#9-1.偽魔王
陽射しもうららかな日のことであった。
魔王城首脳陣は、会談の準備と同時進行で、模擬会議という名目で旧ショコラ要人らを招いていた。
妖精族の城砦で一晩、馬車旅の疲れを癒させ、今日、魔王城への魔法陣を使い全員を移動させた。
魔王城側の人員に万一があっては、という事で、城内は平時と比べものものしく、常駐の兵のほかに緊急で集められた四天王直轄の兵らが臨時要員として城内警備にあたっていた。
「こ、これが魔王城……」
敵だった者達の本拠地である荘厳な巨城を前に、ミーシャをはじめ、多くの者が緊張に喉を鳴らしていた。
見た事もないような素材でできたいかにも堅牢そうな門。
遠くに見える本城には門前からでも見えるほどに雄大な紅の魔王軍旗。
城の横に見える、天を突かんばかりにそびえる巨塔。
これは何のためにあるのだろうか。監視塔か何かなのだろうか、などと、宰相らがざわめく。
ミーシャたちをまず最初に出迎えたのは、鋭利な鋼の槍を持った巨大な蛙の魔物兵達。
ぎろりとした、両生類特有の感情を読めない眼がミーシャらを容赦なく睨み付ける。
近づきこそしないものの、ぐろろ、と、声にならぬ声を上げ、威嚇しているようにも見えた。
「……」
魔物兵の集団に怯えながらも、とりあえず歩き出そうとした一団。しかし、宮廷魔術師長は、一人動けずにいた。
「ちょっと、どうしたのよ?」
何事? と、気になったミーシャがその顔を覗き込む。美しい横顔は、蒼白であった。
ある意味この中では一番魔物だの魔族だのに詳しいであろう彼女のこの様子に、ミーシャも釣られて不安に駆られてしまう。
「魔術師長、もしやこの蛙の魔物たちは、とんでもない化け物なのか?」
宰相らもそのただならぬ様子に気付いたのか、心配そうにその顔を見る。
「いえ……なんでも。ただ、ちょっと――」
「ちょっと?」
「私、子供の頃から蛙って苦手で……」
これには一堂苦笑いであった。
「紛らわしいわよ!!」
耐え切れず、ミーシャが突っ込みを入れたのは仕方のないことであった。
まあ、この一件のおかげで若干、一堂の緊張が薄れたのも事実なのだが。
一団がこんな馬鹿らしいやりとりをしている丁度その時、謁見の間では、魔王と、巨大なヤギ頭の大悪魔が対峙していた。
玉座にて偉そうにふんぞり返る魔王に対し、そのヤギ頭を床にこすりつけるは悪魔族の統領・悪魔王ガードナー。
「こ、この度は……わ、私の愚かな過ちにより、魔王陛下に、その……ご迷惑を――」
「ああ、ものすごい迷惑だったぞ。勝手に解決したようだがな」
ちらり、大幕の影に隠れている影に視線を向けながら、魔王はこのヤギ頭を壮大に皮肉った。
「本来ならお前、反逆の罪で一族郎党皆殺しにしてやるところだ。私はそれ位に怒っている。ラミアや黒竜姫と違って、お前の代わりはいくらでもいるからな」
「ひぃっ!!」
この悪魔王の発言が発端で起きた各地方の反乱・抗議活動の動きは、魔王の無策無行動というありえない選択によって謎の解決を迎える事が出来た。
だが、面倒ごとを避けようとしていた魔王の意図に反して面倒ごとを増やしてくれたこの部下に、魔王は珍しく、怒りを見せていた。
その不機嫌たるや、先代魔王を彷彿とさせるものがあり、悪魔王は完全に萎縮してしまっていた。
「だが、お前を処刑されると困る者がいるらしく、私に嘆願してきたのだ。仕方ないから、私は皆殺しはやめてやることにした」
ありがたく思えよ、と、尊大に笑ってみせる。実に堂の入った悪党面であった。
「え……ほ、本当ですか?」
「なんだその嬉しそうな顔は。別に皆殺しにしないだけで、処刑しないとは言ってないぞ?」
勝手に勘違いして顔を上げた悪魔王に対し、魔王はあえて意地悪な言葉をぶつける。
