#4-4.奇跡の出会い
「しかし、吸血族の姫君ともあろう者が、何故こんな場所に?」
「当然、陛下のお后になる為です」
魔王の問いに、戸惑いもせず恥じらいもせず、はっきりと物を言う。
瞳に宿る光は、本気を感じさせた。
「いや、だから私は后は――」
「黒竜族の姫が、陛下にお近づきと聞きましたので」
「うん?」
拒絶しようとした魔王だが、間髪をいれずエルゼが挟み込み、そこで止まってしまった。
「黒竜族の姫が陛下のお傍に居るのなら、我ら吸血族も、陛下のお傍に居ないでは始まりません」
「始まらなくても良いのだが」
「そうはいきません。陛下、これは我ら吸血族の沽券に関わる問題です」
ずずい、と、魔王に詰め寄り、顔を近づけてくる。
しかし身長差の所為で華奢なエルゼは魔王の首筋にすら届かない。
「ああ、沽券って、あー、そういう事か――」
その態度の変わりように、魔王もやっと理由を察した。
これは、黒竜族に対する吸血族の牽制なのだ。
吸血族と黒竜族はかねてより犬猿の仲で、頂点である吸血王と黒竜翁も度々衝突していた。
理由は単純で、双方とも戦地に存在を見出す戦闘種族だからである。
偏に戦闘種族と言っても、敵を無差別に皆殺しにするのを好む黒竜族と比べ、吸血族は敵地を襲いながらも敵の内いくらかを下僕にし、その下僕に他の人間を襲わせ、感染毒によって破滅させていくバイオハザード中心の戦い方を好む。
黒竜族からすると吸血族の戦術はひどく面倒で、それでいて派手さのないつまらない戦いに映り、逆に吸血族には黒竜族の闘争がただの下品な戦闘狂が暴れまわってるようにしか見えない為、お互いの戦い方にいちいちケチをつけあうのだ。
まさに終わりのない対立で、誰が仲裁に入ってもこの両者は仲直りところか停戦すらしようとしない。
四天王とは言ってもラミアに他の面子を止められる力はなく、悪魔王も性格的に無理という事もあり、半ば放置気味にされている。
つまり、この度もまたしてもその対立が、今こうして魔王を巻き込んでいる訳である。
「良い迷惑だな、君らの対立に私を巻き込んでくれるな」
「そうは言いましても、私は父に言われた通りにしているまでです」
相変わらず傲岸不遜に、魔王に対して退かずに通そうとする吸血姫。
美しい碧眼は魔王をじっと見つめて放そうとしない。
「解って欲しいが、私は別に黒竜姫を后に迎えようとか思ってないから、気にしなくて良いぞ」
「それでしたら、私をお后にもらってくださっても良いはずですわ」
下がる気一切なしに自分のアピールを始める。
「陛下、何と言っても吸血族は血筋が良いのです。魔界の歴史においても、他の種族と比べ魔王を輩出した回数は群を抜いております」
「まあ、確かにそうだが……」
吸血族はその強力さから常に魔王軍の上層部に食い込んできており、魔界における権勢も強い。
対立する黒竜族は基本戦場に出てばかりいるので、魔王を決める会議の時等に出席していない時は勢力の強さで吸血族の王が魔王となる事も少なからずあった。
「それに種としてもとても頑強です。具体的には何億回殺されようと生き返れます。私程の血筋のよさになると、日光や流水など何の影響もありません」
「確かに吸血族としては王族位だな、そこまで弱点が弱点となってないのは」
「はい。つまり私は無敵です。魔界において私を殺しきれる存在は居ないと言っても差し支えありません」
人間達にアンデッド……つまり不死者として位置づけられる吸血族だが、実際には死は明確に存在し、弱点として残っている。
世に不死など存在しないが、王族クラスになると限りなく不死に近くなる。
彼女達の特性『分体化』は、それを可能にする程の高度かつユニークな生態である。
自身を分化させ、個々を自我のある『自分』として存在させる事が出来るのだ。
当然大元の自分は存在したまま、例えば腕だけを分化させ大元とは別の多くの『自分』を作る事ができ、また戻す事もできる。
これにより吸血族はあらゆる物理・魔法的外的要因を完全に無視する事が出来るようになっており、地形の影響も空間の特性も何もかも障害にすらならない。
それでも血筋が少しばかり良い程度の吸血族は日の光や流水の中に放り込まれると致命傷を受けるのだが、王族はこの弱点すらも克服しており、まさに向かうところ敵なしなのだ。
「そんな無敵さをアピールされてもなあ」
だが、そんな事は魔王の后となる事には何の関係も無い。無駄なアピールである。
「では、私の若さなどはいかがですか?」
