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趣味人な魔王、世界を変える  作者: 海蛇
4章 死する英傑
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#10-2.散り砕けた百合の飾り

 だんだんと暗さに目が慣れてきた辺りで、角の向こう側からもコツ、コツ、と靴の音が響くのが聞こえた。

警備兵の鉄靴のそれではなく。静かな革ブーツの音であった。

(……城の侍従か何かかしら。都合がいいわ。捕まえて、あの女勇者の居場所を聞けば手間が省ける――)

近づく靴音。近くの柱の陰に身を潜ませ、黒竜姫はじっと待った。

廊下の突き当たり、角の辺りがポウ、と明るく染まっていくのが見えて、すぐ近くまできたのが解る。

靴音が自分の隠れる柱の前まで着たのを確認し、黒竜姫は通り過ぎるのを待つ。

姿は見られないに越した事は無いと思ったのだ。彼女にしては珍しく、隠密行動である事を優先して。


 しかし。何故だろうか、靴の音はそこで止まり、動かなくなった。


(……どうしたのかしら?)

気付かれたなどと微塵も思っていない黒竜姫は、そこで止まったのが何故なのか解らない。

何せ完璧に隠れているつもりなのだ。ばれるはずがないと思っているのだ。

確かに、常人ならばそんな事気付けるはずもなく。

通り過ぎて、黒竜姫に捕まっていたに違いなかった。


 つまり、常人ではなかったのだ。だから、止まったのだ。


 なにかがおかしい。そう気付いた時にはもう手遅れで、既に『敵』は黒竜姫の背後に立っていた。

「――っ!!」

即座に気配を察知し、相手の様子など確認もせず、身体を回転させ回し蹴りを放つ。

しかしそれは轟音のまま空を切り、勢いを殺しきれずにそれまで身を潜ませていた柱を深くえぐっていた。

狙った相手にはかすりもせず、黒竜姫のバランスだけが崩れた。

「あら、やっぱり不審者だったわ。殺しましょう」

次に声が聞こえたのはどこからか。黒竜姫の真上からだった。

「なっ――」

黒竜姫は驚愕していた。気付けても、反応速度が間に合わない。

重量のまま、重い肘撃ちを背筋に当てられ、頑強なはずの黒竜姫の肩口はパキリと悲鳴を上げた。

「――あっ!?」

顔面から地面に落ちそうになり、必死になって右腕を突っ張って顔に傷がつくのを防ぐが、不可解な攻撃を受けたショックは、黒竜姫に多大なストレスと不安を与えていた。


(どういう事……? 私が反応できなかった? 暗がりとはいえ、私に手を付かせるなんて――)


