#5-1.ミルキィレイにて
そこは、小さな森の中。
ミルキィレイと呼ばれる東部の小さな廃村。
かつては魔界へと突入する勇者ゼガの軍勢を最後に送り出した村として歴史に名を残した村であったが、魔王軍の人間世界侵略の際、被害を受ける前に村民が退避し、廃墟として放置されることとなっていた。
「ん……ぅ……」
そんな、誰もいないはずの寂れた世界に、彼女は横たわっていた。
まるで新品のように清潔なベッドからこぼれる亜麻色の髪。エリーシャである。
事件の際に意識を失ってから今まで、ずっと眠りに落ちたままの彼女は、時折こうしてうめき声を漏らし、苦しげにシーツを握りしめる。
やがて、それが収まってか、手に入った力が抜けていく。しわくちゃになったシーツ。
「……ん」
そして、目が覚める。栗色の瞳が、ぼんやりと虚空を見つめていた。
「あれ……」
しばしぼーっとしていたエリーシャであったが、やがて違和感を感じ、少しずつ現実に引き戻されていった。
「目が覚めたようですね」
傍ら、寝ている自分の脇からの聞き覚えのある声に、エリーシャは視線を向ける。
「……ラズベリィ?」
「ええ、ラズベリィですわ。忘れられていないようで何より」
視線の先、ベッドの前に置かれた椅子に腰掛けるトルテ付きの侍女は、それが嬉しいのか安堵したのか、頬を緩め微笑んでいた。
「良かった、無事だったのね」
「ええ。衛兵に襲われ、命の危機に陥っておりましたが、なんとか」
このように元気ですわ、と、侍女は笑う。
場所に違和感はあるものの、目が覚めた矢先に見たのが見知った顔で、エリーシャは小さく息をつく。
安堵し、頬を緩めた。
「ラズベリィ、ここは?」
次に気になったのは、見覚えのないこの場所である。
「ミルキィレイの村ですわ。元、ですが」
「ミルキィレイ? それって、東部の――」
侍女の説明に、エリーシャは目を見開く。『なんでそんなところに?』と、驚きを隠せない。
「ここが、この世界を旅する上での私の拠点と申しますか……まあ、隠れ家のようなものでして」
「でも、今のここは魔族領じゃない。危険なんじゃ?」
エリーシャの懸念も尤もで、人間世界東部、とは言うが、実際にはそこは魔王軍によって征服された地域であり、版図の上では既に魔界と大差ない、魔族領の一角となっていた。
「案外盲点となっているようでして。人間の村って、魔族にとってはあまり生活様式として用を成さないのか、住み着く者もいないみたいですわね」
意外と征服されはしても、家屋はそのままとなっている事が多いらしく、今二人がいるこの廃屋も、元は村長の家だったのを、ラズベリィが勝手に使わせてもらっているとの説明を受け、エリーシャは思わず表情を崩してしまう。
「貴方って、変に度胸があるわねぇ」
異世界人の考える事って凄すぎる、と、その大胆さに笑ってしまったのだ。
「そうでしょうか? 自分ではそれなりに効率的な手段だと思っていたのですが……そうですか、この世界の方としては、あまり一般的な考えではありませんでしたか」
エリーシャとしては笑い飛ばしただけのつもりだったのだが、この侍女には何か別の重い問題に感じたらしく、ぶつぶつと色々呟き始める。
「不覚だったわ……これでは一般人に成りすまして平穏な生活を送るのなんて夢のまた夢じゃない……」
口元に手を当て、考え込むラズベリィ。
(よく表情の変わる人だわ)
エリーシャはそんな侍女を眺めながら、どこか懐かしいものを感じてしまう。
「ねえラズベリィ、貴方が無事っていうことは、トルテは今どこにいるの?」
エリーシャは、自分が意識を失う前にラズベリィの姿を見た。同時にあの魔王の姿も。
それが疑問を挟むまでもなく、あの場面において、あの時の彼女にとって何よりの救援だった事は言うまでもないが。
