#5-3.氷出しアイスティーにライチの果汁
「でもほんと偶然ねぇレーズン。伯爵はたまに見てたから解るんだけど、貴方までこんな所に居るなんて、すごく因果な感じ」
「私は会いたくなかった……できれば二度と会いたくなかった……一生会いたくなかった……」
諦観が漂っていた。もうラズベリィなんてどこにもいなかった。
居るのはレーズンという可哀想な無限の渡り人だった。
「ここではラズベリィって名乗ってるらしいが……」
「あらそうなの? ていうかなんでそんなに甘酸っぱそうな名前が好きなの貴方って。前はステラベリィだったしその前はブル・ベラだったし――」
「あまりひねりがないよなあとは私も思う」
話題が侍女に移ったのをよしとして、魔王も女神の話に乗っかる事にしていた。
この店は彼女の領域。ここでのキーパーソンは女神なのだ。
魔王にも侍女にも、最早彼女に逆らう術は存在しない。
「そ、それ言うなら、伯爵だって何のひねりもなく魔王なんてやって――」
「魔王が魔王やるのって何もおかしくない気がするけど……」
「私もそう思う」
好き好んでなった訳ではないが、今だけはそれで良かったと思っていた。
面倒くさい女に絡まれなくて済むのだからこれ以上はない。
「うーん。まあ、レーズンは解るんだけど、なんで私は伯爵にまで嫌われてるのかしら。私何かした?」
「君は存在自体が鬱陶し……面倒くさいからなあ」
口から出た言葉を言い繕おうと努力したものの、結局フォローできる言葉も無かったのでより酷くなっていた。
「哀しいわ。真実の一部を教えてあげたりとか、異世界への旅の便宜図ったりとか、私結構伯爵の力になってあげたりしてたのになあ。貴方達に限らず、全ての魔王は私にもっと感謝してくれていいと思う」
よよよ、と哀しそうにどこからか取り出したハンカチを食みながらシナる。
「恨みこそすれ感謝する奴は少ないと思うわ……」
勝手にこんな力寄越した癖に、と拳を握る侍女。表情は呆れているが怒りを隠しきれていなかった。
「というかだ、なんで君はこんな所で店員なんてやってるんだ……?」
険悪な雰囲気にだけはしてはならないと、魔王は侍女を押さえ込んで話題を変えた。
「ん? 私? 私はただのバイトだけど……」
「「女神がアルバイトっ!?」」
予想外すぎるフレーズだった。思わず二人ハモってしまった。
「そうなの。このお店も雇われでやってるだけだし。あ、伯爵は結構ここに頻繁にきてるわよね。ヴァルキリーの破片連れながら」
驚きの事実ながら、そんなのどうでもよくなる話題へと変わってしまっていた。魔王の真意とは裏腹に。
「ねえ伯爵。なんでヴァルキリーは壊れてバラバラになってるのかしら? あれ、一応世界最強の剣なんですけど?」
「……私が知りたい」
目を合わせてられなくなってそっぽを向いてしまう。それ以上抉られたくなかった。
「ヴァルキリーって、前に伯爵が連れてた天使の事?」
あのすごい綺麗な子よね、とレーズンが思い出しながらに語る。
「そうそう。堕天使『王剣・ヴァルキリー』。泉の生み出した『戦いの象徴』としての剣です。広義での私の妹、伯爵の姉になるかしらね?」
「……あいつはともかく、君と姉弟の関係っていうのは怖気が走るな」
心底不服そうに、魔王は溜息を吐いていた。
「まあ血の繋がりとかはないし。大体人間とか神とかも泉の生み出した生き物だから、そういう意味では魔族以外は皆兄弟姉妹みたいなものだし」
魔族だけは仲間はずれだった。可哀想な魔族だった。
「私も一応、カテゴリー的には魔族扱いなんだが……」
魔王はその可哀想な魔族だった。可哀想な魔王だった。
「貴方の場合生物的に当てはまるものが無いから魔族扱いにされてるだけだし。広義での魔族って『その他』を全部放り込んだ群の事だし」
「ええぇ……」
衝撃の事実だった。魔王は自分のアイデンティティーが崩れていく気がした。
「ほらみなさいよ伯爵。やっぱりこいつムカつくでしょ?」
「ああ……あの時殺しておけばよかったと割と本気で思いはじめてきたぞ」
思わずレーズンの言葉に頷いてしまう。
本人的に何の悪意も無いのだろうが、だからこそ腹が立つというか。
