#4-5.黒と金色の姫君
「アンナちゃん……?」
つい、言葉に出してしまう。
他人の空似とは思えない何かを感じてしまった。記憶の中の姉に、あまりにも似通っていた。
「……カルバーン? 貴方、何故こんなところに」
一度部屋を見渡したものの、正装ゆえに気付かなかったらしく、黒竜姫は、一堂の中に紛れていた双子の妹に驚きを隠せずにいた。
「アンナちゃんこそ!! どうして!? どうしてこんなところにいるの!?」
カルバーンの興奮たるやすさまじいものであった。
先ほどまで会いたいと思っていた双子の姉。それに会えたのだ。
ただの偶然とはいえ、そのテンションはどこまでも突き抜けとどまるところを知らない。
「ああ、アンナちゃん!! アンナちゃんだっ!! ああアンナちゃんっ、会いたかった。会いたかったよぉ!!」
人目もはばからずムギューッと抱きつくと、その豊満な胸に顔をぐりぐりすりつける。
「あっ、ちょっ、やめなさいっ!! こんな、人前で――やっ」
それがもどかしくもこそばゆいのか、黒竜姫も頬を染めて引き剥がそうとする。出来ない。
「うっ、ぐ……か、カルバーンやめっ、くるしっ……ち、力、力込めすぎ――」
やがて興奮のままに力いっぱい抱きしめすぎて、それを受ける黒竜姫は苦しみに悶え始めていた。
「あっ、ご、ごめんなさいっ。会えたのがうれしくってつい……」
過剰なスキンシップの所為で、黒竜姫は早くも肩で息をする羽目になっていた。
「はっ、はぁっ……も、もう、相変わらず馬鹿力というか……勘弁して欲しいわ、全く」
苦しみから解放され、かばうように自分の両肩を抱きしめながら、呼吸を整える黒竜姫。
「えへへへ。ごめんなさい。それより、なんでアンナちゃんがここにいるの? 話の流れからして、そこの門番の上司がアンナちゃんっていうことは――」
「……まあ、そういう事よ」
状況を察しつつあるカルバーンに、黒竜姫はようやく落ち着きを取り戻し、それを肯定する。
突然の事に唖然としていたシフォン以下一堂であったが、流れが代わり、黒竜姫が部屋の中心までつかつかと歩いてくる様を見て、途端、息を呑むように静まり返っていた。
「シフォン皇帝っていうのは、そこの若い男の事で合ってる?」
再び全体を見回し、目に付いたシフォンを見ながら、門衛の姿をした部下に問う。
「はっ、間違いなく。こちらがシフォン皇帝であります」
「そう。良かったわ。無事そうで」
それがシフォンと解かっても、じろじろと遠慮なしに見たりはせず、ただ一瞥しただけでそっぽを向いてしまう。
「あっ――」
そんな中突然、大臣が野太い声を上げた。
「へ、陛下、こ、この女はもしや……以前城内に侵入した、魔族の女では……?」
指を黒竜姫に向けながら、頬に汗を流しながら。
大臣はその、黒髪の、背の高い女魔族らしき女性を見ていた。
その容姿は、以前トルテが証言した侵入者の女魔族まさにそのままであった為、それに気付いた者たちが次第に声を上げ始める。
「……だが、教祖殿にとてもよく似ているようにも感じる。教祖殿、これは一体……」
シフォンの指摘のままに、今度は一堂の視線が教祖へと集まる。
さきほどまではしゃぎ回っていたカルバーンは、今は姉と同じ、大人びた雰囲気を漂わせていた。
「双子の姉ですわ」
「そして、魔族でもあるわ。魔王軍が四天王の二位。黒竜姫アンナスリーズとは私のこと。人間には『ブラックリリー』という名で通ってるのかしら、ね?」
並んで紹介する双子であるが、そのどちらにも、聞かされた人間全員が驚愕していた。
「ま、魔族――」
「双子って、それじゃ教祖殿も――?」
「ブラックリリーって、まさかブラックドラゴンの!?」
ざわめきだす室内。なんともいえない不穏な空気が場に漂う。
「なるほど、我らをここに集め、中枢を皆殺しにする算段であったか」
「シフォン様……っ」
自然、ヘーゼルをかばうように前に立つシフォン。自分たちは騙されたのだと、歯を噛んでいた。
そんな人間達の様子を見て、黒竜姫は小さく息をつく。「何勝手に早とちりしてるのかしら」と。
「勘違いされては困るわ。貴方達を『救え』というのが、我らが陛下のこの度の命令。私達が動く最大の理由よ」
「我々を……?」
「魔族が、我らを救うと――?」
混乱は、この一言だけで都合よくは収まるはずもなく。
むしろ余計に、それにより混乱する者が増えた様子であった。
これには黒竜姫も苦笑いしてしまうが、魔族と人間が敵であるという前提で考えるなら、それも仕方ないとも言えた。
「聞きなさい、皇帝シフォン。これはこの国の先帝シブーストが、魔王陛下と一騎打ちの末、誓った約束よ」
腰に両手を置き、胸を張りながらシフォンの前に仁王立ちする。
その眼光は鋭い。気の弱い者ならばそれだけで戦意を失ってしまうほどに、場数を感じさせる鋭さがあった。
「先帝シブーストは死の間際、陛下に対し『この国と大切な者達を滅ぼさないで欲しい』と願ったわ。魔王陛下は、手に入れた剣と、皇帝自身の命を代償にこれを受け入れた。この国は、既に我ら魔族との戦いの外側にあるわ。魔王軍は、大帝国とは戦うつもりはないのよ」
理解できて? と、やや上から目線で説明する黒竜姫に、シフォンは震え始めた。
