#3-2.誘拐事件勃発3
「ラズベリィ、遅いですわ」
三十分ほど経過し、いつまでも戻らない侍女に、トルテは心配そうにしていた。
窓の外を眺めながら、ほう、とため息をついたりしながら。
「そんなに深くまでいかないと果物が採れないのかしら……? そんな事はなかったと思ったんだけど」
エリーシャも考えるように顎に手を当てながら、森の入り口を眺める。
「心配ですわ。衛兵の方になんとか言って、ラズベリィを探してきてもらえないかしら?」
その心配が高まり、トルテもそわそわし始める。
「そうね。その方がいいかも。ちょっと待っててね」
言いながら、エリーシャは馬車から降りる。
「おやエリーシャ殿、どうかなさいましたか?」
馬車の外には、サバラン王子が居た。
「……サバラン王子」
丁度窓からは死角になっていて気づかなかったが、ずっと傍にいたらしい。相変わらずである。
「うちの侍女がちょっとね……それより、貴方はなんで外に?」
「ずっと馬車の中というのも息が詰まるではないですか。どうせ進まないのです、外で羽を伸ばした方がいいのではないかと」
その気持ちもわからないでもないので、エリーシャも深くは問い詰める気はなかった。
「そ。まあいいけど」
そのまま王子とは別れ、衛兵隊の責任者を探す事にした。
――直後であった。
光。どこまでもまばゆい光が、世界を覆った。
「えっ――」
何これ、と思った瞬間には、エリーシャはその、地面から突然吹き出たような光に飲み込まれていった――
「くっ――」
いつの間に持っていかれたのか。
地に倒れていたエリーシャは、身体に気だるさを感じながら、よれよれと立ち上がる。
見渡すと、そこは先ほどとは全く別の風景。
深く鬱蒼と生い茂った、明らかに中央部のそれとは異質な湿気っぽい森林地形。
目の前にはサバラン王子。やはり同じように倒れたらしく、呻いている。
自分達が乗っていた馬車はきちんとあったが、どこに行ったのか、御者の姿はなかった。
ただ、窓越しに、中にいるトルテがぐったりとした様子だという事に気付く。
「トルテ!!」
その表情が青ざめていたのを察し、エリーシャはすぐに馬車に駆け戻る。
「トルテ、大丈夫!?」
「ん……姉様……姉様、これは、いけません」
辛うじて意識を保っていたらしいトルテであったが、何かに怯えるように頬を引きつらせ、その小柄な身体を震わせる。
「どうしたというの?」
「あの時と……あの時と同じですわ。私、またあの時と――」
「トルテ……? あの時って……まさか!?」
その尋常ではない怯え方。トルテの言葉から、エリーシャは一つの結論を出した。
「姉様、逃げてください!!」
堰を切ったように叫ぶトルテに、エリーシャは警戒を強める。
これから何が起こるのか。そう、かつてトルテが誘拐された時、何が起きたのか。
それをこの身で味わう事になるのだろう、と。切り抜けるにはどうしたらいいのか、思考を凝らす。
「落ち着いてトルテ。私が傍にいるから。それに、護衛の兵団も居るわ。大丈夫。大丈夫だから」
恐らくこれは南部、それも教会組織による組織的な行動なのだろう。
この後、教会の手勢が自分たちに襲い掛かってくるに違いない。そう考えれば、今は兵団の建て直しが必須である。
「トルテ、いい? 絶対にここから離れないで。隠れているのよ?」
「は、はい……姉様、無事に戻ってください」
怯えるトルテを気遣いながら、なんとか平静を取り戻すように促す。
それでも心配そうに見上げてくるトルテの頭を、エリーシャはそっと撫でた。
「当たり前よ。私を誰だと思ってるの?」
力強く微笑み、長剣を片手に、エリーシャは再び馬車から飛び出した。
「サバラン王子、大丈夫ね?」
意識を取り戻したのか、馬車の前で力なく座っていたサバラン王子にも、一応声をかけた。
「えぇ、なんとか……皇女は?」
「無事よ」
「それはよかった……」
トルテが無事と解かるや、急に血色張る王子。恋とは偉大であった。
「気をつけなさい。教会の手の者が来るかもしれないわ」
「教会の……? 一体どういうことですか?」
「トルテが誘拐された時と同じらしいのよ。あいつら、またトルテを誘拐しようと企んだみたい」
