#3-1.女神と魔王についての考察
晩春。日差しも強くなり、次第に世界に青が満ちてくる頃の話である。
この日、トルテは自室に引きこもって書物を読み漁っていた。
傍らには、最近入ったのだという侍女が一人。
肩ほどの茶髪を三つ編みでまとめた、美しくも大人しい顔立ちの娘であった。
トルテはこの侍女を助手代わりに使い、書庫から本を持ってきてもらったり身の回りの世話をしてもらったりしている。
かつてはピンク一色の少女趣味の強い乙女の部屋であったのだが、今では部屋の大半を占める巨大な本棚と、机の上に積まれた本の山が部屋の景観を破壊していた。
この春の中ごろから、トルテは眼鏡をかけるようになった。
別に目が悪くなった訳ではないのだが、裸眼のままでは書物によっては本に心を取り込まれてしまう、という事もあるのだと噂に聞き、恐ろしくなったのだ。
黒ぶちの、やや大きめの眼鏡は、小顔のトルテにはややサイズが合わず、時々ズレてしまう。
そのズレを直したりしながら、トルテは本を読み取り、時にはノートにメモをしたりして記憶していく。
今彼女が読んでいるのは、『知識の女神リーシア』と16世界に存在すると言われている『魔王』という存在についての文献である。
知識の女神リーシアは、人間世界の神信仰上の主神として崇められている女神である。
どの文献を読んでも、『全知全能であり、この世の中で知らない事は大よそ存在しない』と記されている。
知識とは何よりも強い力であり、神としても何者にも勝る圧倒的な実力を持つのだと言われている。
とても長い金色の髪と濃い金色の眼を持ち、何色とも言い難い不思議な色合いの衣を身に纏っている、とても美しい女神であるという文献もある。
心の道に迷いし者の前に現れ、叡智を授けたといった逸話もあった。
不思議な事に、神信仰がこの世界に生まれるはるか以前より存在していた、降臨したことがあった、という歴史書もあり、とてもミステリアスな存在であった。
トルテが何故これを選んだのかといえば、それは、いずれ知識の女神と会いたいと思っていたからである。
二人で眠った際に、その朝に時たま見るエリーシャの涙を、トルテはなんとか癒したいと思っていた。
勇者ゼガが戦死したという報告は、それだけその姉の心に深い傷を作ったのだと、トルテは考えたのだ。
それを、どうすれば癒す事が出来るのか。
どうしたら、エリーシャは幸せになれるのか、という疑問を、トルテはいつまでも解決できないでいる。
気が付けば自分も割とボロボロで、結構かわいそうなことになっている気もするのだけれど、トルテは、ありとあらゆる方向で、姉と慕うエリーシャの役に立ちたいと思っていたのだ。
しかし、この知識の女神がどういう存在なのか、どうすれば会えるのかなど調べていくうちに、次第にどういう事か『16世界』と『魔王』という単語を良く見かけるようになっていった。
16世界は、エリーシャから時たま噂程度に聞いていたこともある言葉ではあったが、『魔王』という単語はいささか女神関連の書物には不釣合いな、おどろおどろしい単語であり、トルテは酷くショックを受けた。
16世界とは、神々の住まう世界とそこに存在する『泉』を起点とした『川』の流れによって生まれた15の世界の事である。
例えばこの『シャルムシャリーストーク』は『川』の中流に存在し、近隣には魔法世界『アルゲンリーゼ』だとか時空世界『ハーニュート』だとかが存在している。
最下流には『鈴街』という魂の集まる世界が存在し、そこから先がどうなっているのかは記されていない。
存在しているのかどうかすらわからなかった。
途方も無い話ながら、このシャルムシャリーストークは、大きな視点で見れば『16世界』を構成する1世界に過ぎず、一地方の一国家程度の扱いでしかないらしかった。
何故これが『魔王』という単語に直結しているのかと言うと、それは全ての世界に必ず一人、その世界出身の『魔王』が存在しているからなのだという。
確かにシャルムシャリーストークにも魔王が居るのだし、それは不思議な事ではないとはトルテも思ったのだが、調べていくうちに、どうもそんな簡単なものではないのだと思うようになっていた。
これら16世界に関しての関連書物に登場する『魔王』とは、まずその世界にとって最強の存在であるらしかった。
これまでトルテを始め、この世界の人間が思い描いていた『魔族の王・盟主としての魔王』とは違い、それは人や獣、時には神がなる事すらあるのだという。
そうして『魔王』となった者は、人間と敵対し、これを滅ぼそうとする者も勿論存在したが、多くは自分の趣味に走り、好きなように動くのだという。
というより、あまりに強すぎて、好き放題にするのを誰にも止められないらしい。
そして強すぎるが故に様々なしがらみから解放され、やがて趣味に生きる位しかすることがなくなるのだという。
強すぎて退屈、というのが彼ら『魔王』の多くが共通して抱える悩みであり、それを解消する為の手段として趣味があるのだという。
そのような経緯から、彼らの趣味は世界をも巻き込み、代替わりが起こると、世界そのものまでもがその『魔王』にあわせ変貌してしまうらしい。
多くはその『魔王』にとって都合よく変質し、時として生物の存在意義すら操作されるのだという。
