#11-4.鳥はその空を舞い蛙を見落とした
だが、思いもしないこととはいつも唐突に起きるものである。
翌日早朝、ラミアのもくろみは、全くの想定外によって破壊される事となった。
「ラミア様、大帝国より大部隊が動いたとの報告が。恐らくわれわれの作戦行動に対する反撃行動だと思われます」
「サフラン王国にてグレープ王国軍の待ち伏せを受けました。水棲部隊は大打撃を受けた模様」
「西部ラムへの攻撃、失敗です。空挺大隊、街の手前で高度を下げたのが災いし、すべて撃ち落されました!!」
次々と悲鳴のような報告が部下から寄せられる。
まるで示し合わせたようなタイミングに、ラミアは一瞬、めまいに襲われた。
「くっ……大帝国やグレープが動いたのはエリーシャが何か考えたのかもしれないけど、ラムへの攻撃失敗はどういうことよ!?」
制圧まではいかずとも、ラムを混乱の最中に陥れる事が出来ればそれでいいと思っての派遣だったのだが、街にすらたどり着けずに全滅という悲惨過ぎる結末に、ラミアは声を張り上げずにはいられない。
「敵の新兵器です。ダリアの防衛ラインで使われたものと同等の物が、ラムクーヘンにも配備されている模様」
「……あの、細い鉄の筒みたいなの? まさか、もう広まってるなんて――」
確かに、北部でも脅威ではあった。だが、あくまで北部の一部に流通しはじめたものなのだろうと甘く見ていたのだ。
ラミアは詰めが甘い。本人は全く気づいていないが、いつもこれの所為で負けるのだ。
「ヘレナに対し中央諸国連合が進撃を開始。指揮官はギド将軍です。突然の強襲に防衛部隊は対処しきれていません」
「大帝国からの部隊の指揮官は勇者リットルと判明しました。強力な魔法の数々で撤退しそこなった多くの部隊が被害を受けています」
「グレープ王国軍の中にエリーシャの姿を確認したとの報告が」
追い立てるように続く報告に、ラミアの表情はもはや曇りきってしまっていた。
「……作戦行動中の中央方面軍は即時撤収。主力軍はヘレナが持ちこたえている間にクノーヘン及びティティ湖での陣の構築を急ぎなさい」
またも、版図が書き換えられてしまう。いつもこうだった。あと一歩が及ばない。
ラミアは、悔しさに歯を噛みながら、被害を抑える為の指示を下していく。
「ヘレナは……今日か明日には陥落しますね」
部下の一人がうつむきながらぽつりと呟く。
「折角手に入れたヘレナを失うのは惜しいけれど、都市部へ被害が及ぶのは陛下がお許しでないし、防衛側は不利この上ないわ。内部に侵入されたら、ベルクハイデ同様、抵抗は事実上不可能に等しいもの」
これが何でもありであったなら、ラミアとて焦土作戦を行い拠点としてのヘレナを残さないようにしても良かったのだが、それはほかならぬ魔王が許可しないのだ。
ならば、与えられた制約の中、上手くやりくりする他ない。
(カルバーンの足止めはできたけれど……結局、それ以上に欲をかいて要らない被害を受けてしまった、か……)
中央制覇まであと一息という所での思わぬ大反抗に、ラミアは自然、大きなため息を吐く。
まさに終わらない戦いである。そう易々と先に進ませてはくれない。
「エリーシャが生きてる間は、中央は無理かしらねぇ……」
意気消沈しながら、ぽつり、小さく一人ごちる。
今回の中央部の動きがすべてエリーシャの指示の元起こったという情報などどこにもないが、ラミアはどこか、またあの憎たらしい元女勇者がすべてを動かしたんだろうと思っていた。
どうにも相性が悪い。エリーシャ相手だと完璧だと思っていた自身の策が容易く覆されてしまうのだ。
妙な苦手意識というか、切りたくても切れない腐れ縁のような奇妙な感覚があった。
翌日、サフランから帝都への街道では――
「ふぅ、とりあえず、各地に強襲した魔王軍は防げてるみたいねぇ」
馬車の中、頬に流れる汗を手のひらでぬぐいながら、ほっと一息。
エリーシャはサフランの迎撃戦の指揮を執った後、一人、グレープ王国軍とは別の、アプリコットへの帰路についていた。
今回の戦闘は、前もっていくつかの予兆のようなものがあった為に間に合ったものであった。
特に顕著だったのは、ダリアへの攻撃が頻発していた事。これが一番奇妙であった。
