#8-1.初めてのおつかい
ある冬の日の昼過ぎの事である。
乾いた北風吹きすさぶアプリコットの街の北門に、金髪碧眼の冒険者風の少女が到着していた。
「ふぅ、ようやくついたわ、アプリコット」
強い風に揺られる金髪をそっと手で押さえながら。
少女は黒のコートに鉄兜という出で立ちの、老若二人の門衛の前にぴょこりと立った。
「こんにちわ。北のほうから来たのだけれど。通してくださらないかしら?」
にこやかに笑いかける。若い門衛はその可愛らしさについ釣られてにやけそうになるが、相方が動じないのを見てピシリと顔を引き締めた。
「通行許可証は持っているかね? あるいは、冒険者なり傭兵なりのギルドの認定証でもいいが」
中年の門衛はその厳つい顔とは裏腹な穏やかな声で少女に証書の提示を求める。
「あら、前にここに来た時にはそんなものはいらなかったはずだけれど。今は必要なのですか?」
少女は困った風に眉を下げ、口元に手を当てる。
門衛達も顔を見合わせ、そんな少女の仕草に小さく溜息を吐いた。自然、肩の力が抜ける。
「最近は色々と物騒になってきてるからね。お嬢さんを疑う訳じゃないが、魔族が人間に化けたりして入ってくる事もあるのだと聞くし」
「何より、ここは我らが大帝国の中枢だからね。他の街ならそこまで厳しくはないから、急ぎじゃないのなら手前の街で帝都あてに許可申請を出すといい。問題がなければ一週間も待てば降りるようになるさ」
二人とも、目の前の少女を怖がらせないように務めて穏やかに、そして親切に対応していた。
しかし、少女は眉を下げたまま、門衛達を見上げる。
「あの、急ぎの用事がありまして。主から頼まれた手紙を街の中の方に届けなくてはいけないのですが……」
言いながら、肩から下げる小さめのバッグから便箋封筒を取り出し、見せる。
少女からの難題に、衛兵達は再び顔を見合わせる。
「急ぎなのか。それは困ったな」
「おじさん達も、別にお嬢さんの嫌がらせをしたくて立ってる訳ではないからね……」
自分達の肩ほどの背丈の少女に、どう説明したものか困っているらしかった。
彼らが立っているのは、街に害意ある魔族の侵入を防ぐ為である。
魔族の中にはずる賢いのも居て、色気たっぷりな踊り子や美しい吟遊詩人に化けて旅人の群れの中に紛れ込もうとする者もいる。
街に入り込んだ魔族は諜報活動を行ったり、時には破壊工作を行ったりもする。とても危険な存在である。
そして一度紛れ込まれれば一般人と見分けがつかない。
だからこうして水際で止める以外に手立てが無いのだが、魔族の侵入を防ぐには体内魔力の探知が欠かせなかった。
魔族の持つ体内魔力は人間や亜人とは異なる独特なものな為、魔力探知をすればほぼ確実にそれと解る形で把握できるのだ。
ただ、魔力の探知には相当な手間が掛かり、範囲も無駄に広く、中央部においては技術的には開拓不足の分野な為にその水際防御もごく最近までは満足に機能しているとは言えなかった。
革命が起きたのはこの冬である。
北部連合との協定によりその魔法技術が流入し、それをベルクハイデより流れてきた優れた技術者が刺激を受け開発技術が爆発的に進歩した。
その結果開発されたマジックアイテムにより、以前は専門の魔法兵が必要だった魔力探知を、魔力を持たない一般兵士が行えるようになったのだ。
大仰な儀式を経て行われる『本来戦争で索敵用に用いられている』魔力探知と比べ、これらアイテムを用いた魔力探知はその範囲も限定されるものの、非常に簡易で、門衛が誰でも行えるという強みがあった。
明確に証書を提示できなかった者に対して魔力探知を行えばそれだけで済む簡易性は、衛兵達の間にも「手間が少なくていい」と評判である。
「そうだな、ちょっと、調べさせてもらうね」
中年の衛兵の目配せを受け、若い衛兵は腰のバックルから下げた警備杖を少女に向ける。
「調べる、というと?」
「お嬢さんの魔力の質を確認するのさ。魔族のは人間と明らかに違うからね。これは証書を提示できなかった人には皆やる事だから、気を悪くしないでおくれ」
「はぁ……」
質問に答える中年衛兵は、渋面を穏やかに緩めながら、その経過を見守る。
