#3-1.魔王様お見舞いする
「ここが黒竜姫の部屋か……」
「はい……」
黒竜姫の私室前の回廊。案内のレスターリームと二人、巨大な扉の前に立つ。
魔王は「どうしたものかな」と思案顔のまま顎に右手をやる。
「ここ数日、おひいさまはある程度落ち着かれた様子なのですが……それでも、まだ私どもをお部屋に入れてくださらないのです」
切々と語るレスターリームだが、彼女自身も見ている方が心配になるほど疲労困憊な様子である。
「食事は?」
「一切摂られておりませんわ。おひいさまのお気に入りの甘い水菓子も、『ドーナツ』とかいう焼き菓子も、今では口につける気も起きないそうで……」
食事自体は数ヶ月~数年の間は口にせずともあまり命に関わらないのが竜族であるが、侍女から見れば今まで普通に食べていたものを受け付けなくなったのはやはり、心配で仕方ないらしい。
「陛下、どうかおひいさまを……よろしくお願いいたします」
ラミアといいこの侍女といい、一体何を期待しているというのか。
こんな時にばかり伝家の宝刀扱いされるのは、それはそれで面倒くさいな、と魔王は苦笑いしていた。
とりあえずこんこんこん、とノックを三回。
……反応はなかった。
「……」
「……」
ひんやりしていく回廊。二人、黙りこくってしまう。空気が痛々しかった。
「もしや、気付いてないのでは……」
「そうかね?」
侍女の言葉に、再びノックを三回。今度はよく響くように強めに。
――しかし、やはり反応はなく、世界を沈黙が支配していた。
「もしや、疲れて眠っているのではないか?」
「そ、そんな事は……どうなんでしょう?」
ない、と言い切ってくれない辺り、この侍女も大概だなあ、と、魔王は小さく溜息を吐いた。
「見舞いにきたのはいいが、本人が反応してくれないでは話にならんな」
魔王は、段々と面倒くさくなってきていた。
見舞いそのものもラミアに嵌められた感があるし、黒竜姫は黒竜姫で反応すらしない。
「案外、鍵も何もかかってなかったり――」
そんなはずはない、と思いながら、冗談のつもりで魔王がドアノブを回す。
しかし、予想に反してノブはぐりん、とあっさり回り、そして――
「……えっ」
――勢いのまま開かれた扉の先には、あられもない姿の乙女が立っていた。
「っ――」
「いやっ、これは――」
一瞬固まった後、状況に気づいて身を震わせ涙目になりながら胸元を隠す黒竜姫に、魔王は必死に何か言い訳しようとする。だが間に合うはずもない。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
直後、乙女の大絶叫である。城が震え大地が揺さぶられる。
「す、すまなかった!!」
キンキンとする耳を押さえながら、魔王はとっさに扉を閉め、扉に背を向けた。
「……陛下。いくら陛下でも、若い女性の部屋に断りも無しに入るのは――」
そして、真横に立つ侍女からの、ちくちくとした視線が魔王に降り注ぐ。
「言うな。まさか開くとは思ってもなかったんだ」
まして着替え中だったなどと想像だにしておらず、あんな光景が待っていたのは魔王にとって眼福……ではなくとんだ手違いであった。
「大体、なんで着替えなんてしてたんだ。せめて何か反応してから『着替えるから待っててください』とか言えば良いのに」
「おひいさまにも色々あるのではないかと……何にしても、陛下はもう少し責任を感じるべきではないでしょうか?」
魔王の言葉にはあまり同意してくれないレスターリーム。
彼女が黒竜姫の侍女である事を、魔王は今更のように痛感していた。味方などここにはいないのだ。
「はあ。わざとじゃないんだけどなあ。その辺り、解ってもらいたいなあ」
ただでさえ変人魔王だとかろくなことをしない盟主だとか色々影で言われてるのに、この上覗き趣味の変態などと広まれば、魔王の威厳など一気に吹き飛んでしまう。
まあ魔王がそんな風に心配しているだけで、実際には民の間では既に威厳もへったくれもない無能という扱いなのだが。
そうして、二十分ほどああでもなくこうでもなく、と、自分のしでかした事の言い訳を考え続けていると、やがてぎぃ、とノブを回す音がし、扉が小さく開かれた。
「む……?」
「あ、あの……着替え終わったので、御用なのでしたら、どうぞ――」
扉の隙間からそっと顔を覗かせながら、黒竜姫は魔王の入室を許していた。
「いいのかね?」
「御用なのでしたら……」
普段の黒竜姫らしからぬ、あまりはっきりとしない口調であった。
なるほど、様子がおかしいらしいと思いながらも、とりあえず落ち着いてくれたらしいので安心しながら部屋に入る事にした。
通された部屋の中は、かすかに百合の香りが漂っていた。
そのまま魔王が奥の白い椅子に腰掛けると、黒竜姫はベッドに腰掛け、手近な場所に置かれていたクッションを手に取り抱きしめる。
「レスターリーム、お茶を」
「あ、はいっ、ただいま」
一緒に入ってきた侍女に指示を出し、そそくさと侍女が部屋を後にすると、後には魔王と彼女の二人だけになる。
「……先ほどのことは忘れてくださって結構です」
うっすら頬を赤らめながら、視線を逸らす。第一声からして気まずかった。
「ああ、そう言ってくれると助かる」
互いに気まずいらしい。これから話をするのに、その事に触れるのはよくない、と彼女も判断したのだろう、と魔王は考えた。
「それで、陛下は、一体どのような御用向きでこちらに……?」
会話が始まる。少しは見られるようになったのか、まっすぐに魔王の瞳を覗き込みながら、黒竜姫は静かに問うのだ。
「ラミアから、君が塞ぎ込んでいると聞いてね。心配なので見舞いにきたのだ」
この際、魔王はあまり飾ったりせず、素直に経緯を説明する事にした。
「陛下が、私の事を……?」
しかし、それが良くなかったのか、平静を取り戻しかけていた顔は再び赤面してしまう。
「……とりあえず、元気そうで安心したよ」
内心「しまった」と後悔しながら、適当な言葉でお茶を濁す。
「お待たせ致しました」
それから少しの間、話を切り出すタイミングがつかめず、どうしたものかとあちらこちら視線をうろうろさせていると、レスターリームが戻り、魔王の前にティーカップとポットを置いた。
「ありがとう、レスターリーム、悪いけど、席を外してもらえるかしら?」
黒竜姫も小さめのシルバートレーにのったそれを受け取り、お礼を言いながらも侍女に人払いを促した。
「あ……えっ!?」
何がそんなに驚いたのか、レスターリームは目を見開き、信じられないかのように唖然としてしまう。
「……? どうしたの?」
「あ、いえ、なんでも……かしこまりました。それでは失礼致します」
黒竜姫に顔を覗かれ、はっと我に戻った侍女は、深くお辞儀をし、そのまま静かに部屋から出て行った。
「どうしたのかしら? 変な子ね」
ぽそり、呟く。
「何か驚くような事を言ったのかね?」
魔王にはよく解らないが、今の二人のやりとりにはそれほどおかしな事もなく、では何故レスターリームはあのように反応したのか、というのが不思議でならなかった。
だが、黒竜姫も困ったように首を横に振る。
「いいえ、私は別に……陛下が耳にされた通りの事しか言ってないのですが……」
二人して首を傾ける。謎が謎を呼んでいた。