#4-1.アンナスリーズパニック
ある春の日の昼下がりのことであった。
私室で人形達とボードゲームなどをして寛いでいた魔王であったが、その平穏は儚くも破壊されようとしていた。
「師匠、大変です!!」
扉を開き颯爽と現れた破壊の使者は彼の愛弟子であった。
「エルゼ……どうしたのかね、一体?」
普段は温和な愛弟子の、珍しくもただならぬ様子に、何事かと魔王は椅子を立つ。
「あっ――」
どんな偶然か。魔王の肘がボードゲームの隅っこにぶつかってしまう。
吹き飛んでいくボードゲーム。それまで魔王優勢に進めていたゲームは、魔王自らの手によって覆水してしまった。
「あー……折角旦那様が勝ってらしたのに」
「ゲームオーバーですわね」
「残念ですわ。折角逆転の策を考えてた所ですのに」
一緒になってプレイしていた等身大の人形達もそれぞれ残念そうにひっくり返ったボードや駒を拾い集めていった。
「まあまあ、とりあえず元に戻そう。そしてもう一度プレイしなおそうじゃないか」
「そうですわね」
「旦那様、今度は先ほどのようにはいきませんわよ」
「次は勝ちますわ」
魔王の言葉ににこにこ笑顔になっていく人形達。
ゲームはエンジョイしつつエキサイティングするのが一番楽しいのだ。
「……あの、無視しないで欲しいのですが……」
そして、きっかけとなった破壊の使者は存在を忘れられて寂しげであった。
「すまなかったね。それで、何が大変だったのかね?」
部屋の入り口でつまらなさげに一人しゃがみこんでいじけだしていたエルゼの機嫌を取り戻すべく、魔王はエルゼの手を引いて自分の座っていた椅子に腰掛けさせる。
「あの……黒竜の姉様が、突然変な風になってしまって……」
「……黒竜姫が?」
「はい。あの……すごく機嫌よさげにニコニコ笑ってるんですけど、話しかけたらすごく優しい口調で雑談を始めてきて……」
「いい事じゃないか」
なんとなく思い当たる所のあった魔王は、一瞬どう説明したものか思案したものの、それは別に悪い事ではないのではないかと気付く。
「そ、そうなんですけど……姉様、いつもムスっとしてましたし、話しかけても短く答えてくれるだけで、自分からお話を振る事なんて滅多になかったから――」
つまる所、エルゼは以前の黒竜姫と、今のアンナスリーズとしての彼女の違いに戸惑っているのだろう。
無理もない話で、今の彼女を事情を知らない者が見れば、何事かと驚くものかもしれないと魔王は思った。
「まあ、その、なんだ……彼女も色々あるんだろう。心境の変化というか、イメチェン位に思ってあげればいいんじゃないかな?」
必要あってラミアやアンナスリーズを巻き込んだ魔王ではあったが、ここで幼いエルゼまで巻き込んでも戸惑いが増すだけだと考えていた。
皆が真実を知る必要などないのだ。真実は、むしろ必要最少人数のみが知れば良いとすら思っていた。
ラミアもアンナスリーズも、真実の記憶を思い出した結果、多少なりともショックを受けていた。
魔族はメンタルが弱い。あまりの事にショックを受け、そのまま塞ぎ込んでしまうかもしれない。
全く予想外の行動を取って障害となってしまうかもしれない。いずれも、魔王にとっては好ましい事ではないのだ。
とにかく、そこまで気にするものではないのだと、諭す事にした。
「イメチェン……ですか?」
エルゼはというと、立ったままの魔王を見上げながら、その言葉を繰り返していた。
「人は誰しも変身願望というものを持っていると言うからね。彼女も思い切って変身してしまっただけなのかもしれんよ?」
「なるほど……変身しただけなのですね」
純粋なエルゼは汚い大人のこうした手口にあっさりと騙されてしまう。魔王はわずかながら心を痛めた。
「ま、まあ、そういう訳だから、そんなに深く気にしてやらない方が、彼女の為にも良いと思うよ?」
「解りました……ところで師匠、このテーブルの上のこれは一体……?」
とりあえず自分の疑問が解決された事で、エルゼの次なる興味はテーブルの上のボードゲームに移ったらしかった。
「『悠久の渡り人』というボードゲームだよ。地下の図書館に原型と思われる書物があってね、再現してみたんだが……これが意外と奥が深い」
「ボードゲーム……遊びなんですか?」
「遊びだね。何人かでテーブルを囲んで遊べるんだ」
遊びと聞いて好奇心の塊となったエルゼは、早速ボードの隅に置かれた駒だとか、テーブル上のカードだとかを手に取ってみていた。
ダイスを見てみたり、ボード自体を指で触ってみたり、カードの絵柄を確かめたり。