 理解できない事がそこにはあった。

自分が今対峙しているのが何者なのか解らない。

ただ、少なくとも並の人間ではないのは確かである、と。

だったなら、『コレ』は一体誰なのか。

自分に少なからずダメージを与えているこの存在は、何者なのか、と。

一瞬の思考ながら、黒竜姫に戸惑いを与えた。

 確かに上級魔族ならそれ位の力を持つ者は居ない訳ではない。

魔王を筆頭に、黒竜の皮膚を突き破れるくらいの力を持つ存在が居てもおかしくはないのだ。

だが、人間にそんなことが出来るとは到底思えなかった。

件の女勇者ですら、どれだけ必死になっても体術で黒竜姫に打撃を与えるなど不可能だろうと思っていたのだ。


「頑丈ね。そうか、貴方『黒竜』とかいう奴ね。あのトカゲになるっていう」

なんとか立ち上がった黒竜姫の前に居たのは、三つ編みの大人しそうな侍女だった。

「――何者よ。私をそれと知って攻撃するなんて、何考えてるの?」

出で立ちはただの人間の若い娘であった。

魔力もそんなに感じられなかった。

その気になれば一瞬で殺せてしまいそうな、睨みつければそれだけで心臓が止まりそうなかよわい、なよなよとした人間の娘。

そんな外見だというのに、この威圧感は何なのか。この気迫は。この殺意は。

黒竜姫は緊張気味に顔を引きつらせる。

『この女は、強い』と。『油断してはならない』と。

「ただの侍女よ?」

黒竜姫の問いに、しかしなんでもないかのようにとぼけて答える。やる気の無い女だった。

「ふざけないで頂戴。ただの侍女が私にダメージを与えられる訳が――」

「ええそうね。見られてしまった。気付かれてしまった。だから貴方を殺すわ。そうすればまた、私は『ただの侍女』に戻れるから――」

歪んだ口元。感情を感じさせない瞳。黒竜姫は震えた。


「――がっ……そ……んなっ――」

いつの間に抉られたのかも解らなかった。ただただ、黒竜姫は衝撃のまま、前のめりになってしまう。

目の前に居たはずの侍女が消え、気が付けば自分の腹部に激しい鈍痛。

目を見開き、信じられないものであるかのように見つめたそこにはもう何も居なかった。

「か――あっ!?」

そして、後頭部に重い打撃。黒竜姫は痛みより先に視界のぐらつきを感じていた。

平衡感覚が破壊され、今度は腕すら出せず、顔面から床に叩きつけられる。

「あぐっ――」

美しい顔など容赦も無しに、侍女は黒竜姫を叩き伏せていた。

事もあろうに、黒竜姫がもっとも得意とするはずの近接戦闘によって。

「まあ、所詮はこんなものよね。この世界の生物って言っても、ヴェーゼルやアルフレッドみたいに時間の壁を越えられた化け物じゃないもの」

侍女は笑いもしない。何の感情も見せぬまま、黒竜姫の頭を靴で踏みつける。

「ぐっ――ぅっ……じ……かん?」


 屈辱だった。激しい屈辱が黒竜姫を支配していた。

時間にしてほんの数秒。

魔界最強、いや世界最強だと思っていた自分が、たったそれだけの間に容易く打ちのめされ、こうして屈服させられているのだ。

こんな圧倒的な相手が居るなんて、思いもしなかった。

ただ、そんな弱い自分が悔しくてならなかった。どうしようもなく情けなかった。

強い敗北感は、黒竜姫の自信を完膚なきまでに圧し折っていた。


「でも頑丈ね。普通最初の一撃で死ぬのよ? なのに死なないなんて。なるほど、アルフレッドの作った生き物は無駄にしぶとく作られているようね」

まるでゴミを見るかのような目で見下ろすその侍女に、黒竜姫は何も感じられなくなっていった。心が麻痺していった。

「でも死になさい。痛いでしょう? こうやって一回一回――時間を止めてその間に踏みつけてるのよ。どんな物質だって二度三度と繰り返せば砕け圧し折れるわ」

言いながら、音も無くそれは繰り返される。

ただ痛みだけが走る。侍女が足を上げている様子も無い。

踏みつけられた部分から重みが薄れる事は無かった。だというのに、次の瞬間には全く別の場所に同様の痛みが走るのだ。

「ぐっ――あっ!!」

この侍女が何を言っているのかも理解できない。ただただ痛かった。

こんな痛みは初めてだった。泣いてしまいそうな位に痛くて、苦しい。

侍女は、黒竜姫の背中を、腰を、首を、そして後頭部を激しく踏みつける。