人のよさそうな顔をしているが、魔王は本質的にはどSである。
この悪魔王のような相手にはつい意地悪をしてしまう人であった。
「ひぃっ!!」
しかし、悪魔王はその言葉を到底冗談とは受け取れず、再び床に頭をこすり付ける。がすがすと。
「そうだなあ、どんな処刑にしてやろうか。縛り付けてクルーエル草の群生地に放り込むか?」
「し、死にますっ!! 死んでしまいますっ!!」
クルーエル草とは、魔界によく生えている植物である。
暗闇に育ち、ぽうっと光る為にぱっと見は美しい白い花に見えなくもないのだが、そこは魔界の植物である。
狂った生態系の中生き抜く為の知恵として、鋭利なツルを生物の身体に直接巻きつけたり突き刺したりして、その体液や肉を溶かす事で養分を吸い取る凶悪な性質を持っている。
力そのものは大した事がないため簡単に引き剥がせるのだが、うっかり群生地に足を踏み入れたなら、強靭な肉体を持つ竜族ですら脱出するのは難しい。
即死する事はないとはいえ徐々に生命力を奪われる為、古来より拷問や処刑方法として存在していたが、先代の時代に「エグすぎる」という理由で廃止された。
「では魔宝石の採掘地に千年位幽閉しておくか?」
「そ、それは場合によっては、死ぬよりも……」
魔界の宝石や鉱物は、独特の毒素や呪いの類、あるいは無機物でありながら知性を持ち合わせている為、非常に危険である。
その採掘はまさに命がけで、対策をわずかでも誤ったり怠ったりすれば、もれなく関わった者全員が狂い死んだり体を乗っ取られたりしてしまう。
そのため、採掘作業には必ず、その対策法に精通した錬金術士が立ち会うのだが、錬金術が発展するまでの間は罪人や決闘の末敗北した一族が対策もなしに放り込まれる事も多々あった。
そのリスクに見合っただけの絶大な効果を誇るマジックアイテムやアーティファクトを生産する事ができる為、どれだけ事故が発生しようと採掘事業が途絶える事はないのだが。
まあ、そんなところに放り込まれれば、悪魔王とてただではすまないのは分かっていた。
分かっていたので、魔王的にはここまでは冗談である。その反応を見て楽しむだけであった。
何より、悪魔王を処刑しないで欲しいと願った『彼女』の意に反する。
幕の向こう側に立っているその本人は、何やらむっとした様子でこちらを見ていたようだが。
魔王はそんなの気にもせず、ぱちん、と指を鳴らす。
「ならアレだ……お前、私の代わりにちょっと魔王になってくれ」
「……はっ?」
魔王の突拍子もない発言に、悪魔王はまた顔をあげ、眼をぱちくりさせていた。
「だから、私の代わりに、しばらくの間魔王になれ。替え玉という奴だな」
「あ、ああ……か、替え玉でしたか。はは、さすが魔王陛下、驚かせてくださいますなあ」
だらだらと流していた汗をなんとかハンカチでふき取りながら、悪魔王は頬を引きつらせていた、ように魔王からは見えた。
「今日の昼から、一週間ほどかけて、城に招いた人間達を使って模擬会談を行う。お前には、私の代わりに魔王として列席してもらう」
特に悪魔王の反応には期待もせず、感情もなしに淡々と告げる。
「どうも、私は人間視点ではあまり良いイメージではないらしいからな。今の私が会談に臨んでも舐められてしまうかもしれん。その点、お前は顔だけは迫力があるからな。無駄にでかいし」
ラミアと違い、長さではなく純粋にがたいが大きい悪魔王は、魔王の数倍の身長を誇る。
見た目から来る迫力はラミア以上で、これはもう親玉か何かと勘違いされる事請け合いである。つまり、うってつけなのだ。
「私ならば、立派に魔王の役を演じられると、そうお思いで?」
