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趣味人な魔王、世界を変える  作者: 海蛇
5章 『勇者に勝ってしまった魔王のその後』
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#12-4.壊れゆく運命の歯車

「ラムに向かえって言うの? 私とトルテに」

場所が変わり、アップルランド・帝都アプリコットの城。

先日の魔王軍の強襲を防ぎ、帝都へと戻った皇太后エリーシャに、皇帝シフォンとその妻ヘーゼルよりの、驚きの提案が待っていた。

それは、西部へのトルテを連れての避難。安全圏への退避を願った声であった。

「エリーシャ殿。貴方はもう勇者ではありません。今回の防衛戦とて、私たちは貴方に出陣させたくはなかった」

「私からもお願いしますわ。ラムクーヘンからは、以前より打診を受けていたのです。トルテ一人では無理でしょうが、エリーシャ様とでしたら――」

二人して、エリーシャを帝都から離そうとしていたのだ。

無論表向きはトルテの退避の為であろうが、それにしても、唐突な話であった。

「待って。ちょっと待って二人とも。何故そういうことになっているのかも解からないし、戻ってすぐにそんな事言われても――」


 城内の私室に戻った直後の話である。やっと城に戻り一息つけると思ったら、夫婦揃って訪れ、こうなったのだ。

「それに、以前より打診があったって、どういう事よ? そんなの私、聞いたことすらないわよ?」

「実は、以前より、南部諸国や魔王軍が迫っている事を心配したサバラン王子が、国元にかけあっていたらしく……」

エリーシャの質問にはシフォンが答えた。やはりというか、サバラン王子が一枚噛んでいたらしい。

「……またサバラン王子か。もう、しつこいわねぇ。どうせトルテ目当てなんでしょう?」

「確かに、それもあるでしょうが……ですが、確かにこの帝都も、いつ魔王軍やそれに乗じた南部の軍勢から本格的な攻撃を受けるかわかりません。サバラン王子の提案も、こと今となっては、笑い飛ばせるものではないのです」

ため息混じりに笑い飛ばそうとしたエリーシャを、シフォンはきっと見つめ、冷静に諌めていた。

だが、エリーシャはその位では折れない。

「それなら、トルテはともかくとしても、私より、ヘーゼル様をまず避難させるべきでしょう?」

事あるごとに足元を気にするヘーゼルを見咎め、はっきりとその矛盾を指摘する。

「あ……」

「えっ――?」

ヘーゼルははっとしたように目を見開くが、それに気づかない様子のシフォンは、不思議そうな顔でエリーシャを見ていた。

「……教えてなかったのね?」

エリーシャも特に確証があったわけでなく、なんとなしにそう思ったことであったが、ヘーゼルの反応から確証が取れてしまっていた。

そしてそれは、シフォンに伝わっていないらしい事も。

「……はい。折を見て話そうと」

照れたように頬を染め、俯いてしまうヘーゼル。シフォンは相変わらず察せていない様子であった。

ともあれ、立たせたままなのは良くないからと、すぐに掛けるように勧め、ヘーゼルを座らせた。

「全く、夫婦揃ってお人よしというかなんというか……」

知らないシフォンはともかく、ヘーゼルは自分の身の事もあるだろうに。

それでも尚トルテや自分を優先しようとするこの夫婦に、エリーシャはなんとも言えない温もりを感じてしまっていた。


 シブースト帝といい、何故こうも、自分の周りは優しい人ばかりなのだろう、と。

こんな良い人たちが悲しい目にあうのが我慢ならないから自分はがんばろうとしているのに、周りの人達はこぞって言うのだ。

『無理するな』『いつだってやめていいんだ』『せめて幸せに生きてくれ』と。

違うのだ。無理なんてしていないし、やりたくてやっているのだ。

人が一人でも助かり幸せに生きているなら、そして笑ってくれるなら、それは何より幸せなことなんだ、と、思っているのに。

結局その周りの人達は、自分が何を思っているのか考えてくれず、ただ、彼らの中の幸せな人生を歩ませようするのだ。

エリーシャには、それがたまらなくもどかしかった。優しさで縛られると、振り払い難い気持ちになってしまう。


 だから結局、彼女は自分の言葉で彼らの好意を、勘違いを気づかせる事しかできなかった。

「私は……確かにもう勇者じゃないわ。戦う必要は無いかもしれない。だけど、だからって戦争で傷つく誰かが居るなら、私は平穏な中で暮らせないわよ」

戦争は終わらない。ただ戦い続けるだけで人生を終える者は無数に居る。

何故生まれてきたのかも解からないまま、戦うことすら出来ず巻き込まれ散っていく者も少なくはない。

 エリーシャとて、偽善で言っているのではない。

ただ、この戦争を終わらせることの出来なかった勇者の一人として、そして、魔王によって大切な者を失い続けた一人の人間として、最後まで戦う義務があるのではないか、そう思ったのだ。

「エリーシャ殿は、気負い過ぎています。父の死は、確かに無念であったでしょう。私とて、許されるなら魔王、魔族に復讐してやりたいと思っている。だが、そのような私心で、国を動かすことは許されない」

