#4-4.ベルクハイデでの戦いにて
「えっ? 黒竜姫様がいらっしゃったの? それで……撤退したですって!? なんで!?」
『解りません、人間の女勇者と交戦したものの、これを打ち破らず、そのまま撤退なさったらしいです』
黒竜姫とエリーシャの戦いは、上空から人間の部隊を牽制していたウィッチ達に思わぬ衝撃を与えていた。
魔界最強の黒竜姫が、人間相手で遅れをとるはずもなく。
ならば、これは負けたのではなく、恐らく何か理由があって退いたのだろう、というのが水晶の向こうのガードナイトの推測であった。
「ど、どうしよう……黒竜姫様が退くような何かって何なのよ……確かに魔王陛下絡みの事だと突然撤退したりするけど……」
意味が解らない。同僚のウィッチたちも同じようにオロオロとしている。
彼女の動揺は、周りのウィッチにも見事に伝染していた。
「と、とりあえず戦況の報告。敵部隊はまだ防げてるのよね?」
『はい、敵部隊の勢いは激しいですが、宮殿は高台にありますから、防衛に関してはこれほど有利な地形もありません』
「よろしい、ならしばらくは持ち堪えられるはずね」
とりあえず状況的にはまだまだこちらに優位に働いていると言えた。
宮殿を奪い返されれば、そのまま地形の有利を敵に奪われかねないが、それさえ防げればこちらの勝ちは確定しているようなものなのだ。
「よぉし、各自攻撃を再開!! 人間を見つけ次第狂気に陥らせてあげなさい!!」
「「「はいっ」」」
集まっていたウィッチは再びばらけ、散開した人間の部隊に対して攻撃を再開した。
一方、エリーシャはというと、慎重に宮殿へと近づこうとしていたところで、箒にまたがり空を自在に舞うウィッチの部隊を見てしまい、慌てて物陰に入り込み、空を窺っていた。
「厄介ねぇ。一人二人って数じゃないし、あんなに速く飛んでたら魔法で狙い撃ちにもできやしない」
試しに魔法攻撃を試みようかとも思ったが、その飛行速度も尋常ではなく。
規則的に飛んでいるようにも見えず、狙い撃ちは不可能に等しかった。
「さっき上空に集合していたのを見ましたが、赤い帽子の奴がリーダーのようでした」
「もしや、そいつを倒せれば、指揮系統にダメージを狙えるのでは……?」
一緒になって隠れていた弓兵隊が進言するが、それを聞いても尚、エリーシャは難しい顔のままであった。
「せめて足止めが出来ればそれも狙えるかもしれないけれど……今のままでは無理だわ。機会を窺って宮殿前に急ぐ方が良いと思う」
敵は自在に空を飛べる。
そしてその視界に入ればたちまち狂気の魔法を浴びせてくるのだ。
エリーシャくらいならなんとかレジストできるかもしれないが、魔法耐性が高い訳でもない者達が上級魔族の魔法に耐えられるはずもなく。
ここに来るまでも幾人も狂気に染まり倒れた者を見た以上、今は少しでも離れてくれるのを祈りながら待つしかないと、エリーシャはそう考えていた。
「――でしたら、お任せください」
だが、この弓兵達は誰一人、迷い一つなく頷いて見せた。
手には長弓。
各々とも良く鍛えられている腕は、それだけで練度を感じさせるものだった。
「任せるって?」
「我らが敵の目を引き付けましょう。幸いここは中に階段がありますし、高台が使えそうです」
その速さを目で追えるらしいこの弓兵は、今しがた上空を抜けた赤一色の女を指さす。
それを見て、他の弓兵もにやり、口元を歪めた。覚悟の決まった顔である。
「俺達が上手く足止めできたと思ったならば、エリーシャ殿は、是非にでもあのウィッチを」
「絶対に上手くやってみせます」
「死ぬわよ? 貴方達がそんな無理をしなくても――」
「はははっ、エリーシャ殿。我らは生きる為にここにいるのではありません。今日、勝つ為にここにいるのです」
一兵の生き死になど気になさるな、と男達は皆して笑っていた。
「それは――」
「それではっ、後を頼みました!!」
「後の世界の為に、ベルクハイデを一日も早く奪還する為に!」
「はははっ、俺達の功績、世に語り継いでくださいよ!! 頼みましたぜ!!」
名も知れぬ弓兵らは、エリーシャが止める間も無く、階段を駆け上っていってしまう。
向かう先は、屋根伝いにある高台であろうか。
「……解ったわよ!」
一人後始末を押し付けられる形になったエリーシャは、確定された自己犠牲に涙を流す暇すらなく、憤りのまま、機会を窺う事になった。
「……っ!!」
バシュン、と、赤い帽子のウィッチの周囲で何かが焼け焦げる。
「狙撃兵か。無駄な事をするわね」
どこからの狙撃だったのか大よその見当をつけ、ウィッチはその位置を想像する。目を見開いた。
居た。商業地区、小さな塔の上。
『狂え、狂え、狂ってしまいなさい。パニックストーム――』
その瞳には、人影が映っていた。実際には見えないはずの人影。
瞳は、それを正確に捕らえていた。
瞳の中の狙撃兵は、最初こそ自分に向け二の矢を放とうとしていたが。
やがて頭を抱えるようになり、構えていられなくなった弓は、そのままいずこかへとはじけ飛んでしまう。そのまま自ら高台から身を乗り出し、落下していく。死んだ。
狂気の魔法『パニックストーム』は、集団戦で有効な精神系の破壊魔法である。
