#12-2.テトラでの夜にて2
「……陛下は、その時計がお気に入りなのですか? お出かけの際には、いつも身に着けてらっしゃるようですが」
しばし魔王の作業を眺めていた黒竜姫ではあるが、やがて所在無くなったのか、あるいは構って欲しくてか、自分から話題を振りなおした。
「うむ。これはな、私の従者がくれたものだ」
魔王は、そのままの姿勢で答える。今度は黒竜姫の顔を見すらしなかった。
ある意味、黒竜姫的に見慣れた光景で、だからか、少し残念そうにため息が出てしまう。小さく。本当に小さく、であるが。
「そこの人形からのプレゼントなのですか?」
「違うよ。アリスちゃんの前の……正確には、アリスちゃんの元になった者から、というべきか」
作業こそ続けるが、口調は先ほどより静かに、だが黒竜姫には、それがやや突き放したもののように聞こえた。
「私達旦那様の人形は、その全てが旦那様のかつての従者の方の魂を使って動くようになっているらしいですわ」
それまで旅支度を整えていたアリスが、いつの間にか黒竜姫の傍らに腰掛けていた。
「……支度は終わったの?」
「はい、今しがた」
唐突に話に割り込んできたアリスにやや強い視線を向けながらも、それ以上は何もせず、黒竜姫は「そう」とだけ言ってまた魔王の作業を眺めていた。
アリスも、黒竜姫の態度はあまり気にしないのか、そのまま話を続ける。
「特に私とエリーセル、ノアールの三人は、使われている魂の度合いが大きいとかで……全身全てがその方の魂で構成されているのだとか」
「その人形の身体そのものが魂で作られてるって事?」
「ええ、お父様の言葉通りでしたら」
(そんなの、人形でもなんでもないじゃない――)
彼女たちを作ったのが何者なのかはわからないまでも、そのあまりのデタラメっぷりについ苦笑いしてしまう。
自分の隣で澄まして座っているのは、笑ってしまう位におかしな『生物』だった。人形兵団とは一体何だったのか。
ともあれ、そのお人形が愛する魔王の従者の魂を使った代物だというのは初めて知った事で、黒竜姫にも多少なりとも驚きがあった。
「一体どんな従者だったのですか?」
興味が湧いたのだ。その従者がプレゼントした時計を大切にしているらしい魔王。
魔王が愛してやまない人形たちもその従者由来の存在だと聞けば、恋する乙女には気にもなろう。
「…………」
しかし、魔王はその問いには沈黙を以って返した。
「……失礼しました」
余計なことを聞いたのだと気づき、黒竜姫はぺこり、と頭を下げる。己のプライドなど無視して。
「いや、君が謝る必要はないが。だがそうだな、確かに、あまり思い出したい話ではない」
黒竜姫のほうは見ずに、しかし、魔王は苦笑しながら、作業の手を止め、懐中時計を机に置く。
「その従者は、『王剣・ヴァルキリー』と言う。その名の通り、戦の際に指導者が用いる指揮用の儀礼剣――王剣の姿が本体の堕天使だ」
あまり語っている時の表情を見せたくないのか、魔王はそのまま、話を続ける。
「元々は知識の女神リーシアの配下として、この世のすべての戦を司る天使だったらしいのだが。これがどういう訳か、天から堕とされ、私の元に舞い降りた」
「女神や天使というのは……人間世界の宗教じみた話に出てくる存在だと思っていましたが」
「そうだね。この世界においては御伽噺や夢物語のような存在だ。だが、現実には神も天使もいるのだ。ただ、人間達の話に出てくるほど人格的・能力的に優れている訳でもない、というのがほとんどだがね」
やけに神だの天使に対しての皮肉が利いていた。
その時ばかり、魔王は楽しげに笑っていたので、黒竜姫は自然、そういった類の輩が嫌いなのだろう、と思った。
