#7-2.希少属性:魔法
「……そうだわ、脱走しましょう」
今更のように名案を思いついたとばかりに、ミーシャはぱーっと笑う。
「ないわ」
「ないですね」
「ありえない」
しかし誰一人賛同してくれなかった。
「なんでそんな諦めちゃうのよ……特に宮廷魔術師長、あんた国でも相当な腕利きじゃなかった?」
ミーシャが記憶している限り、隣に座る彼女は一人の例外を除いては宮廷トップクラスの魔法の遣い手だったはずだ。
魔王軍による侵略の際も、割と最後の方まで抵抗して魔王軍を苦しめていたのをミーシャは知っている。
なんかこう「私の楽園ぶち壊しにしやがってーっ!!!」とか半狂乱になって叫んでたのも覚えているが。
通常、軍関係者は抵抗したらもれなく殺されるはずなのにこの女が何故生きてこの場にいるのかが謎ではあったが。
「無茶言わないでよ。私の魔法はとっくに封じられてる」
ローブの袖をまくり、両腕につけられた白銀の輪っかを見せながら、魔術師長は薄ら笑う。
「それ、アクセじゃなかったのね」
「こんなダサいの誰がつけるかって。あんた、もしかしてファッションセンスも微妙なの?」
「なっ、そんな訳ないでしょ!! 貴方にはお似合いだと思っただけよ!!」
ちょっとだけ素敵だなあと思った自分を隠しながら、ミーシャはそれっぽく嘘をついた。
「まあ、いいけどね。あんたが微妙な趣味でも今更驚かないし」
しかし隠せていなかった。ミーシャは悲しみにくれた。
「とにかく、この中で現状、魔族に対抗できそうな人間なんて一人もいないの。一人も。この辺り解かってる?」
「なら私が魔法で――」
「あんただって魔法封じられてない?」
「いや、全く?」
「え……?」
微妙な空気が馬車に漂う。全員がぽかんとしていた。
「封じられてないって、どういうこと?」
「どういうことって言われても……そんなの私が知りたい」
脅威でもなんでもないと思われていたのか、それとも、ショコラの王族が全員魔法の遣い手だというのを知られていなかったのか。
何にしても、これは好都合なのではないかと思ってしまう。
「つまり、私が暴れまわれば、馬車から逃げられるってことじゃない?」
「んー、まあ、馬車からは逃げられるだろうけど……」
魔術師長がちらりと窓の外を見る。
馬車の護衛人員の大半はゴブリン族。数もあまり多いとは言えない。
それでもこちらは人間、それも戦闘経験のない者が大半である。
向こうにとって最大の脅威であるはずの魔術師長は魔法を封じられている為、実質対抗できるのはミーシャ一人。
「あんた、実際どれ位の魔法なら使えるのよ? 一回きりじゃなくて連発できるレベルの奴」
「えーっと……炎系ならフレアボウとかバーストショット位かなあ。水系はアクアレイヴン、風系はウィンドクロウ、土系ならグランドスロウとか」
「……どれも初歩よりちょっとマシ位じゃない。しかしよくもまあ色んな属性の魔法使えるわねぇ」
呆れ半分、感心半分と言った様子で、魔術師長も複雑そうであった。
「浅く広く覚えるのが私に一番向いてるって師匠が言うから……」
ミーシャの口から出た『師匠』という単語に、魔術師長も納得がいく。
「ああ、まあ、あんたにはその教え方で正しい気がするわ。どうせあれでしょ、破壊魔法以外も色々覚えてるんでしょ、初歩よりちょっとマシなレベルの奴ばっかり」
「うん、まあ……時とか鏡の属性以外は全部覚えてる」
「……え。治癒とか闇とか空間とかも?」
ミーシャは全く意識してなかったが、魔術師長は違った。その異常性にいち早く気付いたのだ。
「だから、そうだって言ってるじゃない。悪かったわね、一つも中級までいけてなくて!!」
「いや、あんた気付いてないの? 気付いてないのね? ああ、これだから素人は困るというか……」
挙句大きなため息までつかれる。ミーシャは心底腹立たしくなった。馬鹿にされてるように感じたのだ。
「いや、馬鹿にしてる訳じゃなくてね。その、治癒とか闇とかって、人間にはかなり難易度の高い魔法なのよ。専門性が必要というか、多くの場合、その属性に特化した体質を持った人じゃないと初歩を扱う事すら困難な魔法なの」
「それなら、私はそれに向いてたってことでしょ?」
何を馬鹿なこと言ってるのこの人、と、ミーシャはむくれる。
「普通は、そういう高難易度魔法は複数属性を網羅できないものなの。あの勇者エリーシャですら、闇や空間の魔法は使えないはずよ」
「だから、私にとっては鏡や時が苦手な分野っていうことでしょ?」
何がおかしいの? と、本気で不思議そうに首をかしげるミーシャに、魔術師長は苦笑する。
