#11-3.蛙は井の中で雲を見た
大陸北部、ダリア要塞。
近接する魔物兵の姿ありと報告を受け、要塞は警戒態勢から臨戦態勢にシフトする。
頑強な石の塀の上に低く構える狙撃兵が、いつ敵に接近されても良いように周囲を見回す。
門前で守りを固めるグラナディーアの戦列中隊が、士気を高めるために咆哮をあげた。
教団お抱えの魔術師達が連携し、砦そのものへの破壊魔法を防ぐ前準備を進める。
防衛ラインを構築する各部隊も前方を注視し、敵がいつくるかと気を強張らせていた。
「来たぞ!! 魔王軍だ!!」
敵影発見の報告から五分。防衛ラインの最北端で、それは起きた。
何度目かの迎撃戦。油断なく、抜かりなく、つつがなく。
すべての状況を抑えるべく、カルバーンは目を覚ます。
「全軍、敵の策略に警戒をしなさい!!」
毎度毎度違う戦術、違う戦法で挑んでくる敵軍。
今度も、変わった手口で挑んでくるに違いないと、カルバーンは考えていた。
だからこそ、臨機応変に対応しなくてはいけない。瞬時の判断ミスが即座に死を招きかねない。
カルバーンは自分で頬を軽く張って、気を引き締めた。自然、釣り目がちな目元がきりりと伸びる。
「教主殿、敵軍は防衛ライン最北端への一点突破が狙いのようです。敵部隊がそこに集中しております」
現場での指揮を執る黒髭の将軍が、カルバーンに戦況を報告する。
「我等はこれを迎撃。しかる後に敵陣後方に居座る本隊に横合いから打撃を加え、殲滅する腹積もりです」
周辺地図の上におかれた駒。近辺に配置された自軍戦力が駒五つに対し、敵軍は前衛に駒二つ、本隊に駒二つという少数手勢らしかった。
以前ならばそれでも十分拮抗するレベルの戦力比であったが、今の時代は違う。
平地戦闘なら一対一にならなければ互角とは言えないし、城砦攻撃の為に兵を用意するなら、当然数倍から十数倍前後の戦力を用意しなくては陥落させることは到底無理と言える。
「……見えている範囲の敵が少ない。という事は、別の場所に部隊が潜んでいる可能性もあるわね?」
カルバーンは、将軍の指した指揮棒の描いた円の範囲とは別の、やや離れた位置を指差す。
「部隊間の連携を考えると、そんなに離れた位置には置けないはずよね。周囲の索敵、怠らないようにして。目先の敵に集中し過ぎないように」
「承知しました」
教主の指摘に、将軍も頬を強張らせ、斥候による索敵ラインの検討をしはじめた。
「なるほど、目先の敵に対する反応も早いけれど、こちらの次の手を警戒して早期の索敵とは……流石というべきかしら。敵ながら恐ろしいわねぇ」
魔王城・参謀本部では、ラミアが戦況の推移を見守っていた。
作戦の第一段階は想定どおりに進んだかに見えたが、勘がいいのか、カルバーンはラミアの行動を先読みして空白地帯の索敵に乗り出したらしい。
無論、そこに待機させようとした部隊には既に作戦変更を告げ、索敵にかからないように仕向けてある。
これにて第一段階は終了。ここからは第二段階になる。
「ふふっ、戦場が北部だけだなんて思ったら大間違い。北部に引きこもった代償は高くつくわよぉ?」
にやにやと笑いながら、ラミアはぱちりと指を鳴らし、作戦の進行を指示。
「中央方面軍空挺大隊、西部ラムへの降下・強襲作戦を開始します」
「大帝国周辺に潜伏する水棲部隊の移動を開始。このままサフランへの攻撃を狙わせます」
「アップルランド周辺国に対し小規模な威嚇攻撃を開始しています。ほどなくぱそこん経由で情報が世界中に伝わることでしょう」
ラミアの合図にあわせ、部下達は各々が担当している作戦を即座に開始する。
正面右の巨大なスクリーンには映像魔法で周辺地図が細かく表示され、各部隊の情報が事細かに追記されていった。
「彼女たちは北部方面軍としか戦ってないでしょうけど、私たちは違うわ。『世界全土の人間国家』が私たちの敵。戦争とは広範囲に起こり、同期的に進んでいくって事、教えてあげなくちゃね」
ラミアは笑う。カルバーンはどう反応するだろう、と。
