#2-2.撤退戦の代償
この言葉に、指揮官たちは途端にざわめきだす。
「そんなっ、折角築いた防衛ラインを放棄すると!?」
「それでは魔王軍に付け入る隙を与えてしまいます!」
「これでは何の為にここを守っていたのか――」
それまで力なくうつむいていた者達も、これには我慢ならないものがあってか、立ち上がり、バルバロッサに抗議していた。
当然である。今までの全てを投げ出すようなものであった。
教団の行動目標として教祖が掲げた北部開放が、ここでまた後退してしまう。
到底承服できるものではないと、指揮官たちはバルバロッサをにらみつけていた。
だが、バルバロッサは落ち着いていた。最早、うろたえている暇等ない。
眼は強く場を見据え、そして言い放つ。
「ではここで死ぬのが正義なのか? 北部開放を望むなら、そして、教団の戦士として戦うつもりなら、尚更こんなところで無駄死にすべきではないだろう。それが到底呑めぬ話だというのはわかる。だが頼む。教祖様の為、聖竜エレイソン様の為、どうか受け入れて欲しい」
「ですがっ!?」
「今しかない。敵が攻めてこない今なら安全に退避できるかもしれない。だが、一度敵の攻撃が始まれば、それは我々の全滅を意味する事となるかもしれんのだ。事は急がなければならない」
食い下がろうとする若い指揮官をものともせず、バルバロッサは自分の意見を押し通す。
「私は、教祖様より諸君らを、そして兵たちを任されている。それをこのような場所で犬死になどさせたくない。無策のままこの要塞に居続けるのは、自殺行為に他ならないだろう」
「……現実的に考えれば、退くという選択は過ちではないとも思えます」
それまで黙っていた壮年の魔法部隊長が、バルバロッサの意見に同調した。
「戦えば、仮に勝てても被害は甚大。まかり間違って我等が壊滅などすれば、後は無防備な後方の諸国が敵の眼前に晒される事になる。守りたいものを、守りたかったものを、守れなくなるかもしれんなあ」
ぼそぼそと小声で呟かれたそれは、しかし、彼の言葉で静まり返った指揮所に、はっきりと響いた。
「……確かに、我々がここで死ねば、勢いに乗った魔王軍を止めることは難しくなる」
「だがダリアを失うのは痛いのではないだろうか。敵に奪われればまた、ここを拠点に北部諸国が攻撃に晒されかねん」
落ち着きを取り戻しつつあった指揮所の面々は、しかし、それでもダリアを敵に明け渡す事には抵抗があるらしかった。
ようやく会議らしい会議の場になりつつあるその様子に、バルバロッサは満足げに笑った。
「簡単な話だ。奪われて困るなら破壊してしまえばいい。敵に利用などさせるものか」
その言葉に、はっとしたようにバルバロッサを見つめる面々。
「焦土作戦ですか。よろしいのですか? これほどの要塞、それに防衛ライン。それら全てを破壊するとなると――」
中年指揮官が、丁寧に実行の為の課題を説明しようとしたが、バルバロッサは手を挙げ、それを制する。
「時間はかけないようにする。幸い、火薬は腐るほどあるからな。これを活用する」
要塞破壊の最大の難点足る時間の少なさは、この意見により解決された。
「とにかく時間がない。いつ敵の攻撃が始まるかも解らん。各部隊には速やかに行動に移ってもらいたい」
「承知しました」
「ナイトリーダー、撤退戦においては殿軍が必要となります。どの部隊が担当するのか、今の内に割り振りましょうぞ」
「無論、殿は私と直衛部隊が務める。諸君らは気にせず、撤退の為の段取りを話し合ってもらいたい」
「な、なんと……」
「解かりました。では、ナイトリーダーが殿を務める方向で話を進めましょうぞ」
最も重要な撤退戦の要は、バルバロッサ自身が務める事となった。
これには指揮官たちも目を白黒させたが、その覚悟が本物らしい事は聞くまでもなくバルバロッサの眼を見れば分かる事であり、指揮所の面々は、先ほどまでの騒がしさが嘘のように、粛々と撤退の為の段取りを決めていった。
こうして、ダリア防衛ラインは魔王軍の攻撃を受ける直前で辛くも撤退に成功。
後方のザクロ要塞へと移り、以降はそこで防衛ラインを構築する事となった。
退路、魔王軍による追撃を受けはしたものの、殿軍の犠牲によってわずかな損害で済み、また、要塞爆破のタイミングが絶妙だった為に攻め込んだ魔王軍に多大な被害を与える事にも成功した。
作戦そのものは、バルバロッサの目論見通りに推移し、見事ラミアの裏をかく事に成功したように見えた。
しかし、話はそこで終わらなかった。
数日後の夜。ベルクハイデにて。
合流した中央諸国の将軍らと今後の作戦を話し合っていた教祖カルバーンは、ここで唐突な報を受ける。
『ナイトリーダー・バルバロッサ。撤退戦の折、敵の魔法攻撃を受け戦死』
ダリアからの撤退も解かった上でそれを視野に入れ作戦を考えていたカルバーン達であったが、この報告には大いにざわめいていた。
戦死したのは他でもないカルバーンの腹心である。教団を代表するナイトリーダーである。
カルバーンにとっては最も信頼できる部下であり、数少ない、自身が魔族であることを教えている相手でもあった。
それを失ったのだ。カルバーンの悲しみたるやいかほどか。その心境たるや、誰にも計り知れたものではない。
しばし沈黙したカルバーンは、やがて席を立ち、何も言わずにうつむいたまま部屋を出てしまう。
後を追う者はなく。誰もが追う事を出来ず。ただ、そこから聞こえる若い娘の泣き叫ぶ声を、居心地悪そうに聞いているのみであった。