#11-3.アルティメットバトル
対峙するオークの勇者を前に、エリーシャは構えを解く事が出来なかった。
横をすり抜け階段を登っていく不審者達を追いかける事すら叶わず、ひたすらに正面を睨みつける。
まず、見た目からして明らかに不利だった。この間の女魔族などよりも縦にも横にも大きい。
筋肉質な腕からは、恐らく人の身には到底耐えられぬ強烈な一撃を放ってくるに違いない。
斧にしろ剣にしろ、かすりでもすれば髪どころか首が吹き飛ぶかもしれない。次の瞬間には自分は肉片になっているかもしれないのだ。余所見など出来るはずもなかった。
「知っているぞ。貴様は大帝国の女勇者エリーシャ。数多の戦で多大な戦果を挙げし人間の猛者よ」
「元、だけどね。今は勇者やめたはずなんだけど」
律儀に主達の姿が見えなくなるまでは攻撃してこなかったオークの勇者であるが、ここからはそうも言っていられない。
口上も程ほどに、ここからは攻撃がいつ始まってもおかしくなかった。
勇者をやめたのに、こんな大きなお城で皇帝の妻になって、平穏な世界で暮らせると思ったのに、そんな矢先にこれだった。
救いはどこにあるというのか。自分で願った平穏ではないにしろ、これはあんまりではないかとエリーシャは思う。
自然、口元は皮肉げに歪む。災難続きの自分の人生。いよいよ以て最後が見えてきた気がしたのだ。
「……魔王の狙いが何なのか知らないけど、貴方を倒さないといけないなら――倒すわ!!」
覚悟を決めた。そして自分の腹部に魔法を放つ。衛星魔法は、完全にエリーシャのモノとなっていた。
「いい眼だ。では往くぞ……うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
身の毛もよだつクライ。城はその音波に揺れ、そして、風が暴れまわる。
気合の篭った叫び声に、エリーシャの身体はびりびりと痺れを感じた。
瞬時に戦場の空気が呼び込まれていた。涼しく、刺す様に冷たいイクサバの音。
「ドリェィッ!!」
肉薄するジャッガの一撃。
右手のバトルアックスが驚くべき速度で振り下ろされ、エリーシャの立っていた場所が粉砕される。
「――くっ」
それが見えたエリーシャは、すぐさま飛びのき、姿勢を立て直す。
――速かった。
「ダァァァァァァァァァッ!!!!」
即座に左手のツーハンドが旋回する。エリーシャはそれを瞬時にバックステップで避ける。
ジャッガの速度も人外じみてはいるが、この程度の動きならエリーシャには回避も不可能ではなかった。
「なんという素早さだ……これが人間の身のこなしなのか? まるでエルフではないか!!」
「素の私だったら無理よ。でも私にはこの魔法がある!!」
エリーシャの反撃。周囲を飛ぶ衛星達が敵に向け一斉射撃。
拳大の強烈な炎弾が、氷弾が、次々と休み無く高速でジャッガに向かう!!