北部諸国より集められ教団に運用されている戦力の多くはダリア防衛ラインに集結しつつある。
事前に中央に供与された分の兵は残っているが、逆に言えば中央諸国にとって、これ以上の増援は見込めないということ。
そもそも速攻でダリアを陥落させ、その後中央部の魔王軍を蹴散らすのがカルバーンの目的である。
現状の、波状攻撃によって足止めを余儀なくされ、中央に向かうどころではなくなってしまうという事態は、少なからずカルバーンに焦りを与えているはずであった。
なので、ラミアはこのカルバーンの『焦り』を突くことにした。
この『北部以外への第二波』の報は、当然ながら、即座にカルバーンへと伝えられた。
「……まずい。まずいまずいまずいまずい!!」
カルバーンは、酷く狼狽していた。
作戦が遅れすぎている。このままでは取り返しのつかないことになってしまう、と。
予想より早く動き出した中央の魔王軍。
大帝国の周辺諸国を攻撃し始め、更に大帝国を迂回し後方のサフランに攻撃を開始したという話。
このままでは中央諸国は崩壊、大帝国が孤立し、削り殺されてしまう。
シブースト皇帝が亡くなったというだけで十二分に計画に支障が出るレベルの痛手なのに、この上中央が滅亡などすれば、この戦争、勝つことそのものが不可能になりかねない。
その破滅の第一歩が始まってしまったのかもしれないのだ。カルバーンは大いに焦っていた。
サラァンの袖を悔しげに噛みながら、どうしたらいいかを考える。考える位しかできない。
「教主殿、バルバロッサ殿の増援部隊、間も無く到着するようですな」
とても都合の良いタイミングで増援の到着の報告が入る。カルバーンは水色眼を見開いた。
「良いタイミングね!! リー将軍、増援が到着し次第私たちはここを離れるわ、目的地は中央部・ベルクハイデよ。今から準備して!!」
「強襲を受けている中央諸国への援護ですな。解かりました」
リーと呼ばれた黒髭の将軍も、カルバーンの意を読み取るや、静かに頷く。
「お願い。迅速に動かないと、今後に差し障るかもしれないから」
両手を胸の前で組みながら、教主殿は揺れる瞳を食いしばって抑えていた。
ラミアのもくろみは見事的中したかに見えた。
北部の軍勢の大半は、増援の到着と共にダリアから出立。
側面から来る魔王軍に警戒しながらも、その大部隊は馬車によって中央諸国、ベルクハイデへと大急ぎで向かい始めた。
北部方面軍がこれをあえて見逃す事により、カルバーンはより長期間、教団本部を離れることとなる。
仮にカルバーンがトカゲ形態に変身できたとしても、ベルクハイデからディオミスまで戻るのには相応に時間がかかる。
転送魔法でも張られていれば別だが、あの付近にはそういった装置が存在せず、人間世界側の技術では設置するための条件が複雑過ぎて容易には張る事が出来ない。
それでも教団位の高水準の魔法技術を持つ組織なら可能かもしれないが、そもそもの所それを張るのに最低でも一週間は要する。
今魔王らは想定外の足止めによって歩を止めてしまっているらしいが、流石にそれだけの時間足止めできれば、結果はどうあれ金色の竜の元へはたどり着いているだろう、とラミアは思っていた。
なので、後はラミア自身の問題である。カルバーンがベルクハイデに到着するまでの間に、中央諸国への圧力を増させ、更に西部まで侵略する。
その上で北部への本格的な攻撃を開始。ダリアを陥落させる。
この作戦が通れば、大帝国は西部ラムクーヘンの後援を受けられなくなり、地理的にも孤立し、実質無力化させる事が出来る。
西部諸国は資金力海運力こそ豊富だが、陸での戦いでは中央諸国の二枚も三枚も劣るレベルである。
教団と関わりを持つことによって軍事力が増強された国家も多いが、それでも個人レベルでは戦慣れした中央の将兵とは比べ物にならない程弱い素人集団である。
仮に魔王が終わらない戦いの元凶とやらをどうにかできずとも、戦略によって優位に運べれば魔王軍の勝利は濃厚になる。
だから、ラミアはこの戦いにとても真剣に取り組んでいた。




