#4-2.『魔王』レーズン=アルトリオン
「姫様……タルト皇女には、既にその不老化の症状が見られていた。私は過去にも、彼女と全く同じ容姿をした、歳を取らない娘を知っている」
「それがエルフィリースだったと?」
「そうよ。彼女は自分に記憶がないのを自覚していた。何故歳をとらないのかを不思議がってはいたけれどね。もし、タルト皇女が飛ばされた先が過去であったなら――」
「その推測から、タルト皇女=エルフィリース と繋がるわけか」
「ええ。あくまで推測の域だけど。だけど、あの時代で人間があそこまで高い魔力を持つのはアルム家の人間以外にはありえないはずよ。だってこの世界、一度滅亡寸前まで行ったから。魔法使いはその時にリリア以外絶滅してるはずなの」
「滅亡寸前とは穏やかじゃないな……」
一瞬、魔王は自分のトラウマを抉られた錯覚に陥るが、レーズンにそんな意図はないらしく、魔王の目を見ようともしない。
「魔王同士の格付け戦争に巻き込まれたからね。魔法使いに限らず、動植物も、もちろん人間もその大半が死滅したわ。そして残った生き物たちには、後の世界での栄華を与えられた」
「……滅亡と聞いて天災か『魔王』の気まぐれかと思ったが、何だその格付け戦争とは。そんなの聞いたことすらないぞ」
レーズンの口から出たなんとも不思議な言葉に、魔王は違和感を覚えずには居られない。
「そりゃ、貴方が生まれる遥か昔に終わったイベントだもの。『魔王』にも色々居るけど、自分の強さがどれ位なのかとか、そういう格付けを望む声が多かったのよ。基本的に暇人の集まりだからっていうのもあるけど」
「それで、その戦場がこのシャルムシャリーストークだったと……」
「そう。もちろんある程度力の制限はあったけど、『魔王』同士の戦争でしょ? ほぼすべてがなくなったわ。人類も文明の大半を失ったし、技術力も皆無になった。一時期は機械を操り空すら飛んだ人間達が、戦後は地を這い蹲り棍棒で戦うレベルまで落とされたの」
「……それは」
自分の世界の人類を滅亡させたからこそ、魔王には想像できる。
それはなんとも、虚しい世界だったのだろう、と。
「リリアが生き延びたのだって、当時最強クラスの『魔王』だったヴェーゼルのパートナーだったから。リリア自身も下手な『魔王』より強い位の強力な魔法使いだったけど、ヴェーゼルは私より強かったからね」
とんでもない化け物だったわ、と、レーズンは苦笑する。本人的に、ヴェーゼルの話はそんなに嫌な記憶ではないらしい。
「ま、そのヴェーゼルも、都合265回。それだけの回数続いた魔王戦争の全ての顛末、滅び行く文明と世界の生物達の様、荒涼とした何も無い大地、そして絶対に届かない女神の強さを見せ付けられ続けて壊れちゃったんだけどね。最後の最後は、もう一人のパートナーだったアルフレッドに自分を殺させて、半ば自害みたいな形で無理矢理アルフレッドに力を押し付けて消えたらしいわ」
「上にあの女神がいたとはいえ、最強クラスの猛者の最後にしては、なんというかその、物悲しい末路だな」
「善い魔女だったわ。平和を願って人々の為に『魔王』になったのに、最後の最後までその願いは叶えられる事無く、後の世に悔恨ばかり残して逝ってしまった」
善い奴ほど報われないのよねぇ、と。レーズンはそっと眼を閉じ、わずかの間沈黙する。
「君は、彼女とは?」
「盟友だったわ。私は当時のナンバー3、あいつはナンバー2、二人でなんとかして、トップのあのいけすかない女神を倒してやろうと目論んでた。でも、あいつは自分の願いに押しつぶされて、先に死んでしまったわ」
大きなため息。レーズンは、また眼を開く。どこか力の無い、半開きの瞳だった。
「気がつけばあんたみたいなのが生まれて女神は首位から転げ落ちてるし。女神は女神でヴェーゼルの死後やる気なくしてなんかすごく適当になってるし。あの頃の私らは何だったのって感じだけどね」
横から来た変な奴に目標全部かっさらわれたわー、と、目の前の中年魔王に向けてレーズンは無茶苦茶に皮肉った。
突然の話題の方向転換に、魔王はもう、苦笑いする事しかできなかった。