「ガァッ!!!」
しかし、それらはクライによって霧散させられてしまう。
「……魔法を気合一つで無効化するの、やめてくれないかしら。立つ瀬がなくなるから」
こちらは貴重な魔力を消費して必死になって魔法弾を放ってるのに、相手はノーリスクでそれを消し飛ばすのだ。
勘弁して欲しいとエリーシャは思った。
「グハハハハハッ!!」
この一連のやりとりに、オークの勇者殿は豪快に笑っていた。
「これが人間の勇者か。強いな。こんなに楽しいのは初めてだ。こんなに闘えたのは初めてだ。こんなに楽しい戦いがこの世にあったのか。これが『死闘』というものなのか!!」
目の前の敵の強さに、この闘いの質に、殺し合いの中で感じられる生に、オークの勇者は酔いしれていた。
「私は全然楽しくないんだけど――」
「もっとだ、もっと我に闘いを!! 愉しませてくれ。もっと殺し合おうぞ!! 命を捨てようぞ!!」
「死にたいなら一人で死ね!!」
また飛び掛ってくる。それをなんとかかわし、魔法攻撃。効かない。
攻撃力的に今のエリーシャの持つ中では最強クラスの攻撃のはずなのに、それが効果を成していないのだ。泣きたくなる。
「くっ、このっ!!」
ブォン、と激しく薙ぎ振られるバトルアックス。
それを腰から上の動作でなんとか回避する。
この一撃を受ければ、即死する――
頭では理解していた。だからこそ、接近戦は自殺行為だと理性が止めていた。
しかし、これではジリ貧だと生存本能が告げる。
本来止めるはずの本能は前に出ろとひたすら命令していた。
理性は逆で、生きたければそれだけはやめろと制止し続ける。
理性と本能の戦いは、しかし定まりきらず、煮詰まる前にエリーシャを死の危機へと陥らせていた。
「死ねぃっ!!」
それは、バトルアックスを避けた直後。その軌跡を、今度はツーハンドが逆行してきたのだ。
「あっ――」
避け切れない。死ぬ。
巨大な刀身は的確にエリーシャの胸に。
こんな巨大な両手剣が当たれば、急所じゃなくても胴体が千切れ飛ぶに決まっていた。
しかし。
「――なっ!!」
ガキリ、という金属同士の妙な音を立て、ツーハンドは弾かれてしまった。
「あぅっ」
しかし、威力だけは殺しきれず、エリーシャは吹き飛ばされる。
「……なんだ、今のは。何かの魔法なのか……?」
奇妙な感触に、ジャッガは一瞬、敵を忘れてしまう。
「くぅっ……はぁっ、はぁっ……」
右胸を強く抑えるエリーシャ。首筋には銀色に光る逆十字が見えていた。
胸元に隠していたネックレスが、先ほどの奇跡を演出したらしかった。
(まだ生きてる……これに助けられたの……?)
逆十字を手に取りながら、なんとか立ち上がったエリーシャに、オークの勇者は再び戦闘狂としての自分を前面に出す。
「今度こそ死ねぇぇぇぇぇぇっ!!!」
まだふらついているように見えるエリーシャに全力で接近し、ツーハンドの一撃を見舞う!!
バキリ、という音と共に、それを弾こうとしたエリーシャの剣を叩き切ってしまう。
「まだまだぁっ!!」
剣同士のぶつかり合いによって起きたわずかな直撃の遅れ。その一瞬の遅れを、エリーシャは見切り、カウンターを狙っていた。
いつの間にか左手に握られた短剣『ペーパーナイフ』。一か八かの近接戦闘だった。
「うぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
ズパリと腕を斬られる。勇者は、思わずツーハンドを落としてしまった。
「これでっ!!」
勢いに乗ったエリーシャはそのまま追撃する。ソレが読みの誤りだった。
「これならかわせまい!!」
「――っ」
痛手を負ったはずの左手を構わず使い、接近したエリーシャの肩を掴んだのだ。
まさに執念、彼の勝利への執念が、エリーシャのそれを上回った瞬間である。
頭蓋に向け、避けられないタイミングでバトルアックスが振り下ろされる!!
