#1-2.ブラッドマジック
ショコラ首都・ベルクハイデ南東、グミの森。
ここに、クノーヘンから出撃したウィッチ分隊四名と、ワイバーン三匹によって運搬された魔物兵二個小隊が待機していた。
間も無く北部から本命の大増援が合流する手筈となっており、これによってベルクハイデを一気に陥落させる予定であった。
中央組の指揮を執っていた赤いとんがり帽子のウィッチは、北部からの増援と聞き、恐らくはエルゲンスタインの時のように、配下の竜族を率いた黒竜のいずれかが現れるのだろうと思っていた。
「待たせたわね」
そして、実際に現れたのは黒竜姫であった。
「あ、あの、こんにちわ」
そして、何故かエルゼが一緒であった。
「黒竜姫様……それに吸血族の姫君まで……」
これにはウィッチも面食らった。
参謀本部からも、彼女達が来るなどという情報は一切流れていなかったからだ。
「ラミアからのお願いをお茶会してた最中に聞いたのよ。まあエルゼはなんとなく連れてきただけだけどね」
「なんとなく連れてこられました」
「はあ……お茶会、ですか……」
どうにもとてもいい加減な流れで決まったらしい北部からの増援は、魔界最強の姫君二人のみというウィッチにとってとても胃の痛くなる構成であった。
「とりあえず、お邪魔になるとアレなので、魔物兵達は戦闘後の占領処理要員という形でよろしいでしょうか……?」
「良いんじゃないの? 私達は適当に暴れるから、詳しい事は貴方が仕切りなさいよ。変な事じゃなきゃお願いも聞いてあげるわよ?」
ウィッチにとっては幸いな事に、黒竜姫は今とても機嫌が良いらしく、実に気前良く指揮権をウィッチに委任してくれたりしていた。
ニコニコ笑顔である。これを壊してはならないとウィッチは胸に誓った。
「かしこまりました。では戦闘の推移などを見まして、その都度こちらからお願いにあがりますね」
即座に最善の返答を選択し、とても低姿勢で提案する。こんな時の彼女は実にしたたかであった。
「ええ、それで良いわ。そちらはそちらで適当にやりなさいよ。どうせ滅亡寸前の小国一つ、本気で暴れる事もないでしょう?」
黒竜姫は余裕であった。
こんな程度の国家など、滅ぼすのに手間取る事もないわよね、とばかりに。
その後ろに立つエルゼは不思議そうにちらちらとあっちを見てこっちを見てと落ち着かないが、そんなのは気にしない。
「では、私どもは準備させていただきますので、お二人に都合のよろしい時にどうぞ」
「私はいつでもいけるわよ。エルゼは?」
「はぁ……黒竜のお姉様がそれでよろしいのでしたら。私は、戦闘に関しては素人ですので、お任せいたしますわ」
「……まあ、いいけど」
自分の実力を正確に把握できていないだけなのか、それとも単にマイペースなだけなのか。
そんなエルゼに今一良く解らないものを感じながら、黒竜姫はゆったりと森の出口を目指していった。
ウィッチは当初、カルナスを陥落させた時と同じで、黒竜姫がトカゲ形態に変身して適当にブレスを吐いて終わらせるものと思っていた。
しかしどうにもそれは違うらしく、黒竜姫は変身する事無く、エルゼを連れたまま、街の門で兵隊に注意を受け足を止めてしまっていた。
わずらわしげに小さく溜息をついた黒竜姫は、兵士たちの言葉など無視して息を大きく吸い込み、そっと吐息を吐く。
すると、それまで厳しい目で二人に問い詰めていた門衛達は、ぱたりぱたりと倒れていき、静かな寝息を立て始めていた。
「お姉様……これは……?」
「『昏睡』のトキシックブレスよ。私が起こさない限り死ぬまで眠り続けるの」
突然の事に驚いた目でエルゼが訊ねると、黒竜姫はやや自慢げに胸を張っていた。大きい。
黒竜のブレスは大きく分けて凍結のフリーズブレス・各種毒のトキシックブレスの二種類があり、更にトキシックブレスは猛毒・昏睡・麻痺の三種類に細分化されている。
この三種類の毒は、使い分ける事も混合させる事も可能で、それぞれが非常に強力な上、扱い的には呪いに近いモノな為、術者本人以外には解毒・治癒する事が不可能に等しいという脅威であった。
猛毒のトキシックブレスは、その名の通り耐性の無い生物を例外なく即死させる致死毒で、更に触れた物を腐食させる特性まで持っている。
昏睡のトキシックブレスは、その香りを嗅いだ生物を半永久的に眠らせる呪いのようなもので、一度眠りに堕ちたが最後、術者以外には解く事が出来ない。
麻痺のトキシックブレスは、昏睡のそれと似た性質を持つが、更にブレスに触れた部分が即座に麻痺し、吸い込んだ場合全身麻痺を引き起こす、ある意味最悪のブレスである。
これは術者である黒竜にも完全に解く事はできず、ほぼ確実に後遺症が残ってしまう。