エリーシャの意思とは別の、だが、しっかりとした信念がシフォンにはあった。

「私たちでは、この国を動かすのにまだ心許ないと感じられるのかもしれません。父と比べ、私はまだまだ若輩者、そう思われても仕方がない。ですが、だからと貴方が無理をするのをいつまでも見過ごせるほど、私は子供ではない!」

一歩も引かない態度は、やがて、シフォン自身に怒りに近い感傷を生み出していく。自然、口調は強くなっていく。

「エリーシャ殿。私は貴方が死んでいく様など見たくない。貴方は確かに強い。だが、これだけは断言できる。貴方はいつか、自身の老いが、疲労が元で、命を落とす。貴方の父上のように。勇者ゼガのように!!」

シフォンの熱弁はとことんまで振るわれていた。本人がどう受け取るかを度外視して。


 エリーシャは、そんなシフォンが嫌いになりそうだった。

自分を止めたいのは解かる。だけど、あまりにも無思慮というか、デリカシーの無い言い方なんじゃないか。

父の名前を持ち出すなんて、卑怯過ぎやしないか。人の心を説得のために抉るのはやめて欲しい、と。

割と本気で怒りそうになっていた。

「……喧嘩売ってるの?」

なので、手が出る一歩手前でなんとか我慢しながら、一言、ぼそりと呟く。おもむろに立ち上がってみる。

「そ、そんなつもりは――私は、ただ……」

シフォンも、エリーシャの言葉にただならぬものを感じてか、その情熱はどこへやら、顔面蒼白になって一歩、二歩と後じさる。

「女性に対して年だのどうだの……挙句に人のトラウマ抉るようなことはっきりと言ってくれちゃってまあ……ずいぶんとえらくなったようねぇ、シフォン皇帝陛下?」

エリーシャは止まらない。シフォンが弁解しようとしているのを見て、その上ではっきりと皮肉る。

そこには、最早育ちの差など存在しない。そもそもが幼馴染なので遠慮等どこにもなかった。

ヘーゼルなどその怒りを直接向けられた訳でもないのに既に涙目になっていた。

お腹をかばうように背中を向け、完全に逃げの姿勢である。

場の空気は、完全にエリーシャが握っていた。

だが――


「――全く――悔しくて言い返す言葉も見つからないわよ。年上でも女なんだから、ちょっとは加減してよね」

涙を流しながら、エリーシャは笑っていた。「仕方ないもんね」と、頬を小刻みに震わせながら。

「えっ、あ、あぁっ、す、すみませんっ」

シフォンはどうしたらいいか解からず、ただただ謝っていた。

「あ、エリーシャ様、あの、どうかこれを――」

気を利かせ、ヘーゼルがハンカチーフを渡す。それを受け取りながら、そっと目元を拭くエリーシャ。

「ありがとう……ん、大丈夫。落ち着いたから」

ちょっと感情が高ぶっていただけだから、と、すぐにハンカチーフを返しながら、エリーシャはまた、近くの椅子に腰掛けた。

「はあ、もう。年だからとか言われたら、自重するしかないじゃない。ごめんなさいね。もう、私みたいな年増の出る幕は無いか……」

先ほどまでとは全く違う様子で、さわやかな笑顔を見せていた。



「出立の日時は決めてあるの?」

「えっ?」

「だから、トルテと私の出立の日時よ。まさか、言い出しただけで何も予定立ててないって事はないでしょう?」

人が覚悟決めたのに今更それはないわよね、と、はっきり釘を刺しながら、エリーシャは話を振る。

「あ、ああっ……では、エリーシャ殿?」

ようやく状況を飲み込めてか、シフォンは『本当にいいのですか?』と問い返す。

「くどいわよ。それとも何、本当は旅立って欲しくないの?」

「い、いえっ――解かりました。では、お願いします。日時ですが、今はまだ長旅をするには厳しい。暑さが一旦落ち着く、来月の十日辺りを予定しています」

折角その気になってくれたエリーシャの機嫌をまた損ねるのはよくないと即座に気づき、シフォンはすぐさま予定をエリーシャに伝えた。

「来月か……じゃあ、それまでに一度、シナモンに行かないとね」

「父上のお墓参りですか?」

「それもあるけど……忘れないで。父さんだけじゃないわ。母さんのお墓だって一緒なんだから」

相変わらずデリカシーないわねぇ、と小さくため息をつきながら、エリーシャは説明した。

「そういえば、エリーシャ様のお母様は……」

「私が生まれてすぐ亡くなったわ。当時はブラックジャックが流行ってたらしいから――」

エリーシャが答えるや、「ああ」と、夫婦揃って眉を下げ、黙りこくってしまった。


 ブラックジャックとは、一昔前に中央部で猛威を振るった疫病である。

かかると喉をはじめ体中に黒い小さな斑点が浮き出て、発症から完治するまでほぼ永続的に続く激しい嘔吐感と堰、それから消化器官の出血や内臓各所への軽度の炎症を引き起こす。

