#6-2.戦乙女の告白
「解らんでもない。俺も心底驚かされた。特にベネクト三国の連中には、『何世紀前の話を持ち出すんだこいつらは?』と思ってしまった位だ」
人類国家同士の争い。これは人々が想像はしていても、あってはならないと思っていたはずのタブーであった。
目の前に魔族という分かりやすい敵が居るのに、何故同じ人間に刃を向けるのか。
人間世界にデフレーションの波が襲い掛かった際に、何度かそのような火種になりそうな事は起きていた。
しかし、その時ですらそれは寸での所で止まったのだ。
それだけはしてはならない。そう自分達で歯止めを利かせて、かろうじて留まっていたはずだった。
それが、今回は止まらなかったのだ。何故誰も止められなかったのか。
国家に対して、人間という生き物に対して失望した人々は、自分達の心の中に巣食う暗闇の存在に気づいていく。
人の心は、次第にスレていくのだ。モノの見方まで斜めになるほどに。
「世界はどんどんと狂っていくのかもしれん。世の中はどんどん人の欲にまみれていくかもしれん。そういう奴らが、幅を利かせてくるようになるのかもしれん。だが、それは人の世で完結されなければいかん」
「魔族を倒した後の話のはずです。今の世の中でそれが起きて良いはずが……」
「起きた方が良いと思ってる奴がいるのだろう。平和を謳いながら、今まで以上の争いを願っている輩がいるのかもしれんぞ。もしかしたら、俺やお前がそうなる可能性だってある。今は違うにしても、な」
年の功か、皇帝はエリーシャよりは達観したものの見方が出来ていた。
人の世は、存外汚いものなのだ。人は理想だけでは生きていけない。それは誰の腹も膨らまないと知っているからだ。
しかし、その言葉はエリーシャに、ある種の疑念を感じさせていた。
「……陛下は、魔族と人間、どちらが恐ろしいと思われますか?」
「人間の方が遥かに怖いと思うぞ。魔族が俺達人間の事をどれだけ知ってるのか知らんが、あいつらは今まで一度も人類を滅ぼせなかった。だが、人間は違う。同じ人間を、もしかしたら滅ぼせてしまうかもしれん」
人間こそが人間の最大の脅威であると、この皇帝は言うのだ。
同胞である人間こそが、最も警戒すべき敵になりうるのだ、と。
「確かに背後に敵が出来てしまえばこれ以上無い脅威となりますが、だからと魔族より人間を警戒しろと仰るのですか?」
「そんな事、起こらないに越した事は無ぇがな。俺は、人間という生き物をそこまで信用しちゃいねぇ」
大雑把ながら寛容で、人の良い皇帝だった。
その彼をして、人は信頼するに足らぬと言うのだ。
「……陛下」
「勿論、お前や、俺達の為に命を懸けてくれる臣下の者。そして俺達を信じてくれる民を悪く思っている訳じゃないぞ? だが、関わりの薄い奴らは解らんという話だ。人は、どうしても自分以下を作りたがるからな」
皇帝の言葉は、エリーシャ的に全く理解できないものでもなかった。
少女時代、一番大切な人形を人に見せ、笑われた事があった。
自分の人形より粗末な出来だからと。どこにでもありふれたような安物の人形だからと。
悔しさに泣いたこともあるし、笑いものにされ、深く傷ついて人と人形の話をするのが怖くなった時もあった。
人とは、かくも醜い。自分より下を作り、安心したがる。
人形は、彼らにとって自尊心を満足させるための物に過ぎなかったのだ。
そんな中、エリーシャは一人のコレクターと出会った。
『アルドおじさん』という名のその紳士は、自分以上に見識が広く、そして、自分ではどうやっても手に入らない高価で稀少な自動人形をいくつも持っていた。
彼との会話はとても楽しく、充実していた。
大切な人形は、彼には慈愛を以て受け入れられていた。
「こんな素敵な巡り合わせがあったなんて」
彼女はお茶会の中、ずっとそのように感じていた。
若干人間不信になりかけていた彼女が、「まだまだ人間は捨てたものじゃない」と感じられる一幕だった。
結果的に、その素敵な紳士は世間を騒がせている魔王だと解り、以降、何の因果か事あるごとに顔をあわせたりもしていたが。
彼と話しているといつも思ってしまうのだ。
もしかしたら、人間よりも魔族のほうがずっとまともな思考をしているのではないか、と。
魔族は、欲望に正直で忠実なのだと聞いた。
食欲・睡眠欲・性欲・知識欲・出世欲etcetc……とかく、自分の欲求に正直な者が多いのだという。
それは言ってしまえば俗物的で、ひどく物事に固執しやすい生き物のようにも感じられるが、人間のような醜さは持ち合わせていないのではないかとも考えられる。
変な言い方ながら、子供のようなものなんじゃないかと思ったのだ。
自分の欲に忠実に、ただそのためだけに何かを為そうとする。
それは、ひたむきな子供の姿なのではないかと、不思議とそんな考えに至ったのだ。
そう考えるなら、果たして人間と魔族はどちらがマシであろうか。
少女時代。かつての自分であるなら、きっと魔族のほうがマシだと答えるに違いないとエリーシャは思う。
しかし、彼女は良くも悪くも、人間の世に生き、人間の大人となっていた。
「陛下。陛下はもしや、人間よりも魔族のほうが信頼に足ると思ってらっしゃるのでは……?」
「……奴らは間違いなく俺達の敵だ。その信頼を、奴らは違えた事はない」
人間不信は、何も民や兵士にのみ降りかかるものではない。
