#11-1.空白の歴史-カルバーン-1
どこかで戦火が起こり、それはほどなく戦禍へと経過していく。
争いにまみれ、人々は傷つく。争いが過ぎ去り、人々は苦しむ。
天敵との戦いは、戦う力を持たない者に苦しみと悲しみとやるせなさばかりを押し付けていった。
子を失い泣き叫ぶ母親。戦地に向かった父の死を聞きいいようのない悲しみに暮れる幼子。
自分を守る為恋人が目の前で死に、絶望に打ちひしがれ心が壊れてしまった妙齢の女もいた。
混乱の中錯乱した男たちに陵辱される若い村娘。
血に狂い、独自の宗教観の元、同じ人間を殺して回るいかれた貴族の男。
神への信仰を叫びながら、自分に斧を向ける賊には媚びへつらいシスターと孤児たちを差し出す聖職者も。
命がけで孤児たちを守りながら、十字架を捨て、裏切った神父をナイフで刺し殺すシスターも。
シスターを殺し、孤児たちを欲望のはけ口にしたり嬲り殺したり売り飛ばしたりしながら口元をにやつかせる賊ですらも。
すべては等しく、そのようなリアルな地獄の中、狂った舞台の上で踊らされている演者に過ぎない。
戦いの本質とは何か。ただ戦うだけ、殺しあうだけではない『何か』がそこにはあった。
長く続く人間と魔族の戦争。
そこには誰であっても語りつくせないほどの憎しみと悲しみ、そして絶望と互いの種族の欲望にまみれていた。
平穏等どこにもない。ただただ、人と魔族は殺し合い、人は人によって殺されたり犯されたり弄ばれたりする。
人は何故、何をもってこんなに苦しみを味わわないといけないのか。
この苦しみから解放されるには、どうしたらいいのだろうか。
少女は、眼下に広がる絶望を前に、初めて見る地獄絵図に、その認識を大きく変えるほどの強烈な衝撃を受けていた。
――人間とは、何故こんなにも弱くて可哀想な生き物なのだろう、と。
それは一種の見下しであり、同情であり、そして、彼女が今の自分と重ね合わせ、不幸比べしたかっただけであった。
世界はこんなにも不幸に溢れている。救われないモノが多い。多すぎる。
ずっと魔王城という狭い世界で暮らしていた彼女――カルバーンは、人間世界を訪れ、初めてこの世界がどれだけ歪なものであるかを知った。
逃走の末の旅路だった。行く当てもない、帰る事もできない迷走であった。
母を殺した母の側近に、いつか復讐してやる為に。
今そこにいたら、きっと母と同じように殺されてしまうからと、逃げただけの少女が、偶然眼にした世界のもう半分の姿であった。
魔族とは全く違う方向性の、欲望に苛まれた世界がそこにはあった。
人間たちは魔族よりも欲望に強いはずなのに。
魔族よりしっかりとそれを拒絶できるほどに理性的で、心が強く、そして己が大切に思う者の為なら命だって掛けられるというのに。
長い旅路の中、どこへ行っても欲にまみれているように映ったのだ。
さまざまな街を見てきた。いくつもの村を回った。
新しく出来たばかりの国や、今にも潰れそうになっている集落に立ち寄ったこともあった。
どこもかしこも魔族の脅威におびえている民衆がいて、どこにでも賊はいて、そして、そんな中なのに、必ず得をしている者がいた。
なんとも不平等なシステムが、世界に広まっている。
平等等この世には存在しないとばかりに、力が強い訳でも、特別賢い訳でもない者が、本来相応しい富を持つべき優良な民を食い物にしたりしていた。
そんなモノばかり目にして、カルバーンは気づいたのだ。
『得をする者が居るから、戦争は終わらないのだ』と。
戦争は、人間世界では殊更、優良なビジネスとなっているらしかった。
武器にしても防具にしても兵器にしても。
兵の食料や物資の補充。場合によっては人員の確保に至るまで。
それら全てに商人が関わり、お金が流れ、流通が成り立っていた。
それは平時であれば民が平和的に物資を融通しあう為の叡智であるが、逆に言えば、戦争を激化させる為の手段を人間自らが生み出しているという事に他ならない。
魔族に偏りきっていた戦局は、今や互角に近い戦いとなり。
気がつけば、血みどろの戦争は益々互いの数をすり減らす消耗戦を推奨し始めていた。
彼らは笑いが止まらないはずだ。誰が相手であろうと、戦いが続けば続くほど、激化すれば激化するほど商品は売れる。
生産が追いつかなくなるほどに。売り子が足りなくなるほどに。
為政者たちは、戦いの発生をさほど嫌がっていないらしかった。
いざ自分の国が滅びそうともなれば死力を尽くすが、そうでなければ対岸の火事である。
自国民が、あるいは自領の民が、魔族という解かり易い敵を前に戦慄し、憎しみを向ける。
とかく、民衆から嫌われ易い為政者にとって、これほどありがたいスケープゴートはない。
何せ、『魔族を殺せ』をスローガンに掲げれば、大概の民は容易に釣られ、多少の増税や徴兵等文句も言わなくなるのだから。
それでも文句を言ってきた自称正義の味方などは、適当に魔族のスパイだとでも言って処刑してしまえば良い。
世論が為政者に味方する以上、誰も反対しないのだから。
教会の聖職者たちは、戦争を嫌い、民衆に希望を振りまくように振舞いながら、その実最も戦争を激化させた元凶であるとも言えた。
いるかどうかも解からない女神への信仰。その裏で行われる非道の数々。
平和を望む癖に信仰の名の下に許された仇敵との戦争。その矛盾。
人々の心に無色の信仰心を植え付け、操り、国家を揺さぶる。
彼らが本心の元そうしているのか、それともゆがんだ欲望の元にエゴを以ってそれを行っているのかは解からないが、教会という組織が生まれなければ、世の中はもう少し平和だったかもしれないと、彼女は思うのだ。
商業・政治・信仰。それらすべてが人々を戦争へと駆り立てる。
だというのに、それらがなければ人々は生存できない。一個にまとまれないからだ。
それは、悲しいかな、人の性であり、一つの必然、必要なものであった。それでも平和な時代があった。
では、何故今尚戦争が続くのか。敵が居るからである。
魔族という人類の仇敵。紀元の起こりから延々続けられる終わりのない戦争。
それは、魔王という敵がこの世に生まれたから起きた事だとは、少し調べれば誰でもわかる話である。
魔王さえ打ち倒せば、魔族さえ滅ぼせば、戦争は終わるはずなのだ。
かわいそうな人間たちも、それ位やれば救えるだろう、と。少しはましな世界になるかもしれない、と。
少女なりの感性で勝手にそう思い込んでいた。