#5-3.キメラ研究所にて
「――という訳で、先代の時からロクに成果もあげられない癖に予算の無駄遣いを繰り返している『キメラ研究所』を廃止にしたいのですが……」
場所は変わって魔王城。玉座の間では、魔王がアルルから報告を受けていた。
報告内容は、アルルが今期の目標として掲げた予算額減少の目論見表の説明と、その認可である。
「……なんかどこかで聞いたような研究室だな。何の為にあるものなんだ?」
「主には生物同士のかけあわせ実験を繰り返し、新種のクリーチャーを開発する事と、その技術を元に欠損した腕や足を代替する義手・義足等への技術昇華を目的として作られた組織ですが……正直、最近はろくなことをしていません」
そういえばそんなのもあったなあ、位に思い出す魔王だったが、正直政務に関しては戦争以上に興味が薄いので説明を受けても何も感じられなかった。
「一応、魔界においては人間世界で言う『外科医学』の進歩にある程度役立っていた時期もありましたが、現状、医療関係は魔法学と、錬金学から派生した薬学の方が貢献していると言えますから……あまり必要無いのではないかと」
「まあ、得体の知れないキメラを生み出されて面倒ごとの元になっても困るしな……ただ、医療の役に立つというならただ潰すのは惜しい気もする」
現代魔界においては魔族の数も繰り返される戦闘で数が減ってきているのもあり、癒しの魔法そのものも遣い手が多いとは言えない状況の為、兵達の負傷を癒す為の技術として、医学はとても重要な分野となっている。
キメラ学も、目標通りに義手・義足の技術が発展していけば、いずれは戦闘ないし病気によって不随となった部位を何ら不足なく動かせるようにする事も可能になるかもしれない。
そう考えると、ただ予算の無駄だからとこれを排斥してしまうのはどうかと、魔王は考えた。
「一考の余地があるかもしれない、という事ですか? ですが、その為に限りある予算を無駄に使うというのも……研究所の所員達も癖はありますが優秀な者ばかりですので、ここを潰して他の有意な所で働かせる事で活用する事も可能だと思うのですが」
アルルの言う事は尤もで、魔王もそうだと思ってはいた。
だが、魔王はそれをそのまま肯定するのを避けていた。
「君の意見は勿論、信用に足るものだと思ってはいるがね。そうだな……とにかく、一度どんな所か視察しに行ってみるか。それによっても見方が変わるかもしれん」
「はあ、解りました……それでは、視察の準備を進めさせます」
アルルはぺらぺらと何枚か書類をめくった後、それをファイルにしまいこむ。
「いや、今から行くぞ。君もついてきたまえ」
「はあっ? 今からですか?」
突拍子のない事を言うのは魔王の癖である。
そんな魔王に、アルルはまだ慣れていないのか、突然の事に目を白黒させている。
「今からだ。視察の準備などさせてからでは、本来の視察の目的など果たせるものか」
予め『上司が来る』と解っている視察に何の意味があるというのか。
突然現れ現状を見られるからこそそれに意味はあるのだと、魔王は考える。
それによって評価されていない部分が評価されるならよし、ふざけて遊んでいるような腐った部署ならば、その時には容赦なくつぶしてしまえば良いと思っていた。
「はあ……解りました。ご案内いたします」
そんな魔王の意図が理解できているのかいないのか、アルルは深く溜息を付いて自分を落ち着かせた。
「ここがキメラ研究所ですわ」
魔界南中央部にある魔王直轄領・ケルン高原。
人気もまばらな高地に、その研究所はあった。
怪しげな窓のない白い建物が4棟。それぞれが渡り廊下で繋がっている。
巡回の魔物兵士もそれなりの人数が回っており、警備の厳重さが窺えた。
「思ったより大規模なんだな。まあ、大型のキメラを作ったりしてたみたいだし、これ位はないと無理か」
高台から眺める研究所の外観は思ったより巨大で、流石予算を無駄食いしていると言われるだけの事はあると魔王は思った。
「聞いた話では、研究棟と実験錬、キメラの成育錬とテスト錬の四つで構成されているようです」
