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趣味人な魔王、世界を変える  作者: 海蛇
6章 時に囚われた皇女

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#3-4.元勇者VS元暗殺者

「はぁっ、はぁっ――」

息が途切れ、苦しさに胸を押さえ、何度も足を取られそうになり、転びそうになり、それでも尚走り続ける。

トルテは今、今までの人生で初めてとも言える程の長距離を走っていた。

酸欠で頭ががちがちと痛む。それ以上に胸が苦しい。トラウマが呼び戻される。自然、視界は涙で歪んでしまう。

(なんで――)

走るのをやめる事はできなかった。

王城で過ごす為作られた靴はあっという間に擦り切れ、ダメになってしまっていた。

おとなしくも華やかさを忘れないつくりのドレスは木の枝や茨に引っかかってもう穴だらけである。

長いチョコレート色の髪を必死に揺らしながら、額に珠の汗を流しながら、頬を伝う涙を感じながら、トルテは走り続ける。

――限界等とうに越えていた。

「あっ――」

小さくせり出ていた小石。

壊れた靴先が引っかかり、そのままトルテは転倒してしまう。

「うぐっ」

鈍いトルテに受身など取れるはずもなく、顔面から転んでしまう。

「う……痛っ――」

それでもなんとか立ち上がろうとするも、左の膝に痛みを感じ、その場にうずくまってしまう。

少しして、もう走れないのだと悟り、なんとか立ち上がって、左足を引きずりながら歩き出した。

普段なら泣いてしまう所だろう。エリーシャに助けを求め、抱きかかえてもらうところだ。

甘えなど許されない現状を、トルテは理解していた。そんな暇があったら一歩でも前に進めと、自分で自分を鼓舞する。

わずかでも逃げられれば、少しでも敵から離れられれば、安心してエリーシャが逃げられるかもしれないと思ったからだ。

こんなところで立ち止まっている暇などない。

その一心で、トルテは歩く。


「大丈夫ですか? タルト皇女」

そんな時、不意に、横から声を掛けられた。

「えっ――」

思わず声のした方を向くトルテ。そこには……足止めをしていたはずのサバラン王子がいた。

「サバラン王子……何故貴方がここに?」

彼は自分たちを逃がす為に奮戦していたはず。恐らくあの爆発が、爆風が、彼の命の最後の輝きだったのだと思い込んでいたトルテは、混乱してしまっていた。

思わず逆隣を見てしまう。当然だが、エリーシャはいない。

「あ、あの……わ、私、てっきり、貴方は魔法で自爆したのだと……」

「はは、まさか。愛しいタルト皇女を残し、一人死ぬつもりはありません。追っ手を蹴散らしてきましたよ」

だとしたら、先ほどまで自分たちの後を追いかけていた敵は何だったというのか。

エリーシャは何の為に敵の足止めを買って出たのか。あの別れは何だったのか。

思考がぐるぐると回り、トルテを困惑させる。

「足を引きずってらっしゃる。肩を貸しましょう」

そうこうしている内に、サバランはトルテの目の前まで歩いてきてしまう。

トルテの腕を掴もうと、手を差し出してしまう。

「――やっ、触らないでっ」

思わず、トルテは逃げに入る。

一歩下がり、その手を避け、叫んでしまった。

「……」

「あ……ご、ごめんなさい、私」

反射で逃げてしまったトルテであるが、彼の善意を拒絶してしまった事に罪悪を感じ、すぐに謝ろうとした。

「……いえ。やはり、貴方は男がダメなようですね。私は、初めて会った時から貴方の事を愛してしまっていたというのに」

「ごめんなさい。今はそういう話をしている時じゃないんです。すぐに逃げないと、姉様が――」

申し訳ないとは思いながらも、そんな場違いの告白を聞いている場合ではないとばかりに、トルテは先を急ごうとしていた。

ある種、少しでも男から離れたいという心理も働いて。

だから、トルテはサバランの様子など眼にも入っていなかったのだ。

「解かりました。急ぎましょうか」

必死の様子のトルテに、サバランはさほど傷ついた様子もなく、前を歩く。

「こちらに。どうやらこの森は、ラムクーヘンに近いらしいのです」

「ラムクーヘンに……?」

「ええ、どのような手を使って教会の手の者がこちらにきたのかは解かりませんが、この森には見覚えがある。大丈夫、出口はラムの近くのはず。なんとか逃げおおせましょう」

力強く微笑むサバランに、トルテはようやく希望を見つける事が出来た。

逃げ延びられる。救援を、エリーシャの救援を頼む事が出来れば、二人とも助かるのではないか、と。

「解かりました。案内をお願いします。サバラン王子」

意志の強い瞳で、すがる思いでサバランに願うトルテ。

サバランは……感動に胸をときめかせていた。

(ああ、やはりかわいいなこの方は。こんなに私を頼ってくれるなんて……)