「いやだから……時とか鏡なんて、習得方法すら疑われるレベルの超高難易度魔法な訳よ。ぶっちゃけ、私やあんたの師匠でも知らない。でもあんたの場合、それは教わってなくて、だから扱えないんじゃないの? っていうこと」
ショコラトップの魔術師がそう言い切るのだ。ミーシャも、ようやく相手の言いたい事が飲み込めてきたのか、ごくりと喉を鳴らした。
「つまり、それが解かれば、私は時や鏡の魔法も覚えられるかもしれないってこと?」
「可能性としてはね。いや、本当にそれらが苦手な可能性はあるけど。ここまで万能型だと、あんたの場合属性そのものが狂ってるのかもしれない。どんな魔法でも扱えるとか、どんだけ稀有な才能なのよって思う」
そしてその価値に気付いていなかった本人に対し、魔術師長は呆れている様子であった。
「まあでも、治癒やら闇やら覚えてたって、初歩じゃしょうがないのは間違いないんだけどね。傷が癒せたって殺されたら意味がない」
先ほどミーシャが例に挙げた魔法では、このゴブリンの部隊を相手取るのは無理に等しい。
一瞬は混乱するかもしれないが、その隙を突いて逃げられるほどにこの面々の足は速くないだろうし、何よりここは魔界だ。
人間世界とは勝手も違うしどこに逃げればいいのかも皆目見当が付かない。
「下手に逃げて魔物の群れに突入、そのまま食べられて人生終了、っていうのがまあありがちな未来よねぇ」
魔術師長の言葉に、再び面々が「うんうん」と頷く。やる気がない。ミーシャはがっくりときた。
「ああ、もういいわ。あんたたちが役に立つとは思ってないし」
こんな奴らを頼るのは間違ってる。自分だけでなんとかするしかない。
そう思い、どうにかして脱走する方法を考え始めたミーシャであった。
「到着したので早く降りてくださいねー」
ミーシャの必死の思考は、しかし実りを迎えるより早く馬車が目的地へと到着してしまい、中断される。
女性のものらしきほんわかとした声が馬車の外より聞こえ、面々は震えながらも言われた通り馬車の外に出る。
ミーシャもしぶしぶ降りる。馬車の外は、随分と上等な、堅牢そうな城砦だった。
「はい、お疲れ様でしたー」
にこやかな顔でミーシャたちを出迎えたのは、背丈の低い、フェアリーの娘であった。
ミーシャの腰ほどの背丈の、薄く透けた四枚羽を持った娘。
顔立ちからしてもそうであるが、声以外の全てが子供のようだった。
「私たち妖精族の城砦へようこそ。貴方がたの事は上層部より聞いておりますわ。さあ、どうぞこちらへ」
どんな化け物達が待ち構えているのかと想像をめぐらせていた面々であったが、意外にも視界に映る限りそんなおぞましい生物は存在せず、周囲にはこのように可愛らしいフェアリーがいるばかりであった。
「……あれ?」
何か違う。ミーシャはそんな気がしてしまう。もしかして降りる場所を間違えたのでは、などと。
魔界にそんなファンシーな世界が存在するはずないと思い込んでいたミーシャは、その光景についていけなかったのだ。
「どうかしましたかー?」
間延びした声で心配そうにミーシャを見上げる娘を見て、首をぶんぶんと振る。
「な、なんでもないわ」
そう、これは間違いなく現実。フェアリーは魔族の一種。そう教わったはずではないか。
どんなに可愛らしい容姿をしていても、次の瞬間には問答無用で殺しに掛かってくるかもしれないのだ。
油断してはいけない。ミーシャはそう思いなおし、毅然とした面持ちで目の前のフェアリーに挑まんとする。
「私達は、これからどうなるの?」
「こちらで一晩過ごした後、この城砦の転送装置を使って魔王城へと移送されますわ。お話には聞いているはずですが」
何故今更? といった様子で、目の前のフェアリーは不思議そうに首をかしげていた。
「魔王城についた後の事よ」
「さあ」
「さあって……」
「だって知りませんもの。私たち妖精族は、あなた方が安らかに休めるように準備を整えて、翌朝に魔王城へ移送せよ、と命令を受けただけですからー」
なんという適当さ。なんたる部署対応。あんまりにもあんまりな扱いだった。
「……そうか、ここが私達の最後の夜を過ごすところなのか」
「思ったよりは大きなところでいいじゃない」
「ああ、短い旅路だったなあ」
「――っ」
ぶつぶつと諦めを口にし始める面々に、ミーシャは何か言おうとし、しかし何も言えずに黙りこくってしまった。
(冗談じゃない。私は諦めてなんていないんだから!!)
ぎりぎりと悔しげに歯を噛む。ミーシャは一人、人生に翻弄されまいと、状況を受け入れまいと心に強く誓った。