「まあ、その天使のヴァルキリーが堕天使となり、私の配下に加わったのだ。どうやらその時のことを恩に着たらしく、私が旅をする際に、従者として共に行くことを望んだ」
「旅……? 陛下は、以前は旅をしていたのですか? 先ほどのお話からして、もしや陛下は――」
「いかにも。この世界の存在ではないよ。私が生まれたのはここから遥か遠く、『川』の裏側にある『在る世界』という場所だった」
そういえばこれはエリーシャさん以外に話してなかったな、と思いながら、魔王は自身の過去話を続ける。
「色んな世界を回ったよ。魔法がすべてを支配する賢者の世界『アルゲンリーゼ』。岩と鉄のゾンビ姉妹が支配する『ファルネック』と『リーブ=ド=シャーリー』。『魔王』による完全な平和が存在する静かな森の世界『蹉跌の森』。すべての魂が行き着く最果ての世界『鈴街』。色々と回ったさ。色々とね」
懐かしむように過去に思い馳せると、おもむろに懐中時計を手に取り開く。
「たくさんの世界をあいつと過ごした。なんとも長く、短く、楽しく、辛く、愉快で、それでいて不愉快な、だが――決して忘れることの出来ない、そんな時間が流れていったのだ」
あれはよかった、と、呟く魔王。そんな主に、アリスは心なし寂しげに、しかし何を言うでもなく、そっぽを向いていた。
「アレは、いつであっても無愛想だったがね。たったの一度も楽しそうに笑ったことはないし、ただの一度も怒った事がない。おおよそ感情らしいものを表現する事ができない、不器用な奴ではあったが」
「その方は、陛下とは――」
「……なんだろうね、恋人と呼ぶには違う気がする。だが、ただの主人と従者というには近すぎた。もっとこう、言い易い言葉があれば、表現も容易いのだろうが……」
魔王にとって、ヴァルキリーというのはかけがえのない存在には違いなかったが、別段妻や恋人のように扱っていた訳でもなく、さりとて、一介の従者程度にしか思っていない訳でもなかった。
今更のように、それが不思議でならない。
「なんで私は、そんな曖昧な関係に甘んじていたのだろうな。その気になれば手も伸ばせように、不思議と、そのままの関係で居たかったように感じていた」
自覚がなかっただけで、自分はヴァルキリーと距離を保っていたのかもしれない。
そう考えるや、魔王はわずかながら疑問が埋まっていくようにも感じられた。
「愛着があったのですね、その、ヴァルキリーに。その関係に」
「そうだね。アレを失ってからしばしの間、私はずっと放心してしまっていた。私がここまで年老いたのも、その一件がとても大きい気がするよ」
それ以前は、もう少し動けたはずなんだが、と。
魔王は苦笑しながら、再び黒竜姫の方を向く。
「まあ、君が生まれる遥か以前の話だ。私が君の母親と出会う……それよりも前の、な」
「……そう、ですか」
話は全て繋がっていたのだ。
彼女の母親と魔王との出会い。
それは、魔王がヴァルキリーを失ったことによって起きた出来事なのだから。
黒竜姫は、今更ながら、物事の壮大さに驚かされていた。
全てがどこで始まり、どのように起こったのか、最早それすらもわからない、とばかりに。
「まあ、そのヴァルキリーの本体が、この剣なんだが」
「えぇっ!?」
黙りこくってしまった黒竜姫に、わずかばかり申し訳なさを感じてか、魔王はおちゃらけて机に立てかけた剣を手に取る。
先ほどより驚いた様子の黒竜姫。口に掌を当て、目を見開いていた。
「……あ、冗談ですか……?」
にやりと笑った魔王を見て、それがからかい言葉だったのかと思った黒竜姫であったが。
「いや、本当だがね。これこそが王剣・ヴァルキリーの本体だよ。これ単体でも全世界最強の物理破壊・殺傷能力を持つ」