「外観的には確かに四つあるな。とりあえず、中に入ってみるか」
「はい。こちらですわ」
アルルに案内され、研究棟の入り口へと近づくと、入り口で短剣を腰にぶら下げたトカゲのような頭の魔物兵が二人、ぎらりと睨み付けながら立ちはだかった。
しかし、アルルは物怖じせず、そのまま口を開く。
「通しなさい。私は魔王城から視察に来た政務担当。こちらの方は恐れ多くも魔王陛下よ」
「ギギッ!?」
「ギィッ!!」
アルルの一言に驚いてか、魔物兵達は顔を見合わせ、声にならぬ声を発しながら脇へと飛びのいた。
「解れば良いのよ。今後も励みなさい」
にこりともせず、アルルは仏頂面のまま兵士達に言葉をかけ、通り過ぎていく。
魔王もそのまま通り過ぎようとしたが、自分が通ろうとした際にビシリと敬礼してきたのを見て思わず笑ってしまった。
「いや結構。励みたまえ」
それが嬉しくてか、一言声をかけ、研究所へと入っていった。
「こ、これはアルツアルムド様っ、それに……魔王陛下まで!?」
研究所の所長だという白衣に片眼鏡という出で立ちのこの魔女族の女は、魔王らの突然の訪問に驚き戸惑っていた。
「あ、あの……私どもが、何か不手際を……?」
小心者らしく、何かミスをしたのかしら、とおどおどしていた。
「別に、特に何も聞いてないけど。いい話も悪い話も聞かないから、判断に迷って見にきただけよ」
「そ、そうですか……」
とりあえず、魔王らが研究棟を見た感じ、特に散らかってるでもなく、所員たちは真面目に研究をしているらしかった。
何事かと魔王らの方を見ている所員も居たが、すぐに自らのデスクで研究に没頭しなおす辺り、なるほど確かに優秀な所員が多いのだろうと感じさせていた。
「とりあえずここはいい気がするね」
「そうですね。見た目真面目に仕事をしているようですから、他の棟を見せてもらいましょうか」
「か、かしこまりました。では、こちらの方にどうぞ……」
小細工する気も起きないのか、所長はおそるおそる魔王らを案内した。
「こちらがその……キメラを生成するための実験棟です。今は丁度、新種の犬を作っている最中ですわ」
「犬? またなんでそんなものを……?」
犬とは猛毒を持つ危険な生物である。以前も犬のキメラが大暴れして大変だった事もあり、魔王はあまりいい感情を抱いていなかった。
「長年困難を極め失敗を繰り返した『可愛くてもふもふな犬』を作ろうと鋭意努力中なのです」
ものすごく下らない研究内容だった。
「何の意味があるのよそれ……」
「キメラ技術によって大元の生物の性質に変質を与えられるか? という課題の元行っている実験なのです。最終的には、気性の都合で本来飼う事が出来ない生物を飼う事が出来るようにするのを目的としています」
「なんとも言えん目標だなあ……」
全く無意味かと言えばそんな事もないのだろうが、それをキメラ学で行う必要があるのかという気もする。
性質の変化などは、例えば畜産分野において徐々に飼いならしていく事によって家畜化させるといった技術が既に存在しているので、そちらの方が確実なのではないかとも思える。
「その程度なら、無理にキメラでなくとも、他の分野の技術で代用できるのでは?」
丁度魔王の言いたかった事をアルルがつっこんでくれた。実に解っている娘だと魔王は感心する。
「ですが、例えば畜産系の技術を利用しての性質変化は膨大な時間が掛かりますが、キメラ実験を用いて成功するなら、それは半日ないし数日で完了するのです」
彼女が言うに時間の短縮がメリットらしいが、果たしてそれは魔界において重要なのかどうか。
「……時間が短縮できるなら、それは大切かもしれないわね……」
魔王的にはあまりメリットに感じられなかった事であるが、アルルはそうでもなく、ペンを噛みながらしばし思案顔になり、そうかと思えば何やらすらすらとメモ紙に書き込んでいった。
「続いて、こちらが生育棟です。生成したキメラは基本、全てがここで育てられます」
次に案内された棟は全体的に獣臭かった。