不意に涙がこぼれてしまうほどである。

「ど、どうなさったのですか? 急に――」

唐突な涙に、トルテは不気味がって後じさってしまう。

「いえ、なんでも……とにかく、今は急ぎましょう。エリーシャ殿も奮戦しているはずです」

「えっ――」

エリーシャが戦っている。それを彼が知っているのはなぜか。

トルテは、わずかに生まれたその疑問をそのままに、前を歩く背を不安げに眺め、歩き出した。



「一歩、遅かったか」

リュースの森深く。

ラミアの報告のあったゲートの中心部に、魔王は立っていた。

共の者も連れず、ただ一人。

血だまりの中、ずたずたに刺し刻まれ倒れ伏す侍女を見下ろしながら、「ふう」と、ため息を漏らす。

「情けないなあ、レーズン情けないなあ」

それは、あまりにも情けない死に様であった。いや、正確には死んではいないのだろうが。

まがりなりにも16世界で上から二番目に強い『魔王』が、ただの人間相手に不覚を取るなど。

黒竜姫相手の時ですら驚きであったが、ちょっとこれは恥ずかしい。

「一応、エリーシャさんだけじゃなく、君もいたからトルテ殿は安全だと思っていたんだがなあ」

苦笑しながら、倒れたレーズンに掌を向ける。

何章かぶつぶつと呟き、魔法の詠唱。

徐々に掌に光が集まり、やがてそれは――癒しの雫となった。


「う……くっ――」

ようやく意識を取り戻したのか、彼女――魔王レーズンはよたよたと起き上がる。

「……あれ、伯爵?」

「うむ。そうだ。もう立ち上がれるとは、回復力だけは高いね君は」

魔王の顔を確認するや、レーズンは不思議そうに首をかしげる。

「なんで貴方がここにいるのよ?」

「トルテ殿が危険だと知ってね。だが、一歩遅かったらしい」

どこに連れ去られたかは解からないが、例によってゲートで転送させられたようだった。

魔王がそこに着いた時には既に遅く、ただ静かな森と、倒れた侍女が残されていたのだ。

「そう……くう、油断したわ。まさか魔法が封じられるなんて」

「君ほどの者が魔法を封じられた程度でこうなるとは思えんが?」

「……油断したのよ」

魔王が非難すると、レーズンは唇を尖らせながら言い訳した。

外見年齢不相応な、なんとも子供っぽい仕草であった。

「そんな事より姫様よ。困ったわ、まさかこんな事になるなんて」

「まあ、大体の場所の予測はつくんだがね」

「どういうこと?」

「エリーシャさんも一緒なんだろう? なら、その場所を目当てに転移する事が出来る」

以前、ぱそこんによってエリーシャの魂情報を登録していたのだ。

これによって、今エリーシャがどこにいるのかを、アリスら人形を介してではあるが、魔王はその居場所を察知する事が容易となった。

「なら早く追いかけないと。何が起きるのか解からないけど、このままじゃ――」

「ああ、解かっているさ」


 魔王はすぐにコールの魔法を発動させる。

呼び出したアリスを通じ、部屋に起動させたまま置いてあったぱそこんを部屋の人形たちを介してエリーシャの居場所を探索、割り出し、転送へと映る。

『西部ラムクーヘン・ゼピュラの森へ――』

アリスの転送魔法により、魔王とレーズンは光に包まれ、転移した。



「でやぁっ!!」

エリーシャの渾身の一撃が光のラインとなってデフへと襲い掛かる。

デフはそれを紙一重で避け、口元をにやけさせながら左腕のエメラルドクリスを振りぬく。

「あっ――」

エリーシャはそれを避けようとしたのだが、バランスを取る為に前に出した左腕にかすり、ビッ、と血が頬に跳ねた。

また、距離が離れる。最早、周囲の敵兵の群れはただのギャラリーでしかなかった。

何も考えられない。ただ目の前の敵に集中するほかなかった。

戦いが始まってからもう幾度も攻めに回り、相手の首を、胸を、腕を突き刺さんと突っした。

だが、ただの一度も当たらない。かすりもしない。

衛星魔法で身体能力にブーストがかかっているはずなのに、その神速の一撃は容易くかわされてしまう。

そして、衛星が瞬時に防御に切り替わっているにもかかわらず、デフの一撃はエリーシャに度々届くのだ。

圧倒的に不利な状況であった。この太った壮年の身体のどこに、そんな達人めいた動きができるモノが備わっているというのか。

デフは即座に間合いを詰める。エリーシャもなんとか反応し、避けようと動く。

右のクリスがエリーシャの回避先を狙って攻撃してくる。

緑色の斬撃は、エリーシャの瞬時の回転を以って繰り出された斬撃ではじかれたが、デフはその程度ではバランスを崩さない。

それどころか、いつの間に振りなおしたのか、左手のクリスがエリーシャの顔に迫っていた。

「ぐっ――」

――かわしきれない。

とっさに顔をかばった所為で右腕はざっくりと刻まれ、だらだらと血を流す。

「ふん。かつては大陸随一の勇者とも言われた者がこの程度か。こんな年寄り一人にいいように弄ばれて。よくも『戦争がない世界』などと夢を語れる」

これがエリーシャより若い、今の世代の勇者に敗けたというならエリーシャにも言い訳が立つが、相手はエリーシャより年配の、それも明らかに前線にでないような大司教である。