対象の精神を破壊し、心神喪失にさせたり、先ほどのように自害させたりする。
そして、それを見た敵兵に動揺を与える副次的・心理的な作用が大きい魔法であった。
ウィッチ達は今回、この魔法を有効活用し、敵の出鼻を大いにくじき続けていた。
彼女達の特異な能力として、任意のウィッチ族同士で感覚と知識をリンクさせる事が出来る『感覚共有』というものがある。
吸血族の集合・分離の種族版のようなもので、これにより、散開したウィッチ達は全てが互いの視界に入った標的を認識する事が出来る。
そして、パニックストームの強みは、心理的な魔法であるが為に、他の破壊魔法のような物理的な影響を一切受けない事にある。
目標さえ見つけられ、その位置が術者の射程内にあるのなら、後は魔法をその場所にピンポイントで発動させてしまえばいいだけなのだ。
魔法に道筋はなく、いずれかのウィッチの視界にわずかでも入れば、それは即ち魔法のターゲッティングに入るのと同じ事なのだ。
ウィッチ達は空を飛び続ける。視界に映った人間を片っ端から狂わせていく。
ただそれだけの戦術が、面白いほど愉快に決まっていった。
狂ったカーニヴァルは街を走る兵隊達を愉快なピエロへと変貌させていく。
ある者は絶望に頭を抱え泣き出し、ある者は全裸になって踊りだし、ある者は全てを投げ出しその場にうずくまる。
まるで泥酔でもしてるかのような有様に、周りの正常な兵士たちも不安に駆られていく。
狂った世界は、ウィッチたちにはとても楽しく見えたのだ。
「もっと狂えば良いわ。人間なんて汚い生き物、そうやって惨めに這い蹲ってるのがお似合いなのよ」
にやにやと笑いながら、口元をゆがめながら、赤い帽子のウィッチはその様を見下ろし眺めていた。
視界の下からは矢が飛んでくるが、そんなものは全て物理障壁で蒸発させられたり、はじかれて真下に落ちていく。
自分達の放った矢が自分に返ってくる様は正に天に唾吐き自分の顔に浴びるようなもので、これも彼女には愉快に感じられた。
「見えた!」
僅かな瞬間であった。
矢を撃ち続けた最後の弓兵が狂わされた瞬間、赤い帽子のウィッチは、その場で機動を止めたのだ。
今しかなかった。今この瞬間しか、狙いようが無かった。
「皆のおかげだわ――落ちろぉっ!!」
即座に判断し、衛星魔法を展開し、狙い撃ちにされるのも構わず魔力補助に一点集中。
放たれるは最速の魔法。
衛星魔法によって強化されたこの魔法が、一撃必殺の最期の矢となる。
笑っていた彼女は気づけなかった。
自分の胸を、正確に撃ちぬく光。
高い魔法耐性を持つはずの彼女をして、障壁ごと直撃を免れなかったその光に、彼女は貫かれていた。
「……えっ?」
訳が解らない。衝撃が走り、そして、胸を見る。
斜め下からの貫通。光のラインが虹のように残り、そして、彼女の貫通した穴を焼き焦がしていた。
「あっ――」
力が入らない。そのまま直撃の衝撃で体勢を崩し、箒から落下してしまう。
何が起きたのか解らない。ただ、痛いと思うより前に、地面が彼女の目の前に迫ってきて――
「――はぐぁっ!!?」
――そのまま、地面に激突した。
美しい金髪は土にまみれ、美しい顔立ちは無残に鼻がつぶれ、それでも尚、顔は美しかったが、衝突のショックから何も見えなくなっていた。
「ぐ……」
人より頑丈な魔族でも、街の上空から落下したのではただでは済まない。
至る所から激痛が走る。両腕に力が入らない。足に感覚がない。
激しい吐き気と同時に腹部に襲いくる鈍痛。
ウィッチは、自分が見下した蟲けら達の様に足掻き、そして――
「魔女がっ!!」
偶然近くにいた、怒りに満ちた兵士の手で、ドス、と槍を突き立てられた。
「あっ……ああっ……」
ようやく見えた光景は、軍靴だった。人間の兵士達の靴。足。
それが自分に向かって次々増えてくる。おぞましい光景だった。
だが、彼らは自分を犯す事無く、ただ殺すだけなのだと気づき、わずかばかり頬が揺るむ。
軍人として死ねるなら、それもいいか、と。
これは、ただの生存戦争。自分は負けただけなのだから、と。
「――下……黒……さ……ま……」
力が入らなくとも、手の平に魔力は集まる。
グサリ、グサリ、と小柄な身体に槍や剣が突き刺さっていくが、そんなのは最早気にもならない。
身体はびくりびくりと勝手に反応し、痛みなんてもう、どこにもなかった。
「……ァ……さま」
最後にその顔を思い出しながら、赤いとんがり帽子のウィッチは自爆した。
彼女の死の感覚は他のウィッチにまで伝染し、上空を飛んでいた全てのウィッチは、その激痛と恐怖に次々戦闘不能へと陥っていった。
その後、ほぼ無傷のままの勇者エリーシャは、集結したグラナディーアの突破力を武器に宮殿を制圧。
最後まで抵抗していたガードナイトも数に押されて撃破され、これによりベルクハイデは連合軍により奪還される事となった。
この戦いの顛末を生き残ったウィッチ達から聞いたラミアは、腹心の部下で、自分の後継者足り得る存在を失った悲しみに酷く落ち込み、自分の采配を深く呪った。
黒竜姫も自分の髪が失われた事以上に嘆き、彼女の死因がエリーシャの放った魔法だったと知るや、自分が退いたのを深く後悔したのだった……