「そういえば、君も中々若いみたいだが、一体いくつなのかね?」
気にはしていたが、それ以上にばしばしと言葉を投げかけてくるエルゼの対処に忙しくて聞き忘れていた事だった。
「はい、今年で16になります」
可愛らしく微笑むエルゼは、そんな衝撃の事実を告白した。
「じゅ……16だと!?」
魔王も思わず目を見開く。
開いた口がふさがらないを地で行く、なんとも間抜けな表情だった。
「そうですが、何か?」
「いや、だって16って……人間の娘じゃないんだぞ」
魔王が驚くのも無理は無いのだ。外見年齢=実年齢は魔族において大問題である。
人間の娘の平均初産年齢は18歳。
対して魔族の娘の平均初産年齢は350歳。
黒竜姫が現在300歳程で、竜族としてはそろそろ結婚を視野に入れてもいい年齢である。
現在魔王城に妾候補として置かれている女官達も、大体はその辺りの年齢に収まっているはずだ。
因みにラミアは5億7千ちょっとという何かの冗談のような年齢なので平均の数値には入らない。
あくまで結婚適齢期の娘の年齢調査結果である。
それらのデータと照らし合わせると、吸血姫の年齢は衝撃という他ない。
「君の気持ちは解るが、16歳はいくら何でも若すぎないかね?」
「そうでしょうか?」
不思議そうな顔をするのはエルゼである。しかし魔王は困惑しかない。
魔界において、『若い娘』とは300歳を越えた辺りで使われる言葉である。
200に到達して初めて『少女』であり、子供を作るには早いがいずれ育った時の為にと男達に意識されるようになる。
100にも到達していない娘はいかに大人の風体をしていても『子供』であり、まして50未満の娘等は『赤子』と言っても差し支えない。
その赤子同然の娘が魔王の后候補になろうというのだ。
魔王が后を貰う気はないとは言っても、それにしても幼すぎるこの后候補者に、魔王は動揺を隠せない。
「陛下、確かに私は魔族として若過ぎるかもしれませんが、吸血族は精神的に早熟なのです。肉体面だって、分体化によっていくらでも変えられますわ」
「早熟と言ってもなあ」
「私などは生まれて数年で分体化を会得し、大人とそう大差ない精神状態にまで成長しました」
驚くべき成長スピードである。
成長が早い種族は他にもいるだろうが、少なくとも魔王は、精神構造が複雑極まる上級魔族でそこまで早いのは他には知らなかった。
「幾分、まだ陛下がお好みな程まで育ってはいないかもしれません。ですが、現状で私は、適齢期の女性とそう大差なく、いえ、よりそれらしく振舞えるという自信があります」
確かに、黒竜姫等は良い歳をしてあんな子供じみているのだから、と思いもしたが、流されてはいけないと気づいた魔王は頭をぶんぶんと振る。
「悪いがね、私はその……ロリコンの気は無いんだ」
ロリコン。ロリータコンプレックス。小児性愛者である。
魔界においては同性愛程ではないにしろ白眼視される性的嗜好である。
「ろ……ロリ……? え、あの、何ですか……?」
エルゼは意味が解らないのか、目を白黒させ聞き返してくる。
まあ、解らなくて良い言葉なのだが。
「つまり、子供を抱く趣味はないぞ、と言っている」
目を伏せ、あまり彼女を傷つけないようにと配慮しながらも、やはりロリコンを説明するとなると若干直球になってしまった。
「でしたら、100年なり200年なり、陛下の下でキープしていただけばいいのです」
絶対後悔させませんから、と、どこからその自信が来るのか不思議なくらいの強気でエルゼは息巻いた。
魔王の配慮なんて最初から必要なかった。
「せめて500年くらい経ってからきてくれないかね……」
「それですと、その間に黒竜の姫が調子に乗りそうで嫌です」
「いや、あの娘も最近は少しは丸くなってきたというか……いや、気のせいかもしれんが」
その黒竜姫は今も不機嫌そうに女官達をメイドのようにこきつかってお茶を淹れさせているのだが、そんな事魔王が知る由も無く。
最早自分がこんな塔に来るハメになった原因すら忘れて、目の前の娘の黒竜姫への対抗心をなだめる事に腐心する事にした。
「陛下、お話が長くなりそうですわ」
しかし、そんな魔王の目論見はあっさりとスルーされ、別の話題にすりかえられた。
魔王も思わず涙目になりそうになった。
「私はさっさと終わらせて部屋に戻りたい」
「立ち話も長くなると不便ですわ。私の部屋でお茶等を飲みながら」
「悪いがさっき酒を飲んだばかりなんだ」