今回黒竜姫が使ったのはこの内の『昏睡』のトキシックブレスで、兵隊達は黒竜姫の小さな甘い吐息によって永遠の眠りについたと言える。
「甘い香りがすると思ったけれど、あれがトキシックブレスだったのですね」
「……口臭には気を遣ってるわよ?」
一応自分の息を嗅がれるのはそれなりに恥ずかしいらしく、それを嗅いでも全く眠りそうにないエルゼの言葉には、頬をやや赤らめ、口元を押さえながら反応した。
「あの香りってお姉様の口臭なんですか……?」
「違うけど……なんか、口の中が甘い香りに満ちてるとか思われると嫌だから」
あくまで不思議そうだからと聞いているに過ぎないエルゼであったが、黒竜姫の心境はそうもいかないらしく、適当に返すと、そっぽを向いて歩き出した。
とんでもない化け物に違いなくとも、その心は乙女そのものなのだった。
「そこの二人、止まりなさい!!」
どうやら門衛達の様子がおかしいらしいと、監視塔からの報告を受けた兵たちが集まってくる。
兵士たちは二人を取り囲み、油断無く、メイスや剣を構えていた。
このような有事においては、ベルクハイデも非常警戒態勢を取っており、わずかでも怪しい者は魔族からのスパイと疑われてしまうのだ。
「まあまあ、どうしましょうか、お姉様」
「さあ?」
しかし、彼らの持つ武器は二人には何の脅威にもならない。むなしい抵抗であった。
それが解っているからか、黒竜姫は余裕たっぷりの顔で笑っていた。
「私、竜族の方は皆、大きなトカゲ形態に変身して戦うものだと思っておりましたわ」
「まあ、私も必要なら変身はするけどね。でも、あれはあまり人に見せたくないのよ。なんとなく、恥ずかしくて」
黒竜姫としては、今の自分は間違いなく美しいとは思っていても、トカゲ形態となった自分にはあまり美的な自信がないらしく、どちらかといえば普段の姿のままで居たいという思いがあった。
必要のない時にわざわざ醜いトカゲの姿になる事はないでしょう、と考えるのだ。
「私は格好良いと思いますけど。トカゲ形態。空も飛べるし、大きいし、強そうですわ」
エルゼは空気を読まない。というか思った事をそのまま口に出す。
この辺り容赦が無いというか、まだまだ子供らしく毒されていないというか。
黒竜姫は、この相当歳の離れた妹分に、若干ながら苦手意識のようなものを感じていた。
扱い難いというか、むやみに怒れないというか。不思議な感覚があるのだ。
「……まあ、貴方がそうは思っても、私は思わないわけよ」
「おい、話を……」
「うるさいわよ」
周りの状況を平然と無視しながら会話を続ける二人に対し、しびれをきらし兵士が横槍を入れようとした直後。
黒竜姫は鬱陶しいとばかりに片足を軽く上げ、ズドン、と強く地に打ちつけた。
「おぉっ!?」
「な、なんだっ」
強烈な震脚である。打ちつけられた地面は、黒竜姫を中心に波打つように振動していき、その周りは小さなクレーターとなっていた。
足元から揺さぶられてバランスを崩す兵士達。すぐ隣でも「きゃっ」と小さくてか弱そうな悲鳴が聞こえる。
「……なに倒れてるのよ?」
見れば、エルゼがしりもちをついていた。
「はぅ……びっくりしました」
静かに立ち上がりながら、汚れてしまったスカートを手で静かに叩く。
「私は、上位の吸血族は地形や物理・魔法的要因に左右されないものだと認識してたんだけど?」
まさかこんなものでよろめくなんて思いもせず、浮かんだ疑問をそのまま口にしていた。
「はぁ、まあ、そうなのですが。普段は普通に定形を保っていますから」
どうやら一つの存在として形を保っている状態では普通に物理的影響を受けるらしく、エルゼは少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。
「別に怒ってる訳じゃないわよ。そう、まあ、いいけど。毒が効かないのは、やっぱり耐性の高さからかしらね」
「そうなりますね。私達には亡魔族の感染すら通用しないようですから」
吸血族は、病気や毒といったモノに対しての耐性が全生物でトップクラスに高い。
先ほどの黒竜姫のブレスをまともに嗅いでも昏睡状態に陥らなかったのはその辺りが大きいらしく、こちらは黒竜姫的にはそれほど意外な点でもなかった。
「とりあえず、私はこんな国一つ滅ぼすのにトカゲ形態になんてなるつもりはないの。だから、このまま戦うのよ」
「なるほど」
全く違う話のようで、実は続いていたらしく、黒竜姫は先ほどの補足説明をしていた。
エルゼもそれで納得したのか、微笑みながら頷く。
「こ、この力、やはり魔族かっ!!」
「増援を呼べ!! 魔族が侵入してきている!!」
今さっき黒竜姫から鬱陶しがられていたというのに、兵隊達はまたも同じ過ちを繰り返していた。