少女もどうする事も出来ず、言われるままに立っているだけであった。
警備杖の先端が少女の額、左胸、手の平、そして腰元に向けて指され、若い衛兵は安心したように小さく息をつく。
「魔力反応ゼロ。異常なしだ。悪かったね。私達もこれが仕事だから」
異常なし。その言葉に、少女も、中年衛兵もほっと息をつく。
異常なしとは良い言葉である。何も問題が無いのだから。
「いえいえ。それで、あの――」
「それじゃ、悪いけどお嬢さん、お嬢さんが手紙を届けたい、という相手の名前を教えてもらえるかな。できれば、手紙の送り主も教えてもらえると助かるんだが。相手の方から確認が取れたら、特別に許可を出そう」
とりあえずの結果に安堵した衛兵達は、先ほどよりは親しげに、少女に問うた。
少女も始終フレンドリーな雰囲気の衛兵に安心してか、頬を緩めながら衛兵の問いに答える。
「手紙のお届け先は、アプリコットの勇者、エリーシャさんです。送り主は――」
「ふぅ、帝都には何度も来たけれど、まさかお城に入る日が来るなんて」
アプリコットのお城の庭園にて。
金髪の美少女、もといアリスは、ようやく一人きりになれて大きな溜息を吐いた。
あの後、衛兵達はアリスの口から出たエリーシャの名に目を白黒させていたが、すぐに大きな声で笑い出したのだ。
何事かと驚いたアリスであったが、彼らの話を聞いて更に驚かされた。
「というか、エリーシャさんが結婚してただなんて――びっくりだわ」
『勇者エリーシャは、今や我ら皇帝陛下のお后様だよ』
衛兵の言葉はアリスには冗談にしか聞こえなかった。「えっ、何それ」と、思わず素で返してしまうほどに。
「エリーシャさんの身に一体何が……確かに美人さんでしたが、皇帝に気に入られたのかしら……?」
エリーシャと皇帝の関係も知らぬアリスは、ぶつぶつと勝手に想像し、一人ごちる。
アリスは案外、独り言の多い子だった。
「でもお城に入れてよかった。ここで待ってればエリーシャさんと会えるみたいだし――」
結局時間が掛かったものの、確認を取って街の中に入れてくれたし、若い方の衛兵はご丁寧に城の入り口まで案内してくれた。
その上、お城の衛兵にもきちんと説明までしてくれたのだ。すごく律儀に。
その結果、今度はお城の衛兵の案内を受け、この庭園にて待つように言われたのだ。
今は寛げるティーテーブルにて、ゆったりと腰掛けていた。
(帝国の兵隊さんって、他所と比べて結構紳士的よね)
他の国の衛兵と異なり、民に対してはかなり優しい印象があった。
衛兵に限らないが、兵隊は多くの国では民間人、特に地に根を張らない旅人には厳しく当たるものである。
彼ら自身が厳格な規律に身を置いているのもあり、人にそれを求めがちになるのだ。
帝都においてそうならないのは、やはり皇帝の人柄あってのことだろうか。
だからか、人に優しい兵隊というのは、アリス的に新鮮に感じられた。
「アリス、まさか貴方が来るなんてね」
いつごろ来るのかしら、なんて思いながらアリスが待っていると、丁度庭園の入り口から聞きなれた声がかけられる。
顔を上げたアリス。見ると、純白のドレスを纏ったエリーシャがそこに居た。
身分とは裏腹に、侍女の一人もつけずに。
なんとも無防備であった。彼女なりに気を遣ったのかもしれないが。
足首まで隠れる長めのドレス。肩にかけられた薄水色のショール。首元を輝かす銀色の逆十字ペンダント。
足元は紺色のヒール。以前のエリーシャと比べれば別人と思う程に豪奢な出で立ちであった。
しかし、長く美しかった亜麻色の髪はばっさりと短くまとめられていた。
「エリーシャさん……その、おぐしはどうされたんですか……?」
そのあんまりな変わりように、アリスは挨拶も忘れ、残念そうな顔でまじまじと髪を見つめていた。
「……髪については聞かないで頂戴」
アリスの疑問に、エリーシャはびくりと身体を震わせ、固まった。
「えっ、でも……」
「怒るから。聞かないで」
肩をわなわなと震わせ、エリーシャは目を伏せていた。
「そうですね、失礼しました」
これ以上追求するのはろくな事にならないと判断し、アリスは疑問を胸にしまった。