳しくございませんが、書物を参考に考えた限りですと、人間の女性が何の前触れも無しに子供を産む、というのはありえない話なのではないかと思われます」
魔王の問いに、やや真剣そうな顔つきになるリルニーク。
その思考はとてもすばやく、すぐに答えを引き出しているらしかった。
「つまり?」
「アンナロッテは子供を産んでいない。あるいは、産んだ時期そのものを隠す必要があった、と推測できますわ」
ぴたり、ピースが当てはまる。魔王は笑った。ぱちりと指を鳴らしてみたりもする。
「その通りだ。可能性として考えられる理由として、私はエルフィリースの死、あるいは投獄を考えている」
「確かに。私の知る限り、人間の賢者・エルフィリースは、人間の手によって幽閉され、それが元で死去した可能性がございます」
エルフィリースは、同胞であるはずの人間、教会組織の手の者によって捕らえられた。
それは、歴史の裏に隠された一つの真実であり、歴史を調べつくした者ならばだれもがそこに行き着くであろう、容易に想像の及ぶ事柄であった。
「では、その幽閉された時期はいつ頃か?」
「教会の書物と教会外の書物、双方の歴史の齟齬を見る限り、アンナロッテが子供を産んだとされる時期の丁度半年ほど以前になるかと」
「私もそう思っている。やったぞ二人とも。ことは推理小説のようだが、読んでいた甲斐があった、現実にも活かせそうだ」
魔王は楽しげに笑っていた。悪戯げに口元をゆがませ、汚れのない歯を見せながら。
「エルフィリースは、自分が教会の手の者に狙われている事に気付いていた」
静寂の支配する図書館。魔王は、演説するように立ち上がり、一人、語り始める。
「それは、恐らく教会嫌いな彼女の事、本能のように覚ったのだろう。だから、自分の身に危険が及ぶ前に、大切な者――自分の娘を逃がそうとした」
「逃がした先は、アンナロッテの元、という事ですか?」
「解らん。あるいは、既にアンナロッテは娘を預かり、エルフィリースの危機の際には遠く離れた地に移っていたのかも知れん。何せ、エルフィリースが捕らえられ、拷問にかけられた辺りで、デルタはエアロ・マスターの襲撃を受けているからな……」
そして、その当時の光景を魔王は、そしてアリスは目にしている。
崩れ去った世界。壊れた外壁。かつて人だったモノの残骸。
「魂が、沢山漂っていましたわ。たくさんの人が死んだんでしょうね」
思い出すように目を瞑りながら、アリスは呟く。
「ああ。そして、その残骸の中から、私は『彼女』を見つけた。とはいえ、まさか娘持ちだったとは思いもしなかったが」
「エルフィリースは、死んだはずではなかったのですか?」
「死んださ。歴史の上では、そして、人間としての彼女はね」
事情を知りえないリルニークは、二人の様子に目を白黒させていた。
「まあ、気にしなくて良い。よし、とりあえずここで調べたいものはもう調べ終わった。そろそろ次に行くか」
変に探られるのも旨くないので、魔王は適当なところで会話を打ち切り、その場を退散する事にした。
「かこしまりました。陛下、どうぞよき日々を」
「うむ。世話になった。もしかしたらまた来るかも知れん。ここの図書館は色々と置いてあって楽しいからな」
「はい。その折には是非とも。心よりお待ちしておりますわ」
礼儀正しくぺこりと頭を下げるリルニークに、魔王は笑いかけながら手を挙げる。
「ではな。アリスちゃん?」
「既に準備はできておりますわ」
いつの間に支度を終えたのか、アリスの足元は淡い光に包まれていた。
「さすがアリスちゃんだ。やってくれ」
「はい。『シナモン村近郊へ――』」
魔王の合図と共に、アリスは胸に手を当て、詠うように呟く。
それはキーワードとなり、足元の光が魔法陣へと変わり、そして――
まばゆい光を放ち、魔王とアリスは、次の目的地へと飛んでいった。