#1-1.ベネクト連合崩壊
春の日の事であった。
冬のはじまりに起きた南部諸国によるアップルランド大帝国侵攻の報は大陸全土に波紋のように広がり、それまで大帝国を中心にまとまっていた中央諸国連合にも浅からぬ亀裂を生んでいた。
中でも大帝国と並ぶ中央の強国『ショコラ魔法国』を中心とした『ベネクト三国』は、大帝国の皇室アルム家の存在を良しとせず、この機に中央の主導権を奪い取らんと目に見えた妨害工作に乗り出していた。
この三国は、それまで中央諸国の連合軍に預けていた軍を南部の侵攻と同じタイミングで撤収させ、これによりクノーヘン要塞が陥落するという事態に陥っている。
不幸中の幸いか、連合軍は魔王軍との小競り合いで目だった打撃を被る事無くある程度の戦力を維持できていたため、事態の推移と合わせて新たな防衛ラインを構築していた。
その甲斐あってか、魔王軍がクノーヘン近郊の陸上部隊での侵攻を行う事は無かったが、人類の国家にとってそれは、脅威の一部を減らしただけに過ぎなかった。
魔族は空を飛べるのだ。
人間と違い、魔族は一言でそうまとめていても実際には多種多様な種族がおり、翼によって空を自在に飛べる者や、ウィッチや魔女のように独自に開発したマジックアイテムによって空中移動する者もおり、変身して飛ぶ事ができる種族までいる。
そうでなくとも、調教されたワイバーンの背中に乗ったり、首からぶらさげられた運搬用のコンテナに入ったりして歩兵を運搬する事も可能な為、人間にとって、陸だけ押さえているというのは魔族対策としては不十分であった。
その為、通常砦や街には対空警戒の為の巨大な監視塔を設けたり、矢射出装置バリスタなどの対空攻撃装置が備わっていたりする。
全軍のうちほぼ全てが魔法兵で構成されるショコラ軍は、この対空攻撃にあたっても弓だけでなく、長射程魔法などで攻撃を行えるほか、メテオなどの広範囲魔法は鐘の合図にあわせ、防御魔法によって防ぐ事も可能となっている。
その他、北部の一部が更地となった事を教訓に、首都ベルクハイデ上空を中心に、メテオ以上の威力の魔法、とりわけ強力な古代魔法を防げるように、対魔法バリアなる装置も要所要所に設置されており、こと空と魔法に関しての備えは万全とも言える体制であった。
しかし、ショコラは万全でもその両隣に位置する『エルゲンスタイン公国』と『アルゼヘイム王国』はと言うと、実際の所ショコラほど突き抜けた分野がある訳でもなく、経済的に優れているでもなく、どちらかといえば弱小国に分類される程度の国家であった。
一応各砦や城砦に備えはあるものの、それらの常備兵力からして精々が百人二百人という規模しかなく、本格的な侵攻を受ければ一日掛からず滅ぼされる可能性すらあった。
これまでこれらの小国が生き延びてこられたのも、防波堤として多数の兵士が詰めるクノーヘン要塞やカレー公国周辺の地形、とりわけカルナディアスの丘からティティ湖周辺が、大人数を活かしやすい地形だったからである。
質より量の戦いが常道であった頃は、やはりどれだけ大量の兵員を投入できるかが戦闘での勝ち負けを左右する事も多々あり、広大な平野部で戦えるというのはかなり重要な条件であった。
だが、現状ではまず、クノーヘン陥落によって、これらが同時に消えたに等しい。
中央部でも北部寄りの地域にあるベネクト三国は、それまでクノーヘン要塞によって対空監視・防御をされていた側面があり、地上からの侵攻は元より、空からの侵攻もこれによってある程度防いでいたのだ。
今でも陸地は連合軍によって防衛されているものの、これも対空・対竜能力に優れた要塞の備えとは比べ物にならず、また、陸路でもライン防御ではどうしてもポイントポイントで薄くなっている部分ができてしまう為、被害を省みずに一点突破を狙われた場合、これを完全な形で防ぎきるのは難しかった。
確かに大帝国に対しては強いプレッシャーを与えた結果となったが、対魔族防御という側面で考えるならば、ベネクト三国の行動は浅はかという他なく、自殺行為に等しい、無意味を通り越してマイナスにしかならない方策であった。