いくら走り回って疲弊していたとは言え、魔族でもなく同じ人間相手にここまで追い詰められるなど、エリーシャ自身が想像だにしていなかった。

軍勢を前に数の不利で倒れるならまだしも、たった一人、目の前のいけ好かない壮年一人倒す事もままならず、エリーシャは追い詰められていた。

「はあ――は――はっ……」

「頼みの衛星魔法もさほどのものではなかったな。それなしでは私の動きについてくる事すらできないのだろう」

息荒く、苦しげに右腕を押さえるエリーシャに対し、余裕綽々の表情のデフ。

最早勝負はついていると言って差し支えない。


 最も、これは元々、負け確定の戦いである。

仮にデフ一人倒せたところで、その後エリーシャに周囲の兵をどうこうできる余力などない。

デフを追い詰める事が出来ても、周囲の兵士に襲い掛かるように命じられれば、その瞬間敗北が確定する。

勝つ事を許されない戦いであった。あくまでこれは、時を稼ぐ為の戦いなのだ。


「教えて頂戴」

「うん?」

息も絶え絶えな中で、エリーシャは自分の死期を感じながら、それでも時を稼ごうと話しかける。

「なんで貴方は、こんなところにいるの? 今更私やトルテを誘拐したって、もう南部と帝国は戦争状態じゃない」

「戦争をより長く、継続させる為かな。正確には私は、君一人を招待できればそれでよかったんだが……『彼』はタルト皇女を御所望のようだったからな。協力させた見返りに、壊れた姫の一人位はくれてやるさ」

「……彼?」

「くく、まさか偶然にこの地にゲートが張られていたとも思うまい。協力者なしにこのような策は張れんよ。私は計略は得意でも、戦術だの戦略だのはあまり得意ではないしな」

勝利を確信したのか、全てを諦めたように見えたエリーシャに、デフは遠まわしながら状況の説明をしてくれる。

なんとも親切な男だった。これから自分が死ぬ事を除けば、感謝してもいいくらいにベラベラとしゃべってくれたものだと、エリーシャは哂った。

「何がおかしい?」

「その、相手を殺してもいないのに、よくもまあ、色々教えてくれたものだと思ってね」

「先ほども言っただろう。君はこれから私の拷問部屋へご招待だ。ああ、早くその亜麻色の髪を引きちぎってやりたいな。私はね、美しい女の、その女が美しくあるために必要なモノを奪うのが好きなのだ。眼を抉ったり、口を裂いたり、な」

口元をゆがめいやらしく哂いながら、どうしようもない事を語りだす。

「君ならその髪だな。次は目元。釣り目がちな目がいい。後は高い鼻をへし折って……ふふっ、まあ、楽しみは後にとっておこう。今は君を無力化させないとな」

「……サバラン王子も変態だと思ったけど、あんたも大概に変態ね。イカれてるわ」

あまりの言われように、さすがのエリーシャも怖気が走った。

――この男は本気でやりかねない。そう思い、自然、髪の毛をかばおうと仕草を取ってしまう。

「そうかもしれんね。何せほら、私は結構壊れてる。この世の常識だとか人間的な理性だとか、そんなものは知ってはいても理解できないんだ」

クリスを握ったまま、大仰に手を振り自らのイカレっぷりを哂って披露する。

エリーシャの前に立つのは、まさしく狂人であった。人の道など初めから歩いてすらいない。

「まあ、とりあえず捕まえるか。やれ」

「――っ!!」

そのままデフが攻撃を続けるのかと思いきや、デフは兵達に指示を下した。

「なっ、やめっ――」

傷を負ったエリーシャは、一斉に襲い掛かってくる兵を相手にまともな抵抗など取れず、そのまま取り押さえられてしまう。

数とは、力である。たった一人の元勇者は、数多くの凡兵を前に無力この上なかった。

「自害されても面倒だ。口に布でも押し込んでおけ。まあ、舌を噛んでも容易には死ねないのだがね。勘違いする若い娘が多くて困るよ。死ななくても叫び声が聞けないのはつまらないじゃあないか」

「むっ――ぐっ――」

クリスを袖の裏にしまいこみ、指を楽しげにぱちばちと鳴らしながら、デフは捕らえられたエリーシャを眺める。

「なんとも美しい娘だ。とても三十手前の年増とは思えん。二十になったばかりと言っても騙されるぞ私は」

エリーシャはデフ好みだったらしく、捕らえたデフは大層機嫌よさげであった。


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