#8-2.意地っ張りなミーシャ
「なんか、なんなのこれ……」
魔界、妖精族の城砦にて。
結局、紳士と別れた後、案内役に引きずられ食卓の間に連れて行かれたミーシャであったが、これが意外なほど普通で拍子抜けしてしまっていた。
場には、自分と一緒に城砦に連れてこられた旧ショコラの要人達が集まっており、ミーシャの到着まで待つことなく既に食事を始めている者もいる。
「あらミーシャ様じゃない、何ぼけーっとしてるの? 早く座ったら?」
これから食べ始めようとしていたらしい宮廷魔術師長がミーシャを見つけ、声をかける。
「ああ、うん、そうね……」
毒見もなしに警戒せずむしゃむしゃと食べまくっている宰相らを見てどうでもよくなってしまったというか、怖がっていた自分が馬鹿らしくなってしまっていた。
結局、そのまま魔術師長の隣の席に着き、出されたスープを口にする。
「……むう」
ものすごく美味しかった。
捕虜になった後に自分の侍女が作ったスープより数段上。超一流の味付けであった。
思わず顔を綻ばせそうになっている自分に気付き、ミーシャは考え込んでしまう。
「何難しい顔してんのよ?」
上品にスープを口にしながら、隣に座る魔術師長は小さく尋ねてくる。
「なんか、こんな、敵に出された食事を美味しく感じてしまう自分に疑問が……『こんなのでいいのか』っていう気がしてしまうのよ」
「くだらない感傷ね。私達はもう負けたんだから、負け犬らしく出されたモノを美味しい美味しいって食べてればいいのよ。宰相をみなさい、威厳も尊厳もかなぐり捨てて今を謳歌してるわよ?」
魔術師長の言うとおり、正面に座る宰相を見る。実に臆面もなく、出された食事をがつがつと食べていた。おかわりも辞さない。まさにバカ犬である。
「うわあ」
思わず声に出してしまう。全力で引いていた。
「ああなれとは言わないけどね。流石にあれはみっともないし。だけどまあ、捕虜になった私達に何が出来るのって言われたら、もう食べたり寝たりお風呂入ったりトイレいく位でしょ? 変な見栄張らずに、美味しいものは美味しいと思ってもいいと思うけどね」
疲れるでしょ? と、笑いかける。どこか憑き物が落ちたような、明るい笑顔であった。
「……貴方もそんな風に笑えるのね。もっと陰湿な年増かと思ったわ」
ミーシャ視点では、この女は自分の父をその色香で破滅の道へと誘った傾城の悪女であった。
だが、今の彼女からはそんな嫌らしさは微塵も感じられず、むしろ好感すら感じてしまいそうな自分がいて、ミーシャは悩んでしまう。
「私だって貴方みたいに乙女だった時期はあったのよ? 別に最初からやさぐれてた訳じゃないし、相応に夢だって見てたわ」
「夢?」
「好きな人と一緒になって、幸せに暮らしたいっていうささやかな夢よ。ま、相手が悪かったって言うか、初めから叶わない恋だったけどねー」
ミーシャの皮肉等なんでもないとでもいわんばかりに、魔術師長はおどけてみせる。
「だから、あんたから見た私がどれだけ悪党だったとしても、あんたは自分が同じようにならない保証はない訳よ。気をつけなさい。自分では分かってても、そっちに流れると戻れなくなるから」
そうなると辛いから、と、妙に優しく、慈愛のこもった目で。
「やめて! 私、貴方にそんな人生の先輩みたいな事言われたくない!!」
思わず素直に頷いてしまいそうになっていたミーシャは、首をぶんぶんと振り、それを必死に拒絶する。
こんな相手、認めたくなかった。ただその一心で。
「ま、いいけどね」
そんな、まだ子供っぽさの抜け切れない様子を見て、魔術師長は大人の余裕を見せながら、またスープを一掬い。
「んー、美味しい♪」
歳の割りに瑞々しい唇にあて、流し込み、その美味に酔いしれていた。
「……はん」
