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趣味人な魔王、世界を変える  作者: 海蛇
6章 時に囚われた皇女
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#2-4.涙雨

「セーラ!! しっかりしなさい、セーラ!!」

朝。そのセーラを見つけたのは、他でもないエリーシャであった。

セーラよりの手紙を受け取り、朝一でセーラの工房に顔を出そうと訪れたのだ。

「……エリーシャさん。良かった――てくれた――」

小さな身体を震わせながら、それでもなんとか息をつなげていたセーラは、抱きかかえるエリーシャの耳元で、静かに言葉を紡ごうとしていた。

「しゃべらないで。すぐに傷を治すから。医者に連れて行くわ。だからお願い、無理しないで」

エリーシャの必死そうな表情が見えて、だからか、セーラは『ああ、そうなのか』と受け入れてしまった。

ずっと身体が動かなかった。力が入らない。泣きたいほど痛かった。なのに、首を動かす事すらできない。

指先はどんどん冷たくなっていった。視界はどんどん歪んでいって、ぶれぶれになっていて。

自分の前にいる人が、辛うじて声だけでエリーシャなのだと解かる位で、もう何も解からない。

「エリーシャ――んの手紙って……聞いて、開けちゃったんです」

「傷を、せめて傷だけでも――」


 セーラは、酷い有様であった。

エリーシャが見つけたときには、血溜まりの中に倒れていたが、腹を刺されたのか、どれだけ止血しても止まらないほどの出血量であった。

既に、いつ失血死してもおかしくない様子で、だからこそ、エリーシャは必死だった。

すぐにその傷を癒そうと衛星魔法を発動させ、セーラを癒そうとする。

だが、傷は癒えない。塞がらないのだ。


「な、なんで――」

そんなエリーシャを、なぜか当の本人はおかしそうに微笑んでみせる。

「あの、私は……いですから。あの。これ――」

言いながら、力の入らない手をなんとかエプロンのポケットに入れようとする。入らない。取り出せない。

「あれ……あれ。おかし……ごめん、なさい。力、入らなくて――」

「ここね? ポケットの中……紙?」

「男の子だった時の、為の、シピです。『クラウンブレッド』っていう。私なりに、研究して……えたもので――」

息をするのもやっとの様子だというのに、生きているのも不思議な有様だというのに、セーラは微笑を崩さない。

「何言ってるのよ? 意味わかんないわ。ねえ、セーラ、しっかりして、セーラ!!」

「自信作になる――定だったんだけど……はは、なんか、間に合いそうにないから、弟子の子に、ねがい――します」

「解かったわ。弟子の子に渡せばいいのね?」

「後、あの、試食してもらう――のは、テーブルの……上に」

「こんな時に試食なんてできる訳ないでしょ。しょっぱくなるじゃない」

セーラの言葉が、エリーシャの胸を締め付ける。これはもう、遺言なのだと解かってしまった。

「はは……うですね。でも、食べて欲しいから。絶対美味しいんです。今度は、前と違って垂れないし――ぜったい、おいし――」

「……セーラ」

「衛兵さんでした」

「衛兵?」

話の内容が支離滅裂になってきたのを感じ、それでも何か伝えようと思っての事だと、エリーシャはセーラの言葉に真剣に耳を傾ける。

「そういう格好の……へへ、騙されちゃって」

「貴方は、衛兵の格好をした奴に襲われたのね?」

「女の人と、男の人――たり。よくわかんないです。ああでも――」

「でも?」

「大丈夫ですよ――シャさん。目が覚めたら――っと、またあの頃に――戻る、だけ……」

セーラの瞳が潤む。大きなしずくが両目から溢れ、やがて身体を大きく震わせた。

「たのしい……ゆめだった……ぁ」

「セーラ!!」

力なく閉じたその瞳は、二度と開く事はなく。

零れ落ちた涙は、血溜まりに混ざっていった。


 こうして、パン貴族セーラは、短い生涯に幕を閉じた。

あまりにも惨めな、あまりにも突然の別れであった。



 その最後を看取ったエリーシャは、友人を凶刃に掛けた犯人を血眼になって探した。

国中の衛兵を動員させ、わずかでもそれらしい情報がないか調べつくした。

だが、その手がかりであるはずの『衛兵らしき姿の一団』は影一つ掴む事が出来ず。

必死の捜索虚しく、エリーシャは、トルテと共に旅立つその時を迎えてしまった。


「……セーラ。貴方の仇はいつか必ず」

馬車の中、遠くなっていくアプリコットの街を眺めながら、エリーシャは小さく呟く。

「セーラさん。確か、姉様のご友人の方でしたか」

そんなエリーシャの姿を心配そうに窺いながら、トルテが声を掛ける。

「ええ。パン屋の看板娘だったの。笑った顔がとっても可愛い、元気な子だったわ」

無念。ただ無念であった。エリーシャは、悔しげに歯を噛む。

「悪い事なんてしたこともない子なのに。お金なんかより、自分の作ったパンを食べて笑ってくれる人たちの顔を見るのが、何より大好きな子だったのよ」

「私もチョココロネは大好きでした。ドーナツも。あの方の作ったパンやデザートをもう食べられないなんて、私、悲しいです」

なんと言って慰めればいいかも解からず、見当違いかもしれないとは思いながらも、トルテはそんな慰めの言葉しか掛けられなかった。

ただ、黙っている事なんてできないほどにエリーシャは悲痛な表情をしていて、それが、それだけ辛い出来事だったのだと、その心を酷く痛めつけているのだと、トルテには解かってしまったから。


