#7-2.絶望に染まる瞳
その頃、魔界では凄惨な激戦が繰り広げられていた。
魔王城常駐軍の二千の魔物兵士は度重なる人間軍の侵略により崩壊。
戦線は城内決戦へと移行し、文官含めての中級・上級魔族が少数精鋭で無数の人間を抑え込んでいる状況だった。
元々中級魔族でも一騎当千、上級魔族は単独で軍を葬る実力者が多いのだが、魔王城勤めの魔族は多くがラミアのように戦闘に不向きな、インテリジェンス特化型の魔族ばかりの為、実質役に立っているのはウィッチ等の破壊魔法が得意な種族のみである。
それでも、数千、数万程度の軍勢は蹴散らせていたが、流石に連日連夜、休む暇もなく戦闘を強要され続け、徐々にダウンする者が増えてきた。
特に魔族の得意とする超広域魔法などは地形そのものも破壊してしまうためにこれを封印せざるを得ない者も多く、全力を出せないまま、不得手な防衛戦を強いられているのも、心理的な圧迫感を強める要因となっている。
魔王城は最早陥落寸前であり、救援の目処も立たない。
こんな時に限って黒竜姫は遊びに来ず、絶望的な状況が続く。
幸いにして楽園の塔は後回しにされ、非力なエルフの姫君らが人間達の手によって蹂躙されるという最悪の事態は避けられたが、それもまた時間の問題である。
この期に及んでも未だ各地方の魔族らは何ら危機感を抱かず、面倒だからと絶賛放置プレイ中である。
魔族に何故魔王という存在が必要なのかというのがよくわかる状況であった。
「この魔女め、よくも仲間をっ!!」
「ここで倒してやる。魔族め、覚悟しろ!!」
魔王の私室へと通じる廊下で、ウィッチは無数の人間達と対峙していた。
全身傷だらけで体力的にも魔力的にもふらふらな状態だが、それでも人間は万全の態勢で襲い掛かってくる。
流石に眠っている魔王を見つけられるのは不味いと思ったウィッチだが、駆けつけられるのは最早彼女一人で、他の魔族達は彼女が不在の間敵を抑え込む役に徹している。
悲しい事に、彼女の上司でありあまり戦闘向きではないラミアですら、多くの人間相手に戦う羽目になってしまっていた。
――あまりにも劣勢。まさか人間がこんなに厄介だとは。
後悔ばかりが募る。あの時自分が追撃をかけておけばと。
確かに一人逃げたのだ。魔王城に突入する前に一人だけ引き返した者が居たのだ。
それがまさかこんな事態になるなんて誰が思っただろうか。
仲間意識がそんなに強い訳ではないが、それにしたって同じ職場の同僚が幾人も死ぬのは流石に良い気分がしない。
目の前の、殺しても殺しても虫のようにわらわらと湧いて出てくる人間達に軽い吐き気を覚えながら、ウィッチは無言のまま掌を前に突き出した。
「魔法が来るぞ、分散しろっ」
先頭の勇者が反応し、後続に指示を出す。
すぐさま人間達は左右に分かれ、あるいは防御魔法を前面に出しながら、ウィッチを包囲せんと走り出す。
そんな人間達を見て、それでも態勢は崩さず、静かに息を吐く。覚悟を決める。
キッと目を見開き、眼前の敵を睨みつけ、自分に迫っているのをもう一度確認して、一歩後ろに飛びのきながら――魔法を放つ。
『エクスプロージョン!!』
「なっ――」
瞬間、世界が白になる。
ウィッチの足元に叩きつけられたその魔法の球は、床とぶつかり合った瞬間、強烈な爆発によって地形そのものを破壊した。
魔法防御も盾も何も関係の無い、地形もろとも全てを爆破する魔法である。
破壊範囲が広すぎる為、狭い場所で使えば自爆するだけで普段なら絶対に使わないのだが、魔力も底をつき、こうでもしないと足止めが叶いそうにないと悟り、自爆覚悟で使う事となった。
「……うぅっ……ぁ……痛っ……」
そうして満身創痍の彼女は見事に爆発に巻き込まれ、殉職――とまではいかず、しぶとく生き残ってしまう。
無駄に高すぎる魔法耐性の所為で、自分の魔法で死ぬ事すら許されない。