人が言われると傷つく事をぽんぽん口に出すのだ。この女神は。
満面の笑みで。罪一つなさそうな純真な瞳で。
「まあ、今の貴方達には無理だけどねぇ。ヴァルキリー健在の時なら、三人がかりで今の私と互角になる位かしら?」
「……全知全能強いなあ」
改めて目の前の金髪金眼の店員のでたらめさが良く解る。
こんなのが全世界の頂点に立っているのだから、覆せるはずも無い。
「いや、今の私って全然全知全能じゃないし。『魔王』と『女神』で分離しちゃってるし」
手の平をひらひら。ぽん、ぽん、とアイスティーの注がれた紙のコップが並んでいく。
「ヴェーゼルよりは弱いって事?」
「全力のヴェーゼルはヴァルキリーがどう足掻いても勝てないレベルの強さだったから。今の私位なら正面切って殺せたでしょうねえ。あの娘も惜しい事したわー」
早まったわよねぇ、と呟きながらコップを受け取っていく。魔王は小銭を払った。
「この世界出身の魔王ってやたら強いのばかり出てくるのよねぇ。初代のマジョラムもそうだったけど、それを殺したヴェーゼル、そのヴェーゼルから力を継承したアルフレッドと、当時の16世界最強ばかり輩出してるの。あ、人数分持つの大変だろうし、コップ入れに入れてあげるね」
気を利かせてか、バイト女神は穴の開いたケースに手際よくコップを入れていく。
「今の魔王はどうかね?」
「もうすぐ死ぬんじゃないの? 今の魔王はアルフレッドの出がらしだからそんな化け物じみて強くもないし。それに、すごくつまんない子だし。ひきこもりって、見ててすごくつまんないよね」
はい、どうぞ、と渡すのを、侍女が受け取る。
「君は、異世界の存在によって魔王の代替わりが起こるのをどう思うよ」
「別にどうとも。私は全ての魔王の母だし、全ての魔王に憎まれ畏敬され、時々は愛され感謝もされたらいいなあって思うだけの女神ですから」
言ってから「でもそうねえ」と、少しだけ真顔になった。
「貴方がしようとしてる事にはすごく興味があるから、まだしばらくは邪魔しないであげる」
「その一言が聞きたかったんだ。ありがとう」
それだけ聞いて、魔王は店に背を向けた。
白い小さな露店。その瞬間に、そこはただのそういう店になっていた。
店員は一人。穢れ一つない満面の笑みで客を見送っていた。
「遅くなってすまなかったね」
「いえいえ。お喋りが楽しくて、全然気になりませんでした」
エルゼが言うとトルテもアリスもこくこく、と頷く。
どうやら乙女の語らいの前に、時間は空気を読んでくれていたらしかった。
「あ、この紙のコップ、前に来た時も飲んだお店ですよね」
「そのようだね」
そういえば前も居たとかそんなような事を言っていたな、と思い出しながら、魔王は適当に流した。
「ここのお茶ってすごく味わいが深いんですよね。すごく変わってるというか、他所では味わえないというか……」
確かに、トルテの言うように、飲んでみると味が濃く、アイスティーとは思えない深さがあった。
「氷出しですわ。最初にお湯で茶葉を開かせて、ポットに茶葉と氷を一緒に入れておくとこういう味わい深いアイスティーができるのです」
侍女はもう短気なレーズンではなく、知的なラズベリィに戻ったらしい。
趣味なのか、したり顔で紅茶の知識なんかを披露したりしている。
「でも氷出しって手間が掛かるから、あんまり沢山は作れないんですよね」
アリスも紅茶には一家言あるらしく、侍女の言いたいようにはさせていない。混ざる。
「まあ、よほど上手くやってるんだろう」
あの元全知全能のバイト女神のこと、きっととんでもない裏技でも行使して『ありえない』を『可能』に変えたりしてるに違いない、と魔王は考えていた。口には出さずに。
「…………」
侍女も似たような考えに落ち着いたのか、視線を落として小さく溜息をついていた。
「ありがとうございました~♪」
女神はにこやかに微笑み、先ほどまで語らっていた客を見送る。
「ふふっ、また世界が変わるわ。今度はどんな世界に変わるのかしら」
わくわくと、瞳は希望に満ち溢れ、爛々と輝く。
「まあ、結末は知ってるんだけど。予想外が起きればいいなあ」
儚い希望を胸に、女神リーシアはカウンターに頬杖をついていた。