「ま、難しい話はもうやめましょ。正直疲れたわ。今後の事は後で話すとして、今は彼女をかくまう事が大切だと思うの」
「うむ、まあ、なんとなくそんな気もするな」
話題は一旦ここで打ち切られ、レーズンはぽん、と両手の平を鳴らしながらエリーシャのほうを見る。
人形達が懸命に手当てをしたものの、右腕を覆う包帯を今も濡らし続けている赤が目立つ。
「相当ざっくりとやられたらしいな」
おもむろにエリーシャに近づくと、魔王はエリーシャの右腕を手に取る。
「……治癒魔法で治すのは無理みたい。それ、多分ナノシグナルよ」
すぐさま詠唱を開始しようとした魔王に、レーズンが後ろから忠告する。
「ナノシグナル?」
「生体信号兵器。切られた部位、もっと言えば細胞の発する信号に異常を発生させて、修復できなくなったり、思うように動かなくなったりさせる凶悪なものよ」
聞きなれない単語ばかりが続くものの、なんとなく厄介な代物らしいのは魔王にもよく分かった。
「では、このままでは止血すらできんという事か?」
「まあそうなるわね。ほっとけば失血死するわ。人間でこの出血量だと、まあ持って三十分って所かしら?」
「し、失血死だと!? それはいかん!!」
腕どころではなく生命そのものの危機であった。だというのにあんな悠長に会話していたというのか。
魔王は今更のように、この侍女風の『魔王』の神経が解からなくなった。
「焦らないで。大丈夫よ。この位なら『戻せる』」
にわかに慌て出す魔王を前に苦笑しながら、レーズンは魔王からエリーシャの右腕を手にかすめ取る。
そうして、血が滴っている包帯の辺りを手で軽くさすっていく。
魔王には何をしているのかよく分からなかったが、レーズンは真剣な様子で、それを問う訳にも行かず。
魔王と人形たちは、ただただその流れを見守る事しかできなかった。
「――ふぅ」
十分ほどそれは続き、レーズンが額に汗しながらに大きく息をつき、エリーシャの腕から手を離す。
十分前まで垂れ零れていた血はすでにどこにもなく、包帯に巻かれていたはずのエリーシャの右腕は、いつの間にか元の細やかな薄肌色に戻っていた。
「血が止まりましたわ」
アリスが驚いたように口にすると、他の人形たちもざわめきだす。
「一体何をしたんだ?」
疲れたように傍の木に背を預け腰掛けるレーズンに、魔王はその疑問を問う。
「腕の時間を戻したのよ。言っとくけど、かなり難易度高い技術だから、毎度毎度はやらないからね」
「……腕の時間って、何だそれは」
「言葉のままよ。敵に斬りつけられてああなってたんだから、斬りつけられる前の状態に戻せば血は出ないでしょ? そういうこと」
いともあっさりと答えるレーズンであるが、魔王には何がなんだかわからない。
「時間って、その、部位ごとに流したり止めたりができるものなのか?」
「できるわよ。時間っていうのは空気みたいなもので、別に全部が統一した存在っていう訳じゃないもの。私と伯爵とで流れてる時間はやっぱり個別のものだし、もっと言うなら細胞一つ一つの中で流れている時間も違うものだわ」
とてもわかりやすい時間の授業だった。魔王は解からないのでさっさとさじを投げることにした。
「そうか、とてもよく分かったよ」
「それは何より」
そんな魔王の本心など知りもせず、レーズンは素直に解かり易いと褒められたように感じたらしく、にっこり微笑んでいた。
「まあ、怪我はいいとしても、この人自身の心のケアも必要だろうし……下手にお城に帰しても良いことはなさそうだから、私が責任を持って隠れ家にご招待するわ」
「ほとぼりが冷めるまでの間、身を隠すのか」
「そういうこと。今のままだとこの人、怪我が治っても多分心の方が壊れちゃうから。心が壊れた人の様って、見てて辛いものがあるのよねぇ」
普段勝気に振舞っているエリーシャではあるが、侍女視点から見てもやはり、その危うさはよく分かるらしい。
「そこで伯爵。貴方には、私の代わりに気をつけて欲しい事があるの」
「気をつけて欲しい事……? それは一体……?」
「とても重要な事よ。真面目に聞いて、そして、必ず履行して頂戴」
急に真面目な口調に戻ったレーズンに、魔王も自然、頬を引き締める事となった――