お茶以外に何を飲ませようと言うのか、魔王は怖くて聞けなかった。
「まあ、酔ってらっしゃるのですか。だから話がかみ合わないのですね」
「それは君の責任もあるんじゃないかな……」
歳の割に押しが強いと言うか、黒竜姫とは違う意味で強引で自己中心的で身勝手な性格をしているように感じていた。
自分に関わる姫は何故こんなのばかりなのだろうと途方に暮れてしまう魔王だが、とりあえず話題を適当に逸らして切り上げてしまおうと周囲を見渡す。
何か適当な塔のデザインの話をしようとしていたのだが、偶然、エルゼの足元に小さな布切れが落ちているのに気づいた。
「うん? それは君のハンカチーフかね?」
「え……あっ――」
魔王が指差すと、エルゼはそれを見て、自身の腰周りを探る。
そうしてそれが無いことに気づき、困ったように再び足元を見た。
「あの――」
「ああ、ああ、解った。少し待ってなさい」
自分で落とした物は自分では拾わない。これもやはり――である。
彼女が狙ってやっているというより、恐らく育ちのよさから来る躾の賜物というものなのだろう。
口の強さはともかく、立ち居振る舞い自体は確かに年頃の娘にも負けない品のよさがあった。
「おや、これは――」
落ちているハンカチーフを拾い、なんとなしに広げてみると、そこには包丁を持った猫のキャラクターがプリントされていた。
「あ、あのっ、ありがとうございましたっ」
サッと、すばやくそれを奪うように受け取るエルゼは、どこか暗い表情で、そのまま俯いてしまった。
「……今のハンカチーフは」
「……」
押し黙ってしまった。何か、見てはいけない物だったのか。
しかしあの柄には魔王は見覚えがある。
「その猫、確か『猫ファミリー』に出てくる『ヤゴロウ』だった気がしたが……」
「……っ!?」
魔王が呟いた途端、今度ははっとした表情で見上げてくる。
「違ったかね?」
「いえあの……陛下は、この猫の絵をご存知なのですか?」
「ああ、まあ、知ってるよ。人間世界のものだろう?」
猫ファミリーとはかつて人間世界で流行していた漫画だ。
可愛らしい猫の絵柄とは裏腹に猫達の悲哀や縄張り争いなどのバイオレンスな面も描いた青春バトルラブストーリーなのだが、当然そんなのは魔族では魔王くらいしか知らないものだと思っていた。
「あ……あぁぁ……」
どうやら詳しい訳ではないらしいエルゼは、何に驚いたのか、呆然と立ち尽くしていた。
「どうしたのかね?」
「や……やっと……やっと解りました。猫ファミリーっていうんですね……」
愛しそうに、ぎゅっと胸にハンカチーフを抱きしめる。
「あぁ、ヤゴロウっていう子だったのねこの子……」
「知らずに持っていたのかね」
感慨深そうに涙目でぎゅっとし続けるエルゼに、魔王も不思議そうに声をかける。
「はい、これは私の使い魔が、人間世界から拾ってきたものでして……」
「ほう、使い魔がな」
「私、この絵柄が可愛らしくて気にいっていたのですが……」
可愛らしい。確かに猫の絵柄は可愛らしくて癒される。
だが、その感性には魔王はひどく驚かされた。
「か、可愛いかねっ、この猫がっ」
魔王は、つい興奮して次を急かした。
エルゼは魔王の変貌に驚きながらも、涙目のまま語る。
「は、はい……ですが、他の誰に聞いても、『そんな毛玉の何がいいの?』と笑われてしまって……」
とても辛そうに。きっと本当に辛かったのだろうと思いながら。
「そうか……君もかぁ……」
魔王は、その背中に背負っているモノに、ひどく親しみが湧いていた。
「えっ?」
「私もね、そういった、人間世界にしかないものを集める趣味を持っているのだが、周りの者は誰も理解してくれなくてね……」
しみじみと語る。どこか鼻なんかも鳴らしてみる。
人間世界の人形や絵画、書物を集めるという極めて文化的な魔王の趣味は、魔族的にはただのダメなニート趣味にしか映らないのだ。
身内にまで呆れられていた魔王は、しかしここにきてようやっと同じ魔族で話が解る相手と出会えて、感動してしまった。
「へ、陛下もなのですかっ? 陛下も……」
「猫は可愛いもんな……皆馬鹿にするのだ。私が可愛いと思うものを」
「そうなのですっ、父も兄も侍女の皆も、皆みんな私の事を変な子って呼んでっ!!」
いつしか二人はがっ、と手を取り合い、普段の溜まりに溜まった鬱憤を吐き出していた。
「まさかこんな近くに仲間が居たとはっ」
「陛下っ、どうか師匠と呼ばせてくださいっ!!」
――魔王に、嫌な仲間が生まれた瞬間であった。