つまり、ここで言われる『魔王』とは、人間の想像する『神さま』そのままと言って差し支えない。
そうして世界は操作されていき、彼らにとってとても都合よく、世界は運営されていく。
例えば、自らの欲望の赴くままに世界帝国を作り上げ、快楽のまま生き続けたり。
例えば、自らの正義感のままに平和な世界を作ろうとして、結果的に『平和』を作るために絶望的な世界にしてしまったり。
例えば、自身の保身の為だけに、世界に終わる事のない戦争を呼び込んだり。
とかく、ろくでもない事をして、ろくでもない結末を生んでいた。
特に性質が悪いのは『ファズ・ルシア』と『ドルアーガ』と呼ばれる二人の魔王であると記されている。
ファズ・ルシアは非常に高慢な女神の『魔王』で、ただの暇つぶしの為だけに人類の国家を破壊したり、文明を衰退させたりするのだという。
人間の勝てる相手ではなく、現在の16世界最強と言える存在である。
その行動のみ見るならばこの世界の魔王と変わりがない為、トルテにはとてもそれらしい『魔王』であると感じられた。
対してドルアーガは、『無』という言葉で全てを表せる存在であった。
無気力・無感情・無表情。
大よそ知的生物らしき感情を持たず、ただ、敵対した者を無慈悲に無に還す。
その心は虚無に支配され、持つ属性も『完全なる無』という極め付きである。
ただそれだけの存在であり、たったそれだけしかないのに、かつては全世界最強の『魔王』であったのだという。
前述したファズ・ルシアですら彼の相手にはならず、彼を止める事の出来る者もこの世には存在しなかった。
知識の女神リーシアが答える事の出来ない唯一の例外が、彼を正面から撃ち破る方法であった。
そもそもそんなものは存在しないのだ。ほとほと女神を困らせる生き物であったらしい。
決して撃ち破る事の出来ない、完全なる勝利の象徴。
それが彼の本質であり、彼が最強たるに十分すぎる理由であった。
その最強の存在が何をしたのかといえば単純で、彼の世界の全人類の絶滅である。
誰一人残さず皆殺しにしたのだという。この世界の魔王が生優しいとすら思える非道この上ない所業であった。
元々は自我も虚ろで、あまり自分からは戦いにいかず、敵対行動を取った者を本能的に容赦なく滅ぼす、いわば全自動カウンターシステムのような虚無この上ない存在だったらしいが、ある時を境に突如暴れだし、瞬く間に人類を滅亡させ、本来彼に従っていたはずのその世界の魔族まで手にかけ、その半数を滅ぼしたのだという。
こんな存在が未だに16世界のいずれかに存在している、という最後の記述に、トルテは背筋を震わせてしまった。
何故それら『魔王』が女神と一緒に記述されるのか。
疑問に思っていたトルテではあったが、文献を読み解いていくうちに、段々とそれらしい解に行き着く。
どうも『魔王』となった者は、例外なくそれに前後して知識の女神リーシアと出会うらしい。
書物の構成が複雑で解り難かったのだが、つまる所、『知識の女神リーシアにもっとも手っ取り早く会う方法』とは『16世界のいずれかの魔王になる事』なのだと、トルテは結論付けた。
「馬鹿みたい……」
とても本末転倒というか、意味のない努力であった。
女神に会うために、神のような力を手に入れなければならないのでは、その時にはもう願いなんて叶っていそうなもの。
人に聞くまでも無く、自分で解決できてしまっているに違いないからだ。
トルテは唐突に疲れ、だらしがないことに顎を机についてしまう。眼鏡もずり落ちる。
かたん、と小さな音と共に、机の上に眼鏡が転がっていった。トルテは気にもせず、眼を瞑る。眠りそうになる。
「姫様、それはお姫様としてどうなのでしょうか?」
傍らに控えていた侍女は、そっと肩をゆすりながら皮肉る。
「……解ってます」
そんな事で一々構わないで、と頬をむくれさせて起き上がる。
「ラズベリィ、この本はもう良いです。変わった本なのは間違いないけれど、あんまり意味の無い知識でした」
無駄知識ですわ、と、山になった本を片す様に促す。
「あらあら、折角四方を駆け回って集めた書物ですのに。姫様のご希望には添えませんでしたか。残念ですわ」
ラズベリィと呼ばれた侍女は、言葉のまま残念そうに眉を下げながら、しかしそれ以上は余計な事は言わず、本を片付け始める。
「ねえラズベリィ、貴方はどうやってこれを集めたのですか? お城の書庫にはこんなのはなかった気がしたのだけれど……?」
全く見覚えの無い材質の表紙。
ページの一枚一枚がトルテの感じたことの無い手触り。
少なくとも書庫で長年眠っていた本達とは材質からして違うのでは、とトルテは考えた。
「良くお気づきですね。これらの本は、私が予め諸国から取り寄せたものを書庫に入れなおしたものですわ。姫様が書庫にいらっしゃった頃とは違うようになっていてもおかしくありません」
「そういう事だったの……手際が良いのですね、貴方って」
本当にそうなのかは解らないながらも、とりあえず外部からの本を持ってきてくれたこと自体には文句はなかったので、トルテはそれ以上は追求しなかった。
「私も本の虫ですので。お抱えにしていただけた以上は、姫様の為に頑張らせていただきますわ」
三つ編みを弄りながら、おっとりとした微笑みを見せる侍女に、トルテは眼を瞑り、さほど関心もなさそうに「そう」とだけ応えた。