この皇帝をして、エリーシャも知らぬような根深い所で、それは芽吹いていたのだ。
「俺だって、できれば人類全てが友であると願いたい。若い頃は願ってもいた。その為に、命を投げ出す覚悟でいた」
「……」
「だが、現実は違った。俺の大切な人は、その、友達のはずの奴らの所為で、孤独なまま死んだんだ……」
玉座におわす皇帝は、しかし覇気は無く、ただ、その無念に心を焼かれていた。
「エリーシャよ。俺は人が信じられねぇ。俺の身近に居て信じられた奴は、もう皆死んじまった。俺が頼れる奴は、もうお前位しか残っておらんのだ……」
そこに座っていたのは皇帝ではなかった。若き頃のトラウマに悩む、心弱き中年だった。
「陛下は、ずっとお独りだったのですか?」
皇帝の周りには忠臣が幾人もいたはずだった。
皇帝の為、皇室の為ならば命をも投げ出さんという兵士は沢山いた。
この皇帝の命ならばと、喜んで命を捧げた勇者は数え切れないほどいた。
善き皇帝陛下の仰る事ならばと、国民は多少の無理を笑顔で承知してくれたほどだった。
それだけの信頼の上に立っていたはずの皇帝の心は、ただ孤独だったのだ。
何故そんな事になっていたのか解らないながら、エリーシャは、この皇帝の弱気に唇を噛む。
「ゼガが死んでから、もう大分経つ。俺は結局、あいつらと一緒になって戦ってた頃から、変われていない」
うつむく皇帝は、どこか自分を嘲笑するような、自虐じみた笑いを口元に浮かべる。
「知っていました」
エリーシャは、緊張気味に頬を引き締め、じっと皇帝を見つめていた。
「……知っていた?」
顔を上げる。驚いた顔。目を見開き、信じられないような顔をする。
「陛下は、きっとそんな人なんだと。誰も信じられない、唯一信じられた人を失ってしまった可哀想な人なんだって」
同情ではなかった。理解していた。この人は、きっとそうなのだと、子供心に解っていたのだ。
「私を皇室に入れたがっていたのは、私の為じゃなく、陛下がご自身の心を落ち着かせたくて言い出してたんじゃないかなって、思ってました」
大人は複雑で大変だと、当時のエリーシャは思っていた。
今ならば理解できる。大人とは、思った以上に孤独なのだ。
「陛下は事あるごとに仰っていましたよね。『お前くらいしか頼れる者が居ない』って」
「あぁ」
「そんな陛下だからこそ、私は陛下の為、勇者でいるのです。あの時、『助けてあげたい』と思ったから」
「……そうだったのか」
エリーシャの言葉に、皇帝は短く返す事しかできなかった。ただ、聞いていることしかできなかった。
見事な上から目線だった。村娘が、一国の主を救い出そうと思っていたのだ。
子供とは、かくも身勝手な生き物なのだった。
「父が亡くなったとここで聞いた時の事。覚えていますか?」
「覚えてるよ。覚えているとも」
鮮明に覚えている昔の話。
彼女がまだ少女で、彼がもう少しだけ若さが残っていた頃の話である。
「私は、今でもたまに夢に見ます。見た後は、どうにも哀しくなって泣いてしまうのです。今でもあの時のことは忘れられません。私の心は、きっとあの時に凍り付いてしまったのです。いくつになろうと、変われそうにありません」
少女の心に痕を残したわずかな心の傷。
それは大人となった今でも癒されることなく、エリーシャを苦しめ続けていた。「それでも」と、エリーシャは口元を緩める。
「それが私の大切な針路となりました。私は、父の死によって、貴方という掛け替えの無い存在に気付き、勇者という道を選べたのですから」
なんとなく選んだというのは嘘。やってみたら才能があったらしくてなれてしまったというのも嘘。全てが嘘だった。
勇者になろうと必死になって努力した。世間に強くならなければ始まらないと、それまで以上に勉強もした。
剣なんて振った事の無い細い腕で、ろくに鍛錬の仕方も知らずに、本の知識先行でがむしゃらに頑張った。
本ばかり読んでいたもやし娘がいっぱしの村勇者になれるまでどれだけの失敗と挫折があった事か。
何度かは盗賊やら魔物やらに負けて危うい目にあったことだってある。
なまじ外見が良い所為で善くない輩に目をつけられ騙されそうになることも度々あった。
それをどうにかかわし、勇者として皇帝の目につくまで生き抜いたのは、それは全てエリーシャの努力によるものである。
ただの村娘が、国家から認定されるほどの勇者になるなど、本来ならば途方も無い話なのだ。
その遠すぎる道のりを、少女だったエリーシャはやってのけたのだ。
ひとえに、助けたいと思った人が居る、というだけの理由で。
「俺が、お前を勇者にしてしまったのか……お前に、勇者でいて欲しくないと思っている、俺が……」
皇帝は唖然としていた。自分自身が、この娘を危険極まりない道に放り込んでしまったのだと気付いたのだ。
「私に勇者でいて欲しくないと願うなら、陛下は決断をしなくてはいけませんよ」
エリーシャは、照れくさそうに笑っていた。
「陛下は、もっと人を信じるべきです。沢山の人を信じてください。そして、頼ってください。自分だけで何かをしようとするのではなく、周りの人に、もっと頼ってあげてください」
「だが、俺は――」
エリーシャは自分の口の前に指を立て、皇帝の言い訳を止める。
真面目な顔に戻る。目は、キッ、と皇帝の瞳を覗き込んでいた。
「信じるのが怖いなら、私が側に居ましょう。少しずつでも慣れて行けば良いのです。陛下、人間を信じてください」