正確にはエリーシャ自身も含め、サバラン王子も狙ったのかもしれないが、エリーシャ的にはトルテ誘拐を企てたように感じられたのだった。
「では警戒しなくてはなりませんね」
「そういうことになるわ。私達が無事でも貴方に何かあったらラムクーヘンとの関係も悪くなるし、間違っても死なないようにね」
「エリーシャ殿の身に何かあっても同じでは?」
「私はほら、殺されない限り死なないし」
自信ありげに胸を張る。相変わらず胸は薄っぺらかったが、こういうときは虚勢も大切である。
「私は護衛達に状況の説明をして警戒させる。貴方もできるだけ気をつけて頂戴」
「解かりました」
お任せを、と、サバランは場に不釣合いな位さわやかに笑いながら、エリーシャを見送った。
「……兵団が居ない?」
違和感はそこで頂点に達した。
少なくとも兵員輸送用の馬車六台分に騎馬二百騎からなる護衛兵団。
そのほとんどがその場には居らず、辛うじて残った者も全員が地に倒れ、意識を失っていた。
トルテを心配するあまり見落としてしまっていたが、改めて見るや、その状況の拙さに気付く。
「これがゲート……」
なんとも敵にとって都合よく、必要な部分だけ転移させられたらしかった。
いや、あるいは、とエリーシャは考える。
(もしかして、これって――)
どうも何かがおかしい。そう思うと、途端にさまざまな事が思い出される。
旅立つ前のセーラの謎の死。戻らない侍女。この場に居ない護衛兵団。
一連の出来事は、一つの可能性を肯定すればそのすべてが結び付けられるように感じる。
いや、それだけではない。シブーストの死の直前に起きた城内への魔族侵入。これももしかしたら、と。
(衛兵隊が、裏切ったんじゃ――)
そんなはずはない、そう否定したかった。
だが材料がない。事態は急を要する。
(だとしたら、逃げないと)
もう考えている暇はない。ここがどこなのかも解からない以上、どこから何が来るかわからない。
ただ一つだけ確実なのは、自分達がとても不利な状況にあり、そして、今は動かないといけない時だという事。
エリーシャはすぐさま馬車にとって返した。
「――姉様?」
すぐに戻ってきたエリーシャに、トルテは驚き反面、その形相に少し怯えも混じっていたが、出来る限りの武装を整え終えるや、エリーシャは構わずトルテの腕を掴んだ。
「トルテ、すぐに逃げるわ。馬車を降りて」
「逃げ……はい。解かりました」
トルテもその真剣さ、事態の拙さを察したのか、余計な事は問わず、素直に馬車から降りた。
「エリーシャ殿? 一体――」
「逃げるわよ王子。衛兵隊が居ないの。死にたくないなら付いてきて頂戴」
「衛兵隊が――? わ、解かりましたっ」
馬車からトルテを連れ出てきたエリーシャの言葉に、王子は緊張気味に顔を引き締めた。
「いくわよ」
「はいっ」
トルテを抱きかかえ、出来る限り急ごうとするエリーシャの後をサバランが走る。
逃げ込んだ先は目の前にあった森の中。
後ろからは追っ手のモノらしきざわめき。
獲物を取り逃がした事にあわててか、それともそれすらも想定の内だとばかりに追撃を始めたのか。
自分たちのすぐ後ろを、少なくとも味方ではない者たちが追いかけてくる恐怖。
エリーシャもサバランも必死の思いで逃げるが、王子は不慣れな森に足を取られながらの、エリーシャにいたってはトルテを抱きかかえての逃走である。
「姉様、後ろからっ――」
すぐに追いつかれてしまった。
「見つけたぞ!! クロスボウで足を止めさせろ!!」
「足だ、足を狙え!!」
すぐ背後から聞こえる敵兵の声。エリーシャは不意に足を止めトルテを降ろす。
「姉様……?」
「ここは――」
――ここは私が。
振り返り、そう言おうとした所で、王子がエリーシャの前に立つ。
「ここは私が時を稼ぎます。お二人はどうか、その間に」
「……サバラン王子。貴方じゃ時間を稼ぐも何も――」
「ご安心を。これで私は魔法の道に通じております。あの程度の兵士、蹴散らしてみせますよ」
頬に汗を流しながら勇ましく笑う。情けない姿ばかり見ていた所為か、不思議と二人にはとても精悍な顔立ちに見えた。
「――ごめん。任せたわ」
この場で議論する事の無意味さを悟り、エリーシャはトルテを連れ、その場から離れようとした。
