#5-2.とある大司教の歪んだ救い
頭となる上級ヴァンパイアが消えた事により、謁見の間で暴れまわっていたアンデッド達はその全てが機能不全に陥っていった。
所詮はバブル戦力。実体のない死者の軍団である。
これにより、一時的に謁見の間は安全圏となっていた。
「デフ大司教……まさかそなたが来てくれるとはな」
供の者に守られながら、なんとか平静を保っていた教皇は、意外な人物の救援に驚いていた。
「猊下の御身の無事を図りませんと、逃げるに逃げられませんでな」
デフと上級ヴァンパイアとの戦いはその場にいた誰もが目にしていたものであり、結果的にではあるが、彼が訪れたおかげでその場の全員が助けられたのだ。
にやりと笑う彼に、害意を抱ける者等あろうはずもなく。
彼の献身はその場にいた者達の拍手と歓声を以て迎えられた。
「猊下、ともかく、このままここにこもっていては危険です。私が先導いたします故、退避ルートに繋がっている地下へ避難し、そこで体勢を立て直しましょうぞ」
「うむ……ここは守るには易いが、逃げるに難いようだからな……大司教に任せる」
「では、こちらです。皆の者、生き延びた所悪いが、猊下が逃げおおせるまで手伝ってもらうぞ!」
「「はっ」」
流石、教皇が為命がけで戦う事を選んだ者達だけあって、こちらの衛兵達やナイツの面々は士気が高かった。
彼らの反応に満足し、デフは笑いながら歩き出す。
地獄と化した大聖堂を往く為に。
「デフ大司教、そなたは一体何者なのだ?」
アンデッドの群れを殲滅しながらの逃避行。背後で守られながらの教皇が、デフに問う。
「先ほどのヴァンパイアを斬り捨てた斬撃……上位のヴァンパイアは剣での攻撃が効かぬと聞くが、そなたはどのようにしてアレを殲滅し得たのだ?」
教皇の疑問は、先ほどの一戦にあった。当然である。ヴァンパイアは上級になればなるほどに不死の存在になっていく。
今回の襲撃を指揮していたヴァンパイアも出で立ちや統率力からして上級の中でも特に上等な部類のはずで、これを人の身で滅ぼすのは不可能に等しいはずである。
それを、事もあろうに一介の大司教がほとんど単独で滅ぼしたのだ。疑問に感じないはずがない。
「私はただの大司教ですよ。知識の女神を敬い、そして、人以上に人の心の闇を見てきた、ね……」
油断なく周囲を見渡し、安全を悟り歩き出す。
回廊の角を曲がるたびに繰り返される用心深さは、デフの隠されていた本性の存在を匂わせていた。
「教皇猊下、私はかつて、アサシンの一人だったのです」
「アサシン……教えの為に悪を正す組織だと聞いたことがあるが……」
「その通り。教会が為己を捧げ、教会が為己が手を汚し、血にまみれていたのです」
安全を確認して歩きながら、少しずつ自分の真実を語っていく。
人の為に人を殺す。そこに自分の余計な感情は含まれず、ただ機械的にそれをこなす事のみを求められる。
時には目標を誘拐し、拷問の末殺すこともあった。
教えに従わない国王や貴族の子女を誘拐し、教化の名の下その身その心を破壊し尽くした事もあった。
身動きもろくに取れない病人を殺した事もある。耳を裂くほどの悲鳴をあげながら死ぬ女も居た。まだ幼い子供を殺すことすらあった。
全ては教会の為に。その思考停止の為、アサシンとなった者には教会から薬を与えられる。
全ての罪過を忘れられる禁断の薬物。蝕まれた身体は薬無しには生きられず、アサシンで居ることをやめられなくなった。
気が付けば、薬欲しさに人を殺し、人を殺すために薬を貰い、そして人を殺すことすら快楽に感じられるようになっていったのだ。
アサシンとしても壊れてしまった若かりし日のデフは、ある日組織から完全に見捨てられ、森の深く、薬の禁断症状に苦しみながら死を待つこととなった。
そんな彼を救ったのは、近隣の村の年老いた神父である。
教会に捨てられた彼が、教会の人間に救われたのだ。なんと皮肉な事か。
薬の影響か、アサシンとしての日々の所為か、デフの精神は破綻していて、正直神父の言う事成す事の意味が全く解らなかったほどであった。
最初の一年はまこと精神異常者そのもので、罪の意識などモラルが壊れてしまっていて平然と犯罪行為を犯してしまう有様であった。
そんな彼を必死に庇い、助けてくれたのもやはり老神父であり、彼によって心のケアが続けられ、そうまでして、ようやくデフはまっとうな人間としての心を取り戻す事ができるようになったのだった。
