#1-3.弄ばれて滅亡-ショコラ-
結局そのまま民間人の消え去った静かな街を歩いていた二人であったが、途中でエルゼが「師匠からお呼びがかかったので」と言い出して戻ってしまったので、黒竜姫はやや不機嫌になりながら一人で宮殿を目指す事となった。
「なんであの子ばかり陛下に可愛がられてるのかしら……子供だから?」
愛する魔王陛下がロリコンだという考えはありえないからと無視し、とりあえず妥当な理由として考えたのは、エルゼが年端も行かぬ子供だから、というものであった。
とはいえ、それを言うなら黒竜姫自身も魔王から見れば十分に子供のような年齢であり、その対象になっていてもおかしくないはずなのだが。
やはりというか、結論など出るはずも無く、悶々と考え込んでしまっていた。
そんな中、黒竜姫は不意に違和感を感じ、その足を止めた。
直後、視界の隅に人影が見え、目の前に眩い光が見えた。
そして、光は瞬時に迫り、黒竜姫はその視界ごと飲み込まれていった。
それで全てが終わったかのような静寂に包まれ、閃光に焼き焦げた地面が土煙を上げていた中、閃光の中心に立っていた人影は、そのまま静止していた。
「宮廷魔術兵団自慢の『砲撃魔法』とやらは、こんな程度なの?」
その身は当然ながら、髪の毛一本、ドレスの一片に至るまで焼き焦げた様子も無く、黒竜姫は涼やかに微笑んで見せた。
「……っ!?」
――完全なタイミングで決まったはずの不意打ちの失敗。
これには、先ほどまで隠れ、機会を窺っていた宮廷魔術師達もどよめき、互いに顔を見合わせてしまっていた。
「続けて放てっ!!」
指揮官らしきフードを深く被った女が声を荒げると、それにあわせ、再び砲撃魔法が発動する。
しかし、今度は目に見えて明確に、黒竜姫の周りでそれが捻じ曲げられていた。
「こ、これは……斥力フィールドっ!?」
高度な防御魔法であった。
膨大な魔力を消費しながら展開されるその障壁は、あらゆる魔法に反応し、内部への侵入を拒絶する。
「そんなものじゃないでしょう? いいから破ってみなさいよ。もしこれを突き破れたら……褒めてあげるわ」
魔法を防ぎながら、黒竜姫は余裕の姿勢を崩さず挑発を繰り返す。
「くっ……照射点をまとめるのよ!! 一箇所に集中させろっ!!」
指揮官の言葉どおり、魔術師らの杖が微妙にずらされ、次第に黒竜姫の障壁が魔法を拒絶しきれず、ジリジリと音を立て始める。
「今よ、フルパワー!!」
「フルパワー!! 一斉発射!!」
更なる掛け声に反応し、己が魔力の全てをと言わんばかりに、各々極大の砲撃を放った。
「あら……」
それは、黒竜姫の想定外だったのか。
先ほどまでとは比べ物にもならない火力の一斉砲撃は、黒竜姫の正面の障壁を突き破り、その無防備な身体に直撃した。
「やったか……? 確認急げ!!」
そこで油断する彼女らではなく、すぐさま敵対した魔族の生死を確認させる。
しかし、それは無駄な作業であった。
「思ったよりは威力があるのね。火力特化というのも、突き抜ければそれなりのモノになるという事かしら」
黒竜姫は、一歩も動く事無く、小さな溜息を吐く。
「そ、そんな……確かに障壁は突き破ったのに……」
驚愕する魔術師達を前に、黒竜姫はただ冷ややかに笑っていた。
「勘違いしてはダメよ。あんなものは気まぐれで張っただけだもの。ただの遊びなのよ?」
黒竜姫なりの意地悪でやったゲーム的なものである。そこには何の価値も生まれない。
「……私達のこれまでの人生が、遊びで……?」
絶望が魔術師達の顔を曇らせる。
結局、宮廷魔術兵団など、魔族の姫君からすれば憂さ晴らしで弄ばれる程度の戦力でしかなかったのだ。
彼らがその人生を賭して研究に研究を重ね、ようやく辿り着いた高みは、対魔族最強と思われたその到達点は、この目の前の女魔族一人に傷一つつけられない程度のモノでしかなかったのだ。
自然、彼らの戦意は薄れていく。茫然自失となっていた。
「じゃあ、頑張ったご褒美に、貴方達の見せてくれた点・線火力特化を、魔族の私がやったらどうなるか見せてあげるわ」