その度に何かが砕けるような音がして、身体の内部から激しい痛みが走っていた。

 次第に、何も感じられなくなっていった。

あまりの激痛に、ついに痛覚がショートしたのだ。

呻き声すらまともに上げられなくなっていき、やがてスタンプの反動でか、黒竜姫は力なく転がり、ぐったりと仰向けになってしまった。

「とどめよ」

無慈悲なまま、黒竜姫の顔面めがけ、何故かスローリーに、その足が下ろされていった。


「――捕まえ――たっ」

そしてそれは、黒竜姫の最後の反撃のチャンスだった。

「なっ!?」

全身の力を振り絞って掴んだその足を、黒竜姫は離さなかった。

そのまま引っ張り、驚く侍女を引き倒す。

「くっ、この――」

すぐに組み付き、その身体を地面に押さえつける。

「はなっ――放しなさいっ!!」

「やっと解ったわ……時間を止めるのってこんなに強いのねぇ。こんな化け物がこの世界に居たなんて、知りもしなかった」

身体中から血を流しながら、黒竜姫は侍女の身体を拘束していた。

「動けないでしょ? これが貴方の魔法の弱点よ。貴方が動けなければ、時が止まっても何の意味も無――」

「調子に乗るなっ!!」

組み伏せられながら、しかし侍女は必死に抵抗する。

その力、黒竜姫をして圧倒されそうなほどである。

しかし、黒竜姫の指摘は図星であったらしく、侍女が認識外の動きをしてくる事はなかった。

激しい抵抗に、ぼろぼろになった黒竜姫はすぐに体勢を崩しそうになるが、侍女の顎を掴み、固定する。

「はぁっ――まさか私にこんな被害を与える奴が居るなんてね。良い勉強になった。感謝しないとね。だから――」

「そんなバカなっ、私がっ――この私があんたなんかにっ――」


『――もう死んでいいわよ』


「ふむっ――むっ――」

大きく息を吸い、黒竜姫は侍女の唇を自身の唇と重ね合わせた。

想定外だったのか、侍女は目を見開き、一瞬抵抗を止めてしまう。

「んっ――ふぅ――っ」

それを好機と見てか。黒竜姫はそのまま唇を離さず、侍女の口の中に自らの吐息を流し込む。

「ぐっ――げほっ――ぐっ――」

やがてその意図に気付いた侍女は、苦しげに黒竜姫の首を押さえるも――そのまま動かなくなった。


「はぁっ――はぁっ――ぁっ……くっ、か、勝った――」

――トキシックブレス。ゼロ距離からの呼吸器官への直接攻撃。

目の前の侍女がどれだけ化け物かはともかく、生物である以上は内臓に直に毒性のブレスを受けてただで済むはずがないと思い、一か八かで試したのだ。

結果、勝利した。ずたずたにされながらの辛勝。

黒竜族としてはみっともない事この上ない戦いであったが、勝ちは勝ちである。

「ふぅ――っ、ぁっ――はぁっ――ぐっ……」

ただ、自分が吐いたブレスが明確にどのブレスだったのかも解らないほど、黒竜姫の意識は朦朧としていた。

辛うじて相手を倒した後も、身動きが取れず、苦しげに呻くばかりで。

今更のように、何度も踏み付けられた部位が悲鳴を上げ、軋んでいた。

絶世の美貌は、しかし手ひどく痛めつけられ、当面は人目につかせられないような有様となっていた。

生きていたのが不思議なくらいで、立ち上がることすらおぼつかない。


 血の気も引き、息遣い無く倒れている侍女をぼんやり三十分ほど眺めながら、ようやっと息を整え、立ち上がるために足を踏ん張る。

「ぐっ……こ、腰が……これはまずいわ。飛べなくなる」

辛うじて立ち上がるも、バランスが取れず、よろよろと近くの柱に身体を寄せる。

まるで幼い頃のような情けない自分に、思わず涙が流れてしまう。

(そうよ、私は、そんなに強い子じゃなかったはずなのに――)

いつから、自分が魔界最強だなどと思い込むようになったのだろうか。

自分は、昔から弱くて、喧嘩などしたら絶対に勝てないような相手がいたはずなのに。

敗北感は、戦いに勝利して尚、黒竜姫の心の傷を抉っていた。

「…………くっ」

倒れる侍女を最後に強く睨む。

「私のファーストキスをくれてやったんだから、大人しく眠りなさいよ」

手段を選べなかったとはいえ、生涯最初のロマンチックなはずのそれを、こんな侍女に。

それはそれで、黒竜姫は涙目になっていた。

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