老神父から女神の愛しさ、何故女神を愛すべきなのかの教えを受け、そうして、人の世に尽くす事の素晴らしさを知ったデフは、これまでの自らの罪を贖う為、聖職者への道を目指す事にした。
「ですが、世の中は汚かった。聖職者の道ですら、人の欲望で薄汚れていたのです」
デフはその頃のことを思い出しながら、自嘲気味に笑っていた。
「私は思ったのです。『確かに尊い聖人はいるかもしれない。だが、人の本質とは、このような意地汚さ・薄汚さにこそあるのではないか』と」
「到底受け入れがたい話だな。我ら聖者の手が汚れてしまっては、誰が人々を救うと言うのだ」
世間知らずらしく潔癖な反応を見せる教皇であるが、デフはそれを笑うでもなく、真面目に正面から見据えていた。
「猊下、人を救う事など誰にでも出来るのです。手が汚れていようと、過去にどのような罪を犯そうと。その時その瞬間に『救おう』と思えば、誰であってもそれはできるはずです」
「しかし……」
「確かに良識派の者達が掲げていた思想は美しい。ですが、人の世はそれではまかり通らないのです。猊下。私達が救いたきは神の世界ではなく人の世界なのです。なればこそ、人の世にあわせた方法を採らねばなりますまい?」
そしてそれが出来るなら、誰であっても良いとのたまうのだ。この大司教は。
「ですが、猊下に手を汚せと申すつもりは毛頭ございません。猊下には、この汚らしい私めの手腕をしっかりと見ていただきたい。そして、それをどこまでも嫌っていただきたい。どのような奸物が猊下を操ろうとするかわかりませんでな。学んでいただきたいのです」
そしてにやりと笑う。悪党じみた嫌味な面構えだった。
「……解った。余は、そなたを尊敬などせぬ」
「それで良いのです。敬い、参考とするならばグレメア殿の方が良かったでしょうな。ですが、彼ではこのような場面では生き残れない。私のような悪人でも、猊下のお役に立つことは出来るのです」
両手に持った小型の儀式剣『エメラルドクリス』を灯りに光らせ、ギラリと犬歯を見せ笑っていた。
「……アルバめが死んだか」
エルフィルシア近郊の森では、四天王が一、吸血王バルザックが、配下からの報告を受けていた。
「はっ、思いの外手ごわい聖人が居るようです。教皇殺害は失敗に終わった模様」
「アレは仮にも我ら王族の血を分けた貴族のはずだが……そのような者でも殺しうる『何か』があるという事か。油断ならぬな」
アルバが死んだ事そのものには何の感傷も湧かないながら、吸血王は物憂げに空を眺める。
砂嵐で解りにくかったが、その更に上空は分厚い雲で覆われていた。
「雨が降りそうだ。今日はもうやめにしよう」
「かしこまりました。全軍に撤退を命じます」
主の意を受け、側近がそう言って立ち去っていくのを見て、吸血王は小さく息を吐く。
「面倒くさいな。わざわざほこりにまみれた戦場に出るなど、全く、何故私がこのような――」
怠惰な性質を持つ吸血王は、この戦場にあって退屈さに帰りたくなっていた。
そもそも戦争そのものがバカらしい。戦えないのではなく戦いたくないのだ。
彼にとって彼が望む日常とは自分の屋敷で飲む血のカクテルの組み合わせを考える日々である。
侍従たちが奏でるヴィオラやハープの音を楽しみながら、優雅にブラッドカシスなどを飲めればそれでいいのだ。
この、ある意味魔王によく似た性質を持つ吸血王は、しかし一つだけ魔王と明確に違う側面を持っていた。
それは、プライドの高さ。部下がみっともなく敗退して帰ったなどというのは、彼にとって大きな傷となった。
それを取り戻すためこのようにわざわざ自ら総司令官となって出陣したのだが、やはりというか、面倒くさい。
わざわざ王たる自分が自ら戦場を駆け回るなど、そんな黒竜族みたいな泥臭い戦い方は好きではなかった為、基本部下任せである。
おかげで余計に退屈となり、何の為に自分がいるのかもよく解らなくなっていた。
「……とにかく帰ろう。別にラミアも無理に攻め滅ぼせとは言ってないし、少し位時間がかかってもよかろう」
プライドよりやる気のなさが勝った瞬間であった。吸血王は基本、やる気がない。
「私の居ない間に黒竜の姫君がろくでもないことをしでかさんとも限らんしな。四天王として、黒竜族を放置するのはよくない」
ついにはその場に居もしない黒竜姫の名を出し、自己弁護を始める始末である。
当然、彼の呟きなど誰も聞いては居らず、それはあくまで彼自身が自分を納得させるためのものに過ぎなかった。
こうして、魔王軍のエルフィルシアへの襲撃は失敗に終わった。