増援を呼ぶため、何名かが場から離れていく。
「つまり、ここで戦えばよいのですね?」
「そうなるわね」
マイペースながら、何をすれば良いのか把握したエルゼは、とりあえず目の前の空間に指をそっと添えた。
「……?」
何をしているのか解らない黒竜姫であったが、次第にエルゼの指に沿って薄く光るラインが引かれていき、それがある形状へと繋がっていく事に気づく。
二等辺三角形、円、菱形。
それらに線が引かれていき、つなげられ、そして二本、三本、と円の外側に向けて棒線が付け足されていく。
「これでよし。準備が整いましたわ」
「何なのよそれ?」
ふぅ、とやり遂げたように良い笑顔で満足げにしているエルゼに、黒竜姫は怪訝な面持ちで問う。
本当に何をやっているのか良く解らない。
「これは、血液の魔法に使うシンボルマークなのです。大体これで人型みたいな感じですね」
「血液の……?」
「んー、なんといいますか、私どもの得意としている魔法ですわ。良く解らないですが『もんがいふしゅつ』らしいです」
なんなんでしょうね? と言いながら自分で聞いてきたりする。本当に意味が解らないらしい。
構え、先ほどよりもやや離れた位置から防戦の体勢を取っている兵士たちを見ながら、エルゼは右手の人差し指をそちらに向けた。
適当に兵士の一人に照準を合わせ、ぱん、と上にずらす。
「ぐっ……あ……あぁぁぁぁぁぁっ!?」
そのわずか後に、兵士は苦しげに胸を押さえ、絶叫を上げながら倒れた。
周囲の兵士が驚いて覗き込むと、口から泡と血を吐いてピクピクと痙攣し、やがて動かなくなった。
そして、何故かエルゼの右手の平は、真赤に染まっていた。
「何をやったのよ?」
「えっと、あの方の体内に入り込んで、心臓を握りつぶしました」
「……エグい」
穢れ一つない瞳でのたまうエルゼに、黒竜姫も思わず声を漏らしてしまう。
彼女も、普通に相手を殺すだけなら何とも思わないが、その殺し方というか、やり口に薄気味悪さを感じたのだ。
「あの、別に残酷な殺し方が好きとか、そういうのではなくてですね、この魔法の説明をしようとして……」
黒竜姫の遠慮の無い感想に、わずかばかり心象を悪くさせてしまったと思ったのか、エルゼは必死に弁解していた。
「ああ、もういいわよ。それで、どうするのよ」
右手から今も滴り落ちるどろどろとした赤い汁を見ながら、黒竜姫は先を促した。
「あ、はい。それでですね、この血液を、マークにこう、ちょん、と印をつけて……」
言いながら、空中に浮かんだままのマークに赤い色が付いて行く。
そうこうやっている内に方々からわらわらと兵士の増援が到着してきて、二人への包囲網はどんどん重厚なものへ変わっていった。
猶予無く、すぐさま距離を詰めんと進軍してくる。
「これで完成です。発動させますね」
終わりました、とにこやかに笑いながら、浮かび上がった簡易人型に軽く指を突き立てた。
その直後である。
「えっ……?」
兵隊達が、ほぼ同期的に、真っ赤な何かに飲み込まれていくのが見えた。
「ぎゃっ」
悲鳴をまともにあげる暇も無く、兵士の足元から湧いた赤いそれに包み込まれ、それが無くなった時には、兵士は地に倒れ動かなくなっていた。
「えっと、こういう感じで、近くにいる『その血液を持つ生物』を自動的に索敵して、同時攻撃できる魔法なのです」
いつの間にかエルゼの右手は元の真っ白のグローブに戻っており、滴り落ちるほどの血はどこぞへと消え去っていた。
「なるほど、これが血液の魔法というのね。初めて見たわ」
門外不出という名に相応しく、文献にすらまともに残っていない存在である。
黒竜姫自身、それがどんなものであるのかはこの度初めて目にしたのだった。
「そのマークは何か意味があるの?」
「はい、この形状を書き換えることによって、索敵範囲が変わるといいますか。例えばこの『人型』なら範囲は精々私達の周囲二百メートル程ですが、これが四角のみになれば『街のマーク』になり、大体の街の範囲内全ての『その血液を持つ生物』が対象になります」
「……ユニークねぇ。吸血族はそんなのを使ってるのね」
黒竜族のトカゲ形態への変身やブレスもかなりユニークな部類の魔法ではあるが、吸血族のこの魔法は他に類を見ないどころか、恐らく理論を知っても真似ができないものであると黒竜姫は気づいた。
「よくその歳でそんな複雑そうな魔法覚えられたわね」
「そんなに難しくも無かったですよ? 『覚えられて当たり前だから』と教えられましたし、実際覚えるのも大変ではなかったです」
それだけ賢いのか、種族特性との相性が良いのか。
いずれにしても、この娘の年齢に似つかわしくない外見が、相応の意味を持つモノであるというのは確かであるらしかった。