「えっ……?」
突然の言葉に、女魔術師はつい、間抜けな声をあげてしまった。
それが何を意味するのかなど解らず、ぽかん、と口を開いたまま。
それに反応する事も出来ず、ただ黒竜姫のやろうとしている事を見ていた。
「こうかしら? んー、これでよし」
適当に手を構え、狙いを付ける。女魔術師のすぐ横の辺り。十名ほどの魔術師が固まっている場所に、右腕を向ける。
「はっ、やらせるかっ!! シューティングスター!!」
そこで危険さに気づいたのか、女魔術師は必死になって最速の無詠唱魔法を発動させる。
他の魔術師達も構えた。彼らなりに抵抗しようとしていたのだ。
『――――』
しかし。そんなものは何の意味も成さなかった。人間とは、無力であった。
音が聞き取れないほどの爆音の中、黒竜姫は唇を静かに動かし、それを発動させた。
人間の砲撃魔法。その理論を魔族なりにまとめ、再現した魔族版砲撃魔法。
狙いをつけた魔術師達を瞬時に光に溶かし、更に拡散・追尾して全く逆方向の魔術師達にまで光を浴びせていった。
次の瞬間には、もう遠巻きに周りを囲んでいた魔術師達は全滅していたのだ。
「……魔法の拡散・追尾機能だなんて……そんなの、私、知らない――」
女魔術師のフードがはだけ、黒髪のショートが風に揺れた。
濃いクマを残すその眼は、驚愕に見開かれたまま、光を失っていった。
左胸に開いた孔からは焼け焦げた音がし、そのまま、どさり、と倒れる。
「女捨ててまでこんな下らない魔法の研究に人生費やすなんて、何が楽しいのかしら?」
年齢的にはまだ二十も半ばだろうに、いろいろなものを犠牲にしすぎているこの女魔術師に、黒竜姫は色々と思うところがあるらしかった。
「魔法の研究は、それはそれで楽しいとは思うのですが」
黒竜姫の独り言に、不意に上空から返答が返ってくる。
そのままするすると黒竜姫の前に、赤いとんがり帽子のウィッチが現れた。
「……モノの好き好きは人によるとしても、目の下にクマだとか、髪の管理ができないほど不摂生するだとか、そんなのは論外だと思うのだけれど」
既に絶命しているものの、この女魔術師の髪はボロボロ、肌は荒れていて唇はカサカサ、お世辞にも綺麗とは言えない顔立ちであった。
「はは……まあ、そうですね。ここまでやっちゃうのは流石にちょっと、私達としても有り得ません」
「そうよねぇ。人間って訳わかんないわ。自分から不細工になっても良い事なんてないでしょうにねぇ。美形じゃないにしたって、みっともなくならないように務めるべきだわ」
自分の美貌に絶対の自信を持っている黒竜姫ではあるが、その美貌の維持には決して努力を惜しまない。
太らない為に甘そうな物、美味しそうな物の誘惑を耐えたり、適度に運動したりしてプロポーションの維持にも努めている。
髪に良い香油があると聞けば手に入れさせるし、肌が美しく維持できる化粧水が売りに出されれば、それが人間世界だろうと侍女に買いに走らせた。
だからこそ、生まれ持って顔の造りが悪いのは仕方ないとしても、全く頓着しないのはどうなのかと思うのだ。
この辺りは、純粋に黒竜姫自身の価値観からしてありえないというだけの話で、魔族だからとか人間だからとかではないのだが。
そんな、自分の外見に頓着しない女が居た事に、一種のカルチャーショックを感じていたのだ。
「まあ、人間の人生は短いですから、その分だけ生き急ごうとしてそうなるのかもしれませんが」
「短命だものねぇ。たった五十年位で死ぬんでしょ? 私達が生まれてからようやく赤ちゃんじゃなくなる位の間に死んじゃうんだもの、短すぎるわ」
長命な魔族にとって、人間の人生はあまりにも短すぎた。
同じ研究に一生を費やすにしても、魔族はのんびりと自分のペースでやる事が多いが、人間はそうでもなく、様々なしがらみに囚われながら、限られた自分の人生の中でひたすら研究に没頭する事になるのだ。
