#10-1.ディオミスの山頂から
夏のディオミスは、高山地帯特有の不安定な気候ながら、比較的穏やかな姿を見せていた。
麓にあるテトラなどの村落と比べ、気温も大幅に下がり、真夏でありながら肩掛けや外套が欠かせないが、それが故避暑地としてそれなりに人気もある。
この季節ともなると、いたるところで祭が催され、それを目当てに、あるいは山が穏やかなうちに聖地巡礼をと、このディオミスに登ろうとする者も多い。
登山道は大きく分けて二つあり、一つはサフラン王国から続く街道を伝っての中央諸国ルート。
もう一つは、北部諸国から続く山岳地帯経由のルートであるが、これは道が非常に険しく、山に慣れた者でなくては危険だと言われていた。
ディオミスの一角。その山頂付近。
巨大な祭壇に君臨する巨大な金色の竜。そしてそれを前に跪く蒼き重鎧の男が一人。
『……娘は上手くやっているだろうか』
大きなため息を吐きながら、物憂げに金色の竜は呟く。
「教主様は、見事当初の目的通りにダリア要塞を奪取し、北部に絶対不可侵の防衛ラインを築き上げた、との事ですが」
鎧の男――バルバロッサは、金色の竜エレイソンの言葉に応える。
『私もそれは聞いている。カルバーンならば苦も無く達成するだろうとは思う。だが……なのに心配なのだ。なぜだろうか』
エレイソンの心配の種は、最前線に向かったカルバーンの事である。
どうにも、嫌な予感がするのだ。何の根拠も無いながら、気になって仕方ない。
「エレイソン様にとって、教主様は大切な娘御でありますれば、その身を心配するのは当然のことかと」
親としては当然、とばかりに、バルバロッサは口元を緩める。
「戦況から見ても、少なくとも教主様が危機に陥ることは考えられますまい」
何せ鉄壁の守りである。魔王軍も幾度か攻撃を仕掛けたが、いずれも要塞に取り付くことすらできず撃退されていた。
バルバロッサも報告でそれを知っているので、目の前の金竜の心配はただの杞憂であると思ったのだ。
『それはそうなのだが、なあ』
「エレイソン様。よもや貴方様は、教主様が為、自ら前線に出るおつもりでは?」
『……いや』
「なりません。教主様は戦地へと向かわれる際、私にきつく申し付けたのです。『養父さんが無理しないようによろしくね』と」
『ムゥ……』
心配のあまり自分のところに来ないようにと、既に釘が用意されていたらしい。
エレイソンは娘自身によって、無茶を封じられていた。
「私にはドラゴンの寿命等はわかりませんが、エレイソン様はかなりのご高齢のはず。これも無茶をさせたくないという、教主様のご配慮でありますれば……」
『――解かっている。孝行な娘を持って、私は幸せ者だよ』
娘の言うことならば仕方ない、と、エレイソンは心持ちしょんぼりしながらも腹をくくる。
自分が動くべきではないのだ。自分は、ただの象徴でありさえすればいいのだ、と。
「代わりといってはなんですが、私が前線の教主様の下へ増援を連れ馳せ参じましょう」
『そうだな、それがいい。戦地では何が起こるか解らんだろうし、兵の数は多いほうがいいはずだ』
バルバロッサの提案に、消沈しかけていた金竜の瞳が明るく瞬く。
「ではそのように」
エレイソンの言葉を聞くや、バルバロッサは即座に立ち上がり、段取りをつける。
『お前には手間をかけさせるな。私のわがままのためにすまぬ』
一応、自分の言ってる事がわがままなのは理解しているのか、エレイソンはすまなさげに目を閉じた。
「お気になさらず。教主様とエレイソン様にお仕えするのが、このバルバロッサの生甲斐なのです」
穏やかに笑うその顔は、金色の竜の顔を見ながら、それでいてどこか別の所を見ながら微笑んでいた――
こうして、ディオミスに残された教団予備兵力一万は、その多くがダリア要塞へと派遣されることとなった。