発症から完治までの期間は数日から二週間ほどと比較的短く、ブラックジャックそのもので死ぬことは滅多にないが、発病初期の段階から胃と喉がやられ、重症時には口にしたものがほぼ全て吐き戻される為、病中の脱水症状・飢餓によって死ぬ者が後を絶たなかった。


 病原は当時食肉として流通していた『ミードック』と呼ばれる小型の哺乳類。

繁殖力が強く、穀物から食肉から、備蓄したあらゆる食料を荒らしまわる害獣という側面も持つこの哺乳類は、その反面食肉として美味という理由で急激に中央部に広まっていた。

それそのものは食肉用として申し分ない生物だったのだが、ある時グレープ王国の研究チームにより、一部地域のミードックに猛毒のウィルスを媒介する個体がいることが発見された。


 このウィルスは熱に非常に強い性質を持ち、それが故ミードックが熱による加工を行われてもウィルスそのものは生き残り、それを人間が口にする事によりブラックジャックの症状が発症する。

本来は空気感染しない類のものなのだが、人間の体内で変質し、発病によって吐き戻された吐しゃ物や堰などでも感染するようになる。

ただ、こちらは全体的に感染力が低く、免疫力の低い老人や乳幼児、妊婦等が発症に至りやすく、それ以外の発病例はとても少ない。

ミードックが当時流行していたブラックジャックの元凶と解かるや、即座に中央部全域でのミードック食用の禁止令が広まり、騒動は治まった。

同時に、ブラックジャックの再流行を恐れた人類は、反動でミードックを絶滅させてしまったのだが。


 幸い流行発生から終焉まで比較的短い期間で済んだが、それでも中央諸国全域の死者数は解かっているだけで軽く一万人を越えており、その規模は大流行と言って差し支えないものであった。

丁度、流行が治まったのがエリーシャの生まれた翌年で、彼女の母親はその最後の一年で発病、死去したことになる。

父の戦死といい、なんとも星のめぐりの悪い人生であり、シフォンもヘーゼルも居心地の悪さを感じていた。

「別に気にしてないわ。母さんは……正直、顔も覚えてない位だから、父さんと違って何の思い出もないしね」

空気の悪さに消沈してしまった二人に、エリーシャは笑って場の雰囲気を取り繕おうとしていた。

それが余計に涙を誘うのか、ヘーゼルは肩を震わせていた。

「ブラックジャックは、私の実家の者も幾人か患ったと聞いていますわ……なんとも恐ろしい疫病だったのだと」

「そうみたいね。まあ、マジック・マスターとの戦争なんかじゃ、一日で数万人規模で死ぬことだってあったらしいし、それに比べればまだ、ね……」

それだけ減り続けて、よくもまあ絶滅しないものだわ人間、と、エリーシャは人類のしぶとさに苦笑する。

少なくとも人類はミードックと違い、絶滅しないだけのしぶとさがあるのだろう、とも。


「とりあえず、話はわかったわ。それまでにこちらでもなんとかしておく。だけど、シフォン皇帝、国のことは大丈夫なの?」

エリーシャはまた、出立するにあたっての心配事をシフォンに問うことにした。

「当面は勇者リットルを中心に、なんとか軍の維持を図りたいと思います。幸い、北部からの増援も向かっているようなので、中央部は一時期よりは安定するのではないかと」

万一に備えての避難ではあるが、実際にはまだそこまで危機的状況に陥っている訳でもないらしく、エリーシャが無理にここに残る必要もないらしかった。

「本当に私は要らない子みたいね……まあ、そうじゃなきゃ、私が死んだ後困るものね」


 エリーシャ亡き後の世代。それを誰が率いるのかというのは、中央諸国連合では既に何度か話し合われているものであった。

ゼガの時はシブーストが居た。だが、エリーシャの時にはそのような傑物は存在しないのではないか、と。

一応、勇者リットルという優秀で経験豊富な人材もいるにはいるが、彼ではエリーシャほどのカリスマ性は無く、後釜に据えるにはやや物足りないという意見が多い。

時代の英傑足りうる人材の育成は、中央諸国にとって火急の案件のはずであった。

同時に、そんな英雄居なくてもいいような世の中にするのが、大帝国の最大限の理想ではあったが。


「とにかく、エリーシャ様には、今はゆっくりと休んでいただきたいですわ。少しでも、平和の中で生きてくださいまし」

「……ありがとう。そうさせてもらうわ。しばらくは、また人形でもいじってようかしらね」

ようやく趣味に没頭できる時間ができた、と考えると、それも悪くないかもしれない。

エリーシャはようやく、この案件を前向きに捉えられるようになっていた。

「でも、ヘーゼル様も無理をしないようにね。私なんかより、貴方はまず自分のことを大切になさい?」

笑いながらに、だが指先をびしっと向け、ヘーゼルに忠告する。

「は、はいっ、が、がんばりますわっ」

突然の指摘にびくりと驚き、ヘーゼルはわたわたと応えた。その様にまた、エリーシャは笑ってしまう。


 こうして、エリーシャとトルテのラムへの旅が決まり、城内はしばしあわただしく動くこととなる――


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