#2-2.記憶の中の母2
ある日、アンナスリーズはまた、母親に呼び付けられた。
相変わらずカルバーンは引きこもったままだったが、再三の呼び出しに、さすがに無視し続けるわけにも行かなかったので、やむなく部屋に行ったのだ。
いつも部屋を訪ねるとベッドに横たわっていて動こうとしない母親が、その時ばかりは何故かベッドから降り、凛として彼女を見つめていた。
厳しい目つきで、二つの書物を手渡し、『これを覚えなさい』と命じたのだ。
「お母様は一体、何を考えてるの?」
不意打ち気味に立っていたので躊躇ったアンナスリーズであったが、気を取り直し、抗議めいた表情のまま、母親を見つめながら問う。
しかし、娘のそんな抗議など構いもせず、母は書物の説明を始める。
「最初に手渡した青の本。これは物理破壊魔法『アステロイド・レイン』の計算式と、主な活用方法の説明書きよ。こちらは実践で教えられるから後で見せてあげるわ」
「ちょっと――」
突然始まった訳の解らない説明に、アンナスリーズは戸惑う。
彼女の母が感性のまま突発的なことをするのは何時もの事ながら、今回はいつにも増して強引なのだ。
いつもは多少強引ながらもある程度はアンナスリーズの言葉に耳を傾ける母親が、今は聞く耳すら持ってくれない。
「次に渡した赤の本。これは自己犠牲魔法『コールドスリープ』の発動方法と、その説明書きを記したものだわ。これに関しては私は実践で教えられないから、貴方が自力で習得なさい。というより、読めば解ると思うけど、使ったら死ぬから基本的に使わない方向で」
「死ぬの!?」
自分の娘になんて魔法を覚えさせようとしてるのだろう。
母親のあまりの無茶苦茶ぶりにアンナスリーズは唖然としてしまった。
「ええ、死ぬわ。アステロイド・レインも並の魔族では命に関わるほど魔力を消耗するけれど……こっちは貴方位のキャパシティがあれば、今は無理でもその内問題なく扱えるようになるはずだわ」
死ぬような魔法の説明書を寄越してくる母親。娘は途方に暮れていた。
「なんでそんな物騒な魔法、私に覚えさせるのよ? そんなの、カルバーンでもいいじゃない。あの子の方がきっと喜んで覚えてくれるわ」
変な魔法を覚えたくない、というのも勿論あったが。
アンナスリーズの抗議には、双子の妹がこれ以上顔を曇らせるのを見たくない、という気持ちが多分に強かった。
「ええ、あの娘ならきっと、喜んで覚えようとするでしょうね。習得も貴方より早いはずよ」
そんなの知ってるわ、と言わんばかりに溜息をつかれる。その仕草にアンナスリーズはムッとした。
「そう思うなら、どうして――」
「だってその魔法、カルバーンに使うためのものなのよ? 本人に教えてどうするのよ?」
驚きの余り、少女はしばらく口が利けなくなっていた。
母親が何を言っているのか、意味が解らなかった。
溜息混じりに言われた言葉がどういう意味を示すのか、理解するのに時間が掛かってしまった。
聡明な彼女をして、自分の母親が、そんな事を言うなんて思ってもみなかったのだ。
「――を考えて……」
そして、次に溢れたのは怒りであった。
「何を考えてるのよ!? カルバーンに向けてって、どういうつもりなの!?」
理解できない心が、強烈な憤りを溢れさせていた。
「そのままの意味だわ。もし万一、あの娘が暴走した時に――それを止められるようにする為よ」
母親は微塵も表情を変えず、そのまま静かに説明を続ける。
その様に、より強い怒りが迸っていくのを、アンナスリーズは感じていた。
「暴走って……確かにあの子は強いわ。私なんかじゃ足下にも及ばない。だけど、だからってそんな――」
「貴方達は知らないでしょうね。自分達の力が今どれ位のレベルにあるのかを」
しかし、母はそんな娘の怒りを、たった一言で遮ってしまう。
「強いのはあの娘だけじゃないわ。貴方も、魔族としては途方も無く強いはずよ。何たって、最強種族である黒竜族と、魔王たるこの私との混血なんだもの」
「私が……強いですって……?」
信じられない言葉であった。さっきからこの母親は一体何を言っているのか。
病弱でいつ死ぬかも解らない自分が、事もあろうに途方も無く強いなどと言われても実感が湧かないのだ。
だから、段々とバカにされているのではないかと感じはじめていた。
だが、母は笑うのだ。いかにもおかしな生き物を見るかのように。魔王のままに。
「貴方はずっと温室で育ってたから知らないだけ。自分より弱い種族の妹ばかり見ていたから、そして自分より遥かに強いカルバーンを見てきたから、自分の強さというものを明確に把握できていないだけなのよ」
「そんなの、信じられない」
アンナスリーズは、ただただ困惑していた。
母が一体何を言おうとしているのか、その先が解らなかったのだ。不安だった。
「いつか解るわ。貴方はカルバーンの居ない世界なら最強になれる逸材だもの。多分、私の娘達の中では、一番魔法を扱う術に長けているしね」
「カルバーンがいない世界なんて何の意味があるのよ?」
よりにもよって、母親がそれを言うのかと、アンナスリーズは憤慨する。
しかし、そんな娘の様を見て、母は怒りもせず、悲しそうな表情も無く、ただ不敵に笑っていた。
「意味なんてないわ。この世界に、始めから意味なんてない。あるのはそう――虚しさばかりだわ」
「えっ――あ……」
ここでアンナスリーズは、初めて母が、疲労を滲ませ頬に汗していた事に気付いた。
「もしかして辛いんじゃないの? いつも寝てたのに、なんでこんな――」
なんでこんな無理してるの――?
娘の疑問は母には届かず、魔王たる母はアンナスリーズの右腕を掴む。
「いくわよ」
「なっ――」
突然何をするの? と言う暇も無く、足下が光りだした。
気が付けば、部屋中全て、いたる所に眩く光る魔法陣。
いつの間に張り巡らしたのか、自分がそれを察知できなかったのが不思議でならなかった。
『目的地・リーベシュタイン/二名』
驚いている間に、光は臨界し――やがて、二人を転移させた。
その後、アンナスリーズはリーベシュタインと呼ばれる魔界の渓谷地帯で母の魔力を見せ付けられる事となる。
あまりにも圧倒的過ぎるその光景を目の当たりにした少女は、習得が困難とされるはずの古代魔法『アステロイド・レイン』を容易く習得してしまった。
この世界の魔法を習得する上で、最も重要なのは魔法と自身の相性なのだが、その次に大切なのは、『いかにその光景を想像できるか』である。
方向性は違えど、魔族には魔族の、人間とは違う意味での想像力が必要とされているのだった。