「他にできそうな者が居らん。ラミアや黒竜姫は女だから私の代わりはできんし、吸血王は面倒くさがりだからなあ」
魔王としてみれば、都合よく代わりになりそうな悪魔王が登城してきてくれたのはありがたくもあったのだ。
悪魔王に対して怒ってはいたが、きてくれたのなら利用してやろうとも考えていた。そしてこうなった。
「見事役目を果たせ。上手くいけば許してやる。だが、もし私のイメージに傷をつけるような真似をすれば……」
イメージはとても大切だった。魔王は案外、体面を大切にする人であった。
「お、お任せください!! 必ずや陛下のご期待に沿うように――」
「うむ。ならそうしてくれ。私はしばらく城を離れる。どのように演じて欲しいかはラミアやアルルに言いつけてあるから、その辺り参考にしつつ上手く考えてやってくれたまえ」
ごつん、と床に頭をたたきつけるように礼をとる悪魔王に、魔王は苦笑しながら立ち上がり、肩に手をぽん、と置いてから立ち去っていった。
「……」
そうして、場には巨躯のヤギ頭と、彼女だけが残された。
魔王が立ち去ったのを見届け、大幕の裏からこつ、こつ、と小さな足音。
「……アルルではないか」
顔を上げたヤギ頭の前には、娘であるアルルが立っていた。
「父上。無事に役目を果たしてください。これ以上は、決して陛下の機嫌を損ねないように」
その視線は、どこか厳しいような、それでいて安堵したような、優しさも感じさせていた。
「……すまぬ。迷惑を掛けた」
無念であると、娘に対し、頭を垂れる。
「いいのです。父上が何を考え、ああしたのかは……私には、一応理解できますから」
アルルにしてみれば、これは身内によってさらされた恥であった。
他ならぬ父親が反乱の発端となるなど、魔王の側近としてあってはならないこと。
冗談でもなんでもなく、この父は、失脚どころか、本当に一族皆殺しにされてもおかしくないほどの事をしたのだから。
先代の時代ならば、間違いなくそれは実行され、大悪魔族という種族は魔界から消え去っていたはずだ。
だが、それはこの娘のおかげで免れていた。
必死の説得である。アルル自身の進退や命をも賭して魔王を説得したのだ。
もっとも、今代の魔王はアルルに対しては、他の側近に対してより大甘だったので、処刑などほとんどなしに許してもらえることになったのだが。
なので、今回のはただの罰ゲームみたいなものである。
それでも、この二人にとっては大切な、与えられた役目であった。
「アルルよ……しばし見かけぬうちに、随分と大人になったものだなあ……」
ヤギ頭の中からのくぐもった声。
いつの間にか立派に魔王の側近としての役目を果たしている娘に、ヤギ頭はしみじみとした様子で呟いていた。
「少し前まで、小さな子供のように感じていたのに」
「その割にはやたら部下の男性やらなにやら押し付けようとしてましたけどね」
あれは本当に鬱陶しかったわ、と、じと目で父親を見下ろす娘であった。
「いや、あれはその……『是非アルル様を』とあいつらが言うからだな……」
「……ロリコンどもめ。全く、これだから若い男というのは」
父親の情けない発言に、アルルは深いため息をついてしまう。
(やはり男性は、ある程度経験を積んだ方に限るわ。そんなのまず滅多にいないでしょうけど)
言葉には出さずに、だが、歳若い異性に対しての侮蔑が、アルルに生まれつつあった。
その後の模擬会談。
そのような意図で呼ばれたのだとようやく登城の理由と自分たちの役目を教えられた旧ショコラ要人らは、処刑はないと知りつかの間の生に歓喜したのだが。
集められた会場にやたら気合の入りまくったヤギ頭の巨大な魔王が現れ、しばし会場は絶叫と絶望が支配するカオスティックな世界へと変貌した。