「あの、サバラン王子。がんばってください!」
去り際、トルテが振り向き、声援を一言だけ伝える。
「……生きてて良かった」
その言葉に手だけ挙げ返しながら、王子は愛しき姫君の言葉に涙を流した。
二人がその場から逃げ去った直後、背後から巨大な爆発音と爆風が届き、二人は彼の奮闘を想像し、頬を引き締める。
「姉様、私、生きたいです。もうあんなのはやです」
「大丈夫だから。絶対に、何が何でも、生きて帰りましょう」
最早抱きかかえる余裕もない。王子の奮闘あってかなんとか距離は離せたものの、それもいつ縮められるか解かったものではない。
そもそも、この逃走ルートが正しく逃げ道となっているのかも怪しい。
逃げ出した先に敵の本隊が待ち構えていないとも限らないのだから。
状況は絶望的。事態は最悪に近づきつつある。
このまま殺されてしまうかもしれない。
敵に捕らわれれば待っているのは死か、あるいは死よりむごたらしい何かか。
国にとっても最悪な人質となってしまうに違いない。それだけはいただけない。
(この娘だけでも護らないと――)
隣を必死の様子で走るトルテを見ながら、エリーシャは決意を込めた。
「――っ!! 伏せて!!」
走っていた中、足元に違和感を感じ他エリーシャは、瞬時に判断しトルテの足を止めさせる。
「えっ? きゃっ――」
倒れそうになるトルテを抱きしめながら、エリーシャは身をかがめた。
直後飛び交う矢の群れ。
その多くは伏せた事によって外れたが、いくらかが直撃コースを飛び、エリーシャの背に襲い掛かる。
が――矢は瞬時に蒸発。そして飛び交うカウンター。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
反射で衛星魔法から展開された氷矢の嵐を正面からまともに受け、後方の敵兵達がのたうちまわる。
「いくわよっ」
「は、はいっ」
すぐにまた起き上がり、走り出す。
背後からの奇襲はこの衛星魔法である程度防げるが、先ほどのように多数の矢が飛び込んでくればそれも難しく、被弾面積を減らさなくては魔力の浪費にも繋がる。
いつまで逃げればいいかも解からないこの状況下、魔力の使いどころ一つ誤れば、それは即座に死に直結しかねない。
わずかでも節約し、かつ効率よく逃げなくてはいけなかった。
「はぁっ、はぁっ――」
「……トルテ、限界みたいね」
ほどなくして、元々体力のないトルテはすぐに体力が尽き、肩で息をするようになってしまっていた。
「ご、ごめんなさい……姉様だけでも――」
「馬鹿言わないで。貴方を置き去りになんてしたら、それこそ笑ってシブースト様に会えなくなる」
息も絶え絶えで気を遣おうとする妹分を見て、エリーシャは心なし微笑みながら、その肩にぽん、と手を置く。
「姉様……」
「これを持っていきなさい」
腰に下げていた短剣と、胸元に入れていた逆十字のアクセサリーをトルテに手渡す。
「これ――」
「何もないよりはいいはずだわ。短剣の使い道は……解かるわね?」
「……はい。もし私の元まで敵がきたら、これを使って――」
「そんな事にならないようにするけどね。ただ、どうなるか解からないから」
恐らくは今生の別れとなるのではないか。
そんな予感を感じながら、エリーシャはトルテの髪を撫でる。
チョコレート色の美しい髪が、小さく揺れた。
「姉様、死なないで――」
「死なないわ」
「トルテを置いていかないでください」
「置いていかない。これは、そのための別れよ」
懇願するように見つめてくるトルテに、キリリと頬を引き締め、エリーシャはトルテの頬にそっとキスをする。
「必ず生きて帰る。だから、貴方も無事生き延びなさい」
「……はい」
それがどれだけの絶望か。どれだけの無理難題か。
それが解かっていながら、二人は別れる事しか出来なかった。
エリーシャはトルテをかばって戦う事等できないし、トルテもエリーシャの邪魔になりたくなかった。
エリーシャが生き延びる為には危険を伴っていてもトルテを一人先に行かせるしかないし、トルテが生き延びるためにはまた、エリーシャを捨て駒にするしかなかったのだ。
それでも尚、生き延びられる保障などどこにもない。ただひとえに、最も確率の高い方法を、感覚で選んだだけであった。