「……貴族になんてならなければ、あの子は殺されずに済んだのかしら……だとしたら、あの子は私に殺されたようなものだわ。私が、平穏に生きてたあの子を――」

ぽつり、ぽつり、と、暗く淀んだ思考がエリーシャの口から零れ出る。

「姉様落ち着いてください。セーラさんは、姉様を恨んだまま亡くなられたのですか? 『辛い』と、『なんで私を貴族にしたのか』と、恨み言を言いながら亡くなられたのですか?」

「違うわ。違う。笑いながら、『いい夢だった』って……」

「じゃあ、姉様が悔やむのは間違いですわ。だって、姉様はセーラさんを笑わせられたんですから。最後の最後で、苦しい時に、安心させられたんですから」

「……そうなのかしら」

おかしな方向に走ろうとしていたエリーシャを、トルテは必死になって止めていた。

それは、いつもとは真逆の光景。だが、不思議とおかしなものではなかった。



 エリーシャは、物事を悪く考え易い性質を持つ。どこまでも悪く考えてしまう。

子供の頃からの不幸続きの所為で、悪い方に、悪い方にばかり考え、自分を追い詰め、追い込み、理想より低い場所に自分を置こうとしてしまう。

子供の癖に変に大人びていたのは、ずっと不幸ばかりだった所為で諦める事に慣れてしまっていたから。

先に辛いものを想像し、悲しんでおけば、本当にそうなった時に耐えられるから。

だから、エリーシャは自分を追い詰めてしまう。他者にぶつける以上のものを、自分の心に刻み込んでしまう。

近しい人が死んでしまう事に、エリーシャはどこまでも慣れられなかった。

父のときもシブーストのときも、もちろん、顔も知らぬ母の事も、それを忘れた事はない。

その心は、失った悲しみを決して忘れたりしない。誰かを喪失したならその分だけ、自分の心を傷つけ忘れられないようにする。

それが、エリーシャの壊れた性質であった。幼い頃からの、もっとも危ういエリーシャの本質の一つであった。


 トルテは、それを幼い頃からなんとなく察していた。

勝気で行動的で、そして強い姉のようなその人は、その実自分よりずっと心が弱く、いつ壊れてもおかしくない位に危うい人なのだと解かっていた。

だから、傍にいたいと思っていた。支えたいと思い、勉学に励んだりもした。

自分が頼られる事はないだろうと思いながらも、それでも、何かの役に立ちたいと本気で願った。

それは、トルテ自身が、今目の前にあるような、打ちひしがれた姉の姿を見たくなかったのもある。

だが、本来の所トルテは、このような状態になったエリーシャを、なんとか助け出したいと思っていたのだ。

自分よりずっと心が弱いのに、それでも必死になって取り繕って、平静を装って姉のように振舞う。

そんなエリーシャが愛しくて仕方ない。守りたいと心の底から願っていた。

そんな両者の心根が今、表に出ただけなのだ。



「……セーラは、笑っていたわ」

少しの間の後、またエリーシャがぽつり、呟く。

「あの子の最後のパン。すごく美味しかった。ぱりぱりで、だけど崩れなくて。中身の餡は蜂蜜とリンゴが入っててね。すごく甘くて……甘いはずなのに、なんか、すごくしょっぱく感じちゃって。パンがね、湿っちゃって……私、私、あの子のパン、最後まで食べてあげられなくって――」

「姉様」

「どうしてなのかしら? 人は美味しいものを食べたら笑顔になるんだって父さんは言ってたわ。なのに、なんで私は、こんなに悲しいの? なんで私は、泣く事しかできないのかな……」

「姉様。泣いていいのです。泣く事が出来るうちは、姉様はまだ大丈夫なんです。泣いてください。トルテは笑ったりしません。姉様は今、やっと、素直に泣けるようになったのですわ」

「……泣いていいの?」

「見られるのが恥ずかしいなら、抱きしめますわ。姉様。私が傍にいますから――」

「……っ」

我慢の限界だった。トルテの言葉が、エリーシャのぼろぼろになっていた心を強く揺さぶった。

シブーストの死からようやく立ち直りかけたエリーシャには、今回のセーラの一件はあまりにも唐突で、そして、耐え難いものだった。

馬車の中、声にならぬ声が響く。

自然、馬車はそこに止まり、時だけが流れていった。

抱きしめるトルテは妹の顔ではなく、優しい姉のような、母のような顔で。

ただただ、恥じらいもなく泣いてしまったエリーシャの頭をそっと撫でていた。



 やがて、雨が降り出す。

一度天に昇った魂が、雨となり大地に染みていく。

失われた命は、大地から零れ落ち。

やがて『川』へと合流し、その世界から旅立っていく。

新たな命へと成る為に。新たな大地の一へと成る為に。

全てを知る女神は、そういった物悲しい雨を『涙雨』と名付けた。


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