ある程度自分の指先で感じてみたところで、爛々とした表情で魔王を見つめた。
「どうやって遊ぶんですか? やってみたいです!」
「そうかそうか、ではルールから覚えてもらおうか。アリスちゃん、エルゼに説明書きを」
エルゼが乗ってくれたのが嬉しかったのか、魔王も上機嫌になる。
「かしこまりました。エルゼさん、どうぞ」
席から離れていたアリスは、主の求めるままにエルゼに小さなメモ紙を渡した。
「これを読めば良いのですね?」
「そうだね。解らないことは質問してくれれば答えるよ」
「解りました」
そうして、エルゼは渡された説明書きを読み始めた。
『悠久の渡り人』 プレイマニュアル
1.ゲーム概要
このゲームは様々な世界を旅する伝説の旅人『悠久の渡り人』を探す事を目的としています。
プレイヤーは一人の『旅人』となって、マップのどこかに隠れている『悠久の渡り人』を探し出しましょう。
2.ゲームのおおまかな流れ
・まず最初にプレイヤー人数を設定し、ゲームに登録。順番を決めます(最低四人、最高で八人まで楽しめます)
・順番が決まったら順番どおりにダイスを一回ずつ振っていき、ボード上のスタート画面から出た数字の数だけ前に進んでいきます。
・それを繰り返し、最終的に『悠久の渡り人』に三回遭遇するか、ゴールまで辿り着けたプレイヤーからゲームを抜ける事が出来ます。
人数に拠らず最初に抜けられた三人までが勝ち組、残りが負け組です。
・一位になった人は任意の負け組の人に好きな事をしてOKです。
普段の鬱憤を晴らしてもいいですし、大好きなあの人に願い事を聞いてもらってもOKです。
(最初の登録により負け組はこれを拒絶できません)
3.おおまかなイベントマスの効果等
ゲーム上に設置されているマスには特殊な効果を持つ『イベントマス』があります。
これを踏む事によって他のプレイヤーを妨害したり、逆に自分が痛い目を見たり、あるいは皆が幸せになったりします。
・ダメージ系……他のプレイヤーが何らかの妨害を受けます。
・ギャンブル系……ダイスを振って出た目によって何かが起こります。
・日常系……何故か自分のカードが増えたり減ったりします。
・移動系……踏んだ本人が指定されたマス分進めたり戻されたりします。
・癒し系……心が癒されます。特に意味は有りませんが幸せになれます。
4.カードについて
ゲーム中イベントマスを踏む事によって手に入れられるカードは、それぞれ使いきりで色々な効果を発揮します。
ただし使用する事によってそのターンはダイスを振ることが出来なくなります。
また、『悠久の渡り人』に会う事無くゴールしたい場合、最低でもカードを5枚そろえなければゴール前のループを抜け出せないようになっています。
ループコースでもカードは手に入りますが、時間が掛かってしまうのでできればその前に頑張って集めましょう。
5.その他
楽しい要素一杯のゲームですが、妨害などのやりすぎで友情や愛情にヒビが入らないように気をつけましょう。
勝者は敗者に何を求めようとも自由ですが、それも度を越すと恨みを買ってゲーム終了後殺される事もあり得ます。
皆で楽しむ為のゲームなので、何事もほどほどが肝心です。楽しく遊びましょう。レッツエンジョイ!
「……なんとなく把握できました」
そんな長い説明書きでもないので、聡明なエルゼならばあっさりと読み終わると思っていた魔王であったが、やはりというか、あっさり読みきったらしかった。
「そうか。できそうかね?」
「はい……でもすごいですね、勝者は何でもアリなんですね」
「まあ、何でもアリと言っても、実際にはそんなエグい事にはならないだろうけどね」
魔王も何度か人形達とプレイしてみたが、たまに魔王が負けた時も人形達は遠慮して何も求めたりしなかった。
というより、彼女達としては既に満ち足りた毎日なのであまり欲しがる気が起きないらしい。なんとも謙虚な人形達である。
「では、飲み込めた所で早速やってみようか。大体一ゲームに一時間半かかるんだが、時間のほうは大丈夫かね?」
「ええ、問題ありませんわ。早く遊びたいです」
元々あまり時間のほうは気にしないスローリーな娘である。
魔王の言葉などすんなり受け入れ、今はもう早くゲームをやりたくて仕方ないと言った様子でちらちらとボードを見たり見なかったりしていた。
「では始めよう。ゲーム進行はアリスちゃんが、プレイヤーは……私とエルゼ、それからノアールちゃんとエリーセルちゃんで」
「かしこまりました」
「解りましたわあ」
早速テーブルを囲み、ゲームプレイの為の準備を始めていった。