バカみたい、と、反発しながらも、ミーシャも同じようにスプーンで掬い取り、口にする。
(やっぱり、納得いかないわ)
美味しかった。こんな美味しいモノを、魔族が作り出せる。
そして、人間である自分がそれを口にして舌鼓を打ちそうになる。
それが、どうしても許せなかった。人間の姫としてのプライドが、それだけは許容ではなかったのだ。
そうして、食事は進んでいく。スープから肉料理へ、そして口直しのグラニテ、魚料理。
いずれも絶品ばかり、それでいてその場の誰もが食べた事のないものが多く、魔界の調理技術とはこれほど卓越しているのかと、その場の誰もが驚かされていた。
最後のデザートまでは。
「しかし、このデザートだけがドーナツと紅茶というのが、なんというか、不思議な組み合わせですなあ」
「全く以って。ここまで豪華な食事に見えましたが、何故締めがドーナツなんでしょうなあ?」
皆がみんな、この謎過ぎる組み合わせに首をかしげていた。
「魔界にきてまでドーナツを食べられるなんて夢にも思わなかったけど。でも、本当になんでなのかしらねえ?」
「そんなの知らないわよ……」
魔術師長も話題に乗っかってミーシャに聞いてくる。
そんなのはミーシャが知るわけもないのだが、とりあえず真面目に考えてしまう。
「案外、ドーナツが好きな魔族でもいるんじゃないの?」
「魔族がドーナツ食べるの? 何それ面白いジョークね」
からからと笑い飛ばされてしまう。ミーシャは虚しくなった。
「――っちゅん!!」
所変わって玉座の間では、魔王と謁見していたラミアが突然くしゃみをし、唾がもろに魔王の顔にかかっていた。
玉座としては珍しく傍に控えていたアリスが魔王の頬をハンカチーフで拭き拭きすると、魔王は「こほん」とわざとらしく堰をついた。
「風邪かね? マスクでもつけたらどうか」
表情を変えるでもなくラミアを気遣う魔王に、ラミアは「申し訳ございません」と素直に謝罪した。
今代の魔王はこれで許す辺りとても寛大である。
「いえ、風邪ではなくて……おそらく何者かが噂でもしたのではないかと」
「噂なあ」
「何せ私は四天王筆頭、陛下の側近として、さまざまな策略をめぐらし軍を統率する参謀ですから」
人間からも魔族からも噂の的になること請け合いですわ、と、胸を張って笑う。それなりに大きかった。
「それはいいとして、話の続きだ。彼らの食事だが、指定どおりちゃんと彼らの口にあいそうなメニューにしてくれただろうね?」
現在妖精族の城砦にて振舞われているコースメニューの数々。
これらは、魔王がかつて人間世界に遊びに行った際に舌鼓を打ったメニューを、魔界にある材料でアレンジしたものばかりである。
「はい、それに関しては抜かりなく……デザートは私の趣味で決めましたが」
「趣味?」
「至高のデザート、ドーナツですわ!!」
最後の最後で今一締まらないデザートであった。
「コースメニューでドーナツって、君……」
通常、コースメニューといえばラストはケーキだとか焼き菓子だとかを用意するのが一般的で、魔界においても高貴な立場のものはそれに準じた食事が用意される。
確かにドーナツは焼き菓子と言えなくもないが、そういった場に出すにはやや大衆的過ぎるというか、違和感が強すぎやしないかと、魔王は唖然としてしまった。
「大丈夫です。ドーナツは無敵ですから」
「ああ、もういい。今更どうこう言ってももう彼らの口に入ってるだろうしな……」
魔王としては、彼らの故郷の食事と似たようなメニューを用意する事で、魔界とはいえ人間世界とそんなに違わない環境なのだと、彼らに安心してほしくて気遣いで考えたメニューだったのだが。
ラミアの全てをぶち壊しにする発想にため息をつきながら、過ぎてしまった事として流すことにした。
全てはラミアに任せた自分の間違いなのだから、と。