迫っていた人間のいくらかは爆発とそれに伴う壁や天井の崩落に巻き込めたらしく、自分以上にエグい事になっている元人間達が見えた。
しかし、その後ろに見えたのは絶望である。
瞬時に隊列で防御したのか、何かの怪しげな加護でも得ていたのか、後列の人間達はほぼ無傷のまま、崩落した床を渡ってくるのだ。
彼女は、普段ならこんなヘマはしない。
冷静さを失っていたのは、普段なら負けるはずの無い、見下すどころか視野にさえ入れていない相手に蹂躙されかかっているという精神的な負担が大きい。
その負担が今、ウィッチの心を酷く脅かしている。
その心を染めるのは絶望。恐怖。理不尽。
声など出ようはずもない。立ち上がれるほど足に力はなく、這って逃げようにも腕はボロボロである。
人間達が迫ってくる。逃げなければいけない。
逃げなければ殺される。もしかしたら陵辱されるかもしれない。
今更気づいたのだが、敵は見事に男ばかりだった。何故一人も女が居ないのか解らない。
そもそも人間というのが何なのかよく分からない。
敵対しているから殺しているがそれが何なのか解らないので何をしてくるか解らない。
自分が死ぬのは間違いなさそうだが、ただ死ぬだけなのかそれ以外に何かがあるのかが解らない。
解らないというのは怖いのだ。解らないというのは酷く恐ろしく、そして暗い。
絶望が瞳を暗く染めていく。人間達の手は迫ってくる。
逃げなければいけない。しかし身体は動かない。
不幸にも、恐怖を表現できるほど顔の筋肉はまともに動かず、叫ぶ事も出来ず、この唇は、ただヒュー、ヒュー、と、小さく息を吸うだけであった。
そうして自分の元に辿り着いた人間の男の剣は、首筋ではなく胸元に向けられていた。殺すのなら首をはねれば確実だというのに。
どこかにやついているように見えた。
完全に見下していて、完全に勝者のような気に食わない顔だった。
「おい、やめろよ」
「そんな事してる暇があればさっさと殺せ」
他の男が止めるのも聞かず、にやついた顔のまま突きつけた剣を、そのままあてがうようにずらしていく。
既にボロボロになっていたが、そのボロ切れ同然の布地を剣が切り裂いていく。ピリ、と、乾いた音を鳴らしながら。
ボロ切れがただの布に還り、乙女の白い肌が露になりそうな瞬間である。
――好奇に笑う男の胸に、深々と剣が突き刺さっていた。
「がっ……ぁ……?」
何が起こっているのか解らない彼は、幸運にも、痛いとすら呟く事なくそのまま絶命した。
「……っ!?」
男達はざわめく。
同胞が突然死んだ事に対してではない。彼らは死には慣れていた。
馬鹿な奴が馬鹿をやって死んだだけ。それだけの話なのだ。
なので、彼らが見て驚いたのはその正面であった。
力なく崩れ落ちたままのウィッチを隠すように、金髪碧眼の、長剣を手にした美少女と、背の高い中年男が立っていた。
「お前達は……に、人間か……?」
人間は問う。それは否であると思いながらも。
「いいや、違うね」
男は、彼らの予想通りに否む。
人間達は武器を構え、新たな敵の出現を受け入れる。
「貴様らも魔族か。だが魔族ももう終わりだ」
「魔族……いいや、私は凡百の魔族などではない」
勇者達の物言いに、男は静かに自嘲気味ににやりと笑う。
その目は、決して笑っていない。
「な……なんだとっ」
ただならぬ気配に警戒を強める勇者達だが、そんな物は最早意味を成していなかった。
「私は……魔王だ」
ただその一言のみで。ざわめく事すらさせず、次にはもう、人間達は皆殺しにされていた。
魔王は動かない。微動だにしない。ただ睨みつけていただけだ。
殺したのは人形達である。魔王が愛して止まない大切なコレクション達だ。
美しく着飾った彼女達は、等身大の人間の少女のサイズになっており、それぞれが様々なドラゴンスレイヤーを装備している。
個々が一騎当千の不死の人形兵団である。勇者が束になっていようと相手にすらならない。