「そのような戯言で、我らが戦いを放棄するとでも思ったのか。父の名を出せば、私が無条件に従うと思っていたのか!!」
「思わないわ。だけど、状況を見なさい。私達は貴方達を助けたわ。私達がこなかったら、貴方達はどうなってたと思う? クーデターは成功してここにいる者は皆殺しよ。誰一人助からないはずだわ」
「……それは」
シフォンの反論は、しかし黒竜姫の正論によってあっさりとねじ伏せられる。
それ以上は繋げられないのか、シフォンは食い下がる事もできず、うつむいてしまった。
対して、説き伏せた黒竜姫も、それに関してはこれ以上追撃する事はなく、静かな口調のまま言葉を続ける。
「――とはいえ、今回の事も急な事。突然押しかけて、そして私達の言う事を全て信用しろなんて言っても無理なのは解かってるわ。ただ、私達は話の通じない相手じゃない、というのは、こうして話していて理解できたのではなくて?」
「……話し合いの余地があるという事か?」
「そう願いたいわね。私個人としても、こうして妹と関わりのある国と事を構えるのは……少し抵抗もあるしね」
隣で話を聞いていた妹の頬にそっと指を這わせながら、眼を細める。
「とにかく、私達の側には話し合いの場を持つ用意がある、というのを理解してくれれば十分よ。もちろんその話し合いによっては、中央諸国、ひいては人類国家全てのありようも変わってくるはずだから、その辺り、軽く考えてもらっては困るけれど」
黒竜姫の視線はまた強まり、場に集まった者達を見つめていた。
「私は正直、まだ人間という生き物がどんなものかよく分からないわ。この妹と違って、人間世界で暮らした事がないから。ただ、それでもある程度、他の魔族よりは理解できてると思う。私達は案外、同じ道を歩めるかもしれないわよ?」
デュオミスの旅路での経験が、黒竜姫に確信を抱かせていた。
自身を人と偽りながらの旅であったが、旅先で出会った人間達のいずれもが、それを誰一人疑問に思わず、一人の人間として接していた。
もちろん黒竜姫自身が人間とほとんど大差ない外見であるからというのも大きいのだろうが、それはつまり、外見でしか見分けがつかない者が多いという事。
なら、そんな程度の垣根は案外簡単に乗り越えられるのではないかと、黒竜姫は思う。
「今はまだ考えるだけで良いわ。会談の準備が整ったなら、手紙なり何なりで知らせる事にするから」
「私は、そちらの提案に対し、まだ回答してないが?」
「顔を見れば解かるわ。それに貴方は優秀な指導者だと聞いているもの。本当の『敵』が何なのか、貴方にはもう解かっているんじゃないかしら?」
強張った顔で黒竜姫を見据えるシフォンに、しかし黒竜姫はさながら悪女のように口元を歪めてみせる。
「最後に聞かせて欲しい」
そのまま立ち去ろうと背を向けた黒竜姫に、シフォンが問いかける。
「何なりと」
黒竜姫は足を止め、そのまま質問を背で受けることにしていた。
「……魔王は、何故先帝との約束を守る事にしたのだ?」
それは、当然といえば当然の疑問であった。
剣と皇帝の命を代償に、などと言うが、魔王には何のメリットもないように思えたからだ。
今この状況にまでこれるなら、それこそこの場にいる全員を皆殺しにするなりしてしまえば、それで大帝国は国として死ぬ。
大帝国なき中央諸国など障害にすらならない。それこそ、完全な形で魔王軍が戦争の勝利を収める事が出来るはずだった。
これに対し、黒竜姫は背を向けたまま答える。
「陛下は、この戦争の馬鹿らしさに気付いてらっしゃるようだったわ。あの方はあれで、私達魔族の未来を良く考えてらっしゃるようだから」
この場に赴く使者を選ぶにあたって黒竜姫が選択されたのは、まさにこれを彼女が理解しているからであった。
他のどの側近でも、魔王の真意はわからないままである。
ディオミスへの旅の際に、魔王からそっと教えられた、黒竜姫だけが知っているその真意。
それこそが、魔王が戦争を止めようとする最大の動機なのだろうと、黒竜姫は考えていた。
「……魔王が戦争をやめたがっている――?」
それがとても意外で、シフォンは唖然としてしまった。
沈黙に、それ以上の質問がないと受け取ったのか、黒竜姫はそのまま歩きだし、兵士に化けた間者らと共に去っていった。
「……どうなっているんだ。これからこの世界は、どうなってしまうのだ……?」
城内は、いつの間にか静かになっていた。戦闘の音は止み、ただただ、この部屋の中だけが騒がしい。
今起きている事態、それから、これから変わろうとしている世界情勢、その光景を必死に想像しようと考えをめぐらす人間達だけが残され、それぞれが、これからの行く末を案じていた。
こうして、衛兵隊による空前絶後のクーデターは、魔王軍の突然の介入によって失敗に終わり、クーデターに参加した衛兵の大半は、城内に突如現れた魔族達によって駆逐された。
首謀者たる衛兵隊長エリーゼは少数手勢を率いて逃亡したが、魔族らと入れ替わりで城内に突入した帝国国軍により国が中枢機能を取り戻すや、各地に派遣された軍によって潜伏先を割り出され、廃教会に隠れていたところをあえなく捕縛される事となった。