「い、意外と近くに居ましたのね、ヴァルキリー……」
明らかにもう居ない人の事のように話していたので、黒竜姫はきっと死んでいなくなったとか何かの事故で魂だけになったとかそんなことを想像していたのだが、現実は思いのほかショッキングであった。
「肉体だけで魂が存在しない状態だがね。アリスちゃんも言ってただろう? その魂の全てが、私の人形達の動力源として使われてしまっている」
もはや抜け殻だ、と。魔王は苦笑いながら、また王剣を机に立てかけた。
「それでも、使う者が使えば世界を制する事も可能な究極武器でね。軽く大地に突き刺しただけで全方位数キロに渡り全ての存在を空間ごと切り刻むほどの狂った性能を持っている」
使用者が識別しなければ無差別に皆殺しだぞ、と、恐ろしいことを言ってのけた。
「それを使えば、金色の竜の討伐も可能なのでは……?」
「私では扱えないんだ。何せ剣の心得もない。金色の竜を殺せても、暴走して私や君まで死んだら何の意味もないからね」
何が為それを行うのか。そう考えるなら、自分は当然ながら、親しい者の誰一人とて失われるのはよろしくない、との考えの元、魔王はこの王剣の使用を封じていた。
「では、この人形に持たせては? 大分剣を遣えるのでしょう?」
人形兵団最強の遣い手、アリスの強さは、魔界でもそれなりに知れ渡っている。
常に先陣を駆け抜け、主が為敵の戦列を突き崩すその剣技・体術は、魔界でもそうそう右に出る者は居ないほどで、これほどの遣い手なら、王剣も使いこなせるのでは、と黒竜姫も思ったのだ。
まあ、使いこなされたらもれなくこの旅にアリスが付いてくるので、彼女にとってはあんまりうれしくはないのだが。
「私もそう思って一度持たせたんだ」
「はぁ」
「だが、手に持った途端、王剣にアリスちゃんの魂を吸い取られそうになってな。危うくアリスちゃんが消滅してしまうところだった」
「……思い出したくもありませんわ」
さっきまで黙っていたアリスがぽつり、死んだ目で呟く。
見ると両肩を抱きしめ、がたがたと震えていた。
「…………」
「恐らく、身体の方が元あった魂を自らに引き戻そうとしていたんだろう。アリスちゃんに限らず、私の手元のいずれの人形にも持たせられない。というか、あまり近づけたくない」
ここにきて、黒竜姫にはようやく、魔王が何故この剣を持って旅していたのかが解かった気がした。
「部屋に置いておくと事故が起こりそうで怖かったのですね」
「うむ。ちょっとの間なら問題も少なかろうが、長旅から戻って誰かが居なくなってた、なんてなったら、私はショックでどれだけ寝込んだらいいのかもわからなくなってしまうからね」
性能もではあるが、色々と物騒な代物らしかった。
「まあ、幸い私が持っても何も起こらないし、構えて持つだけなら空間ごと切り裂いたりはしないようだから、この旅の間中は私が持つことにしようと思ってな」
「賢明な判断のように感じますわ」
そんな物騒なもの、まかり間違って不在の間に訪れたエルゼが触りでもしたら、魔王城が崩壊しかねない。
元々主人と従者という関係だったのだから、相性的にもそんなに悪いものでもないのだろうし、この方が持つのが一番だろう、と、黒竜姫も考えた。
「さて、そろそろ時間も遅いな」
「そうですわね、もうこんな時間……」
魔王は懐中時計を、黒竜姫は部屋に掛けられていた時計をそれぞれ見、思いのほか早く時が流れたことに気づく。
「私は適当に風呂にでも入ってくることにするよ。明日も早い、君はもう寝るといい」
「ん……そうさせていただきますわ」
特にすることもない。この上起きていても仕方ないだろう、と。
黒竜姫は自然と、夜に眠るという選択肢が当たり前にあることを受け入れていた。