「な――なんだこの光は」
しかし、彼の勝利への一撃は、強烈な光によって防がれてしまっていた。
バチバチと閃光する空間。攻撃と防御のせめぎ合いは、やがて防御の優勢を見せ――鉄のバトルアックスを破壊せしめた。
光が爆裂し、リボンで留められていたエリーシャの髪が解かれる。勝敗は決していた。
「私の――勝ちよ!!」
分厚い鋼の肉体などものともせず。短い刀身は、しかし彼の急所を的確に突き刺していた。
「うっ――ぐっ……はぁっ!! 我の――オーク族の、誇りが――」
彼は、自分を刺し殺す女より、粉々に砕け散ったバトルアックスの柄先を見ていた。
信じられないものを見るように、驚愕した表情のまま、しかしやがて何かを悟ったのか、安堵の表情を浮かべ、崩れ落ちる。
「ふ……ふふっ……」
そして笑っていた。息も絶え絶えながら、安らかに笑っていたのだ。
「……はぁっ」
都合よく後ろに倒れてくれたおかげで巻き添えを逃れたエリーシャであったが、やはりこちらも疲労で膝を付いてしまっていた。
「死ぬかと思った」
毎度のように出てくる口癖である。
数多の戦地を潜り抜けた彼女にとって、死線など何度もすりぬけたただのラインであった。
「ふふふっ……やはり、人間とはこうも強いのか」
崩れ落ちたままの勇者は、しかし満足げに笑ったまま、身動き一つ取らないでいた。それがエリーシャには有り難かった。
「私なんて数居る勇者の一人に過ぎなかった。世の中には、きっと私よりずっと強い人が沢山居る。強い人と闘いたいなら、貴方はどこまでも生き続けなければいけなかったのよ」
今更のように。エリーシャは、彼の愚かさを皮肉ってやった。
「そうか」
灰色の肉体は微動だにせず。ただ、眼だけを宙に向けていた。
「ただ、戦の中で死ぬのは嫌だったのだ。オークとて、老いればやがて衰え、雑兵にすら殺される日が来る。我には、それが我慢ならなかった。強き者と闘い、充足した気持ちのまま、死ねたらと願っていた」
「なんで貴方達はそんなに闘いを望むのよ? 人間の私には理解できないわ」
種族の違い。思想の違いは確かに超えられないものかもしれない。理解できないものかもしれない。
だが、それにしたってこれは、どうにかならなかったのかと、エリーシャは常々考えていた。
オークの思想は、他種族から見てあまりにも特異過ぎる。
「そんな物、知るか。我は生まれて七つの頃から、ずっと戦地を駆け回っていたのだぞ? そんな事、考えた事も無かった」
ヒク、と灰色の口元が歪む。オークらしからぬ皮肉顔であった。
「ああ、だが――死にそうになって今、初めて解った事がある」
「あんまり興味ないけど。最後の言葉として聞いてあげるわ」
エリーシャから見れば迷惑極まりない戦闘狂の最後の戯言である。
そんなでも、「最後の言葉なら聞いてやるのも救いというものよね」と、エリーシャは思ったのだ。
「……我はきっと今、怖いのだ。急に妻の事を思い出してしまった。妻との集落での日々を思い出してしまった。アレと二度と会えなくなるのは怖い。死とは、こんなにも――怖いものなのだ、なあ――」
「……それ位、死ぬ前に知っとけ」
もう何も言わなくなった灰色の物体に、なんとか立ち上がりながら、エリーシャはツッコミを入れてしまう。彼女なりの優しさだった。
「……む」
階段を登った先。四階を歩いていた魔王であったが、下階からのドスン、という何かの倒れるような地響きに、一瞬足を止める。
「負けたようですわね」
魔王の両脇を歩く二つの影。左のエリーセルが呟く。
「そのようだね。残念だ」
さほど残念そうでも無く、魔王は人形の言葉に合わせる。
「思ったよりもぉ、早く片付いてしまいましたわねぇ。オークの勇者では相手にならなかったという事でしょうかぁ?」
右のノアールが間延びした口調で二人に続く。
「そんな事は無いさ。真に強い者同士の戦いというのは、案外、短時間で決着がつく事が多い」
「そういうものなのですかぁ?」
「そうさ。ジャッガは間違いなく強い。だが、エリーシャさんはそれよりも強かった、という事だろう」
魔王は死した勇者をあざ笑ったりしていなかった。
とても真面目に、闘いの中で散っていった者を評価していた。
「とはいえ、追いつかれると面倒だ。後は任せる」
「かしこまりました」
「お任せ下さいませぇ」
二人、立ち止まり、その場でペコリと頭を下げた。アリスと同じような仕草で。
「油断しない事だ。君ら二人居ればアリスちゃんよりは強いだろうが、な」
魔王は片手だけ上げながら、そのまま歩いていく。こつ、こつ、と。
人形達は、主が立ち去るまで、下げた頭を上げる事は無かった。自らの忠誠を示すように。