それなら、自分が守ろうとしたトルテの姿が見られないのは何故なのだろうか。
目が覚めた直後は意識を失う前と現状のあまりの違いに戸惑いそれどころではなかったが、今、エリーシャはそれが気になって仕方がなかった。
「姫様は無事ですわ」
侍女は告げる。先ほどと違って頬を引き締め、眼を鋭く細めながら。
「ただ、恐らく姫様は、貴方とは二度と会えないでしょう」
「……なんですって!?」
突き放したような言葉に、エリーシャは思わず上体を起こそうと無理をする。
「痛っ――」
瞬間、腹部に激痛が走り、エリーシャはそのまま反動でぱたりとベッドに倒れこんでしまう。
「無理をなさらずに。今の貴方は、死に体と言っても不思議ではないのですから」
「どういう……事よ。全部、説明してっ」
痛みに悶えながら、傍らに座ったままのラズベリィを睨み付ける。
その眼光、戦場に立っている時のそれと何ら遜色ない。
だが、エリーシャの苦し紛れの睨みを受けて尚、侍女は涼やかな顔でそれを見、続ける。
「まず、貴方の状態から説明しますわ。お若い頃からの数々の武勲。戦地での活躍。魔族との戦い。人の身で無理矢理続けた無茶の数々は、既に貴方の身体を蝕み始めています。ある程度、自覚はあったのでは?」
「……何が言いたいの?」
「ずっと溜め込んでいた疲労や無茶。それが、今回のダメージで一気に前面に出たのですわ。今の貴方は、生きてるのが不思議な位にガタガタになった身体を、なんとか永らえさせているに過ぎません」
随分無茶をなさったものです、と、ラズベリィは息をつく。
「まあ、今回の事でもなければ、そのまま無茶をしてある日突然絶命、という事もあったかもしれませんが」
「信じられない。信じたくないわ」
表情を強張らせたままのエリーシャはしかし、言葉とは裏腹に、それが真実なのだろうと感じ取っていた。
何より自分の身体の事である。
侍女に言われるまでもなく、『今までの無理が祟った』と気付ける材料は山のようにあった。
「とにかく、今は大事に。どうせ動けないでしょうし。しばし私と過ごしてくださいまし」
「……そう」
動くに不自由らしい今の自分には、この侍女の言葉に従う位しかない、と事態を飲み込み、エリーシャは押し黙ってしまう。
「私は死ぬの……?」
言葉を紡ごうとして、ためらって。
そんなのを繰り返した末に、エリーシャが搾り出したのは、そんな言葉だった。
侍女は、それを聞き面白そうに笑う。
何がそんなに面白いのかと気分を害したエリーシャであったが、抗議する前に侍女は手を前に出し、エリーシャの言葉を遮った。
「すぐには死なないと思いますよ? 今は、無理が祟った分だけ身体がストップを掛けている状態でしょうから。十分な時間休まれば、また動けるようになると思いますよ。ただ――」
「ただ?」
ここで侍女は、酷く神妙な面持ちになり、指を一本立てながら続ける。
「ヒューズは、一度吹き飛ぶと二度目に飛ぶまでとても間隔が短くなります。そして、貴方に二度目の再起はないでしょう」
それで、エリーシャは悟ってしまう。『自分はもう、戦えないのだ』と。
「ヒューズが何なのかは分からないけど、貴方の言いたいことは分かった気がするわ」
だから、エリーシャは笑って見せてやった。精一杯の抵抗とかそういう意味で。
「そうですか、それは何よりですわ」
その皮肉を理解してか、それともスルーしてか。侍女はエリーシャにあわせ笑って見せた。
心の底から泣きたい位の無念だというのに、それを笑ってごまかそうとした自分を笑って済ませようとしているように見えて、その扱いの軽さにエリーシャはちょっとだけ傷ついてしまう。口には出さないが。