半端な事をすれば到達できない高みも確かに存在しており、この女魔術師も、その若さにしてそこまで達するには、やはり様々なものを犠牲にする必要があったのかもしれなかった。
「それはそうと、黒竜姫様、さっきの魔法はすごかったですね。魔法の拡散・追尾なんて初めて見ましたよ」
「ん……エルゼの魔法を真似てみたのよ。私のは『魔力の性質』を索敵材料にしたんだけどね。案外上手くいったわ」
門外不出である血液の魔法。
その理論を、黒竜姫はなんとなしにアドリブで砲撃魔法に混ぜてしまっていた。
黒竜姫の魔法の才能は規格外とも言えるものがあり、ウィッチら魔道の研究に人生を捧げている者からすれば涙目になる事も多々あった。
相手が先代魔王を髣髴とさせる魔法の天才ともなれば、先ほどの女魔術師も、単に相手が悪かっただけで、眼の付け所自体は決して悪くなかったのではないかとウィッチは考えた。
「はぇー……それで最初にわざと撃たせてたんですか?」
が、そんな事は微塵も表に出さず、ウィッチは素直におどけて見せた。
「そういうことよ。ていうかずっと見てたの? あなたも暇人ねぇ」
さっきからやたら的確に戦闘内容を話していたのを見て、黒竜姫はやや皮肉げにウィッチをからかった。
「あ、いえ、あの。黒竜姫様がたの方に敵の主力や対空装置の目標が向いていたので、魔法防御に乏しいショコラ軍本隊と宮殿を私達で制圧したのです」
困り顔で「ちゃんと働いてましたから怒らないで下さい」と弁明するウィッチに、黒竜姫もそれ以上意地悪する気は無くなり、「そう」とだけ返した。
「そういえば、エルゼ様は……?」
「あの子ならとっくに帰ったわよ。陛下に御呼ばれされたから、って。使い魔が教えに来たのよね」
真昼間から蝙蝠が飛んでいるのは良く考えると結構違和感のある光景だったわね、と黒竜姫は今更のように思う。
「そ、そうですか……でも、今回の作戦は黒竜姫様のおかげでかなりスムーズに進みましたし、陛下からもお褒めいただけるのでは……?」
エルゼの名前が出た辺りでまた不機嫌そうに眉をひそめたので、ウィッチはそれ以上機嫌を悪くさせないために魔王の名前を出した。
彼女も、段々と黒竜姫の扱いを心得てきているらしく、器用にその感情をコントロールし始めていた。
「あら、そう? そうよね。きっと褒めていただけるわ。ああ、早く帰らないと。ねぇウィッチ、後は任せても……?」
「あっ、は、はい。勿論ですわ。後の事はお任せ下さい。ただ、陛下への報告だけは、黒竜姫様から……」
気を利かせて、彼女にとって都合の良い所だけはしっかりと譲っておく事も忘れない。
「ふふっ、そう、解ったわ。ではそうさせてもらうわね。はぁ、何を着ていこうかしら。庭園から新しい花を摘まないと」
急にそわそわし始めた黒竜姫は、後のことをウィッチに任せ、既に報告する際の衣服の心配をし始めていた。
「じゃあ、もう帰るわね。何かあったら教えて頂戴。暇が出来たらまたお茶でもしましょうね」
「はい、是非にでも。どうぞお気をつけて」
とても機嫌よさげに、丁寧に手を振りながら去っていく黒竜姫。
ウィッチも深々と頭を下げながら、にこやか~にそれを見送った。
気が付くと世界は赤らみ、まるで平和な世界であるかのような空が、静かな街を支配していた。
こうしてベネクト三国はいずれも連合軍が救援に駆けつける間も無く魔王軍の手に陥ち、中央深くまで魔王軍の版図が広がる事となってしまった。
いざとなれば全国民が魔法兵として戦えると謳われていたショコラであるが、実際には訓練を一切受けていない民間人が兵士のように戦う事などできるはずもなく、避難しそこなった住民も、抵抗しなければ殺されないと解るや、そのほとんどは素直に捕虜となる事を選んだ。
世界中に様々なマジックアイテムを輸出・提供していたショコラが滅亡したのは人類にとって大きな痛手となったが、幸い、技師や職人、研究者の多くはショコラが連合から抜けた際に国を見限り、大帝国や西部諸国に亡命していた為、その技術力が完全に失われる事だけは避けられた。