ギィ、ギィと檻の軋む音、そして獣達の鳴き声が棟にひっきりなしに響いていた。
「う……」
棟内にこもる強烈な獣の臭いに、アルルは鼻と口元をハンカチーフで押さえていた。
魔王も鼻に付く臭いに若干しかめっ面をするが、気にしない事にする。
「ここでは現在、犬型のキメラと猫型のキメラ。それから魚型のキメラなんかをメインに育成されています」
「魚型……?」
「はい、魚に鳥の翼を生やしたり、豚の肉質を持たせてみたり、まあ色々です」
初対面時の小者っぽさはどこへやら、所長はキラキラと眼を輝かせ雄弁に説明していた。
「それから、特殊な例として食質の変化をさせたキメラも居ります」
「どういう事かね?」
食質、という聞きなれない言葉に、魔王も疑問を感じた。
「つまり、普段草ばかり食べる猫ですが、ここには魚ばかり食べるようになった猫や肉以外受け付けなくなった猫が居るのです」
「それは……すごいのか?」
人で言うならただの偏食化しただけではないかと思うのだが、そんなに大層な事なのだろうかと思ってしまう。
「将来的に、特定の環境でなくては生育できない生物の養殖が可能になったりする可能性があります。後、先ほど説明しました犬の性質変移にも、この食質の操作は欠かせない要因となっているのです」
「餌が犬の性質を変えるって事なの?」
「そうなります。魔界の犬と人間世界の犬とでは性質が違うのですが、これも普段食している餌による違いが大きいという結論が既に出ています」
だったら人間世界の犬を飼えばいいのではないかと思いもするが、つっこんだら負けな気もしたので魔王は黙っていた。
「こちらがテスト棟です。テスト棟では、生育したキメラ達がどの程度の力を持っているのか、どういったことに向いているのかという認識判断の為の各種テストを行います」
次に案内された棟の内部は、だだっ広いコートになっていた。
いくつかの機材が設置され、ボールなどの遊具もある。そして、魔王らはそれを外から見ていた。
「具体的にはどんなことを確認するのかね?」
「主に運動能力や飛行・魔法等の特殊能力の保持の有無、後は、魔族に対して懐くかどうかなども見ます」
「懐くかどうかは大切よね。噛みつかれたらたまらないもの」
「ご尤もですわ。凶暴に作りすぎてしまいますと、単独で生物兵器として役立つ反面、他の魔族まで巻き添えを食いかねませんから……凶暴にするだけならいくらでもできるので、後はある程度飼いならせるような性質にまで持ってきて、初めて成功したと言えますね」
ただ強く凶悪にすればいい、というものでもなく、その辺りのさじ加減は結構難しいらしい。
魔王にもアルルにも畑違いすぎて彼女の説明もあまり深くは理解できないのだが、とりあえず研究の方向性はある程度垣間見る事が出来た気になっていた。
「……視察して尚意味が解らなかったですね」
「うむ。ほとんど訳が解らんかった」
その後も所長による詳細な説明が行われはしたが、あまりに専門的過ぎる内容で二人には理解が及ばなかった。
結局、視察を打ち切って逃げるようにして研究所を後にした二人は、互いに小さな溜息を吐いていた。
「ただ、とりあえず真面目に研究してるらしいのは解りました」
「ああ、それに関しては私も評価できると思っている。全体的にきちっとしていたし、やりたい事とその為の道筋がある程度順序だてて説明された気がするよ。何より、情熱を以てそれを行っているというのがよく解った」
「説明、すごく長かったですものね。それもすごくキラキラしたまなざしで見てました」
所長は説明が始まると止まらないタイプらしく、二人が知らないような専門用語混じりの小難しい話が続いたので、二人はぐったりとしてしまっていた。
「……帰るか」
「帰りましょう。疲れましたわ」
頭上で手の平を組んで背伸び。
華奢なアルルの背丈はそれ位ではあまり変わらないが、力が抜けてほっとしたのか、アルルは先ほどよりはさっぱりとした面持ちであった。
夕焼けと同化する赤髪が、風にさらさらと揺れていった。