勝者の側に居たはずの勇者らの瞳は、理不尽という名の絶望に暗く染まっていき、やがて、光を完全に失っていった。
「――ぇ……ぃ……ぁ――」
「……よくがんばったな。お前達は偉いぞ」
ヒトの血溜まりの中、声にならぬ声を必死に搾り出すも、かすかに聞こえたねぎらいの声に、ウィッチは瞳を濡らした。
放って置けば死んでしまうのは目に見えていたので、魔王は即座に治癒の魔法の詠唱にはいる。
何節か呟くと眩い光が溢れ、光はウィッチの全身を包み込み、傷を癒していった。
本来なら前提の準備に相当の手間と魔力を要する上位の治癒魔法であるが、魔王はジャンル的には治癒魔法が一番得意なので難なく使いこなせる。
程なくしてウィッチの傷はほとんどがふさがり、安堵したのかくたりとその場で気絶してしまった。
「ノアールちゃん。すまないがこの娘を私の部屋に。休ませてやらないといけない」
「かしこまりましたわぁ。旦那様、お気をつけて」
「ああ、頼んだよ」
ガーネット色の髪の娘にウィッチを任せ、魔王は再び向き直る。
人形達は既に散開し、多くは魔王城の各所へと回っている。
遠からず人間達は駆逐できるはずである。
だが、魔王は怒りを忘れられないまま、不機嫌そうに歩く。
向かう先は参謀本部である。
ラミアたちがどうなっているか知らないが、立てこもるならばそこが一番向いている。
そんな漠然とした勘だけで、魔王は足を向けていた。
「へ、陛下っ!?」
果たして、人間達を撃退し、参謀本部に無事到着した時には、ラミア以下、十数名の魔族の娘がいるだけであった。
「他の者はどうした」
「副官のウィッチは陛下をお守りする為に回し、他の戦闘向きな娘は楽園の塔へ回しました」
ラミアもボロボロで、傷にまみれ、指先などは爪がはがれ、いたるところから血が流れ出ていた。
エリーシャ相手の時とは違い、か弱い部下達をかばいながら、大真面目に命がけで戦い続けた結果らしい。
実にしぶとかった。
「ウィッチは私が保護している。よし、塔へ行くぞ。エリーセルちゃん、彼女達を手当てしてやってくれ」
「かしこまりました」
戦力的に見れば塔など気にする必要もない位なのだが、ラミアはそうは考えないらしく、自分達の身の安全は後回しに、魔王の次にはハーレムの女性達を優先したとの事。
それで死に掛けているのだから世話は無いが、あまり頼りにならないと感じていた部下の意外な気遣いに少しだけ可笑しくなり、笑ってしまった。
「……何か楽しい事でも?」
「いやなに、私もまだまだ、知らない事ばかりだなと思ってな」
他種族どころか、自分の部下のことすら良く知らないのだ。笑ってしまう。
「さて、行くぞ。まあそんなに心配でもないが、な」
魔王は一人ごちりながら、先ほどまでよりは幾分軽い足取りで塔へと向かった。
「あら師匠。お目覚めになっていたのですね。ごきげんよう」
あらかたの予想通り、塔の門前は死屍累々としていた。
数多の人間の死体の山を前に、エルゼは可愛らしく微笑みながらドレスの裾をそっとつまんで慎ましやかに挨拶をする。
「あぁ、ごきげんよう。やはりその……なんだ、これは君が?」
「えぇ。何故か知りませんが、男子禁制のこの塔に入り込もうとしていたので……」
エルゼはちらちらと死体の山を見る。いずれも男ばかりだ。女の勇者はどこに行ったというのか。
「まあ、君がいるなら、この塔は揺るぎないと思ってはいたよ」
「はぁ……?」
不思議そうに首をかしげるエルゼは、状況を今一把握できていないらしかった。
「入ろうとした塔の前に一番強いのがいるんだから、人間はたまらんだろうな」
理不尽この上ないチキンレースである。踏み出したら死が待っている。
退いた者のみが生きる権利を与えられるのだ。一体誰が正解を知っているというのか。
とにもかくにも、楽園の塔に侵入者が入り込んだ形跡はなく、ラミアが心配していた程ハーレムの娘達には危険は迫っていないらしかった。