#2-1.記憶の中の母1
魔王城中庭の庭園。昼下がり。
長く艶やかな黒髪が、白いティーテーブルの上に広がっていた。
相席も居らず、一人お茶をしていた魔王の長女は、はしたなくもテーブルに頬杖をつき、庭園で元気に遊んでいる父親違いの妹達をアンニュイな表情で眺めていた。
(いいなあ、好きなだけ動けて)
ある種の羨望も籠めて。彼女――アンナスリーズ――は小さな溜息をついた。
アンナスリーズは、生まれつき病弱であった。
元々竜族は幼少期、病に対する耐性が極端に低いのだが、彼女は輪を掛けて身体が弱く、些細な事が原因で体調を崩していた。
一番危険な幼少期を過ぎ、こうして少女と言える年頃になって尚、ちょっとした風邪が元で死にそうになったりする。
本来ならそれ位まで育てば竜族としてはもう安全圏で、誰かに殺されでもしなければまず滅多に死ぬ事は無いのだが、彼女は病弱故にそうもいかず、この年頃になっても未だ儚い世界に生きていた。
それが故、性格も大人しめで、ハーフとはいえ、黒竜族としては珍しく思慮深い性格をしており、妹達からはその面倒見のよさから大層慕われていたのだが。
そんな彼女には、深い憂いがあった。自身の双子の妹、カルバーンである。
彼女と違い、幼少期から健康的で活発だったカルバーンは、いつも一緒に居るアンナスリーズにとって悩みの種であった。
とにかく暴走する。好き放題に暴れまわってあれやこれや騒いで周りを巻き込む。やかましい。
幼く力の無い妹をいじめたりするし、それに文句を付けた歳の近い妹と口論したりもする。
でも口では勝てなくて手が出そうになる。それを止めるのは彼女の役目だった。
元々妹が沢山生まれ始めた辺りで、小さな妹の面倒を母親から押し付けられていたのだが、カルバーンはその辺り、あまり面倒見がいいとは言えなかった。
何せ短絡的で、些細な事が元で爆発するのだ。小さな子をあやす事すらできやしない。
身体は大人びてきてはいるものの、心の方はまだまだ小さな子供と言って差し支えない。
我侭放題、やりたい放題。今では三女以下、ほとんどの妹から嫌われていたり恐れられている。
とにかくそんな双子の妹の所為で、アンナスリーズは溜息が尽きない日々を送っていた。
だけれど、反面、アンナスリーズはそんな双子の妹が羨ましくもあった。
とても元気なのだ。健康そのもので病気をした事も無い。
どれだけ駆け回っても息が上がる事はないし、双子の片割れのはずなのに同じ種族とは思えない位に力の差が大きい。
幸いにしてカルバーンは双子の姉である彼女には頭が上がらず、滅多に暴力を振るってくることは無いが、少なくとも身体能力で勝てる部分は全く存在していなかった。
かと言って元気だけが取り得の馬鹿娘かと言うとそういう訳でもなく、勉学に関しても姉と遜色なくこなせる程度には頭が回り、記憶力も抜群にいい。
アンナスリーズにとって、勝てる要素の存在しない相手、それがカルバーンであった。
そのカルバーンだが、極度のシスコンで、更に筋金入りのマザコンでもあった。
普段自分勝手で我侭な娘だが、姉のアンナスリーズには頼りきりだし、言われた事はそれなりに素直に聞く。
小さな子を苛めて泣かした時など、アンナスリーズが怒ったりすると『なんでアンナちゃんまで怒るの?』と言わんばかりに、絶望的な表情をして涙目になるほど。
とにかく、絶対的な味方と思い込んでいる。
双子の姉だからか、いつも一緒にいるからかは解らないのだが。
母親に対してはというと、ひたすらに甘えまくる。
猫なで声で抱きついたり、腿の上に顔をこすりつけたりと、まるで子猫のような仕草でべたべたくっつこうとする。
ただ、彼女達の母親はさほど彼女達を愛していないのか、あまり会ってくれないし、会ってもそんなに長い時間相手をしてくれない。
特にカルバーンは普段妹達をいじめたり喧嘩や悪戯ばかりしてる所為で、構ってもらえてる時間ですらその大半がお説教という有様である。
「まあ、あの人はあの人で忙しいんでしょうけど、もう少し言い方ってものを考えても良いのに……」
一人ごちる。いつも一緒にいるはずのカルバーンは、今ここにはいない。
自室で泣きながら引きこもっている。彼女としては珍しい事に。
切欠は些細なものだった。
彼女達の母親が、例によって唐突な思いつきでアンナスリーズに魔法を教えるとか言い出して、カルバーンが『私にも教えてください』とお願いしたのに、母親がそれを突っぱねたのだ。それもかなり厳しい口調で。
カルバーンの受けたショックは相当な物だったらしく、泣きながらその場からいなくなり、そのまま現状に至る。
大好きな母親に拒絶されたのだからそれも無理からぬ事だが、呆れた事にそんなカルバーンを無視して、母親は魔法の勉強を続けようとしたのだ。
これにはアンナスリーズも怒った。普段からたまっていた鬱憤が爆発したのだ。
あらん限りの罵倒を母親にぶつけ、彼女もまた、部屋から出て行った。
部屋には母親のほかに自分達の世話係のラミアもいたのだが、そんな事はお構い無しに。
余談だが、アンナスリーズは母親の事をそんなに好きではなかった。
そんなに親しげに話したりもしないし、幼い頃から何を考えているのか良く解らなかったからだ。
何より、これだけ慕ってくれているカルバーンを無碍に扱うような母親なのだ。
魔族にだって家族間の愛情位はあってもいいと、アンナスリーズは考える。
それを事もなげに粗雑に扱うなど、本当に親のする事かと常日頃から思っていた。
(私の事なんてほっといていいから、もっとカルバーンを可愛がってあげれば良いのに。いくらなんでも可哀想だわ)
紅茶をシナモンスティックでグルグルとかき回す。独特の香りが少女の鼻先に漂っていった。
皮肉な事に、その母親は彼女には事あるごとに気を向けているらしかった。
言葉でそれを言う事はないが、病で寝込めば必ず数時間は側にいるし、突然部屋に呼びつけては、何かを教えようと書物を渡してきたり、何かの魔法の習得訓練をさせようとしてくる。
お茶の淹れ方、パーティー会場でのマナー、男性に誘われた時の上手な断り方etcetc……教わってもあまり使い道のなさそうな知識まで教えてきたりする。
彼女にとって、母親と過ごすひとときは『時間の無駄』と言っても差し支えないほど退屈で、そして、戻った時の妹の曇った顔がどこか辛くもあった。
『なんでアンナちゃんだけ……』とでも言いたげに。指を噛みながら。
しかし言わないのだ。姉想いな妹は。
彼女にはそれが解ってしまって、だからこそ余計に心苦しかった。
そして、そんな妹を構ってあげない母親が、どうしても好きになれなかったのだ。