戦術レベルで見れば確かに手を変え品を変え、さまざまな攻撃を繰り出していた北部の魔王軍であるが、やっている事はダリアへの攻撃という一点のみという所。これがエリーシャには気になったのだ。
まるで何かの陽動のように感じられ、そう考えた場合に、大帝国視点で、一番手薄で攻撃を受けたら困りそうなのはどこかと、シフォンらと話し合った結果、大体のところの魔王軍の攻撃の範囲が絞られた。
なので、あらかじめ中央諸国連合で軍議を開き、これによって突然の敵の強襲が起きても被害を抑えられるように計画していた。
今は亡き先代皇帝の后という立場上、そう長くは帝都を離れられないエリーシャは、一番近いサフランの警戒を担当した。
逆にベルクハイデからの移民となった勇者リットルはそのフットワークの軽さから大帝国周辺各国への増派の指揮を。
大軍かつ中央最大の矛とも言える連合軍の指揮は老練なギド将軍に任せることで、アタッカーとしての機能を維持させた。
結果的にこれらは上手く機能し、その成功を今ぱそこん経由で見ている所だが、一歩遅ければ周辺諸国の滅亡、大帝国の孤立という最悪のシナリオに発展する所であったと解かり、さすがのエリーシャも戦慄した。
「全く、しゃれにならないわよ……早めに警戒しといてよかったわ。危ない危ない」
余裕を持って推移したかに思えた迎撃戦であったが、このタイミングが早すぎれば魔王軍に警戒され目標を変えられ、遅すぎれば間に合わずにいずれかの国が大打撃を受けていたと考えると、迎撃のタイミングこそベストであったものの、魔王軍の狙いの鋭さは生半可ではないと思い知らされる。
シフォンやヘーゼルには『もう勇者ではないのですから』と止められたが、それでも無理をして参戦してよかったと、エリーシャは思う。
本当なら、すべてシフォンに任せて自分は静かにトルテとでも遊んですごしていればいいのかもしれないが、シブースト亡き今、エリーシャはとてもそんな気にはなれなかった。
魔王軍の脅威はより強くなっている。南部も未だ健在。
どうなるか解からない世の中なのに、のうのうと遊んで暮らす訳にはいかない。
だから、無理を言ってシフォンに軍事的な分野での参画をさせてもらっているのだ。
別に戦うのが好きなわけではない。もういい加減、勇者を引退した以上は戦地とは無縁の暮らしをしたいとも思っていた。
だが、それはあくまでいくばくかでも平和な世の中なら望めるものであって、大帝国そのものが危機に陥らんとしている今望んだところで、かなうはずもない望みなのだ。
「おじさん、何を考えてるの……?」
エリーシャは、心底、あの魔王の考えてる事が解からなかった。
戦争を嫌いだと言っていたあの中年紳士は、しかし事実ここまでの戦争を進めている張本人でもある。
シブーストを殺した事といい、最近の魔王軍の動きといい、色々と不可解な動きが多い。
ただ一つ言えるのは、魔王軍は魔王の何らかの意志によってそう動いているらしいという事で、その目的が解かりさえすれば少しでも先の読みようもあるだろうに、それが出来ないから場当たり的な対応に腐心する破目になっていた。
もしかしたら自分たちはずっと魔王の掌の上で踊らされているだけで、結局、何をしてももてあそばれているだけなんじゃないか。
最近、エリーシャはそんな事を考えるようになった。
人のよさそうな中年男の顔が脳裏に浮かぶ。そんな顔をして、なんとも厄介この上ない魔王なのだ。
自分に似ているとエリーシャに言ってきた魔王であるが、それなら、自分なら魔王の考えている事が少しは解かってもいいんじゃないか、とも思う。
向こうはこちらの思考を見透かして読むくせに、こちらには読めない。なんとも理不尽であった。
「……忘れよう、うん」
自分で嫌なループに入りかけていると気づき、エリーシャは即座に思考停止した。考えても仕方ないのだから、と。
「あーあ、全部まっさらにならないかなあ。面倒だわ」
馬車の窓から空を見る。綺麗な青一色。
もう平和とかそんなのどうでもよくなるほどに透き通っていて綺麗。
ただ、なんにもなくなればいいんじゃないかと思ってしまう。
考えるのすら面倒くさい。空はこんなに青いのに、何故大地は赤に染まるのか。馬鹿なんじゃない、と。
エリーシャは一人、呆れるほど不合理なこの世界を、ぼーっと眺めていた。