彼ら的にはそれが絶好のタイミングに映ったとしても、直近に魔族という脅威が存在している事を、もう少し考えておけばよかったというのに。
激しい冬の頃。まず最初にアルゼヘイムが滅亡した。
王都『グラッセ』にはショコラからも増援が回されていたものの、クノーヘンから出撃したウィッチの一個分隊から強襲を受け、混乱に陥って居るところをワイバーンで輸送された魔物兵士の大隊によって占拠された。
不思議な事にウィッチの代名詞とも言われるメテオは一切使われず、この度の攻略においては上空からの爆発物の投下という今までにない戦術を駆使し、これが脅威となった。
ショコラからの増援の魔法兵部隊は、当初ウィッチのメテオ対策として魔法障壁で街を包み込んだのだが、ウィッチらが投下したのは魔法的な要素を持たぬ純然たる爆発物であり、魔法障壁が一切意味を成さなかったのだ。
この爆発は破壊力そのものは極めて低く、直撃でもしなければ死ぬ事もないほどであったが、被爆者には負傷より深刻な事態が待っていた。
魔界特有の植物の中には、強い催眠・催淫作用を引き起こす香りを持つ花があり、ウィッチらはこれを元に抽出・調合された香薬を使い、爆発と同時に香りが広範囲に広がるように仕掛けたのだ。
薬自体は元々は彼女達が子供を作る際にムードを盛り上げる為に使う自家製のアロマみたいなものなのだが、媚薬の香りに不慣れな人間にはテキメンに作用し、王都は瞬時に堕落の街と化した。
このような状況下ではまっとうに戦える兵士などいるはずもなく、香りを嗅いで暴徒と化してしまった民衆や兵士によって、王城までもが攻め入る事無く勝手に陥落するという前例の無い事態に陥った。
アルゼヘイムの王族らは男女関係無しに民衆や兵士から手酷く扱われたらしく、茫然自失のまま捕虜となった。
次に、冬の終わり頃。エルゲンスタインが陥落した。
これはクノーヘンからではなく、北部方面から南下しての侵略であった。
ラミアから新たに北部方面軍を任された黒竜姫は、北部から南下して部隊を投入せよとの命を受け、とりあえず編成を終えた黒竜一名と青竜一名、赤竜二名の四名態勢での侵攻を考えた。
強襲のタイミング把握に長けたこの黒竜は、指揮官として部隊運用的に有効に作用し、領土内の街から集落に至るまで全ての占拠に成功した。
城砦の迎撃装置は赤竜と青竜によって破壊の限りを尽くされ、エルゲンスタインに残ったのは、物言わぬ凍て付いたオブジェ達と、起きる事の無い睡眠を続ける住民達と、一切破壊されていない民家のみであった。
流石に脅威を感じたのか、ショコラもベルクハイデを中心に防衛網を強化。
有事の為全住民に戦闘参加を命じると共に、立場的に孤立している中央ではなく、遠く離れた南部諸国に救援を求めた。
ことこの状況になっては南部からの増援など到着するはずもないのだが、そうでもしなければどうにもならないという有様で、ショコラの宮廷がいかに焦っているかが窺える事柄であった。
そうは言っても、ベルクハイデの民衆の間では、ショコラには強力な宮廷魔術兵団が居り、これが健在のうちは最強の矛を持っているも同然と、ある程度の自信によって対魔王軍戦は楽観されがちであった。
軍部においては、勇者リットルの脱落後混乱が続いていたが、元来軍とは無関係の宮廷魔術兵団が上位組織として軍を支配下に置き、混乱の収束に務めた。
だがこれが兵達からの反発を受け、リットルが大帝国に亡命した事もあり、彼を慕っていた多くの兵士が後を追うように軍を抜けていってしまう。
宮廷魔術師達に支配されるのを嫌った彼らは、『この国に命尽くす価値なし』と見て、国を見限ったのだ。
結果として反発する兵士たちはほとんどが抜けてしまい、軍への宮廷魔術兵団の影響力自体は強くなったが、この状況において貴重な前衛戦力を失ってしまっていた。
こうして最後の一国となったショコラは、その内情もあやふやなまま、魔王軍の攻撃を受けることとなる。